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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第四章 僕らにとってのハッピーエンド
130/163

それぞれの思惑

「今日はやけに出席率が悪いね」


 放課後僕と楠さん二人きりの部室にて、楠さんが気分よさそうに言った。


「なんだか機嫌がいいみたいだね」


 学校全体で何かがあったという訳ではないので個人的にいいことがあったのだろう。


「そう見える? 特に意識していたわけじゃあないんだけど」


「一目で楽しそうだって分かるよ」


「どこをどう見たらそう見えるの失礼しちゃうなぁもう。見た目でテンションの高さがわかっちゃうなんてまるで私がひょうきんな人間みたいじゃない」


 現時点ではひょうきんな人間にしか見えない。


「何かあったの?」


「別に何もないってば。まあしいて言うならば今日はあまり市丸百合が絡んでこなかったし今現在も同じ空間にいないからかな。あー今日はストレス溜まらなくてよかった」


 これが本心なのかどうなのか僕にはわからない。楠さんは色々と深い人間なので僕程度では本心を見ることが出来ないんだ。


「ところで有野さんもいないけど、有野さんも何か用事?」


「雛ちゃんはなんだか相談を受けているみたいで今日は来られないかもって」


 お昼休みからずっと続くお悩み相談。放課後まで飲み込んでしまうなんていったいどんな大きな悩み事を相談しているのだろうか。雛ちゃんならば華麗に解決して見せるのだろうけれど少し心配だ。


「さすが頼れる副委員長は違うね。男じゃなくても惚れちゃうよね」


「楠さんだってかっこいいよ」


「そうかな? ありがと」


 素直に褒め言葉を受け取る楠さんはやっぱりよそよそしい楠さんだ。何度かの例外を除いて、基本的に学校ではよそよそしい態度をとり続けている。これになれ始めた、受け入れることが出来たというのは、喜ぶべきことなのか悲しむべきことなのかよく分からない。


「前橋さんは有野さんについて行ったのかなと何となく想像がつくけど小嶋君はどうしたの? 小嶋君も有野さんと一緒に相談を受けているの?」


「小嶋君は、買い物に行くって言ってたよ」


「買い物? 一体何を買いに?」


「ゲームを買いに行くんだって。今日発売のゲームがなんだか面白そうだって張り切ってたよ」


「ふーん。ゲームね」


 小嶋君はあまりゲームをやりたがっていなかったけれど、やっと興味の出るゲームを見つけられた。アニメが借りられなくなって暇になったから、という理由でなければいいけれど。


「佐藤君も結構やっているみたいだけどゲームって楽しい? 私は小学生のころからもうゲームやってないよ」


「うん。面白いよ」


 小学校の頃はみんなゲームをしていたけれど、今はしていない人の方が多そうだ。ゲームをしていることが恥ずかしいと思うのか、ただ単にもっと面白い趣味を見つけたのか。僕ももっとおしゃれな趣味に手を出してみたい。別に今の僕が恥ずかしいからとかアニメ漫画ゲームが恥ずかしいからとかそういう理由ではなく、ただ単に色々な趣味を通じて人生の幅を広げたいと思っているからだ。

 でも今はやりたいことが多すぎる。他の趣味になんて手を出せない。


「そう言えば、兄のパソコンを借りた時パソコンの中にゲーム入ってたなぁ。兄もゲーム好きなのかな?」


「そうなんだ」


 この前見たときデスクトップにショートカットが無かったのは勝手に見られたとき対策だったのかな。それともただ単に煩わしいから何も置いていなかっただけなのかな。僕は何でもかんでもデスクトップに置くから整理できる人が羨ましいよ。

 しかし、自分のお兄さんの事なのにゲーム好きなのかどうか分からないのはどうしてなのだろうか。お兄さんに興味が無いとかではないよね。


「パソコンでするゲームって、APPYがたくさん出てくるゲームなんでしょ?」


「え? あぴー?」


 教養の差が出てしまった。あぴーという言葉を僕は知らない。頭の良い人は僕のように知識の無い人間と会話をすることに疲れてしまうのではないだろうか。一々分かりやすい言葉を選ばなければならないなんて結構大変そう。

