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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第四章 僕らにとってのハッピーエンド
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優しい世界

「で、優大。どうするか決めたのか? 若菜の言うとおりにするか、自分の思うとおりにするのか」


 朝の凍える通学路。白い息とともに吐き出された雛ちゃんの声が僕の視線を地面に落とす。


「分からない。何もわからないよ」


 僕は馬鹿だから。


「……。雛ちゃんはどうするの?」


「私は――」


 しばらく考えた後、いやしばらく言うのを躊躇った後、言った。


「――あいつが何もするなって言うんだから、もうやることはないだろ。そうだろ」


 雛ちゃんに目をやると、雛ちゃんは真っ直ぐに前を向いていた。


「もともと私はいい落としどころを探していただけだったんだ。若菜がそれを望むのならそれを邪魔する理由はない。望んでないって言うんなら別だけど、そういう訳でもないみたいだし」


「……でも、楠さん孤立しちゃうよ」


「何もするなって言ったのは若菜じゃねえか。私には無理やり言わされているようには見えなかったぜ。それとも優大は、また望んでいないことをして人を困らせるのか?」


 僕がしたいと思っていることは大抵人を困らせる。余計なお世話というやつで、ありがたくも無いただただ迷惑な行為なのだろう。


「優大ももう諦めろよ。そうしないと私の話だってできやしない。優大の中で終らないと私だって終れない」


「雛ちゃんはそれでもいいの?」


「私が望んでいるんじゃねえ。若菜が望んでるんだろ。だからこれで終わりだ」


「でも……」


 本当に望んでいることなのだろうか。雛ちゃんは違うだろうと言ったけれど、無理やり『何もしないでほしい』と言わされているという可能性だってある。何よりも僕らの為を想ってそう言っているように聞こえた。標的が僕らに向かわないように、そう言った気がするんだ。


「……僕は楠さんを助けたい」


「でも若菜はそんなの望んじゃいない」


「僕は、自分勝手だから」


「でも若菜はそんなの望んじゃいない」


「……」


 楠さんは、何を望んでいるのだろう。

 



