表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キョーハク少女  作者: ヒロセ
第四章 僕らにとってのハッピーエンド
162/163

終りの無い始まり

「……」


 目を開けると目の前には固い何か。

 体を起こしてそれを見る。

 机だ。机の天板だ。

 僕は自分の机に突っ伏し寝ていたんだ。

 どうして?

 辺りを見渡してみる。

 誰もいない。

 何も異変はない。

 この世界に僕一人だけしかいないような、そんな錯覚。


「寒い……」


 冬の誰もいない教室。しかも夕暮れの窓際。寒くて当然だ。

 いや。

 この寒さの原因は何かもっと別の何かのような。


「……あれ」


 僕の首に何かが巻かれている。

 これは、見覚えがある。

 そうだ、これは雛ちゃんのマフラーだ。


「あ……」


 それを見てやっと思い出す。寝ていた原因と、寒さの原因を。

 そうだ、これはその寒さだ。


「……すごく、暖かいや」


 帰ろう。

 ここにはもう用事なんてない。

 カバンを持って立ち上がり誰もいない教室をゆっくりと歩く。

 黒板の端から端を視線でなぞる。

 大掃除後の綺麗な黒板は新品そのものだった。

 そのままドアをくぐる。

 扉を閉める直前に振り返ってみた。

 誰もいなかった。



 何となくそのまま帰る気分ではなかった僕は久しぶりに秘密基地へ行ってみることにした。

 もうそこは秘密基地ではないけれど、思い出の場所には変わりない。

 もうすぐ暗くなる。冬の日照時間はとても短い。早く行かなければ何も見えなくなってしまう。遭難してしまうことはないけれど、何も見えないのは嫌だ。

 僕は急いだ。

 そこに行けばきっと、何かがあると思って。



 何十回と登った山道。目を瞑っても登れるだなんて思ってはいないけれど、暗闇の中くらいならば登れる。

 木々に遮られた夕日。

 薄暗い山道を僕は歩く。息を切らしながら歩く。木を掴み、勢いをつけながら歩く。

 なんだか妙に辛く感じた。こんなことは今までなかったのだけれども。

 疲れる理由は、何となく分かっているけれど。

 分からないふりをしても、良いよね。

 やっとのことでたどり着いた元秘密基地。ここは地肌が見えているので空を覆うものもあまりない。しかし角度のない陽は入ってこない。空を見上げると黒と赤のグラデーションだけが目に映る。充分に美しい空なのだけれども、今日はなんだかさみしい風景に見えてしまった。


「ふー」


 白い息を空に向かって吐き掛ける。

 黒が際立って見えたような気がした。


「冬休みになったよ」


 誰もいないのに、誰かに問いかける。夏休みに出会った友人に問いかける。

 夏休みに出会い夏休みに別れた。

 ならば、きっと冬休みにも出会えるはず。

 そんなわけ、無いけれど。


「そうだ。冬休み、ここでキャンプをしてみよう」


 何となく、あの人の気持ちが分かるかもしれない。

 分かるわけ、無いけれど。


「そんなことしたら寒さで死ぬんじゃない?」


「うっ?!」


 突然話しかけられ驚いた。


「まあ、死んでも君の骨は野犬が拾うから安心して」


 そこにいたのは楠さん。

 楠若菜さんが、木々の奥から姿を見せた。


「……」


 暗がりで距離もあり表情がよく見えないけれど笑ってくれているのだろうか。


「なんで無視するの? すごく腹が立つんだけど。私がここにいたらまずいの?」


 絶対に笑っていない事は分かりました。


「それとも何? 野犬発言が気に入らないとでもいうの? 大丈夫。ここでの野犬は有野さんの事だから。安心してよ。あ、違った。あれは狂犬だった」


 突然の出会いに言葉が出ない。

 今一番逢いたい人に出会ってしまったのだ。


「……」


「……だから、なにその反応。何をそんなに驚いているの。もしかして、私を襲いに来たの?」


「……」


「……返事をしなさい。友達想いで優しい私でも許せないことはあるよ」


「ゴメン」


 僕が謝ると、楠さんの声が少しだけ明るくなった。


「第一声がごめんだなんて君にふさわしい。でもそれは一体何に対しての謝罪なの? 今無視したこととは別件みたいだね。だからここに来たんでしょ? 何かにすがる為にここに来たんでしょ? かっこわるっ。まあ、興味ないけど聞いてあげる。聞くだけ聞いてあげる。君には勝手に妄想されて無理やり百合と仲直りさせられた借りがあるからね。借りを返してあげるよ」