 楠さんが僕でも理解できる言葉で言い直してくれた。ご迷惑をおかけします。


「可愛い女の子って言う意味」


「へえ、そうなんだ。初めて聞いたよ」


「そうだね。私もこんな言い方初めてしたよ」


 えっ。なら何故ここでそんな言い回しをするのかな。普通に可愛い女の子って言えばいいのに。

 いやその前にどうしてパソコンでするゲームイコール美少女ゲームと呼ばれる恋愛シュミレーションだと決めつけているんだろう。もしかしてプレイしたのかもしれない。もしそうならばお兄さん、結構恥ずかしいような気がするよ。


「そういうゲームって最終的にHなことをして終わるんでしょ?」


 嫌悪しているのかと思いきや意外と普通に話している楠さん。恥ずかしがることも無い。


「この世界には色々なゲームがあって、そういう終わり方をするゲームも存在するのではないでしょうか……」


 それを説明している僕の方が恥ずかしがっている。なんだかおかしいよこれ。


「つまり、何が言いたいのかというとね」


「え、はい」


 この話はどこに着地する話なのだろうとハラハラしていたのは僕だけだったようで、楠さんは初めからきちんと着地点を見つけて話を始めていたようだ。さすが楠さん。


「APPYとHなことをすると幸せになってエンディングを迎える。つまり、『H・APPY END』ってね」


「……」


 それが言いたいがためにわざわざ『あぴー』という表現を使ったようだ。


「何その不服そうな顔」


 一瞬素の楠さんが登場した。


「ちょっとびっくりしただけです」


 なんだか感心しづらい。複雑な気持ちだ。


「佐藤君もそういうゲームするの?」


 そういうゲームとは、十八歳以上のゲームのことだろう。そんなの当然、


「僕は十八歳じゃないから買えないよ」


 年相応に見られることも少ないし、絶対に僕では買えない。あ、いや別に、実際に買おうとして止められた経験があるなんてことは無いよ。本当だよ。それになんだか十八歳であっても恥ずかしくて買えないような気がする。


「えっ。買ったことないの?」


「え? うん」


 びっくりされた。僕は買っていて当然だというようなイメージを持っていたようだ。少しショック。


「佐藤君は本当に性欲というものが無いの?」


 答えたくはないし答える事でもないと思うので僕はうつむくことでその質問の返事とした。


「佐藤君は青少年健全何たら条例が無くても健全に育っているんだね」


「え、まあ、そうなの、かな?」


 健全に育っているというのであれば、それはおそらく家庭環境がよかったからであろう。

 不健全だろうがなんだろうがただ単にいけない事をいけないと理解していればいいだけの話で、見せなければすべてが解決するという話ではないような気がする。情報なんてどこからでも手に入れられるし、どこからでも入ってくる。臭い物に蓋をするというやり方ではなく正しい教育や正しい道徳を教える方が簡単で確実な方法のような気がする。


「佐藤君は守っているようだけど、十八禁なんて表記があっても守るような人間あんまりいないと思わない?」


「そう、だね?」


 守る人は守ると思うけど。しかしそれを守ったからと言って健全に育つかどうかはわからない。本人次第だし、環境次第でもあるのだと思う。


「守る人なんていないって。佐藤君だってエッチな本どこかに隠しているんでしょ? 残念ながら私には隠し場所が分からなかったけど。まあ、だから守らせるために十八禁のゲームとかは十八歳以上がプレイすると脳が破壊されてしまうような機能付ければいいんだよ」


「導入した年の死亡原因一位になりそうだね。それにそれじゃあペナルティ大きすぎるよ」


「なら十八歳未満のパソコンにインストールしたらそのパソコンが爆破されるっていうトラップを仕掛けるのはどうかな」


「……それは、結構つらいね……」


 僕が実際に体験したわけではないけれどゲームをアンインストールしたときにハードディスクの中身が丸っとデリートされるような事件があったらしい。そう、もはや事件だ。別に十八歳未満がプレイしたからという訳ではないのにハードディスクがクラッシュするなんてむごすぎる。


