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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第四章 僕らにとってのハッピーエンド
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誰が望んだシナリオか

 市丸さんの話を聞いた感想を一言いう。


「何それ?」


 色々と許せない。

 僕が長町みちかさんという人を知らないからなのだろうけれど、どうしても楠さんが可哀想に思えて仕方がない。確かに楠さんも酷い事をしたのかもしれないけれど、それでもやっぱり原因を作った人の方が悪いと思うし、そして何よりも楠さんを傷つけた市丸さんが一番の悪者なのだと思う。


「楠さんの親友だっていうのなら許してあげるべきじゃないの?」


 僕は市丸さんを責める。完全に第三者であるけれど、第三者どころか第四者くらいの立ち位置だけれども市丸さんを責める。責める権利くらいは僕にもあるはずだ。

 僕に責められた市丸さんは飴を取り出す。それを僕に差し出してくるが僕はそれを受け取らない。ふぅとため息をついた市丸さんは差し出していた飴の包みを破り自分の口に放り込んで言った。


「それ、そっくりそのまま若菜ちゃんに言ってあげればいいよ。原因は若菜ちゃんが許さなかったことなんだよ? 若菜ちゃんが許せば私はあんなことしなかった」


「それは、その、ちょっと違うよ」


「何が? ねえねえ、何が違うの?」


「原因は、長町みちかさんが秘密をばらしたことだし、その、よく分からないけど、失ったものが楠さんの方が多い、よね」


「どうでもいい百を失った若菜ちゃんより大切な一を失った私の方が傷は浅いから諦めろって? 佐藤君冗談きっついなー。佐藤君も若菜ちゃんと同じ目に遭わせちゃうぞ」


 市丸さんの言葉を聞いて我に返る。責めるよりもまず聞くことがあるはずだ。


「そ、そうだ! そのお話の後日談をまだ詳しく聞いていなかった……! 市丸さんは楠さんに何をしたの?!」


 市丸さんが舐めていた飴を吐きだした。飴は地面を転がり溝に落ちて行った。


「後日談? バカなこと言わないでよ。まだ物語の途中だよ。むしろ序盤だよ。これからまだ六十年くらい続く物語なんだからね」


 背筋が凍る市丸さんの声。溝に引っ張られていた視線を冷たい声の方へ向けると、声とは裏腹にその顔は眩しい程の笑顔だった。いや、逆だ。笑顔とは裏腹に声が冷たいんだ。


「い、市丸さんは、楠さんの人生を壊す気なの……?」


「今更何を確認する必要があるの?」


 本気だ。


「どうしてそこまでするの?! その前に、楠さんにいったい何をしたの?!」


「特にこれと言って特別なことはしてないけど、しいて言うのならば嫌われ者がより嫌われるようにみんなを誘導していったくらいかな?」


 飴を取り出し差し出してきた。僕はそれを弾き飛ばす、ことはしなかったけれどグイッと押し返して拒絶した。


「さ、最低だ……!」


「最低なのはどっちかな? 私の基準で言えば親友を傷つけた方が悪いと思うな。それに、もともと嫌われていた人間だったんだからより嫌われてもそう変わらないと思わない?」


 飴を取り出し、人差し指と親指でつまむ。それを陽にかざしたあと口の中に落とし入れた。

 僕は叫ぶ。近所迷惑なんて考えずに癇癪を起こす。


「全然違うよ……! 絶対に違うよ! 市丸さん酷いよ!」


「そんなに怒らないでよー。まあまあ落ち着いて、飴でも食べる?」


 もう一度僕に飴を差し出すために市丸さんがビニール袋に手をつっこむ。僕はそれを取りだす前に大きな声で断った。


「いらないよ! この前は楠さんの為に本当の楠さんをみんなに教えるとか言っていたくせに、全然目的が違うよ! 僕を騙そうとしたんだね?!」


「そうだよー。でも騙されなかったかね。残念だなぁ。若菜ちゃんと仲良しな君を引き入れることが出来ればより絶望を与えることが出来るんじゃないかなって思ったんだけどね。ざーんねん」