「……うん」


「仕返しだよ仕返し。決して恩返しじゃないから。四倍返しくらいで返してあげるから、何に悩んでいるのか言ってみて」


 恩を売るようなことはしていないのに。楠さんは、優しい。本当に優しい。

 だから、僕は言うんだ。


「さっき雛ちゃんの告白を断ってきたんだ」


「……」


 楠さんから楽しげな雰囲気が消えた。


「……あっそ。で?」


 楠さんが腕を組み、僕を見据える。


「楠さんに、話があるんだ」


「へえ。言ってみて」


 楠さんのシルエットにも近い姿が僕を見下ろすように顔をあげた。

 まさか、今日言うとは思わなかったけれど、いつかは言わなければならないこと。

 僕は、言わなくちゃ。


「……楠さん。僕は――」


「あ、そうそう」


「――えぇー……」


 このタイミングで話しを割り込ませるのはやめてもらいたかった……。僕だってそれなりに緊張しているんだから……。


「嫌そうな声出さないでよムカつくから。私も君に言っておかなくちゃいけないことがあるって思い出したの。佐藤君の話は置いといて私の話を先に聞いてよ」


「……うん……」


 物凄く覚悟を決めていたのに……。出鼻をくじかれた。


「佐藤君さ、何か勘違いしているみたいだから、言っておくけど」


 楠さんの言い回しにちょっとだけどきっとしたけれど、僕の緊張は杞憂だった。


「私は別に沼田君と付き合ってないから」


「……。うん」


「……驚かないね」


「そんな気はしてたから。何となくだけどね」


「生意気な。話が終わったら君磔だから。磔の上に針漬けだから」


「磔は、嫌だね。それに針漬けって、なんだか怖い……」


「十字架を背負って生きて行こうとしている君にはちょうどいいよ」


「……うん」


 楠さんは、僕の言うことが分かっているようだ。だから、話を割り込ませたのだ。

 話しておく必要があったから。

 僕のことを考えて。

 僕はもう一度心の体勢を立て直す。

 その為に、少しだけ遠回りをしよう。


「楠さんと最初に出会ったのは、ここだったね」


「何を言っているの。教室でしょ。入学式の日の教室」


「ううん。ここだよ。この山で、初めて楠さんに出会った。場所はもう少しだけ奥だけど、ここで出会った」


 それが、僕にとっての初めてだ。


「……ふん」


「あの時は、びっくりしたけど、今思えばとっても素敵な事だった。一学期が終わったころ、僕はもう一種の優越感すら覚えていたよ。他のみんなが知らない本当の楠さん。それを僕だけが知っている。もう、みんな知っているけどね」


「君のおかげでね」


「市丸さんのおかげだよ。市丸さん……。市丸さんとの出会いも、とってもいい物だった。そのおかげで僕は色々と分かったんだ」


「何を?」


「楠さんを、守りたいなぁって」


「……偉そうなこと言うね」


「ごめんね」


「いいから話の続き」


「……うん。夏休みも、すごく楽しかった。友達も増えたし、海にも行けたし、お姉ちゃんと一段と仲良くなれたし」


 思い出せばいい事ばかりだ。多少嫌なこともあったけれど、それでも充分楽しかったと言える。


「文化祭も、色々と大変だったけど、準備も、当日も、充実していたと思う。素直に楽しかったとは、あまり言えないけど、それでも何もしなかったこれまでよりはすごく満たされた毎日だった」


「ふーん」


 どうでもよさそうに、それでいて興味深げに。


「楠さんに出会ったあの日から今日までずっと、大切な毎日の連続だった。この半年はきっと僕の人生に置いてものすごく意味の持った半年になると思う。思い出して悔いの残らない、そんな素敵な日々だった」