「さて、十八禁トークはこれくらいにして今日はお開きにしようか」


「え? いいの?」


 成年指定を話題にした話を続けたいという意味ではなく、部活はしなくていいのかという意味だ。


「いいよ。だってこのままだと佐藤君以外撮る人間がいないもの。佐藤君だって嫌でしょ?」


 僕は別にかまわないけれど、楠さん、嫌なんだね。


「それに、気分の良い一日なのに最後の最後に市丸百合に会ったんじゃあ最低の一日に早変わりしちゃうからね。だから今日はもうおしまい。バイバイ」


 楠さんが立ち上がり、軽い足取りで颯爽と部室を出て行った。

 先週の木曜日から部活をしていないことになる。このまま部活が無くなってしまうのではないかという嫌なイメージが部室に溢れかえっている。すごく不安になってきた。

 だからと言って再び楠さんを呼び戻すわけにもいかず。

 仕方がないとは言いたくないけれど、仕方がない。今日の所は帰ろう。

 あまりいい心がけとは思わないけれど明日から頑張ればいいんだ。

 ふぅとため息で嫌な空気を吹き飛ばすふりをしたあと、僕は部室を出た。

 そのまま真っ直ぐ下駄箱に向かって靴を履き、グラウンドを横目に見ながら校門まで向かう。学校に来れば毎日こうやってきた。

 記憶に残らないほどの日常。

 消去される記憶の一つ。

 資料室の掃除をした後だって校舎裏の草むしりをした後だって相撲をとった後だってここを歩いて家まで帰った。いつも通りじゃない学校生活の中でもここを通ることは変わらない。

 いつも通り。

 日常だ。

 しかし――

 ――などと逆説を使うほど日常を逸してはいないけれど、今日はほんの少しだけいつもと違った。

 とりあえず、僕が覚えているのはここまでだ。




 校門へ向かっていたはずの僕はいつの間にか目を閉じておりどこかに寝転がっていた。

 なぜこんな状態なのだろうかと気になり目を開けてみると、その場所はすぐさま理解できるほど見慣れた場所ではなかった。見慣れた場所ではなかったものの完全に見たことのない場所ではなく、なんてことはない、気付けば一目瞭然そこはただの保健室だった。


「佐藤君、大丈夫……?」


「え?」


 聞き覚えのない声が……、なんてことも無く、その声は素敵でか細く汚れの無い、何を隠そう隠すまでも無く三田美月さんの御声に他ならなかった。


「三田さん……? どうして保健室にいるの……?」


 ……寝ている僕が聞くのはおかしいよね。


「……佐藤君こそ、覚えてる……?」


 三田さんもおかしいと思っているようで苦笑い。


「……何も覚えてません……」


 確か、部活が無いから部室を出て、そのまま下駄箱へ向かって、そこで薄汚れた靴に履き替えて、いつも通り校門まで歩いていたら、ふかふかのベッドで寝ていて。明らかに記憶が欠落している部分があるけれど、これは後頭部の痛みが何か関係しているのだろう。まず間違いなく関係しているのだろう。


「僕は何故保健室で寝ているの? 頭が痛いのは、もしかして殴られたから?」


 そう言えば、僕は一度暴漢に殴られたっけ。あの時は痛かったけれど気を失うことは無かった。血が出て包帯を巻くことになったけれど。


「違うよ。野球部の打ったボールがたまたま佐藤君に当たったらしくて」


「それは、運悪くというか、間が悪くというか、色んな意味で頭が悪いというか……」


「……そして、打ち所が悪かったんだね」


 僕のよく分からない縛りを綺麗にまとめてくれた三田さん。さすが三田さんだ。


「大丈夫……?」


「うん、大丈夫。むしろなんだか冴えているよ」


 冴えていたところで特に意味はないけれど。しかし冴えていないよりは冴えている方が何かといいはずだ。例えばただの雑談に冗談を交えることによって楽しい会話がより一層楽しいものになるかもしれない。


「びっくりしたよ……。野球部の人に運ばれている佐藤君を見たときは何事かと思ったよ……」


「きっと、僕の日ごろの行いが悪かったから『野球』部に『お灸』をすえられちゃったんだね」


「……」


「……」


「…………あ、その、冗談だよね? あはは……」


 いくら頭が冴えていようとセンスや才能はゼロのままだし、僕は僕のままに変わりない。冗談交じりに話すことなんかもうやめよう。


「あの、佐藤君。そんなに恥ずかしがらないで。別に、顔隠さなくても……」


「……」


 気を取り直して。


「目が覚めるまで看ていてくれてありがとう。ごめんね時間をとらせてしまって」


「……気にしないで……。勝手にやったことだし、やりたくてやったことだし……」


 僕に対して怒っているはずなのに、とても優しい。ありがとう三田さん。


「……えっと……。……今日は、動画研究会……だっけ? 無かったの……?」


「うん。みんな用事があったみたいで参加者があまりいなかったんだ」


 僕の答えに「そうなんだ」と小さい声を返した。しかし三田さんがしたいのは動画研究会の活動の有無の話ではないようで、あちこちに視線をやりながら本当にしたい話の切りだし方を探しているようだった。

