望むなら
確かに沼田君ならばうなずける。それだけで人々に話を信じさせることが出来る。
語り部に絶対的な信憑性がある。それ故に人々に話を信じさせることが出来る。
クラスで一番信用されている男子。
学年で一番頼りになる男子。
沼田君が人を傷つけるはずがない。沼田君が嘘をつくはずがない。みんなそう思っている。
だから真実なのだろうと。みんなそう思っている。そう思わないわけがない。
僕だって、沼田君のすることは間違いないのだと思っていた。
「佐藤は間違っていると思うのか?」
沼田君が僕に問う。
僕は沼田君に問う。
「沼田君は正しいと思っているの?」
「俺は自分が間違っていると思ったことはしない」
沼田君が答える。
僕も答える。
「沼田君が正しいと思っても僕は間違っていると思う」
僕と雛ちゃんは、部活の休憩中だった沼田君を体育館から連れだし話を聞いた。
その結果知りたくなかった事実を知ることになった。
「沼田。お前どういうつもりだよ。若菜の事好きなんじゃねえのかよ」
僕の隣で雛ちゃんが沼田君を睨み付けている。沼田君は落ち着いた視線で雛ちゃんの目を見て言った。
「だからこそ。好きだからこそ、楠さんの為になるというのだから俺はみんなに話して回っているんだ」
それは間違っている。
「為になんてならないよ」
「なんで分かるんだよ」
「理由なんて語るまでも無いよ。今沼田君が広めている楠さんの話が理由だよ」
「……確かに、クラスメイトから冷たい態度をとられるかもしれない……。でも、楠さんの為になる」
「なるわけないよ。絶対にならないよ」
「本当にそうか? 佐藤は楠さんの全てが分かるのか?」
「楠さんの全部が分かるわけじゃあないけれど、昔友達と喧嘩をしたという話をしていい結果が生まれるわけがないっていうことは分かるよ」
こんなこと言うまでも無い事だ。
楠さんの本当の性格がばれただけでもクラスメイトから拒絶されたのに、さらにその上友達と喧嘩したというおまけまでついてしまってはどうなるかだなんて考えるまでも無い。
しかし、沼田君には分からないらしい。
「俺はなんにも分からない。今後どうなるかも、楠さんのことも。楠さんは俺や佐藤の様な人間には到底理解できるほど浅い人間じゃあないんだよな……。でもこれはすべきなんだ。楠さんの為にも、俺の為にも」
「どうして沼田の為になるんだよ。お前は若菜を苦しめて楽しいのかよ」
ひょっとしたら本当の楠さんを引き出すためなのかもしれない。
そう言えば少し前に聞かれたことがある。
まだ楠さんはSっ気たっぷりで接してくれないから、どうすればそれを引き出すことが出来るのかと。
だからその為にやっているのだろうか。
多分、そうなのだろう。
「俺は、俺にできる事をやろうと思っているだけ。その結果楠さんが苦しんだとしても、俺はそれを受け入れるしかないんだよ」
自分の為に楠さんの本当の性格や昔話を言いふらし、そのせいで楠さんがクラスメイトから蔑まれても仕方がないということだ。
そんなの、酷い。
「てめえ、何言ってるのか訳分かんねえんだよ……!」
雛ちゃんも怒る。友達を苦しめている張本人を目の前にして冷静でいられるはずがない。
でも、何故だろう。
今の僕はそれほど興奮していない。
「……。すまん、部活が始まる」
沼田君が一度目を伏せたあと僕らに背を向ける。
「おい、待て沼田!」
雛ちゃんはそれを追いかけ肩を掴むが、沼田君はそれを優しく振りほどいた。
体を半分ほどこちらに向けていた沼田君が少しだけ申し訳なさそうに言う。
「部活が始まる」
「てめえの都合なんて知らねえよ! ふざけんじゃねえ!」
「……」
沼田君が一度僕を見た、体育館へと駆け込んで行った。
「ちっ……あの野郎逃げやがって……!」
僕の少し前で体育館の入り口を憎々しげに見つめる雛ちゃん。
隣に並び呼びかける。
「ねえ、雛ちゃん……」
「なに」