「……ふーん」


「僕は楠さんにものすごく感謝しているんだ。楠さんがあの時言った、勇気を出せば人生が変わる、っていう言葉、本当に今実感しているよ。ありがとう」


 そのおかげで今の僕がいる。みんなに感謝したいけれど、それでも一番感謝したいと思っているのは楠さんだ。それは僕にとって疑いようのない事だ。


「そう。……それで君の話は終わり? ありがとーで終わり? なら帰っていい?」


「まだ、これから。むしろ、これから」


「……」


 心の準備は整った。すでに整っていた心が更に整った。


「楠さんに出会えてよかった。本当に、よかった。情けない僕だけど、きっとこれから僕は変われると思う。誰かを守り続けられるくらい、強くなりたいと思う」


「勝手にすれば?」


「勝手に、するよ」


 僕は今までそうしてきたのだから。


「楠さん。僕は楠さんを――」


「ちょっと待ってちょっと待って」


「――えー……?」


 また割り込まれた……。その先は言う必要が無いと言うことなのか、聞きたくないと言うことなのか……。


「もし仮にね」


 この言葉に僕の体が硬直する。

 いつか、こんな切り出しで言われた言葉がある。


「仮に君が私に告白するつもりだとして。仮の、話ね」


「あの時みたいに焦りやその場の勢いで言おうと思っている訳じゃあないみたいだから、本気か否かを問うことはしない」


 文化祭の時も言われた言葉。

 あの時の、再現だ。


「君は、私の本性を知って傍にいてくれた。沼田君も本当の私を見て好きになってくれた。この二人に違いはない。だとしたら、当然、スペックの高い方を選ぶでしょ?」


「……」


 僕には何も言い返せない。


「ねえ、佐藤君。君にいいところってあるの? 沼田君と比べて、君が勝っているところはあるの?」


「……えっと」


「無いよね」


「……」


 無いのだ。僕には何一つとして普通以上の物が無いのだ。


「勉強、運動、身長、性格、顔。足の長さも髪の長さも、全部沼田君の方が上回っているよね」


「……」


「この私が好きになる要素を、君は持ってる?」


「……ないと、思う」


「だよね。じゃあ、私の話は終わり。仮の話はこれで終了。で、君のお話は一体何? ぜひ聞かせてもらいたいね」


 確かに、僕には何もない。

 楠さんと釣り合うだなんて思っていない。微塵も感じたことが無い。

 それに比べて沼田君は格好いい。普通以下の所がない。長所の塊で、恐らく、楠さんや雛ちゃんの様に完成された人間の内の一人なのだ。

 欠陥だらけの僕が肩を並べて歩くなんて許されることではない。

 そんな僕を、楠さんが受け入れてくれるわけがない。

 答えなんて初めから分かっている。

 僕は妄想力豊かだから。

 でも。

 だからってここで何も言わなくてもいい理由にはならない。なり得ない。

 だってそれは楠さんの都合だから。

 僕が何かを伝えることに、全く関係ない。

 僕は僕のやりたいようにやる。

 伝えたい気持ちを伝えるだけだ。

 結果を恐れるな。伝えたいから伝えるだけの話。

 ただ、それだけなんだ。

 それに。

 ここで言わなければ雛ちゃんに怒られてしまう。

 それが一番嫌だから僕は伝えるんだ。


「僕は、楠さんが好きです」


 思った以上に言葉がすんなりと出てきた。

 でもそれ以上は出てこない。

 しかも言った後から心室と心房がプロレスを始めてしまった。

 気を抜けば地面でのた打ち回ってしまうのではないかという程に苦しい。

 伝えた後でよかった。今の僕は呼吸の仕方すらよく分からなくなっているよ。


「……そう」


 楠さんが僕に近づいてきた。

 徐々にその顔がはっきりとしてくる。

 怒っているのか、泣いているのか、笑ってくれているのか。

 その答えは、後数歩。


「私はね」


 数十センチ。

 楠さんは。


「君のことが嫌い」


 笑っていない。泣いてもいない。


「現在の好感度……、一の位は7」


「……十の位は?」


「当然0」


「……百の、」


「もちろん、0。当たり前でしょう。君は私に酷い事をしたんだから。まさか百あるとでも思ったの?」


「……ううん。分かってた」


「あっそ」


 始めて好感度を聞いたときと、何一つ変わっていない。

 はっきりと伝えられた。僕のことは特に好きではないのだと。

 暴れていた心臓が止まった。僕は死にそうだ。

 楠さんは続ける。


「私は君が嫌いだった。うじうじしてなよなよして。情けなくて女々しくて。今まで見てきた中で一番男らしくない人だった」


 無慈悲に。