 結局三田さんはおずおずとストレートに切り出した。


「……あの……。……ちょっと、聞いたんだけど……」


「うん」


 三田さんの表情からあまり楽しい話ではないことが伺える。


「……楠さんが、佐藤君をいじめてるって」


「……いじめられてないよ?」


 三田さんは以前も同じような勘違いをしてくれていた。しかし今回はその勘違いとは違う。誰かに言われたらしいではないか。


「誰が言ったの?」


 優しい嘘でも仕方がない嘘でもないただ人を貶めるためだけの嘘を言うのは褒められたことではないと思う。勘違いであったとしても、それを三田さんに伝える必要はない。


「あ、え……、誰が言ったかは、言えない……。でもその、証拠という訳じゃないけど、佐藤君たちが映像を撮っているところを見てた人がいて、佐藤君が延々と投げ飛ばされているのを楽しそうに撮っていたって……。それはどうやら事実みたいだし……」


「あれはただの相撲だよ? 別にいたぶられていたわけじゃないよ」


 いじめなんかじゃないよ。


「でも、小嶋君と佐藤君が相撲をとるって、……言い辛いけど、佐藤君が負けるのは、決まっているような……、その、ごめんね……」


「本当のことだし僕もそう思っていたから全く悪い事じゃないよ。気にしないで」


 体格差は如何ともし難いし体格が同じでも僕が勝つことは難しいと思う。


「……うん、ありがとう。だったら、やっぱり初めから佐藤君を投げ飛ばすことを目的とした相撲だったんじゃないのかな……」


「そんなことは、ないよ」


 あれは僕と小嶋君が相撲でハァハァしているという嘘動画を作るための材料だったのだから、別に痛めつける為にやっていたわけではない。……でもよくよく考えたら嘘動画を作る為というのもあまり褒められた理由ではないね。


「……その、佐藤君。あとね、私、聞いちゃったんだけど……」


「え? 何を?」


「……楠さんの、あまりよくない噂……」


「あまりよくない噂……?」


 何かと目立つ楠さんに噂が立っていようと不思議ではないけれど、それが悪い噂となれば別だ。綺麗で勉強が出来て運動も出来ておまけに性格もいいとされている楠さんが噂されるときは大抵良い噂だ。悪い噂なんて今まで聞いたことが無い。楠さんの完璧さをひがんで悪く言う人もいたらしいけれど、こう言ってはなんだけれどそれは戯言でしかなく、噂になるまで大きな話になることは無かった。

 しかし今その楠さんの悪い噂が立っているという。

 誰がそんな噂を立てているのか……を突き止める前にどんな噂が立っているのか。それを聞かなければ。


「あまりよくない噂って、どんなの……?」


 すごく言い辛そうに俯きながら小さな声で、それでも確かにはっきりと言った。


「…………楠さん、本当はあまりいい性格をしていないんだって……」


「……」


 そんなことない。本当の性格はみんなに隠しているけれど、その隠している性格だってとても魅力的なものだ。現にあの沼田君がその楠さんに魅かれているのだから誰も反論できないだろう。


「一学期、楠さんがみんなに責められたとき、佐藤君が脅しているからって言うことになったけど、それも楠さんに脅されて言わされたことだったんだよね……? 皆のことを悪く言っていた楠さんが本当の楠さんなんだよね?」