入口から目を離さない雛ちゃん。僕はその横顔を見ながら話をする。
「どうして沼田君はあんな事したのかな」
「私が知るわけねえだろ」
「……」
「何考えてんだよあいつ! 若菜と付き合ってんじゃなかったのか?!」
握りこぶしを作り、怒りを発散する場所を探していた雛ちゃんだったが、何もなかったので思いっきりその拳を下に向けて振り拳を解いた。
何故だろう。僕は雛ちゃんほど怒ってはいない。
「……僕、沼田君が悪意を持って楠さんの秘密をばらしているとは思わない」
何の根拠も無い僕の言葉を聞いてやっと雛ちゃんが呆れた顔を僕に向けた。
「お前何言ってんだ? 悪意があろうがなかろうが、若菜の今の状況を見ればいい事なのか悪い事なのか分かるだろ?」
「……うん……」
間違いなく、悪い事だ。
でも。それでも。
沼田君は優しかった。
僕の尊敬する沼田君はむやみやたらと人を傷つけたりなんかしなかった。
「どうして沼田君はこんなことをしたのだろう……」
それが不思議でたまらない。
それほど楠さんのことが好きだったのだろうか。
それほど本当の楠さんを見たかったと言うことなのだろうか。
分からない。
誰か、僕に教えてはくれないだろうか。
そう思っていたところ、誰かが言った。
「私が教えてあげようか?」
突然かけられた声に僕らは振り返る。
そこに立っているのはすべての元凶。
「百合……!」
タイミングが良すぎる。きっと、僕らのことを監視していたのだろう。
部室から、ここまで。ずっとだ。
市丸さんはとても楽しそうにしている。
「意外と早く正解にたどり着いたねぇ。誰かが沼田君だって言っちゃったのかな?」
そんなことはどうでもいい。
「お前、どういうつもりで沼田に若菜のことを話したんだよ! そのせいでこんなことになったじゃねえか!」
「そのせいでなんて言い方しないで欲しいなぁ。私はこうなることを望んで沼田君に教えたんだからね」
「てめえ……!」
市丸さんに向かって踏み出そうとしていた雛ちゃん。僕はそれより先に市丸さんに一歩近づき雛ちゃんの前に立った。
「いったい、沼田君になんて言ったの?」
僕も怒りたいけれど、怒る前に聞かなければならない。沼田君に今していることをやめてもらうために、それを聞いておかなければならない。
もしかしたら教えてくれないのではないかと思ったが市丸さんは楽しそうに話しはじめた。
「若菜ちゃんは沼田君に対して心を開いている訳じゃあなかったからね。それは本性を隠さざるを得ないからで、隠さなくてもいい状況になれば沼田君に対しても本当の姿で接してくれるよって言っただけ。それに加えて佐藤君にも話した例の自分を偽ることの辛さを説明してあげたら沼田君はやってくれたよ」
それを、沼田君は真に受けてしまったのだ。そうすることで、自分に対しても本当の姿で接してくれると思ったんだ。
「色々な話をしてあげたよ、沼田君には。若菜ちゃんの事色々と知ってもらいたくてね」
「だからずっと沼田君と一緒にいたんだ」
「そうそう。まあ、ずっと一緒にいた理由は若菜ちゃんに彼氏が盗られたって思わせたかったからだけど」
「てめえ……! ふざけんじゃねえ!」
「ふざけてなんかいないよ? ふざけているだけでこんな面倒くさい事するわけないよー。私は真剣に若菜ちゃんを苦しめてあげたいんだよね」
「こいつ……!」
雛ちゃんが僕を押しのけるようにして市丸さんに近づこうとした。
僕は踏ん張り雛ちゃんを止める。それでも雛ちゃんは僕の肩を掴み市丸さんに近づこうとしている。僕は必死に踏ん張る。
それを見ていた市丸さんが怯えたような演技を見せながら言った。
「そんなに怒らないでよぅ有野さん。相談に乗ってあげたでしょ?」
僕をどかそうとしていた雛ちゃんが、市丸さんの言葉でそれをやめる。
「……あんなもん別に相談でもなんでもねえ。お前が勝手に言っただけだろうが」
「それでも今そういう関係でいられるのは私のおかげじゃあないのかな?」