「君は人に好かれるような人間じゃない」


 無感情に。


「今までずっと一人ぼっちだったんだよね。あーあ可哀想。せっかく有野さんが君を愛してあげようって言ってきたのにそれを断っちゃって。バカみたい」


「そだね」


「そんなに落ち込まないでほしいな。私はただ本当のことを言っただけなんだから」


「うん」


 居た堪れない。早くこの場から逃げ出したい。でも何故だろう。ちょっとすっきりした僕がここにいる。


「私は君が嫌い」


「……ごめんね……」


 楠さんが僅かしかない僕の鼓動を止めにかかった。


「君のすぐに謝る癖が嫌い。何でも受け入れるところが嫌い。男らしくないところが嫌い。幼い顔が嫌い。流されるところが嫌い。すぐに俯くところが嫌い。オタクなところが嫌い。すぐに諦めるのが嫌い。かと思えば諦めが悪いところがあるのも嫌い。自分勝手なのが嫌い。かと思えば人の為に損をすることも厭わないのが嫌い。泣き虫なのが嫌い。楽しそうに笑うのが嫌い。私の秘密を知ったのが嫌い。私を助けてくれたのも嫌い」


 すごく罵られているよ。走って逃げてもいいかな?


「だから」


 楠さんが俯いていた僕にデコピンをしてきた。

 僕は、楠さんが言うところの幼い顔を上げた。


「君が嫌い」


「……うん」


 辺りは真っ暗だ。よかった。本当に、よかった。


「ゴメンね勘違いさせちゃって」


 それは違う。


「……勘違いなんてしてないよ。僕はただ楠さんが好きだから、それを伝えたかっただけなんだ。こうなることは、多分最初から分かってた。初めから諦めていたわけじゃあないけど、うん、そうだよね。僕は楠さんが好き、これからもずっと好き。それだけのことだよ」


「私が君のこと大嫌いでも、君は私のことを好きだというの? 気持ち悪い」


「仕方がないよ。僕は楠さんを好きになってしまったんだから」


「ふーん。あっそ」


 楠さんが僕を軽く突き飛ばし、楠さん自身は大きく一歩引いた。


「な、何?」


 二メートル先の楠さんの顔が暗闇の中にぼやける。


「やり直し」


「え?」


「君が大好きな美少女ゲームだと思って、ロードし直し」


「何を言っているの?」


 ゲームは好きだけれど、別に恋愛シミュレーションが好きなわけではないよ。


「早く。ロードし直し」


 現実にセーブポイントなんてないのに。

 しかし、ロードしろというのならありもしないデータをロードし直そう。


「その……、どこからやり直し?」


「産まれ落ちた時から」


「オートセーブ機能はついていないんだね。フリーズしたら大変だよ」


 セーブはこまめにとらなくちゃ大変だよ。だからと言ってセーブばかりするのも面倒くさいけど。

 いやそんなことよりも。


「いいから早く。私に好きだって言ったところから」


 僕はそこでセーブをしていたらしい。


「え、でも恥ずかしいから……」


「さっさとして」


 有無を言わさぬ楠さんに押し切られる。


「はい……」


 辱めを受けている気分だ。


「えーっと……その……楠さんが、す、好きです」


 あぁ、僕はとっても惨めだね。


「どれくらい?」


「え? どれくらい……って、一番?」


「校内で一番? 市内で? 県内で? 国内で?」


「せ、世界で、一番?」


「はい録音」


「え?!」


 なんだか懐かしい感覚だ!


「どうして録音するの?」


「そんなの決まっているでしょう」


「ぼ、僕を脅すの?」


 まさかこれをネタに……ネタにはなり得ないか。ただの事実だし、恥ずかしいけれどばれてはいけないことでもない。


「何言っているの? 録音なんて目的は一つでしょう。あとからもう一回聞く為」


「恥ずかしいからやめてもらっていいですか?」


「私ね、好きな子には意地悪したくなっちゃうの」


 以前にも聞いたことがある。


「嫌いな子には……?」


「陰湿なことをしたくなっちゃうの」


「そ、そうでしたね」


 改めて聞いてみるけれど、何も変わってはいない。僕らはずっと変わらない関係を続けてきたのだ。


「今私がしていることは意地悪? 陰湿?」


「どちらかというと、陰湿?」


「そう思う?」


「そう思いたくはないけど、当然意地悪だった方が良いけど、僕は嫌われているから」


 二メートル先にいる楠さんが不思議そうに僕に問う。


「私がいつそんなこと言ったの?」


「え? ついさっき、言ったよ」


「言ってないよそんなこと」


「え、いや、数分前に……」


「言ってないったら言ってない。私がいつそんなこと言ったの。何時何分何秒地球が何回周った時?」


 子供だ!