「市丸さんの思い通りになんか行かないよ……!」


 怒りか何かわからないけれど震える僕。けれど、市丸さんは不思議そうに僕を見た。何故僕が自分に怒りを向けているのかが分からないといった顔だ。


「私の思い通り? 何を言っているの?」


 何を言っているの、とは、何を言っているのだろう。


「……市丸さんが色々と企んでいるんでしょ?」


 そういう話をしているのだと思っていたけれど。


「何を言っているの。どうして私がこんな昔話をしようと思ったのか覚えている?」


「……えと、なんでだっけ……」


「若菜ちゃんの噂の話だよぉ。もう、忘れないで」


 頭が痛くなる。僕は眉を寄せた。嫌な考えが頭をよぎる。


「……もし、かして……。今クラスで流れている噂って……」


 楠さんの本当の性格のことではなくて。


「若菜ちゃんがみちかちゃんに酷い事をして壊してしまったという噂だったら、どうする?」


 それは、色々と最悪だ。


「そんな噂を流したの……?!」


 先ほどとは違う意味で眉間に皺を寄せた。

 市丸さんはと言えば、呆れたような顔で僕を見ている。


「佐藤くーん……。さっき佐藤君自身が言っていたじゃない。『市丸さんは噂を流していない』って。もう忘れちゃったの? ダメだよー、ちゃんと覚えてなくちゃ」


 そう言えば、言ったけれど。


「……じゃあ、一体、誰が……」


 楠さんの過去を知っているのは市丸さんだけ――


「実はこの話を知っているのは私だけじゃあないんだよね」


 ――ではないらしい。


「……それは、誰?」


 答えを聞く前に一人の顔が浮かんだ僕を誰が責められようか。


「前橋さん」


 浮かんだ顔と名前が一致してしまった。


「……ま、前橋さんがそれを言いふらしているっていうの……?!」


「言いふらしているのかどうかは知らないよー? ただ、流れている噂はこれなんだよね」


「そんなの、もう決まっているようなものだよ……!」


「違ったらどうするの?」


「違わないよ!」


 僕は怒りに身を任せ走り出す。


「どこへ行くのかな? 佐藤君」


 市丸さんの問いに答える必要はない。だって僕らは学校へ向かっていたのだから。

 足の遅い僕は精一杯学校へと急いだ。のろのろと急いだ。

 そんな僕の背中に市丸さんの小さな声が届く。


「やっぱり佐藤君は素直で単純だね。素直で単純で立派な正義感を持っている。ある意味、天邪鬼で何考えているのか分からない若菜ちゃんとお似合いなのかもね」


 その言葉の意味を理解できるほど僕に余裕はなかった。




 教室に駆け込み前橋さんの姿を探す。失礼ながら下駄箱の靴は確認させてもらったので校舎内のどこかにはいるはずだ。

 僕は何か予感めいたもの感じ、空き教室へ向かった。

 やはりそこには前橋さんがいた。前橋さんは一人空き教室の中央に立っていた。

 何故ここに前橋さんがいるのか深く考えるべきだったのだろうけれど、僕は馬鹿だから。

 僕は真っ直ぐに前橋さんに詰め寄った。もしこれが冒険物語ならばこの部屋に罠が仕掛けられており僕は爆発に巻き込まれて大ダメージを受けていることだろう。しかしこれは冒険でもなければ物語でもないのだ。罠なんてあるはずがない。