「沼田君はどうしてこんなことをしているの?」


「正しい事だから」


「沼田君はどうしてそう思うの?」


「楠さんの為になるから」


「沼田君はどうしてそんなことがわかるの?」


「分かってなんかいない」


「だったらやらなければいいのに」


「俺は自分が正しいと思ったことしかやらない。だから、これは正しい事だと思ったからやるんだ」


「正しくなんかないよ」


「そうかもしれない。俺は騙されているだけなのかもしれない。でも俺はやるんだ」


「どうして?」


「これをすることが一番だから。俺にとっても楠さんにとっても。佐藤だって俺と同じ立場ならやるはず。分かってくれるだろ?」


「僕はそんなことしない。楠さんが孤立するなんて僕は見たくないよ」


 どことなく静かな休み時間。椅子に座る沼田君が睨み付けるように僕を見上げた。


「俺だって、そんなことを望んでいる訳じゃない」


 やっぱり楠さんの本当の姿を見たいんだ。それを望んでいるんだ。酷い事をすればそれを見ることが出来ると思っているんだ。

 酷い。

 こんな沼田君は見たくなかった。僕がそんなことを思ったところで沼田君がそうしてくれるわけがないのだけれども。

 沼田君は初めから自分に正直だった。

 一学期の時は我関せずだった沼田君。あの時は楠さんが悪いと思っていたんだろう。

 文化祭の時は一番怒っていた沼田君。生徒会長が悪いと思ったんだ。

 今は自分勝手に楠さんを傷つけている沼田君。自分が悪いとは思っていないんだ。

 沼田君は自分が正しいと思ったことをし続けている。

 皆にとっての正義だった沼田君。

 沼田君のすることが正義になる程に沼田君は正しくあり続けた。

 今回のことだってみんなは沼田君の味方になるだろうし、それが最終的に正しいという結果になるのだろう。何も知らなければ僕だってそう思う。今だってそう信じたい。

 でも沼田君は間違ったことをしている。

 好きな人の為にとは言いながら自分の為に間違ったことをしている。

 それは紛れもない事実で疑いようのない真実だ。

 例えそれが僕の中だけの限定された真実なのだとしても、自分にとっての真実こそが唯一の正解なのだから、みんなを敵に回すようなことになっても僕は沼田君を許せはしない。


「沼田君はどうしてこんなことをしているの?」


「正しい事だから」


 沼田君の中だけの限定された真実もまた、沼田君にとっての正解なのだ。

 市丸さんにだって、雛ちゃんにだって、当然楠さんにだって其々各々別々の正解がある。僕が楠さんの為に何かをしようと思うのは楠さんや雛ちゃんにとっては間違いなのだ。

 ただ『人から見れば間違っている』という事実を受け入れることは出来ない。僕からしてみればそれこそが間違いでしかないのだから。

 誰しもがみんなにとっての間違いを犯している。

 僕がまずしなければならないこと、選択肢は二つ。

 自分の間違いを認めるか、人に間違いを認めさせるか。


「俺は自分が正しいと思ったことしかやらない。だから、これは正しい事だと思ったからやるんだ」


「正しくなんかないよ……」


「騙されていても、俺にとってはこれが正しいんだ」


 沼田君は自分に正直だから。

 それが間違いだと、僕の言うことこそが正解なのだと、押し付けて曲がるような人ではない。

 楠さんだって、市丸さんだって自分を曲げはしないだろう。雛ちゃんも、もう僕に説得されるようなことは多分ない。

 つまり僕に残された『まずしなければならないこと』は、自分の間違いを認め、それを受け入れる事しかないのだ。

 一言で言うならば。

 諦めなければならない、ということなのだろう。




「佐藤君どうしたの?」


 お箸が進まなかった昼休み。

 机に突っ伏し机につく水蒸気を煩わしいと感じていたところに三田さんが心配そうな声をかけてきてくれた。

 顔をあげにへらと笑い平静を装う。


「眠たくて」


「……悩み事?」


「悩み事は、あるけど、今はただただ眠たくて」


「……楠さんの事……?」


「……」


 黙ってしまう自分に腹が立つ。生き方が下手すぎる。


「佐藤君、悩まなくてもいいよ……。楠さんは、酷い人みたいだし、暴力的な人だし……。悩むだけ、関わるだけ損するよ……」


「それは違うよ……」


 しかし僕がなんと言おうと三田さんにとってはそれが正解なのだ。


「佐藤君は優しすぎるから、沢山悩んじゃうんだよ……。もっと自分に優しくした方が良いよ」


「僕は意地が悪いよ。優しいのはそんな僕の心配をしてくれる三田さんだよ」


「……私は、意地が悪いよ……。だって、楠さんのことを貶したりしているし……」


「……」


 貶してなんかいない、とは言い難い。けれど悪意がこもっている訳ではないと思う。

 それはつまり――


「――やっぱり、三田さんは優しいよ。だって、自分の言っていることが悪い事だと思っていて、それでも僕の為に言ってくれている。根本的に優しいんだよ」


「……優しい人は他人を貶さないよ」


