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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第四章 僕らにとってのハッピーエンド
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遡って八日前

 来週の水曜日にテストを控えた十二月五日の月曜日。教室の空気は若干ピリピリしている。

 僕は僕らは僕たちは色々な事を受け入れ様々な物から目を背けなければならない。テストだってそうだ。テストという事実を受け入れつつも今から勉強を始めようかなと思っている人は少ない。テスト週間が始まる明日まで勉強から目を背け最後の晩餐的時間を謳歌しようとしている。今から勉強を始めている勉強熱心な人たちのことをまるでおかしい物でも見るかのような目で見る始末だ。

 異端者の様に。

 異常者の様に。

 僕たちも僕らも僕も今抱えている問題から目をそらした。受け入れながら目をそらした。逸らさざるを得なかった。

 自分の中の解決から目をそらし、正解だと押し付けられたものを受け入れた。

 それが正しいのかどうか、僕にはわからない。

 しかしあのまま自分の中の正解を追い求め続けていたら僕は異端者として見られていたことだろう。

 だから僕は受け入れることにした。


「佐藤君佐藤君。先週の金曜日の放課後、若菜ちゃんと二人きりで話していたみたいだけど一体何の話をしていたの?」


 楽しそうな市丸さん。全てを知っている市丸さん。

 僕の机に手をかけて、座っている僕の顔を見上げている。


「大した話はしていないよ。僕はただ、納得することにしたよって、それを伝えただけだよ」


 それは予想していなかったことなのか、市丸さんが本当に驚いた顔を作った。


「え? 諦めちゃうの? 噂を拡散している沼田君を説得することを諦めて可哀想な若菜ちゃんの現状を受け入れるって言うの? 傍観者になっちゃうの?」


 なんだか、敢えて僕の心を引っ掻き回すような言い方をしているけれど、もう決めたことだから。


「うん」


 僕は返事をすることしかできないよ。

 市丸さんが立ち上がり、僕を見下ろす。


「えー。なんだか残念だなぁ。佐藤君と有野さん、頑張って何とかすると思ったのにな」


「誰もそれを望んでいなかったみたいだから」


 雛ちゃんも、沼田君も、楠さんも。


「でもだからって佐藤君が諦める理由にはならないでしょ? 自分の事なんだから自分が望むことを好き勝手にすればいいんだよ?」


 それは間違いではないけれど、正しくも無いのだと僕は知っている。


「今回は、それじゃあ誰も喜ばないみたいなんだ。それに、僕の望みを言うなら、言わせてもらうなら、僕はみんなに笑っていてほしいから。僕が勝手なことをして人を怒らせるのは間違っているんだよ」


 このままで楠さんが笑えるとは思えないけれど。


「へぇ、そっか。それは残念。何か大どんでん返しがある物だと期待していたのになぁ」


 僕もそう思っていた。なんだかんだ言って、綺麗さっぱりすべての問題にすっきりした答えが出る物だと思っていた。でも、物語の様にうまく行ったりはしない。そんなのは当たり前のことだったんだ。物語は作り物なのだから結末が用意されている。でも僕らの問題に、誰かが結末を用意してくれているなんてことはないんだ。


「これじゃあ残りの楽しみは若菜ちゃんの人生を壊すことだけになっちゃったよ」


「……」


「……怒らないの? 私今、すごいこと言ってるよ?」


「怒らないよ。僕は納得することにしたから」


 それは、仕方のない事なんだ。


「そっかー……。残念だね、色々と。若菜ちゃんかわいそー」


「その楠さんが望んだことだから」


「へえ……。まあいいや」


 僕の席から離れて行こうとする市丸さん。僕は引き止める。


「あ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな」


「うん? なになに?」


 楽しそうな笑顔を作り、再び僕の机に手を置いた。


「別に、大したことではないんだけどね、市丸さんって、漫画とかアニメとか見る?」


「全く見ないねー。でもスタジオジリブなら見るよ。でもそういうものじゃあないんだよね?」


「うん。もうちょっと、マイノリティな感じの」


「じゃあやっぱり全然見ないかな?」


「そうだよね。じゃあ、萌えって、分かる?」


「それくらいは分かるよー。可愛いっていう意味でしょ? 佐藤君萌えー、見たいな」


「僕もよく分からないけど、そんな感じだと思う。好きとか、かわいいとか」


 萌えは萌えだよね。

 ところで、『萌え』って響きだけで可愛いよね。『も』がすごくかわいいと思う。五十音の中で一番かわいい響きなのではないかなとすら思うよ。でも一番かどうかは分からないので、最も可愛い字の一つだと言う曖昧な言い方をしておこう。『も』のほかに『ゆ』とか『ふ』とか『の』とか、なんだか可愛いと思う。『ふゆ』なんてすごい。『もののふ』なんて最強だ。最も強い言葉の一つだ。