「そ、そうでしたね。言ってなかったかな? うん。僕は何も聞いてなかったかな」


「でしょう」


「……。な、なら、楠さんが今したことは、意地悪なの?」


「そうだね。だって私君のことが好きだもん」


「…………え? いや……」


「なに?」


「あ、なんでもないです」


 聞き間違いか言い間違いか幻聴だったのだろう。先ほどから意識が遠い気がするからそんなことが起きても不思議ではない。むしろ都合の良いものが聞こえてくるなんて自然だ。


「なんでもないの? 私が君に好きだと言ったことは何でもない事なの?」


 現実だった。遠のいていた意識が更に遠のく。

 現実なのに、夢のような。立っているのに、飛んでいるような。


「え、いや、いやいや。いや。でもさっき、嫌いって」


「何を言っているの? 君はロードし直したから、それはナシ」


「……えー?」


 無茶苦茶だよ……。


「何それ。嫌なの?」


「い、嫌じゃないけど、訳が分からなくて、僕の弱い頭じゃあ理解が追いつかないよ」


「理解する必要はない。ただ一つ、私が君を好いているということだけ分かっていれば」


 嬉しいけれど、理解できない。


「その……そこから分からない……んですけど」


 僕は嫌いと言われた。

 楠さんはそう言ったのだ。無かったことにしようとも、僕は覚えている。

 納得のいく説明が無ければ、とてもではないけれど信じられない。そう簡単には浮かれることが出来ない。

 しかしながら、そんなことは楠さんも分かっているようだ。


「私はね、思ったの」


「……?」


「君のことは好きだけど、有野さんのことも大切に思っているのね。割と」


 それは素敵なことだ。


「だから、この関係を壊したくないと思って、君に諦めてもらおうと思ったの」


「はい……」


 なる程。


「でも君は自分勝手だから、片思いを続ける気満々だった」


「そう、ですね」


「だから私も君が好きだと伝えたの」


「訳が分からないよ……」


 頭の悪い僕にも理解できるような説明をお願いします。


「佐藤君が私のこと諦めないのなら、自ら嫌われる必要も無いでしょ。だからさっきのは無かったことにしてやり直したの。君のせいだよ。諦められないほど私のことを好きになってしまったから」


 僕が、悪いの?

 そう僕が悪いのだ。もうそれでいいよ。細かい事はどうでもいい。


「……その、その、つまり、いろいろと遠回りしたけど、その、簡潔に言えば、僕のことが……」


「好きだって言ったでしょ。何? 録音でもする気? やめてよ気持ち悪い」


「いろいろ言いたいことはあるけどそんなことは今はどうだっていいや」


 うわ、うわ、うわ。


「な、なんで?」


 心の底から聞いてみる。不思議でたまらない。先ほど楠さんが述べたように、僕には一つだっていいところはない。


「なんでって……。そういうところ嫌い」


「えっ。ご、ごめんなさい……」


 楠さんが僕に近づく。本当に、楽しそうな嬉しそうな顔をしながら。

 手を伸ばせば届く距離。


「でも、僕には、楠さんを惹きつけるような魅力は、一つもないのに……」


「そうだね。君は私が好きになるような要素を微塵も持ってはいないけどさ。でも君を好きになるきっかけはあるんだよね」


「……え?」


「君は、私を助けてくれた。自分を犠牲にして助けてくれた。それだけで好きになるには充分でしょ?」


 一学期のこと、なのだろうか。


「で、でも、その、好きになる要素が無いって……」


「そうだね。勉強もできないし運動もできないし身長も低いし性格もヘタレだしまあ顔の好みは人それぞれだし。でもね、それでもね、君を好きになってしまったんだよ。それほど私は君に救われた。救われてきた」


 救っただなんて、大げさのような気もするけれど。

 そう思ってくれていたことが何よりうれしい。


「それに比べて、私が沼田君を好きになるきっかけはある?」


「その、かっこいいし……」


「沼田君に限らず、かっこいいだけの人間ならいくらでも言い寄ってきたよ。これでも私はモテるからね。でも好きになったことなんてない。なるわけがない。顔じゃあ好きにはならないよ。勉強とか運動ができるだけじゃあ好きにはならない。なれない。私は一目ぼれなんてしない。その代わりきっかけが必要なの。強烈で、鮮烈で、熱烈な。全てを捧げてもいいと強く鮮やかに熱を上げてしまえるような烈々なきっかけが、私を動かすの。沼田君にはそれが無い。でもね――」


 どうしようもないくらい、僕は、猛烈に、喜んでいる。


「君には、それがある」


 再び楠さんが僕にデコピンをして、嬉しさのあまり落としていた顔を上げさせた。


「だから、私と――いや、この続き、君に言わせてあげる」


 楠さんが笑顔で手を後ろに組み、僕の言葉を待つ。


「……ありがとう」


 僕の見せ場を、作ってくれた。

 男としての大切な見せ場。

 僕は言うんだ。




「……楠さん。僕にずっと守らせてください。僕と、付き合ってください」













「え、絶対ヤダ」












「……え?!」


 真顔?! 真顔で言った?!