「それが三田さんにとっての事実なら間違っているとは言えないけど、最終的に誰が悪いのかと言えば言わせたくない事を言わせた僕が悪いんだよ」


「……佐藤君は悪くないよ……」


「たとえ三田さんがそう思っても僕は自分が悪いのだと確信しているよ」


 それこそが僕にとっての正解なのだ。

 それぞれの人が持っている答えだ。


「……そんなことを言われたら、私は何も言えなくなっちゃう……」


 言えば言うだけ僕は自分を責め続け、そうならないように望んでくれた三田さんの優しさから離れて行くことになる。

 いつか三田さんにした脅迫と同じようなことをしている自分に笑いが出る。実際笑っている訳ではないけれど。


「とにかく、あまり悩まない方が……」


「うん。そうする。悩んだところで、答えなんて出ないし」


 と、言うよりも。答えは変わらないんだ。

 ならば悩まない方が良いのではないかな。

 ……。

 ……いや、もしそうだとしても、もうちょっとだけ悩んでみよう。

 それでも答えが変わらないと思ったのならば、更にもうちょっとだけ悩んでみて、それでもダメならもうちょっと。

 悩んで誰かに迷惑をかけるわけでもないし。雛ちゃんには少しだけ迷惑をかけることになるかもしれないけれど、もう少しだけ悩んでみよう。




 昼休みが終わる前に前橋さんにお礼を言わなければ。

 教室でその姿を見つけることが出来なかったので校舎を見て回る。

 すぐに見つかった。

 最初に探そうと思って開けた空き教室の扉の先に前橋さんはいた。

 前橋さんは何故か空き教室で一人教科書にきゅいきゅいと書き込んでいた。

 僕はゆっくりと前橋さんにの正面に立った。


「前橋さん」


「……なんですか」


 顔は上げない。けれど返事はしてくれた。


「昨日のことで、お礼を言いたくて」


「……別にいりません」


 怒られると思ったけれど、そうする元気がないようだ。


「前橋さんのおかげで楠さんと話せました。ありがとう」


「佐藤君の為にやったことではないのであなたにお礼を言われる筋合いはありません」


「……知っているよ。……」


「……なんですか。用事が済んだのならどっか行ってください。邪魔です」


「……どうしてしてくれたのか、聞いてもいい……?」


 ずっと気になっていた。

 雛ちゃんの為だとは言っても、これをすることは僕や楠さんを助けることになる。僕のことが大嫌いで、楠さんのことを敵だと思っている前橋さんが、雛ちゃんの為だからという理由だけでやるだろうかと気になった。僕と楠さんを陥れようとしていた前橋さんを知っている身としては裏があるのではないかと勘繰ってしまう。


「……私が有野さんに怒られた時、有野さんが、言っていました」


「え?」


 小さな小さな声で、前橋さんが言った。目は教科書から離さない。


「耐えられなくなった私が聞くと、有野さんが言いました。そのあと、はにかみながら『応援してくれ』って言いました」


「えっと、何を聞いたの?」


 僕の言葉には返さない。


「有野さんが私にした最初のお願いです。それを断れるわけがないじゃないですか……!」


 教科書に皺が寄る。


「……」


「今まで私は自分で考えて有野さんの為に頑張ってきました。でも、それはダメだったみたいです。今回初めて有野さんからお願いされました。それを断る理由はありません。私にできる事はこれしかないのですから」


 前橋さんが立ち上がり、僕を睨む。


「……」


「あなたのことは嫌いです。大嫌いです。嫌いなんて言葉では言い表せない位嫌いです。でも有野さんはあなたのことを物凄く気に入っているみたいです……! ほんっとうに、あなたが憎いです……! 憎くて憎くて、できる事ならば切り裂いてやりたいです!」


「い、痛いよ!」


 ハサミで突き刺された! なんてことはあるわけも無く、僕は思いっきり両ほっぺたを抓られた。


「でも有野さんはあなたのようなヘタレで情けなくて女々しくて弱弱しくて色白で背が低くて頭が悪くて高い声で細い腕で決断力が無くて優柔不断で愚かな人のことを気に入っているんです! 死ね!」


「し、死にはしないけど……」


「うるさい!」


 ぎゅむっと引っ張る。


「い、痛いです!」


「痛いとか言うな! 私の心の方が痛いです!」


「僕のほっぺたも結構痛いです!」


「なら引き裂いてもいいんですよ?!」


「なんでその二択なのか僕にはわからないよ!」


「うるさい! いいいいいいいい!」


 ぱちんと音が鳴ったのではないかと言う位に僕のほっぺたが引き伸ばされ弾けた。


「い、痛い……」


 ほっぺたをさすりながらうずくまる僕の上から前橋さんの声が降ってくる。


「有野さんに心の底からお礼を言われたのは昨日が初めてでした。今まで私は有野さんの為に色々してきましたが、昨日ほどの笑顔を向けられたのは初めてでした。有野さんを喜ばすことが出来たのは昨日が初めてでした。私のしてきたことは間違いだったと、有野さんが本当に望むことを何一つできていなかったのだと知りました」