「僕は脅されてなんかいないよ。本当に本当だよ」


「……」


 本物の楠さんであることは否定できないけれど。


「……これを前置きにするのはちょっと嫌なんだけど、佐藤君。ちょっと、聞いてもらいたいんだけど、いいかな……?」


「うん……?」


 楠さんの嫌な噂についてもっと聞きたいことがあるのだけれどもそれは三田さんにとって前座だったらしい。


「……私は、佐藤君に振られた」


「……。うん」


 楽しくない話の後も喜べるような話ではなかった。


「他に好きな人がいるから付き合えないって言われた」


「……」


「脅して付き合ってもらおうかと思ったけどダメだった」


「……その……」


「だから私は佐藤君を嫌おうとした」


「……」


「でも、それじゃあダメだって言われた」


 ……言われた……? お姉さんにでも言われたのだろうか。いや、僕はお姉さんに嫌われているのだからそんなことは無いはず。なら、誰に言われたのだろう。


「その言葉を聞いて、よくよく考えてみた……。私、好かれる努力を何一つしてないなって」


「そんな。僕は三田さんの事、す、その、嫌いじゃないよ」


 言葉を選んだけれど、間違っていたかもしれない。

 しかし三田さんは気にしていないようで、さらに分かっていたことだったようだ。


「それは、振った後仲良くしてくれようとしている佐藤君を見て、憎からず思ってくれているんだろうなとは、思ってたけど、そうじゃなくて。もっと好きになってもらう努力をしていないのに、私は諦めようとしていた。たとえ佐藤君に好きな人がいても、まだ好きなだけだからまだ間に合うって。今からだって、佐藤君の一番好きな人になれるって。だから、頑張って見ようと思う。部活とかも参加してみようかなって」


「…………」


 なんと言えばいいのか僕にはわからない。「頑張って」だと偉そうだし、「頑張らなくてもいいよ」と言えば感じが悪いし、「そうなんだ」だと他人事のようだし。だから黙る。


「だから、というのもちょっと違うかもしれないけれど、楠さんのしていることを私は許せない……」


 ここで前置きにつながった。三田さんは僕の為に楠さんを怒ろうとしている。


「僕は全然困ってないよ」


 怒る必要なんてどこにもない。それを分かって欲しい。


「私も、それでいいと思っていた時期もあった……。でも、やっぱり、『やっぱり』我慢できないよ」


 ずっとそうだったけれど三田さんは僕の為に僕の言葉を信じない。普通は喜ぶべきことで、それを困るというなんてお前は何様なんだと怒られてしまうかもしれない。でも、やっぱり勘違いされるのは嬉しくない。


「楠さんは何も悪い事してないよ。それに僕は、誰が言ったか知らないけれど、証拠も無いのに人のことを悪く言うその人の方が許せないよ」


「その噂を真に受けたからという訳じゃあないけど、私もずっと同じようなことを思っていたから……。すんなり、信じられた」


「……。それ、誰が言ったの……?」


「……それは、言えないけど、私は信用に足ると思う……」


 印象だけしか疑うところが無いのにその噂は信用できるという。それはきっと楠さんのことを良く知る人が言ったからなのだろう。

 そうだとしたら考えるまでも無い。

 僕の物語には登場人物が少なすぎる。




 再び三田さんとの仲が縮まったような雰囲気になったものの、気分的にはあまりよくない余韻を残し一人でむぅむぅ唸りがなら保健室のベッドの上に座っていた僕だったけれど、体調が悪いとか歩けないといったやむを得ない事情ではなく相当な個人的理由で公共のベッドを占領しているのはいかがなものかと思い僕は後頭部をさすりながら保健室を出た。

 先に言った通り三田さんはすでに保健室から去っている。

 廊下の先を見渡したところで誰も視界には入らない。

 虫の知らせがあったわけではないけれど、『誰』かがいるのではないかと密かに思っていたのに。

 よく分からない予感が外れたことにもめげずに、そもそも本当に勘以上のなにものでもない予感だったのでめげるほどのショックなんてあるわけも無く、静かな校舎に足音を響かせながら下駄箱へと向かった。

 だがすぐに下駄箱へたどり着くことは無かった。

 よく分からない予感なんてものは外れたところでどうと言うことは無いけれど、当たったらすごく感動するローリスクハイリターンなことだったようだ。予感が当たった今、それが分かった。