「……なんですか。朝から佐藤君と二人きりになるなんて拷問以外のなにものでもないですよ。気分が悪くて思わず君を切り裂きたくなります」


 メガネを上げ僕を見る前橋さん。

 前橋さんはいつも通り機嫌が悪そうだった。

 くだらない話で時間を潰したくはないので僕は単刀直入に訊ねた。


「……前橋さん、楠さんの噂、流しているんでしょ?」


 僕の質問に、きわめて普通に答える前橋さん。悪気なんて一つもないようだけれども、していることはよくない事だ。


「根も葉もある噂ですから、別に悪い事ではないでしょう」


「……そんなの、よくないよ。本人が言いたくないから隠しているんだよ? なら、黙っておいてあげるのが優しさだよ」


「優しさなんかを持っていては楠さんを突き落すことなんてできませんからね」


「……」


 一学期、前橋さんは同じように楠さんの秘密をばらしていた。今回も同じような子としているが、その時とは少し違う。

 一学期前橋さんの根底にあったのは『雛ちゃんに偉くなって貰いたい』だった。

 しかし今はきっと違う。

 恐らくだけれども今は『楠さんを突き落としたい』と思っているんだ。

 同じ行動でも全然違う。

 善意と悪意。

『雛ちゃんが好きだから』と、『楠さんが嫌いだから』。

 全然違う。


「そんなの、誰も喜ばないよ」


「いいえ、有野さんは喜んでくれます。ライバルが落ちて行くんですから嬉しいはずです」


「雛ちゃんはそんな考え方しないよ」


 するわけがない。


「まるで自分が一番有野さんのことを知っているんだとでも言うように偉そうに語って、本当に生意気です。それに優柔不断で漢気も無く情けない。佐藤君を見ていると胸糞が悪くなって仕方がありません。楠さんと一緒に地獄へ落ちればいいんですよ」

 悪意の塊だ。恐ろしいとすら思う。


「僕はそうなってもいいけれど、楠さんを突き落そうとするのは許せないよ」


 友達は守るべきものだ。

 親友を傷つけるなんてもってのほか、なのだけれども、それは楠さんも責めてしまうことになる。けれど僕は都合の良いようにしか考えない。

 楠さんは、傷つけざるを得なかったのだ。


「真実を話すことが悪い事だとは思いませんけどね」


 面倒くさそうに銀色を掻き上げた。


「分かっているんでしょ?! そのせいで楠さんはみんなから蔑まれ、親友を傷つけることになってしまった……! 同じことを繰り返して楽しいの?!」


 前橋さんがにやりと笑った。

 その笑顔はまるで罠にかかった獲物を見るかのような笑みだった。


「……親友を傷つけたというのは、誰の事ですか?」


「知っているんでしょ。長町みちかさんだよ」


「……楠さんが前いたところの、親友ですか?」


 なんだか、おかしい。


「……うん」


 知らない体で話を聞く前橋さん。一体何が目的なのだろうか。


「へえ、楠さんはそんなことをしていたんですか」


「白々しいよ。知っていたんでしょ?」


「いいえ? 全く知りませんでしたねぇ」


「……え……?」


 いや、そんなはずはない。

 だって、市丸さんが教えたって言ったのだから。教えていないのならば今その噂が流れている理由が分からない。


「それはいいことを聞きました。へぇ、ほぉ。楠さんは、前の学校でも同じように真実をばらされ、それをばらした優しい親友をボロボロに傷つけたんですか」


 そんな風には言っていない。やはり、前橋さんは知っているのだろう。けれど、知らないと言う。


「ちょ、ちょっと待って。前橋さんはその話をみんなにばらしていたんじゃないの……?」


「いいえ。違います。私がみんなに言って回っているのは一学期と同じように楠さんがみんなの悪口を言っているということですよ」


 もしかしてもしかしなくても、僕の勘違いだったのだろうか。

 そうなのだとしたら、僕はとんでもないことをしてしまった気がする。


「そ、そんな……! だ、だって、市丸さんは……」


 教えたと言っていた。それに、前橋さんも知っているような口ぶりだった、ような気がする。


「まあ、実を言えば知っていたんですけどね」


 ……とりあえず、ホッとする。

 僕は間違いを犯していたわけではなかった。

 しかし一度知らないふりをした意味が分からない。


「……どういうこと……?」


「市丸さんから話は聞いていますよ。しかし私は君から聞いたということにします」


 まだ分からない。全然わからない。


「何を、言っているの……? どういうこと……?」


 頭の悪い僕に前橋さんが説明してくれる。


「ですから、私は今初めて佐藤君からその話を聞いたということにしてみんなにばらして回ろう、という話です」


「どう、どうして、そんなことをする、の……?」


「そこまでバカなんですか? ああ、いえいえ、ただ認めたくないだけですね。君はまんまと引っかかったんです。私が市丸さんからその話を聞いて、私がその楠さんの良くない話をみんなにばらしている。それを知った君が何をするのかは簡単にわかります。私を止めに来るでしょうね。しかしそれは勘違いで、君はうっかり私に楠さんの秘密をばらしてしまった……。全部私が考えたシナリオです。本当に佐藤君は頭が悪いですね。そんなんじゃあ誰も助けられませんよ」


