果てしなく続く終わり
終業式が終わり、二学期が終わった。
そして、冬休みが始まる。
終わったり、始まったり。
「僕は」
何かが終わり何かが始まる。
「僕は、雛ちゃんが好きです」
何かが。
「雛ちゃんは可愛いし、優しいし、頭もいいし、運動もできるし、尊敬されているし、何より、強いし。そんな雛ちゃんが、僕は好きです」
「……そか」
雛ちゃんは笑わない。
「雛ちゃんがいてくれたから僕は友達をたくさん作ることが出来たんだ。雛ちゃんがいなかったら多分何もできなかったと思う。雛ちゃんがいてくれたから――」
いくらでも出てくる言葉。いくら言っても言い足りない気持ち。
そして、なんと言えばいいのか分からない想い。
「いいよ、そんな前置き。いらねえよ」
余計な言葉はいらないと、雛ちゃんは僕に言う。
僕の言葉全てを、前置きだと言う。そう言った。
「……」
必要ないと言われても、僕にはそれが必要だ。
あふれ出してくる言葉と気持ちをそのまま漏らす。
「……雛ちゃんがいなければ、僕はダメダメで、誰も、助けられなかったと思う。雛ちゃんには、本当に、ありがとうって言いたい。雛ちゃんを好きにならない理由なんて、無いよ」
何かが終わり、何かが始まる。
一体、何が始まるのかは分からないけれど。
終わる物は分かる。
「でも若菜が好きなんだろ」
僕より先に、雛ちゃんが答えを言った。
『前置き』を全て置き去りにして、僕より先に答えを言った。
「……」
僕は無言で頷いた。
しかし無言でいるわけにはいかない。僕は何かを言わなければ。
「……その……」
「なんで分かったかって? お前、すげえ悲しそうな顔してるもん。楽しい話をしようって顔じゃねえよ。もっと気ぃ使えよ」
何故わかったのだろうかと疑問には思っていなかったけれど、どうやら雛ちゃんに不快な思いをさせてしまったらしい。
「ごめん」
目をそらすように頭を下げる。
「謝って済むもんかよ」
教室の中央で向かい合う僕ら。
誰もいない教室で、僕は雛ちゃんに返事をする。
俯いたままでは何も伝わらない。
僕は顔をあげ、雛ちゃんの顔を見た。
先ほどと同じように、いや、いつもと同じように、なのかもしれない。悲痛な顔だった。
それでも僕は言わなければならない。
それがわがままな僕の精一杯の誠意だ。
「雛ちゃんも、楠さんと同じくらい好きだけど、でも、やっぱりどうしてか、楠さんのことが、好きみたい」
「どうしてだか? どうしてだよ。なんでだよ。あいつ沼田と付き合ってんだぞ。諦めろよお前」
それは、その現実は、僕の心を揺さぶりはしない。恐らく雛ちゃんも知っている。
「……そうかも、しれないけど、でもだからって、自分の気持ちには嘘をつけないし、代わりに雛ちゃんに……、って、そんなの失礼だよ」
「同じくらい好きって、今言ったじゃねえか」
「……。でも、僕は楠さんのことが、好きなんだ」
悲痛な顔からいら立ちの表情に変わる。
「何なんだよお前。報われねえ恋心を抱いて幸せなのか?」
「幸せなわけがないよ」
例え不幸でも、僕はそっちを選ぶ。
雛ちゃんの為にも。
「でも、だからって僕は間違ったことをしたくない」
「何が間違いだよ。若菜だって、彼氏のいる若菜だって、優大にそんなことを言われても迷惑だ。優大だって報われない。私だって、そうだろ」
それは、違う。
「……今僕がここで、楠さんの事は忘れて雛ちゃんを選んでも、雛ちゃんは幸せになんてなれないよ」
更に怒りが増した表情。だけれども、恐ろしいとは思わない。ただひたすらに苦しかった。
「どうして。幸せになるに決まってんだろ」
「ううん。雛ちゃんは、絶対にそんなこと許さない」
「許さないって……。意味が分かんねえよ!」
雛ちゃんが近くの机を叩いた。その手が震えているような、いないような。
「だって雛ちゃん、言ったもん」