「……」
今朝言われていた『借り』のことだろう。
聞く必要はないのかもしれないけれど、もしかしたら嫌なことを言われたのかもしれないので僕は聞いてみた。
「雛ちゃん、市丸さんに何か言われたの?」
「……」
雛ちゃんは答えなかったけれど、すぐに市丸さんが代わりに答える。
「そうそう。私がね、小嶋君と有野さんの間に起きたいざこざについて佐藤君は知っていると思うよって教えてあげたんだ」
「え……。どうして市丸さんはそれを知っているの……?」
僕ら三人しか知らないはず。
「見ていればわかるよ。二人に何があったのかも、それについて佐藤君が何かしら知っているっていうのも。当事者たちはその不自然さに気付いていなかったみたいだけどねー」
確かに、僕らはぎくしゃくしていた。しかしそれでも何が起きたかまでは分からないはずだ。
市丸さんは、怖い。
「何はともあれ、私は犯人じゃなかったでしょ? 犯人は沼田君でした。これで私の無実が証明されたね。よかったよかった」
「バカか。お前が言い始めたことなんだからお前が犯人だよ!」
「私は小さな火を持っていただけで、それを沼田君に渡しただけだよ? その火を使って火事を起こしているのは沼田君。私にも責任の一端があるとは思うけど、一番悪いのは沼田君じゃあないかな?」
「お前がそうするように誘導したんだろうが! お前が一番悪い!」
「それでもいいけど、だからどうだっていう話だよね。いくら私を責めても沼田君を何とかしなくちゃ火事は収まらないよ?」
「てめえ……!」
僕の肩に乗っている雛ちゃんの手に力がこもった。
「そんな怖い顔しないで! 私を責める暇があったら沼田君を責めた方が良いんじゃないかな?」
やっぱり笑顔で。
市丸さんは不気味なほどに明るい。
とても綺麗な顔だけれども、今はもうどこか壊れているようにしか見えない。
「……沼田をブッ飛ばした後お前もブッ飛ばす」
雛ちゃんが市丸さんに指を突きつける。
市丸さんは銃を突き付けられた時の様に両手を挙げてにこやかに言った。
「怖い怖い。まあ、頑張って沼田君を説得してみてね。多分無理だろうけど」
逃げるようにという訳でもなく、市丸さんは軽い足取りで僕らの前からいなくなった。
「あの野郎……! マジで腹が立つ!」
「……」
怒る雛ちゃんの声を背に浴びながら、それでも僕は雛ちゃんほど怒ってはいなかった。
怒りよりも頭の中と心の中を支配する疑問でいっぱいいっぱいだった。
『結局』、沼田君にやめると言わせることは最後までかなわず、噂の拡大を止める事は出来なかった。
沼田君は市丸さんに騙されているんだよと言っても沼田君は沼田君で確固たる決意や確信があるらしく僕らの話には一切聞く耳を持たなかった。
僕にはわからない。
楠さんのことが好きだというのに、楠さんを苦しめる。
本当の楠さんを引き出すために、楠さんを苦しめる。
自分の為に楠さんを苦しめる。
僕にはわからない。
楠さんを苦しめている理由は当然の事で、それよりも沼田君が人を傷つけるようなことをしている理由が分からない。
沼田君は誰よりも優しい人だった。
ちょっと変わっているところはあったような気がするけれど、人を傷つけたりなんてしなかった。
だからこそクラスで一番信頼される男子になったんだ。
その沼田君が人を傷つけている。好きな人を傷つけている。
分からない。いや、信じたくない。
僕の憧れる沼田君がこんなことをするわけがない。市丸さんにそそのかされたからとはいえ酷い事をするなんて信じられない。
でも。
今起きていることは紛れもない事実。
沼田君は噂を広め、楠さんは傷ついている。
市丸さんが一番悪いのだろうけれど、だからと言って沼田君が悪くないとは言えない。
どうすれば沼田君に今していることは間違っていると教えることが出来るのだろうか。
すべてが僕よりも勝っている沼田君。
僕は沼田君を説得することが出来るのだろうか。