「……」


 前橋さんの声を聞いていると、何となく、顔を上げるのは失礼な気がした。


「有野さんが望むこと、私は一つも分かりません。私は有野さんのことを何一つとして理解していませんでした。だから私は目に見えていることを手伝うしかないんです」


 もうほっぺたは痛くないけれど、僕はほっぺたをゆっくりとさすり続けた。


「あなたは有野さんが認めた男です。私は出来る限りあなたを認める努力をします。一生かかるかもしれませんけれどあなたのことを認めようと努力をします。三田さんにも謝ります。恋敗れると言うことがこれほどまでに辛い事だとは思っていませんでした。いえそんなこと考えたこともありませんでした。三田さんには申し訳ない事をしたと思っています。ですから謝ります。でもあなたのことは大嫌いだからあなたには謝りません。今はいつにも増して憎いです。もし許されるのならば切り裂いて引き裂きたいです。でもそれを望んでいるのは私だけです。有野さんは喜びません。悔しいですが、私はあなたを傷つけられません」


「……ありがとう……」


「それは嫌味ですか? 嫌味ですよね。やっぱり私はあなたが優しいだなんて一っつも思いません。あなたはただ情けないだけです。角が立たないように生きているだけです。それでも、有野さんはそれでもあなたのことを気に入っています。それをとやかく言う権利は私にはありません。とやかく言う勇気も無いです。ですから、私はあなたを認める以外に選択肢が無いんです。消去法的にあなたを認めるしかないんです。これほどの苦痛はそうそうあませんよ」


「……ごめんなさい」


「謝られたところで許せません。でも認めようとは思います。でも嫌いです。大っ嫌いです」


 降り注ぐ声の下で、僕は思った。

 何となく、前橋さんも悪い人じゃないんだなって思った。

 今までしてきたことは優しいとは言えないけれど、雛ちゃんのことを思うあまりの行動だったのならば根底にあるのは優しさなのだと言える。

 というか、優しさだよね。そう考えた方が楽だもん。前橋さんは優しいです。

 多分みんながしていることにも何か理由があって、それぞれが持つ優しさの下に行動をしているのだろう。

 そう考えた方が、楽なんだ。

 僕はもう疲れてしまったのかもしれない。

 正しい選択ではなく、楽しい選択をしよう。

 諦めなければならないと言うのならば、出来る限り楽しく諦めよう。

 そうすればきっと、後悔しない。

 ああ、なんて情けない僕。

 楠さんの為に何かをしたいと思っていたのに。

 もう諦めようとしている。

 楠さんが望むのならと、諦めようとしている。

 でもそれを言い訳にはしたくないから、出来るだけ楽しい諦め方をしよう。

 そんなこと出来るわけないだろうと言われるかもしれないけれど、簡単だ。

 何も考えなければいいんだ。

 何も考えずに『そう』だと信じればいいんだ。

 信じ続けることは楽ではないと知っているけれど出来もしない説得に走り回るよりはきっと楽だろう。

 そういう訳で。

 僕は僕らしく楽な選択をすることにした。

 皆が望んでいるのだから、望んでいることをしようと思った。

 好き勝手やってきた癖に、今さらだと言われそうだけれども。




 きっと、複雑に見える世界はとても単純な物なのだ。







「それで、佐藤君。今日一日考えてみて、どうするか決めた? まさかまだ決まっていないだなんて言わないよね」


「……僕は、うん。納得することにしたよ。もう分かったんだ」


「あっそ。それが良いと思うよ。君の選択は正解だよ。有野さんもそれを望んでいるんでしょ?」


「うん。楠さんが望むことをすべきだって」


「私はみんなに何もしてほしくないから、それでいいんだよ。もう一回言うけど、別に強がりでもなんでもないよ。私は本当にそうすることが一番だと思っているんだよね。君も有野さんも不幸にはならないでしょ?」


「そうだね。楠さんだけ、不幸だね」


「確かに私は肩身の狭い思いをするかもしれないけれど、今までの日常を煩わしく思っていたのも確かだしこれもまた私にとっては正しい人生なんだと思うよ」


「……楠さんが言うのなら、多分そうなんだろうね。楠さんは正しい事しか言わないから」


「そうだよ。私のしてきたことに間違いはなかったんだよ。だから今起きていることも正しい事。正しい事なのだから君がそれを正そうとしているのは間違っていたんだよ。初めからそうだったものを君は真っ直ぐにしようとしていたんだから、本当に無駄な努力だったね」