「なんて。なんて言ったんだよ私は。言ってみろよ。私がなんて言ったのか、言ってみろよ」
「……僕は、沼田君の代わりじゃないって」
震えていたような雛ちゃんの手が、止まったような気がした。
「……」
「楠さんと雛ちゃんが僕の家に遊びに来た時に、雛ちゃんは楠さんに向かってそう言った。僕の為にそう言ってくれた。雛ちゃんが小嶋君に、好きって言われた時も、同じように、断った。多分、小嶋君の為に。だから、僕は自分の為にも雛ちゃんの為にも、言わなくちゃいけないんだ。誰かの代わりになんて、なれないんだよ」
悔しそうに机の上の自分の手を見て、その視線を床に滑らせ僕を見る。
「……それはちょっと、違うだろ。きっと、違う。小嶋の時は、私があの時優大から直接何も聞いてなかったから、信じてなかったから言ったんだ。優大は沼田の代わりじゃねえって言ったのは、沼田と付き合っている若菜が優大で寂しさを紛らわせようとしていたから、言ったんだ。今とは、違うだろ……?」
あまりにも弱弱しい雛ちゃんの言葉。
僕はそれを砕く。
「同じ、だよ。僕は楠さんから何も聞いていない」
ただの一言も聞いていない。楠さんからも沼田君からも。何も知らないのであれば、それが前提としてあるならば、僕の気持ちは揺るがない。
「お前、若菜と沼田が付き合ってるって、言ってたじゃねえか。私はお前から聞いたんだぞ。お前は誰から聞いたんだよ。若菜から聞いたって言っていたじゃねえか。無かったことにするのか。無かったことにしてまで好きだって言うのかよ」
「僕が聞いたのは、告白されたということと、それをどうしようかっていうことだけで、実際のところは何も聞いていないよ。勝手にそうなったんだろうなって思ってただけだった。でも、そう思い込んでいたけど、僕は何も知らない。それに、今なら何となく分かるけど、多分――」
「付き合ってねえって?」
「――うん……。ただそう思いたいだけかも、しれないけど……」
「そう思った根拠を教えろよ」
「根拠なんて無いよ。根拠なんて、無い。でも何となくそう思う」
実を言えばこの考えに至った過程が少なからずあるのだけれども、これはあまりにも自分勝手だから、誰にも言わない。
「……意味分かんねえよ……」
「……うん……」
それでも、敢えて根拠や理由を言うのなら。
僕は自分を納得させるのがうまいから。
「……ふざけんな……!」
雛ちゃんが俯いた。
ただ苦しい。苦しくて、苦しくて。酸素が足りないのか。頭もクラクラする。でも頭だけは落ちない。うずくまりたいくらい息が出来ないけれど、それでも視線を外すことはしてはいけない。
何秒かの息苦しい沈黙ののちに、雛ちゃんの溜息が僕の肩を揺らす。
「……なんであいつのことを好きになったんだよ」
「え……?」
「あいつ、お前に酷い事ばっかしてるじゃねえか。普通嫌いになるだろ。確かに、可愛いかもしれねえけど、あいつ最低じゃねえか。酷い奴じゃねえかよ」
「……酷い事はされてないよ。こんなこと、言わなくても雛ちゃんにも分かっているだろうけれど……。楠さんも、僕が雛ちゃんに対して感じる感謝と同じで、楠さんがいなかったら僕は何も変わらずに寂しい人生を送っていたのだと思う。もしかしたら、雛ちゃんとも仲直りできなかったかもしれない。今の僕になるきっかけを作ってくれたのは、楠さんなんだ。雛ちゃんを好きになったように、楠さんも好きにならない理由が無いよ」
「……」
目の前にいる僕の好きな人が、黙って僕の言葉を聞き続ける。
「いつ好きになったのかは分からないけど、もしかしたら、き、キスを、された時かも、しれないし、よく分からないけど、雛ちゃんと同じくらい好きだけど……」
何もわからない僕の中で、たった一つだけ確かな事。
「僕は、楠さんが好きなんだ」
「なんだよ、それ」
顔を上げる雛ちゃん。その目が赤い。真っ赤だ。