 前を通りがかった階段の上で僕を見下ろしている『誰』かがそこにいた。

 逆光で表情がよく見えないその人はきっと笑っている。見えなくても分かる。だって、その人は教室でいつも笑っているから。


「佐藤君、今帰り?」


「……うん。市丸さんも、今帰り?」


 ショートカットの髪の毛を掻き上げながら、市丸さんがまるで僕を待っていたかのようにそこにいた。


「うんそうだよ今帰りー。偶然だねっ」


 リズミカルに下りてくる市丸さん。跳ねているように見える。


「僕は、何となくどこかで会える気がしてた」


「えっホント? すごくないそれ? 佐藤君もしかして超能力者だったりしてっ!」


 残り三段残した状態でピョンコとジャンプし両足で僕の目の前に着地した。


「超能力なんて持ってないよ。それどころか普通の能力すら持ってないよ」


「キャッチーで素敵で後ろ向きな良いフレーズだねー。もしかして佐藤君の決め台詞だったりするのかな?」


「そんな感じ」


 僕の適当に合わせた返事は市丸さんに違和感を覚えさせた。


「……なんだか機嫌が悪いみたいだね? 一体どうしたのかな。転校生で何も知らない私に相談してもいいよっ」


 可愛く僕を下から覗き込む。上目遣いでドキッとさせる。でも今の僕はドキッとしている場合ではない。


「機嫌は悪くないよ。悪い訳がないよ。それに、転校生だろうと何だろうと市丸さんは何でも知っているような気がする」


「そうだね、その通り。何でも分かるよ。佐藤君が怒っている理由もね」


 体を起こした市丸さんと向かい合う。


「……」


「佐藤君は私を疑っているんだよね。三田さんの言っていた、悪い噂を流している『誰か』が私だって。私が若菜ちゃんの悪口を言いふらしているって、そう思っているんだよね?」


「……うん。それにしても、どうして僕と三田さんの会話の内容を知っているの? もしかして――」


「聞いてたよ? 聞いてないわけないよー。それを伝えた本人としてはどういう展開になるのか見守らなくちゃいけないんだからね」


 悪い噂を流すこと、盗み聞きすること、どちらも良くない事だ。小学校ならば帰りの会で裁かれてしまう。

 けれど僕らはもう小さくない。

 まだ大きいとは言えないけれどそれでも気高い僕らは帰りの会では裁かない。

 大人になりかけている僕らは社会の一部になりかけていて、その上理不尽で不条理な独自の社会を作っている。

 いけない事をしたならば、僕らの社会の中で裁かれる。


「……それで、どうだった?」


 残酷ではあるけれど、いけない事をしたのならば仕方がない――のだけれでも、市丸さんは一切悪意を持っていないように見えた。


「佐藤君が若菜ちゃんのことを悪く思わないというのは予想通りだったけど、それでもやっぱり不思議に思ったかなぁ。佐藤君、若菜ちゃんに酷いことをされているのにどうして信用したりしているのかな? それが気になってここで待ってたんだ」


「楠さんは、僕の人生の恩人だから」


 それ以前に悪くない人を悪いと思うことなんてできるわけがない。


「人生の恩人? まだ十六年ほどしか生きていないのにすごく大層な存在になっているんだね」


「うん」


「人生の恩人って、どういうことか聞いてもいーい? ひょっとしてそれは一学期の内気で物静かだった佐藤君がクラスの中心に立っている今と関係していたりするのかな?」


「僕はクラスの中心になんて立っていないけど、楠さんのおかげで前向きになれたとは思うよ。楠さんが『変わった方がいい』ってアドバイスしてくれたから、楠さんは恩人で僕は信頼している。もし本当にいつか悪い噂が流れたとしても、僕は楠さんの味方であるよ。……あ、でもよく考えたら、楠さんを信用しているのはそんな理由じゃなくて、友達だからだ。だから信用しない方がおかしいんだよ」


「まあ、友達だったら信用するよねー。私みたいな転校生よりも友達の方が断然信用できるしね」


「うん」


「そこで頷くことが出来るのも、きっと若菜ちゃんの影響なんだろうね。やっぱり若菜ちゃんは凄いなぁ」


 しみじみと心の底から感心するように言うけれど、どこか憎らしく思っているような印象を受けた。

 だから僕は聞いてみた。思い切って聞いてみた。


「市丸さんは、楠さんのことが嫌いなの?」


「そんなわけないよー。何失礼なこと言ってるのっ」


 確かに失礼かもしれない。しかし僕にはそれを信じることが出来ない。


「だったらどうして楠さんの悪口を言っているの?」


「悪口なんて言ってないよ」


「どうして楠さんの性格が悪いだなんてこと言ったの」


「それは悪口じゃなくて真実だよね?」


「……」


 僕は本当の楠さんを悪いとは思わないけれどそれは感性の違いでそれを悪いという人もいる。本当の楠さんを知っている市丸さんに対してならなおさらだ。市丸さんと僕で悪いとか悪くないとか言いあうのは水掛け論だ。