 これは僕が感じている以上に重大なことが起きているのかもしれない。


「ちょ、ちょっと待ってよ。僕はそういうつもりで言ったわけじゃないし、初めからその話を知っていたのだから僕から聞いたというのは、その、おかしいよ」


「おかしくありません。私は君から聞いたんです。市丸さんからは何も聞いていません」


「そんな……! で、でも、そんなことをする理由が分からないよ!」


「佐藤君を噂の発信源にするためです」


「えっ……?」


 その言葉を聞き、初めて嵌められたのだと実感した。こんなの僕以外は引っかからないだろう。

 絶望する僕の顔を見て、前橋さんが禍々しい笑みを作り言う。


「仲のいい佐藤君から噂が広まっていると知った楠さんは絶望するでしょうね。普通に噂が流れるよりも傷が深くなりそうですね」


「そんなの、きちんと楠さんに説明をすればいいだけの話だよ!」


 楠さんと僕の関係はそれほど薄い関係ではない。僕はそう信じている。


「そんな単純な話なんでしょうかね。まあそれでもいいですよ。私と佐藤君にとって重要なのは『佐藤君が私にその話をした』という事実ですからね。その事実があれば、どうとでもなります。そもそも噂を流した佐藤君の話を誰が信じるんですかね? 楠さんにこの今の状況を話したところでとても信じてくれるとは思いませんよ」


「楠さんは、信じてくれる、はず……」


 だって、友達だから。


「前橋さんは初めから知っていて、僕は嵌められたんだって言えば、楠さんは納得するよ」


「誰がそんな嘘信じるんですか」


「嘘って、嘘なんかじゃないよ! 前橋さんが市丸さんからその話を聞いたって言ったじゃない!」


「そんなこと、私は言っていませんよ」


「い、言ったよ。何を今更言っているの。確かに、市丸さんから聞いたって言っていたよ」


「それは君のねつ造です」


「ど、どういうこと……?」


「私は何も言っていないのに、君が勝手に話を作って私を悪者にしようとしている。意味が分かりますか?」


「…………よく分からない……」


「でしょうね。佐藤君は馬鹿ですから。馬鹿だからこんな状況に陥っているんですよ。いいですか? 話をまとめますよ? 佐藤君は私に楠さんの秘密をばらした。そしてその話を私がみんなに話す。佐藤君から聞いたとみんなに話す。噂の発信源になった佐藤君は都合が悪くなったと感じ、『前橋さんはあらかじめその話を知っていたけれど僕をはめる為に僕から聞いたことにしている』という無茶な話を作り出しました。これで分かりましたか?」


「そ、そんなの、楠さんに説明するように、みんなにも同じように説明をすれば分かってくれるよ……」


「誰もそんなの聞きませんよ。そもそも、私と市丸さんはそれほど仲が良くないのに楠さんの昔話を私にすると思いますか? しないでしょう」


「でも、実際しているし……」


「ですから私は何も聞いていませんでしたと言っているではないですか本当に馬鹿ですね」


 聞いていないということを貫き通すらしい。


「で、でも……」


 前橋さんのシナリオをどうしても認めたがらない僕にいい加減腹が立ったのか笑っていた前橋さんがいつも僕に向けている顔に戻した。


「本当に佐藤君は情けなくて気持ちが悪い。真実がどうなのかなんてどうでもいいんです。佐藤君がクラスメイトに信用されているというのであればその私が嘘をついているという『作り話』をすればいいではないですか。誤解だとみんなに思いこませればいいではないですか。まあ、誰も信じないでしょうけど」


 もうすでに前橋さんの嘘は始まっている。まるで僕が嘘をついているかのような振る舞いだ。


「……楠さんは、信じてくれるよ」


 例え誰も信じなくても、楠さんは信じてくれる。


「そうかもしれませんね。楠さんは騙されてくれるかもしれませんね。しかし確実に佐藤君に対する不信感は芽生えるはずです」


「……」


「唯一の味方である佐藤君は信用できないし、私は佐藤君から聞いた『楠さんが親友を傷つけた』話を広めていくしで楠さんは孤立しちゃいますね?」


 そうだ。たとえ楠さんが僕の話を信じたとしても楠さんの噂は広まってしまうんだ。それを防ぐためにここへ来たのに、僕は余計な心配をしてしまっていた。自分の事ばかり心配してしまっていた。