「いやー」


 今度はすごく嫌そうな顔をしているよ?!

 え?! ええ?!


「その、こう言うことを聞くのって間違っている気がするけれど、どうして?!」


 なんだか今僕はとっても諦めの悪い男の様に見えてしまう気がするけれど、でもそれも仕方がないと思うんだ! だ、だって、だってだって今断らないようなこと言っていたもん! 僕の事好きって言ってたもん!


「有野さんはどうするの?」


「……雛ちゃんとは、さっき話をしたよ……」


 それで、殴られて……。


「私は話をしていないし。君と有野さんの間でどんな解決があったかは知らないけど、私と有野さんの間では何も解決してないもの。君と有野さんの関係なんてどうでもいい。重要なのは私と有野さんの関係だよ」


「その、でも、楠さん、さっき、僕が諦めないと分かったら、自分も好きだって……」


 僕、今凄く惨めだよね。必死に食らいつこうとしてみっともないね。

 そんな僕の肩に楠さんが手を置いた。


「確かに、君のことは好きだよ。大好きといっても過言ではないね。むしろ愛しているというのが一番適切なのかもしれない。でもね、さっきも言ったけど今私を取り巻くこの環境この関係も、同じくらい大好きでとても居心地がいいんだよね。君の告白を受けることによってその関係が壊れるのは嫌。佐藤君のことは確かに好きだよ? でも有野さんも君のことが好きなの。私は君のことが好きで、有野さんも君のことが好きで、君はどっちを選ぼうか情けなく悩んでいる。そんな傷つく一歩手前の、誰も悲しまない優柔不断な関係をまだ続けたいと思うから、私は改めて君の告白は断る」


「でも、だったら、僕に、好きとか、言わない方がよかったような……?」


「好きって言おうと、嫌いと言おうと、たどり着く結果が同じなら伝えた方がすっきりするに決まっているでしょ」


「そうだけど……。その、でも、問題の先延ばしは、誰も傷つかないけど、良い事なの?」


 僕はそれがよくないと思っていた。

 誰も幸せになれないと思っていた。


「いい事だね。せめてこの高校生という青春の最高潮の時期を傷つくことなく過ごすことはこの上なく幸せなことだと思うね」


 確かに、急ぐ必要は、無いのかもしれないけれど……。

 納得しても、いいのかなぁ。


「そ、その、それで、僕どうすればいいの?」


 なんだか色々と引っ掻き回して関係を壊してしまった気がする。


「とりあえず、今から二人で有野さんの所へ行こうか」


「で、でも、その」


 気まずい。それを修復する為なのは分かっているけれど、気まずい。なんと言えばいいのか分からないし。


「そんな顔しないでよ情けない」


 いつかのように、僕の頬をぐにっと潰す楠さん。


「私たちはね、中途半端でいいんだよ。多分、究極のエンディングは君が誰かとくっついて、それをみんなで祝福するのが最高のパターンなんだろうけど、そんなのは無理な話。究極じゃなくて、普通のエンディングは、君が誰かとくっついて、誰かが傷つくパターン。それが一般的なエンディング。でもそんなの楽しくない。だったら究極でも普通でもなくて、ましてやエンディングでもないものを選べばいいと思うんだ。まだまだ先の見えない状態で、宙ぶらりんな私達でいればそれはそれで究極に幸せな状態だと思う。いつまで続くか分からないいつまで続けられるか分からない脆い幸せだけどさ、続けられるだけ続けてみようよ。高校生活が終わって、大学に入学して、社会人になる。明日崩れるかもしれないし、意外に崩れないかもしれない。本当に、どこまで続くか分からないけどさ、諦めるにはまだ早いと思うんだよね。もしかしたら、死ぬまでこの状態がキープできるかもしれなよ。真の幸せかどうかは分からないけれど、多分『ある意味幸せ』なんだと思う。君が私を選んでくれた勇気は凄いけどさ、選ばないっていうのも勇気がいることだよ。一旦、先送りにしてもいいんじゃないかな。永遠の先送りかもしれないけど、誰かを傷つける答えはまだもうちょっとだけ我慢しよう」