 これらの言葉はアルファベットにしても可愛いと思う。

『moe』

 ほら可愛い。

『mononohu』なんて議論の余地が無いよ。議論の余地が無い言葉の一つだよ。

 でもカタカナにはしないよ。アルファベットに変換してもカタカナには変換しないよ。だってカタカナは固くて可愛くなくなってしまうから。


「それがどうしたの?」


 人と面と向かって話している最中に変なことを考えてしまっていた。これはまた別の機会に考えようと頭を切り替え話を進める。


「あ、えっと、じゃあ厨二病って分かる?」


 話を進めた先が厨二病なのだから手の施しようがない。目も当てられない。しかしこれは大切な話なのだ。


「チュウニビョウ? 病気の名前? それは知らないなぁ。どういう意味?」


「意味は、えっと、中学校二年生くらいから見られる、思春期的行動……?」


 中二病と厨二病があるとかどこかでみたような。大人ぶりたい子供が中二病で、選ばれし者なのが厨二病、なのかな? 違うような気もするけれどまあいいや。


「それはつまり思春期って言うこと?」


「多分……。親と一緒にいるのが恥ずかしかったり、自分は特別なんだって思ったり。そういうのを揶揄するための言葉が『チュウニビョウ』」


 なのだろうか。雰囲気で使っていたのでよく分からない。


「でもそれは特別な事じゃなくて誰しもが通る道なんじゃないかな? 大人に憧れるから、子供だと思われたくないから親といるのが恥ずかしくなるし、現実をまだ知らないけど自分で考える力がついてきたから何でもできるんじゃないかって思うし。それは当たり前のことだよ。髪の毛が伸びることを病気とは言わないよね?」


「多分、髪の毛の例えで言ったら、すごく伸びるスピードが速いって言うことだと思う」


「あはは。なるほどね。当たり前のことだけどそれが過剰なんだ。行きすぎた思春期がチュウニビョウって言うことなんだね」


 その言い方は、なんだかよくない気がするけれど、今はそんなことは脇に置いておこう。


「それで、それがどうしたの?」


 一応、本題はここからだ。


「えーっと、それでね、市丸さんの名前って、どういう意味か分かる?」


「花、でしょ? クロユリオニユリテッポウユリ」


 そうなのだけれども、今僕がしたいのはそうではない。


「そうじゃなくてね、その、アニメとか、漫画とか、そう言った方面で使われる場合の百合の意味って、知っているかなーって思って」


「意味が違うの? 花じゃなくて?」


「うん、そうなんだけど、知らない、よね?」


「うん知らない。なになに、どういう意味なの?」


 実に興味深そうだ。しかし、ショックを受けかねないからあまり教えたくはない。


「えっと、それは、別に知らなくてもいい事だから、いいんじゃないかな。むしろ知らない方が良いんじゃないかな。知らなくてもいい事はこの世にたくさんあるよ」


「そんなこと言われたら余計気になるなぁ。教えてほしいなっ。今教えてくれなくても、どうせ私はあとから調べるんだから、今教えてくれてもかわらないでしょ?」


 気になったら調べるよね、当然。


「じゃあ教えるけど、その、怒らないでね?」


「怒らないよー。怒るわけないよー。って、え? 怒るような内容なの?」


「その、もしかすると、気分を害してしまう可能性があるかなーって」


「じゃあ怒らないよ。さあ、早く教えてっ」


 目を輝かせているけれど、そんなテンションで聞くような話ではないのですごめんなさい。

 嘘を言うわけにもいかないので僕は正直に答えた。いや、別に嘘をついてもよかったね。


「えーっと、百合って言うのは、その、お、女の子同士が、好き合っているというか、なんというか」


「え」


 少なからず驚いている。驚かせてしまっている。


「別に、その、別に名は体を表すとかそういう意味じゃなくて、別に市丸さんがその名前でどうなんだっていう訳じゃなくて、別に可愛い名前だから気にしなくてもいいんじゃないかな別に?!」


 驚いているどころか愕然としている。


「女の子同士が好き合っているって、それって、いわゆるレズビアン?」


「……そう、なります」


「ふーん。そうなんだ。また一つ勉強になったけど、今それを私に言う意味が、ちょっと分からないかな?」


 怒っているよね。怒らせてしまったよね。


「特に他意はございません。本当です」


 こんなこと言っても信じては貰えないと思うけれど、本当に僕にはそんな気が無いのだ。


「私のことが嫌いだから名前が変だねと貶したいとか、そんな名前しているんだから若菜ちゃんと女同士仲良くすればいいのにとか、一切思ってないの?」


「全く思ってないです」


 僕は頭を下げた。謝ればそれは認めているということになるのではないかと思ったけれど頭を下げずにはいられなかった。


「へぇ……。……ま、良いけどね。佐藤君が私にいちゃもんをつけたい理由も分かるし」


「いや、その……」


 市丸さんの悲しげな声に慌てて顔を上げる。

 そう思われたくないから色々と先に話していたのに、ただの世間話の一部だと思わせたかったのに、うまくいかなかった。


「でも、佐藤君がそんなことを言うとは思わなかったな。ちょっとショック……。佐藤君の事軽蔑しちゃおっかなー」


「え、あの、本当に他意はなくて……」


 傷つけるつもりは無かったのだけれども、こんな話をされたら誰だって傷ついてしまうに決まっていた。僕の名前が違う国の言葉で『おしり』という言葉だと誰かに言われたらショックを受ける。


