姉ぱわー
五時間目、六時間目、七時間目と時間は過ぎていく。もう放課後だ。
副会長を説得する方法は相変わらず思いつかず刻限が迫ってくる。三時間それだけを考えても何の糸口も掴めない。それはみんな同じようで明るい顔をしている人は誰一人として教室にいない。
土曜日が近づくにつれみんなの気持ちは諦めに向かっていく。
僕に恨みを向けることも飽きてしまったのかみんながみんな無気力だった。何人かは飾りやウェイトレスの服をいじったりしており僅かな希望を捨ててはいないようだが、その希望も指先だけにかかる微かで不確かな物のようで絶望間近の雰囲気で準備を続けていた。
僕のせいだなどと落ち込む時間は無い。
今考えるべきことは説得の方法のみ。晩御飯の献立や月末にあるテストのことも今は捨て置く。
ただひたすらに閉ざされた思考から這いだせるような活路を見出さなければならない。
何かがあれば。
取っ手さえ見つかればなんとしてでもそれを開くのに。
……気になる物はある。
今朝から感じている違和感が、何かヒントのような。
むしり取るべき芽は病巣にまで根を張っている気がする。
何の確証もないけれど、この違和感の正体さえわかれば副会長の目的も分かるはずだ。
そうすればきっと、扉が開くはず。
違和感の根にがんじがらめに絡みとられた思考を塞ぐ病巣の扉。
もう少し。
あと一滴。
違和感を大きく育てる肥料が欲しい。
「……佐藤君」
「あ、三田さん……」
三田さんが心配そうに僕の側に来てくれた。
三田さんの後ろに広がる教室を見てみるとほとんどのクラスメイトは帰っていた。考え込んでいたせいで気が付かなかった。みんな諦めたのか、もしくは部活動の催す企画を手伝いに行ったのか。
部活で何かをするつもりの人はまだいいけれど、僕のように部活に所属していない生徒や部活では何も開かない生徒はクラスの出し物を楽しみにしているんだ。中止なんて嫌に決まっている。
「……その、何とかなりそう?」
クラスの出し物のみに集中しているグループの一人である三田さんも気になるようだ。それ以前に家族が関係している問題なので気になっているのかもしれないけれど。
「ううん……。でも大丈夫。何とかして見せるから。何とかしなくちゃいけないから」
「……うん」
三田さんが空いていた僕の隣の席に座った。
「……なんだか、迷惑をかけてごめんね……」
僕の方を向いて座り、小さく頭を下げてきた。
「迷惑なんて、そんな。三田さんが謝ることじゃないよ」
「……でも、私のせいだから……」
床を見つめたまま体を起こす。
「違うよ。絶対に違う」
三田さんが落ち込む必要はない。三田さんを落ち込ませないために僕はクラスのみんなに解決を申し出たのだから。
責められるのは僕だけでいい。三田さんが責任を押し付けられて責められるのなんて見たくない。責められるとしたら僕だけでいいんだ。
しかし、できる事ならば責められたくはないので、責められるわけにはいかないので三田さんに色々と話を聞く。
「家での副会長はどんな感じ?」
「……家では、普通。いつも通り」
「三田さんも副会長に発言の撤回を頼んだんだよね。どういう反応だった?」
「…………。ひとこと、「大丈夫」って……」
大丈夫じゃないよ……。みんな困っているよ。
「うーん……」
家での様子を聞いても何もわからない。
「……説得って、難しいよね……。姉さんを説得できなかったら、佐藤君は原因を作った私を責める……?」
何を言っているのだろう。
「三田さんは原因を作った人じゃないから三田さんは責めないよ。それに、誰に責任があろうと責めるつもりはないよ。でも多分、失敗したら副会長のことは許せないだろうけど……」
「姉さんは、いい人だから……できれば嫌わないでほしい……」
「……うん」
誰も望んでいない自分のわがままを貫き通すその覚悟は凄いけど、そんな周りの迷惑を考えない人はいい人だと言えるのだろうか。
いい人。
いい人って、何だろう。
三田さんにとってはという事かな。
三田さんにとってはいい人、いい姉。
嫌なことをされているのにいい人だと言える三田さん。
僕もつい最近姉に嫌なことをされたけれど、僕はいい姉だなんて思えなかった。いくら僕の為を想ってやったことだとはいえとても受け入れられるものではなかった。嫌いだとさえ思った。
しかし三田さんは心が広いのかいい人だと言える。副会長を庇える優しさを持っている。
自分が原因だと思っているせいなのかもしれない。副会長は悪くないと思っているのかもしれない。
どちらにせよ僕には真似できない優しさだ。
しばらく話した後、三田さんが帰って行った。
三田さんが帰ってすぐにもう一度副会長に怒られて、一年六組の教室にいた楠さん雛ちゃんと少し言葉を交わして僕は家に帰った。
結局なにをすればいいのか分からない。
どうすればいいのか。
さっぱりだ。
しかし、何をすべきなのかは分からないけれど違和感はある。
放課後もその違和感を感じた。
その違和感は最早形となって僕の前に置かれているような気がするけれど、僕にはよく見えない。もしかしたら無意識のうちに目を塞いでいるのかもしれない。
ひょっとしたら僕の知りたくないことなのかも。
それでもきっと知らなければならないんだ。
「優大君何を落ち込んでいるの?」
「お姉ちゃんこそなんで僕の部屋にいるの?」
ずっと見て見ぬふりしていたけれど我が姉は勝手に僕の部屋に入って勝手に僕のパソコンを使っていた。
僕が家に帰ってきて居間で少し休んでから部屋に入った時にはすでパソコンの前に座っていたので結構長い間ここにいたのだろう。
「もしかしてパソコン壊れたの?」
それならば仕方がないけれど。
「まさか。私のパソコンが壊れていたら優大君のパソコンも壊してるよ」
「道連れとかやめてよ」
「うるさい! なら素直にエロ画像の場所を言うんだ!」
僕に背を向けマウスを素早く動かす。
楠さんにしろお姉ちゃんにしろなんで僕のパソコンを触る人はえっちな画像を探すんだろう。
「隠しフォルダか?! それともフォルダ名を偽装しているのか?! これか! 新しいフォルダ(5)か!?」
新しいフォルダが多すぎてそれの中身がなんなのか分からないけれど違うよ。無いよ。
「ん? これは何かな?」
「え?」
何か気になるファイルを見つけたようでそれをダブルクリックしていた。
どうやら動画だったらしく何か聞こえてきた。一体何の動画だろう。
「…………………………優大君、筋肉ムキムキの男が好きだったんだ」
「消すの忘れてた!」
楠さんがダウンロードした動画だ! そのまま放置してた!