 確かに、それが出来るのなら、素晴らしい事だとは思うけれど。


「……その、楠さんは、それでいいの?」


「もちろん、私にとっての最高は、好きな君と結ばれることだけど、望むのは君が女の子をはべらせるエンディングかな。私とか、有野さんとか、三田さんとか、みんなが君の物になるエンディング。君にとっても最高で究極でしょ?」


「そ、それは、不誠実じゃないかな」


 学校の人たちから袋叩きに遭いそうだ。


「そうだね。でもそれがみんなにとっても君にとっても一番いいはず。誰も不幸にならない。君の大好きなハーレム物語だよ。でも、それができないから先送りで。多分この先私は君のことをもっと好きになると思う。同じように有野さんも君のことをもっと好きになるだろうし、君も誰かのことをもっと好きになると思う。そうなってしまって、誰かが我慢できなくなったら。まあ、その時はその時で、改めて考えよう。我慢できなくなるのが君か私か有野さんかは分からないけど、もしかしたらみんな一斉に我慢の限界が来るかもしれないけれど、いつ砕け散るか分からない幸せの上でみんな仲良く過ごそうよ」


「……うん」


「でもね、だからって、以前の状態と変わらないじゃないかって思わないでね。全然違うよ。君は一応の答えを出した。それを私が断ったというのは、かなり違うよ。多分、以前よりかなり幸せな時間が過ごせると思う。私はそう思う」


「……そう、かなぁ」


「そうだよ」


 楠さんの言葉には力がある。

 だから僕は信じられる。


「……楠さんが言うのなら、そうなんだと思う」


「そうそう」


 なんだか、ホッとする。きっとあり得ない選択なのだろうけれど、とても素敵な選択だ。『答えを出さない』という答え。それを選ぶのにも勇気がいると楠さんは言った。確かに納得しない人もいそうな気がする。でも、誰も傷つかない。だって何も選んでいないのだから。

 この道がまっすぐ進むのか不自然に曲がってしまうのか。

 みんなで、歩きながら確かめてみよう。


「じゃ、そうと決まれば、有野さんに会いに行こうか」


 そう言って、笑顔で僕の手を握ってくれた楠さん。


「その、この手は……?」


「急がなきゃいけないからね。とばすよ。でも君足遅いでしょ? だから引っ張ってあげる」


「とってもありがたいんだけど、山道を駆け下りるのに、手を引かれていたら、危ないような……」


 危ないよね。僕間違ってないよね。


「遠慮せずに」


「えっと、遠慮じゃなくて、危ないかなぁって」


「いいからいいから。私のことが好きなんでしょ?」


 改めて言われると恥ずかしい。


「その、まぁ」


「なら喜ぶところでしょここは」


「本当に、嬉しいんだけど、やっぱり危ないかなぁって」


 歩くのならいいよ? でも、走るよね? 走るって言ったよね?