「文化祭前まで佐藤君、若菜ちゃんから嫌われていたんだってね? みんなそう言っていたよ。でもそれは別に嫌われていたわけじゃない。みんなそう思っていたかもしれないけど、それは違うよね? それが若菜ちゃんの『真実』だよね? 若菜ちゃんの性格が悪いからみんなにそう見えただけ。私は真実しか言っていないんだからそれを悪口と言われるのは心外だなぁ」


「それでも楠さんは隠そうとしているんだから僕らがそれをばらすのはいけないことだと思う」


 誰にだって秘密がある。言いたくないから隠しているんだから言っちゃだめだ。小学生だってわかる。


「本当にそうかな?」


 だが市丸さんはそう思っていないらしい。


「え?」


 当然のことだと思っていたけれど別の考え方があるようだ。


「いい人を演じている若菜ちゃんは本当に幸せなのかな。自分じゃない自分を演じていて本当に幸せなのかな。私はそうは思わないなぁ。友達が少なくなったって、本当の自分を受け入れてくれる友達を作った方が私は楽しいと思うけど佐藤君はどう思う? 今のままじゃあストレス溜まって早く死んじゃいそうな気がしない?」


 確かに、楠さんはよくストレスを発散しに山に登っていた。偽って生きるのは疲れることだと思う。


「でもそれを決めるのは楠さんで、僕たちが勝手に言いふらしてもいい事じゃないと思う。選ぶのは本人だよ」


「そうかもしれないね。でも私は良かれと思ってやっていることだからさ、やめないよ」


「え……、そんな――」


「そもそも。そもそも佐藤君に変われと言ったのだって若菜ちゃんの『勝手』でしょ? 佐藤君が本当に望んでいたかどうかわからないのに、若菜ちゃんはそれを押し付けたんでしょ? その結果、佐藤君にとってプラスになった。だったら私が『勝手』に若菜ちゃんの為を想ってしている行動もプラスになるはず。そう思わない?」


「……あまり、思わない……かも……」


「そう?」


「何よりも楠さん自身が望んでいないのだから。僕は変わりたいって思ったから」


「そっか。じゃあじゃあ、佐藤君さ。ちょっと聞きたいんだけどさ。動画を撮ろうと言い出したのって、佐藤君だよね? 佐藤君が自分で考えて始めたことだよね?」


 今話していることと何か関係しているのだろうかと思ったが素直に答えてみる。


「うん。厳密には、違うけど」


 最初に言いだしたのは小嶋君で、僕がそのアイデアを奪ったような感じ。


「佐藤君が自分で考えて始まったこのイベントだけど、成功していると思う?」


「え?」


「これは一体誰が望んでいるのかなぁ……。若菜ちゃん? 有野さん? 小嶋君? ひょっとして、誰も望んでいないんじゃない?」


「……そ、そうかもしれないけど、少なくとも僕は望んでいることだよ。僕がやりたくてやっていることだよ」


「本当に、そうかな?」


「え、え?」


 思いもよらない言葉に頭が固まる。目がちかちかするような感覚にめまいがした。


「佐藤君、本当に望んでる? 佐藤君、無理してない?」


「無理なんてしてないよ……?」


 しているはずがないよ。


「この動画研究会ってさ、何を目的に発足したのかな?」


「動画を、撮る為に……。僕がみんなと何かをやりたいなって思ったから……」


 それに、みんなが仲良くなれればいいなと思ってやり始めたことだ。


「みんなと何かをやりたい、か。それはいいことだね。きっと楽しいと思うよ。うん、とっても楽しい。多分それが目的なんだよね? 楽しければ、みんな離れて行かないもんね?」


「……え?」


「佐藤君は『自分といれば楽しい事があるよ』ってみんなに教えたいんだよね。友達が離れて行かないように頑張って積極的に『巻き込もう』としているんだよね」


「…………」


 なんで僕は何も言えないのか。『そうかもしれないね』と軽く言えばいいじゃないか。


「みんなのことが好きだけど、みんなが自分のことを好きかどうかは分からない。だからみんなから好かれるためにイベント事を計画してみんなに楽しんでもらおうとしているってことなんじゃないの? もしかしたら、みんなで一緒に一つの物を作るという『縛り』を作って自分から離れて行かないようにしたのかな?」