「そ、そんなこと、しないでよ……」


 噂の拡散を止めるための言葉は弱弱しい。何か、良い言葉があればいいのだけれども。


「もう楠さんはおしまいですよ。ざまあないですね。有野さんに刃向ってきた罰ですね」


 そう笑う前橋さんはなんだか壊れているように感じた。


「雛ちゃんは、そんなこと望んでいないってば……」


 雛ちゃんの為だというのであれば、望んでいないと言うことを教えてあげれば噂を広めようとしないはずだ。


「私が望んでいるんです! 有野さんが頂点に立つことが私の喜びなんです!」


 僕の話を聞くとは思っていなかったけど、そもそも僕が選んだ言葉が違った。

 僕は言葉を選び直し再び前橋さんに送る。


「雛ちゃんの為だというのに雛ちゃんが悲しむようなことをするのはおかしいよ」


 適切な言葉を選んでも、やっぱり話を聞こうとはしなかった。


「うるさい! これくらいのことをして有野さんの役に立たなければ有野さんは私を見てくれないんです!」


「なにか、間違っているよ……」


 望んでいないことを勝手にして、悲しませる。僕と同じだ。つまりこれはどう転んでも誰も幸せにならない物語なんだ。

 僕は知っている。

 だから何とかしなくては。


「前橋さん。雛ちゃんを悲しませないためにも、やめようよ」


 雛ちゃんを悲しませたくせに僕は言う。いや、雛ちゃんを悲しませたからこそ僕は言う。

 けれど僕の言葉が前橋さんに届くことは無かった。


「うるさいと言っているんです! 喉を潰すためのハンマーを買ってきますよ?! 始めから恵まれた立ち位置にいる佐藤君には分からないんです! 次に偉そうなことを言ったらもう許しませんからね!」


「例え喉が潰されようとも、僕は黙らないよ。前橋さんのしようとしていることは誰の為にもならないよ」


「君は馬鹿だから何もわからないんでしょうね! とにかく、佐藤君は楠さんを裏切ったんです! それで話は終わりです! もう話すことなんてありません!」


 前橋さんは僕なんか見たくもないとでも言いたげに僕を一瞥し、空き教室を出て行こうとした。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 正直な話、僕は自分自身が置かれている状況をきちんと理解してはいないけれど、ここで別れるのはよくないのは何となく分かる。その何となくに従い前橋さんを追いかける。


「前橋さん、待って――」


 前橋さんを引き止めるべく、前橋さんの肩をめがけて腕を伸ばしたけれど、その手が何かを掴むことは無かった。


「寄らないでください!」


 扉を握っていた前橋さんが全力でそれを閉じて来たのだ。


「ぐえっ」


 猛スピードでスライドしてきたギロチンのような戸に僕は体を真っ二つにされた。なんて言ったもののただ単に脇腹を挟まれてしまっただけだ。それでも痛い事には変わりない。


「う、うう……」


 あばらのあたりがすごく痛い。顔をゆがめてうずくまる。

 戸がどれほど強い衝撃で襲ってきたのかは、戸の状況を見ればわかる。

 戸は衝撃でサッシを大きく外れてしまい変な風に傾いているのだった。


「戻さなきゃ……」


 痛いけれどこれでは閉めることが出来ない。戻すことよりもまず前橋さんを追いたかったがこの『数秒』で何かが変わるわけでもないだろうと頭の悪いポジティブシンキングを爆発させまずは戸を直すことにした。

 それが間違いだったと気付くのは『数秒』後だ。数秒で色々と変わる。

 僕が戸を嵌めこみ、改めて前橋さんが歩いて行った方向に目を向けると、前橋さんは廊下の先でこちらに背を向け立ち止まっていた。よかった……なんて一安心していたけれどその考えはすぐに反転することになった。

 最悪だ。

 前橋さんが楠さんと話している。

 ここまでが前橋さんの考えたシナリオであるとすると、出来過ぎている。

 しばらく前橋さんの話を聞いていた楠さんは徐々に驚きに目を見開いて行き、そしてゆっくりと僕の方に視線をやった。

 声は聞こえないが何を話しているのかは分かる。

 僕はとっさに目を伏せた。

 そんなことをする必要が無いのに。むしろこんなことをすれば僕にやましい事があるみたいではないか。

 そう思い、一度頭を振った後再び楠さんの方を見るが、そこにはもうすでに楠さんはおらずこちらを向いてニタリと笑っている前橋さんしかいなかった。

 変な正義感を燃やして余計なことをしなければよかった。

 やっぱり僕は、何かをする度に人を不幸にする。


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