「あぁもう面倒くさい」


「え、うわっ」


 面倒くさそうな顔を見せたと思ったら、グイッと引っ張って急発進する。僕は慌てて足を動かし楠さんに離されまいとした。

 速い。本当に僕なんかとは比べ物にならないくらい速い。

 運動神経抜群だ。

 運動が出来て、勉強が出来て、友達想いで。

 みんなに好かれて当然だ。

 僕なんかとは比べ物にならないよ。

 でも、僕だって捨てたもんじゃないような気も、最近してきた。

 少しだけ自分に自信が持てるようになってきた。

 僕だって友達の力になれるんだ。

 何のとりえもない僕だけれども。誰かのために何かが出来る。

 身を削ったり、痛い思いをしたりするのだろうけれど、それでも何かをすることが出来るんだ。

 好きな人たちが喜んでくれる。

 それだけで、僕は僕のことが好きになれる。


「……うん」


 何に対してか分からないけれど、一度頷いた。

 山のふもとまで全力疾走をする僕ら。

 何度かこけそうになるけれど手を離そうとは思わない。

 どうせならこけるときも一緒にこけよう。

 きっと楠さんに怒られるけれど。

 それでも一緒だ。

 寒さの中で一際際立つ暖かい手を僕は強く握った。

 散ってしまうのではないかと言う程優しい手を、僕は絶対に離さない。

 僕は今走っている。

 どうしようもないくらい青春を突っ走っている。

 好きな人に手を引かれ、僕を待ち受けている地獄のような幸せに向かって突き進んでいる。

 親友に告白されそれを断ったり、好きな人に告白して断られたりしている僕だけど。

 まだその関係が続けられるのは、とても幸せだ。


「ねえ、佐藤君」


「な、何?」


 転ばないように集中しながら答える。できる事ならば集中を切らずにこのまま下りきりたいけれど。


「ちょっと止まるね」


「え?」


 楠さんが急停止。しかも僕を避けるように急停止。僕なんかを庇うことなく急停止。


「うべっ!」


 ゴロゴロ転がるわけでもなく、見るも無残に雑草達をこすった。


「い、痛い……」


 泣きたくなる。

 下が草じゃなかったら大変なことになっていた気がする。

 本当に僕なんかお構いなしだね!


「情けない」


 楠さんが倒れている僕の傍に寄ってきた。


「急停止されたら、誰だってこうなるよ……」


 ヘッドスライディング状態から体を半回転させて楠さんを見上げる。


「……ふふ」


 楽しそうに笑いますね……。


「笑わないでよー……。死ぬかと思ったんだから……」


「違う違う」


「えぇ……?」


「最初の頃の君なら情けないって言った私に対して『ゴメン』って謝っていたと思うと、なんだか嬉しくなって」


「その、この状況ではさすがに謝らないと思う」


 僕は引っ張ったら危ないと言ったし、急停止したのは楠さんだし。さすがに誰でもこけると思う。


「それが君は謝っていたんだよ。百パーセント相手が悪くても、謝っていたね」


「そ、そうだったの?」


 それは、確かにおかしいや。僕も、成長したと言うことなのかな。何かを思い知って成長してきたのかな。


「はい」


 楠さんが手を差し出してくれる。


「ありがとう」


 僕はその手を握り、立ち上がる。


「ねえ、佐藤君」


「どうしたの? そういえば、どうして立ち止まったの?」


 楠さんが僕の手をきゅっと握った。


「キスでもしてみようか」


「……えええええええええ?! ななな何を言っているの?!」


 理解に苦しむよ!


「うるさいね。その口を塞いでやろうか」


「多分それは男の人の側のセリフだと思うけどなんだか様になっていて怖い!」


 ちょっと格好いいもん!


「じゃあ言ってよ。男側のセリフだっていうのなら言って実行してみてよ」


「えっ!?」


 何かまずった気がする! それに僕では様にならない。笑われて終わりだ。


「何かおかしい? 好き合っている者同士、これは普通のことだとは思わない?」


「いや、そ、その、そのですね? しかしですね? 今僕はフラれたし、以前のような関係に戻そうと言うのならばですね、不必要なのでは……」


「うーん、だから、じゃない?」


「え?」


「君が私に無理やりキスをして始まった私たちの関係。もう一回仕切り直すには、君が私に無理やりキスをしなければならないんだよ」


「……いやいやいやいや! 僕無理やりなんてしてないよ! それにする必要もないよ!」


 楠さんの目が細くなる。ジト目というやつだ。


「……君は本当に、情けない奴だね……」


「う」


「はぁやれやれ。この分だと私に好きだと言ったのも有野さんをフったっていうのも嘘かもしれないね。勇気を出して人生が変われたとか言ってるけど、結局は何も変わっていないんだよ。あぁ情けない情けない。漢気見せてくれると思っていたのにやっぱり君はヘタレのまま――」


 僕より背の高い楠さんと、楠さんより背の低い僕。足場のせいもあるのか、いつもより僕が小さく感じる。

 だから僕は目一杯背伸びをする。それでも届かないので、楠さんの肩を持ち思い切り自分の方へ引き寄せた。


 つまり、そうやって、僕は楠さんと、無理やりキスをしたのだ。


「――……びっくりしたー」


 一瞬だけど、僕は勇気を出したんだ。これで文句ないはずだ!


「こここここれで満足ですか?!」


 今僕は誰かの専用機のごとく真っ赤な事だろう。あぁ、三倍のスピードで逃げ出したい。


「あの時は写真撮ったけど、今は撮ってないからやり直し」


 そう言って楠さんが携帯電話を出した。


「さ、早く」


「もう勘弁してください……」


 幸せすぎて、泣きそうだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