 聞かなければよかったかも、と後悔していると。


「……なんてね。分かってるよ佐藤君にそんな気が無かったことくらい。私は人の心を読むのが得意だからね」


 市丸さんが笑って言った。


「それなら、よかった……」


 一安心だ。

 胸をなでおろす僕に、市丸さんが言う。


「私が分からないのは、若菜ちゃんくらいだよ」


「……そうなんだ」


「そうそう。どういう気持ちで若菜ちゃんがみちかちゃんを切り捨てたのか分からないよ。ホント、何を考えているんだろうね若菜ちゃんは。もっと単純な人なら、付き合うのも楽なのに」


 納得しようと決めたのに、心の中に嫌な感情が芽生える。


「……楠さんは天邪鬼だからこそ楠さんだよ」


「わがまま、と言うことだよね?」


「違うよ。一緒にいて楽しいって言うことだよ」


「行きすぎた天邪鬼だよあれは。何か病名をつけなくちゃ。楠病とか、若菜病とか。あれほど身勝手な人間は珍しいからね」


「違う、違うよ」


「違わないよー。まあ、こんな言い争いが不毛だと佐藤君も分かっているんだろうけどね」


「……」


 確かに、そうだ。

 僕の思う楠さんがいれば、市丸さんの思う楠さんも存在する。


「じゃあ、話も終わったことだし。ばいばーい。勉強になったよ」


 僕に手を振り市丸さんが僕から離れて行った。

 引き止める理由が無かった僕はそれを見送った。

 僕は机から新品のノートを取り出しペンを走らせた。

 多分、周りの人から見れば僕は勉強をしている異端者にしか見えないのだろう。

 




 とある休み時間、僕は教科書を片付けている沼田君に近づいた。


「沼田君」


「……佐藤」


 僕を見て、少しだけ眉をひそめる沼田君。おそらく、僕がまた例の話をしに来たと思っているのだろう。

 まずは別の用件だと言うことを伝えよう。


「その、僕はもう、みんながしていることに文句言わないことにしたから」


「……そっか。そうしてもらえると、助かるよ」


 沼田君の顔に笑いは無い。

 あまり僕と話したくはなさそうだけれども、僕は構わず話し続けた。


「それで、ちょっと聞きたいんだけど、本当に困ったとき、沼田君はどうする?」


「突然過ぎてよく分からなかった。どういう意味?」


 ですよね。

 とりあえず、なにか例え話をしよう。


「えーっと、例えば、自転車のチェーンが外れてしまって、でも服を汚したくない時、どうする?」


「それは……自分で直す以外無くないか?」


「あ、そうだよね。えーっと、じゃあ、近くに自転車屋さんがあったら、どうする?」


「店に行くまでも無い事だから自分で直す、よな」


 不思議そうに首をかしげる沼田君。


「そう、だよね」


 えーっと。


「自転車のチェーンが外れました。その場には沼田君と沼田君の分身がいます。服を汚したくない沼田君はどうしますか?」


「……えーっと、悪い、状況が分からない……」


「僕にもよく分からない」


 次はどうしようかと思ったけれど、例えが悪すぎたからもうやめよう。

 そういう訳で別の例えを持ってくる。


「沼田君が崖の上にいます。そこで好きな人と自分の分身が落っこちそうになっています。どっちを助ける?」


「また俺の分身?! 俺分身いないって!」


「あ、じゃあ、沼田君の下半身」


「それはもう俺死んでるよ……。っていうか、怖いよそれ……」


「そうだよね……。なら、えーっと……」


 良い例えが浮かばない。


「何の話をしたいのか大体わかるけど、そんなの当然好きな人を助けるよな」


「……だよね」


 どうにも、僕は話がへたくそだ。

 何が言いたいのか、沼田君にはバレてしまった。


「好きな人と自分、どっちのことを考えて行動するか聞きたかったんだろ? そんなの好きな人の為に行動するに決まってるだろ」


「……うん」


「俺は俺が正しいと思ったことしかしない。俺だって色々考えてるんだ。俺は間違っていないと言い切れる。それに前も言ったけど、佐藤だって俺とおんなじことをすると思う」


「……そう、なのかな」


「……多分」


 沼田君は、楠さんの為を想って色々していた。その方が楠さんの為になると思ったんだ。そう判断したんだ。


「楠さんは、俺達には分からないほど深い人なんだ」


「……」


 沼田君に別れを告げた後、僕は自分の席に戻り次の授業の教科書を取り出した。それと一緒にほぼ新品のノートを出して沼田君が言った言葉を書きだす。

 ノートはまだ一ページしか埋まっていない。


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