「……」


 そんなこと、無い……と、思う……。


「『楽しい佐藤君』を『演じる』のは疲れない? ねえ佐藤君。ねえねえ佐藤君。佐藤君が演じる『佐藤君』を好きになった友達は、本当に佐藤君のことが好きなのかなぁ……。私は、そう思わないよ」


「……僕は、そんなつもりでみんなを誘ったんじゃあ……ないよ……」


 やっと出てきた言葉も弱弱しくて、否定をするには頼りない。まるで僕自身知らなかった気付いていなかった図星をつかれてしまったかのようだ。


「本当にホント? ホントに本当? 今楽しい? ストレス溜まってない?」


「……楽しい、はず……」


 楽しいよ。ストレスが溜まるようなことは一切ない……はず。


「泣かないで佐藤君! 誰も佐藤君を責めてなんかいないから!」


 泣いてなんかいない……はず。


「同じように、ううん、佐藤君以上に自分を偽っている若菜ちゃんは、本当に幸せなのかな」


「……それは、僕らには分からないよ。幸せかもしれないし幸せじゃないかもしれない」


「そう? 何となく分かるような気がしない? 幸せになれそうにないなって」


「分からないよ……」


「だから、みんなに教えちゃおうよ。若菜ちゃんの『本当を』。私たちで、偽らなくてもいい状況を作ってあげようよ」


「……それは……」


 ちょっとだけ考えてみる。

 本当に、ちょっとだけ。


「やっぱりそれはいい事じゃないよ。演じないで幸せになれるのならそれが一番いいとは思うけど、楠さんはそれを望んでいないから」


「友達の為になるのなら嫌われてでも何かをすべきだとは思わない?」


「ううん。僕は嫌われたくないから」


「……」


 何に驚いたのか市丸さんがポカンと僕を見る。

 どうすればいいのか分からずポカンと仕返していると、市丸さんはすぐに表情を崩しコロコロと笑い出した。


「あはは。確かにそうだね。佐藤君は事なかれ主義なんだもんね。まさか後ろ向き発言で納得させられるとは思わなかったなぁ。佐藤君面白いね。佐藤君には手伝って貰いたかったんだけど無理みたいだねぇ。これからは敵ということだね」


「敵、とか、そういうのは無いよ」


「うんうん、そうだね」


 にこにこしている市丸さん。ふと気が付いたけれど、僕は放課後可愛い女の子と近い距離で向かい合って話しているんだね。誰かに見られたら勘違いされてしまいそうだ。


「佐藤君本当に可愛いっ」


「うわっ?!」


 スキンシップの激しい人なのか、いきなり抱きつかれてしまった! 誰かに見られたら間違いなく勘違いされる!


「ななな何をしているのですか?!」


「いやぁ、あまりにも可愛すぎて思わず抱き付いちゃったよ」


「理由はどうあれ離れてもらっていいですか?!」


「ええー? 柔らかくて気持ちいいでしょ?」


「そうかもしれないけどむしろそうだから早く離れて!」


「仕方がないなぁ」


 声のトーンはしぶしぶといったものだが割とあっさり離れてくれた。よかった。心臓が過労死するところだった。


「それじゃあ佐藤君。楽しく可愛い佐藤君。志は違うけれど、お互い若菜ちゃんを想う仲間として若菜ちゃんを支えてあげよう」


「僕なんかが支えるなんて偉そうな事言えないけど、何があろうと味方であり続けるよ」


「若菜ちゃんがどう思っているのか分からないけど、いい友達を持ったね」


「え、あ、うん」


 最後に真意のよく分からない言葉を残して市丸さんが僕の目の前からいなくなった。

 一人残された僕は階段に腰を下ろしてドキドキが治まるのを待とうと思っていたけれど、何故かその場にいて僕らの様子を見ていたらしい雛ちゃんに怒られてしまいドキドキを治めるどころかそれを加速させることになってしまった。

もう本当、『心肺』停止しないかどうか『心配』だ。

 …………。

 やっぱり僕にはセンスが無い。


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