「うん」


「私は孤立するだろうけど、君たちは私達から離れて行かないんでしょ?」


「当たり前だよ」


「そう。それで私は充分だよ。一人じゃないのなら、前よりは快適かな」


「うん」


「君たちが今まで頑張ってきたことは意味のない無駄で非生産的な事だったけど、ありがとう。私の為を想って余計なことをしてくれて、感謝しないでもないよ」


「うん」


「だから手紙で教えてあげたのに。何もしないでくださいって。私の言うことを聞いておけば無駄に疲れなくて済んだものを。いっちょ前に私に刃向うからだよ」


「ごめんね」


「謝ることはないよ。さすがの私も自分のためにしてくれたことを全力で否定する程のドス黒さは持ち合わせていなくてね。あと一年くらい待ってくれればもしかしたらドス黒い心を獲得することが出来るかもしれないけどね」


「そうはならないよ」


「言い切っちゃってるけど、君に何が分かるんだろうね。まあ君がストレスの捌け口になってくれると言うのならそうはならないかもね。でもそんなことをしたら有野さんに怒られてしまうかな。それは余計にストレス溜まるから避けたいところだね」


「雛ちゃんは楠さんの味方だよ」


「今は敵だけどね」


「今も昔もこれからも味方だよ」


「そうだといいんだけど」


「そうだよ」


「そうかな」


「そうだよ」


「そう。それならよかった。じゃあもうそろそろ帰ろうかな。真っ暗になって襲われても嫌だし。ほら、私って可愛いから」


「うん。楠さんは美人だよ」


「そうでしょ。でもこれからはそんなことを言ったら有野さんに怒られちゃうよ」


「雛ちゃんは優しいから怒らないよ」


「はいはいそうだね。のろ気のろ気」


「雛ちゃんだけじゃないよ。みんな優しいよ」


「そうそう。世界は優しさでできているんだよ。どんな悪い事をしても、その理由を還元していけば優しさにたどり着くんだよ。もしかしたら自分に対しての、自分だけの優しさかもしれないけどね。でも、それでもそれは優しさと言えるよね。つまり世界には優しかないと。本当に、くだらない解釈だよこれ」


「くだらなくないよ。真理だよ。僕もそう思うもん」


「君がそう信じるのなら、そうなんじゃない? 私に押し付けてこなければ勝手にそう思っていていいよ。じゃあ、くだらないことを押し付けられる前に帰ろうかな。さっきも言ったね帰るって。名残惜しくもなんともないのに私は何をグダグダと話しているんだろう」


「僕は、名残惜しいよ」


「あっそ。なら一人でクラスメイトの余韻と話しておけばいいよ。何なら私の席に座ってもいいよ。私の椅子に頬擦りすることまでは許してあげる。でも椅子を汚すことだけはやめてよね。そんなことをしたら次の日君の靴を蜂蜜入れにしてやるから」


「それは陰湿だね。べたべたで大変な思いをしちゃうよ。でも大丈夫。汚さないし、座るなら自分の席に座るから」


「あっそ。って、ああ。また無駄な話をしちゃっているよ。君といると無駄な時間を過ごすことになっちゃって嫌だね。来週からはあまり話さないようにしよう」


「それは悲しいよ」


「君が悲しめば、たいてい私が楽しくなるからそれはいいことじゃない」


「だったら、僕は悲しんでもいいかな」


「このドM。もしここに――って、だから私は帰るんだって。キリがないからスパッと帰ろう。じゃあね佐藤君。休日ゆっくり休んで、来週からは余計なことに神経使わないでテスト勉強に集中してね。君は頭が悪いんだから」


「うん。そうする」


「じゃあね。今まで私の為にありがとう。本当にお疲れ様」


「……うん」


「……じゃあ、さようなら」


 楠さんが早歩きで教室を出て行った。


「さようなら――」


 誰もいない教師で僕は楠さんに別れを告げた。


「――でも、まだ僕がしなければいけないことは一つも終わっていないから、お疲れ様なんて言わないよ」


 世界はきっと単純で、とても優しいものだと思う。



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