「キスした順番かよ。そんなの納得できねえよ。あの痴女、ふざけやがって」
そういう訳ではない、と信じたいけれど。実際の所は、僕にはわからない。
でもきっと好きになるのに理由なんていらないんだ。
「僕が、それに気づいたのは、本当につい最近だけど、やっとわかった。僕は楠さんが好きだ」
雛ちゃんへの答えを先延ばしにしていたくせにと言われそうだ。でもあの時僕には選べなかった。
雛ちゃんが僕のことを好きだと言ってくれていたけれど、僕には好きな人が二人いた。そんな状態で雛ちゃんと付き合おうだなんて、いいわけがない。不誠実だ。
でも今は答えが出た。
きちんと、答えられる。
「……ごめんなさい」
僕は頭を下げた。
「ふざけんじゃ、ねえよ……」
頭を下げた状態で、雛ちゃんの様子を伺ってみた。
今度ははっきりとわかる。
机に置かれている雛ちゃんの手が震えていた。
怒りか、悔しさか、悲しさか。喜びではないことだけは、確かだけれども。
「……おい、優大」
「……うん」
僕は顔を上げる。雛ちゃんが、真剣な顔をして僕を見ていた。真っ赤な目で、僕を見ていた。
「一つ、お願いがある」
「……何……?」
なんでも聞こう。それですべてが許されるとは思わないけれど、せめてもの罪滅ぼしに。
これで雛ちゃんの気が少しでもまぎれるなら。
「散々気を持たせやがって。少しでも期待していた私がバカだった。腹立つぜお前のその顔。だから――」
これで僕の気が少しでもまぎれるのなら。
「一発だけ、殴らせろ」
「……うん」
きっと、痛いんだろうな。経験したことのない程に痛いんだろうな。
でも、何の文句も無い。不満なんてあるわけもない。でも満足だってしない。
「目を閉じて歯を食いしばれ」
雛ちゃんが僕に歩み寄る。
「……うん」
僕は言う通りにした。
何も見えないけれど、瞼の裏に焼き付いた雛ちゃんの顔が僕の心に悲しみを作り出す。
一発とは言わずに、気のすむまでそうしてほしい。
なんだったら、それ以上のことだってしてほしいくらいだ。
それで僕の罪悪感が消えるのならば。
そっちの方が楽なんだ。
でもきっと、それでも雛ちゃんが満足することはないのだろう。
誰かが僕の胸ぐらをつかみ引き寄せる。
いつ来るか分からない拳に僕は口を固く結び歯を食いしばった。
胸ぐらをつかむ手に力がこもる。
いよいよだ。
そう思い全身に力を入れた。
そして、その二秒後に、僕は――
「……!」
――思い切り、想い切り、殴られた。
殴られ、机をいくつかなぎ倒すくらい吹き飛んだ僕。
物凄い勢いで床に叩きつけられた。
「う、あ……」
目を開けると天井がぐるぐると回っている。いつか見た光景だ。ただここにはクラスメイトの顔が無い。
それにしても顔が痛いのは当然ながら、背中が痛い、気がする。頭も痛い、気がする。
床に頭を打ち付けたのか、それとも殴られた時の拳の衝撃なのか、くらくらしてくるくるしてよく分からない。
立てないや。
意識も混濁している。
視界が暗くなり目を開けているのかどうかも分からなくなってきた。
体が重い。
誰かが乗っかっているかのように感じる。
なんだか、耳も聞こえなくなってきた。
「優大」
誰かが僕を呼んでいる。気がする。
「なあ、優大」
もう一度誰が僕を名を呼んだ気がした。
「私はさ」
よく聞こえない。
「誰かの代わりでも、構わないよ」
何も見えない。
「やっぱり、お前が好きだ」
お腹が重いのは、意識が重たいからなのかな。
「フラれちまえ。フラれて、若菜のことを嫌いになっちまえ」
僕はどこに寝ているのだろうか。外だったっけ。雨でも降っているのだろうか。僕の頬に何か滴が落ちているような。
「どうしてだろうな」
眠たいのかな。よく分からないけれど、もう意識が無くなりそうだ。
「あの時、一番になれると、思ったんだけどな」
誰かにキスをされている夢を見ながら、完全に意識を閉じた。