「ドン引き」
ジト目の姉。
「世の中には色々な趣味の人がいるんだからそういう事言っちゃだめだよ! でも僕は違うからね?! 本当に違うからね?!」
でもそんな言い訳をしたらそう言う趣味の人を貶すことになってしまうような気もするしそういう趣味は決して悪い事ではないのでそんなことはしたくないのだけれどでも違うと言わなければそう勘違いされてしまうしでもでもこんなことを考えているのも悪い事のような気もするけれどああもうとにかく僕は違うんだよ?!
「もー消す」
僕には必要のない物なので消してくれるのはありがたいことだけど、人の物を平気でいじるのはどうかと思うな。
「優大君、どこにも『お姉ちゃん大好きフォルダ』が見当たらないんだけど」
「そんなのないよ。あるわけないよ」
「なら捨てよ」
パソコン本体に手をかけ持ち上げようとする姉を何とか抑え机から引きはがした。
「はぁ、はぁ……。そ、それで、どうしてここにいるの?」
「それはね、人それぞれ答えが違うんだよ。私にとっての答えもあれば優大君にとっての答えもある。祈君にも祈君の答えがあるし、一言で言い表すことはできないんだよ」
「お姉ちゃん勉強はいいの?」
「なんで無視するかな! せっかくいいこと言ったのに!」
決していいことではなかったよ。むしろ意味が分からないよ。
「私はただの暇つぶしでここにいるだけだよ」
そう言いながら僕の本棚を物色する姉。我が物顔だ。
面白そうな本が無かったのかベッドに腰掛け椅子に座る僕と向かい合った。
「もうコンテストが近いけど優大君は必殺技練習しなくてもいいの?」
「うん。必殺技は禁止だから」
「そっかー。なら私の独壇場になるね」
超秘も禁止にしたはずなのに。
コンテスト、文化祭……。
三田さんのお姉さんは妹に文化祭を楽しんでもらいたいとは思わないのかな……。
参考になるのかどうかは分からないけれど姉という事でお姉ちゃんに色々と聞いてみよう。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
子供の様に足をパタパタとさせているお姉ちゃん。
「お姉ちゃんは、僕が、その、振られたら、どうする?」
「笑う。ざまぁみろって笑ってあげる。え、なに? 振られたの? ざまあみろ!」
口を手で隠し本当に気持ちよさそうに笑っている。酷いや。
「その、それ以外には特にない?」
それじゃあ参考になりません。
「えー? うーん、2・1ちゃんねるにスレッドを立ててみようかな。弟が振られて落ち込んでいるからもっと地獄に落としたいって」
「……そ、そう」
不特定多数の人間に僕の恥ずかしいエピソードを教えるんだね。酷過ぎるよ。
「それで安価で『ベッドの中で慰める』って言わせるように誘導して優大君を襲う」
「やめてください。本当に」
「安価は絶対なんだよ。恨むならどこの誰かもわからない名無しさんを恨むんだね」
僕が誰かに振られた時絶対にお姉ちゃんには言わないようにしよう。
「どうしてそう言うこと聞くの?」
「え、あ、なんでもないよ」
「近ごろ元気ないけど何か関係あるの?」
「……無いよ」
「優大君は嘘が下手だからね。何か隠そうとするときとっさに言葉が出てこないんだよね」
知らなかった。間を作ったらダメらしい。嘘だとばれてしまうようだ。
「そんなこと、ないよ」
否定するが姉には確信があるらしい。
「お姉ちゃんに相談してみなさい」
事情を聞いてくる。
心配させたくない。それにお姉ちゃんにはどうしようもない僕らの事だし。
「……ううん。大丈夫だから心配しないで」
「一瞬間があったから大丈夫じゃないんだね。早く早く。解決して恩を着せるから」
相談しない方がよさそうだ。
「なんてことは無いよ。最近落ち込んでいるように見えるのは文化祭が近づいていて緊張しているだけだから」
「文化祭で緊張? なんで」
「コンテストとか、お店とかあるし」
「ふーん。お店の方は順調?」
「……うん」
「お店順調じゃないんだ」
またばれた。
どうやら、本当に僕は嘘が下手なようだ。
「なんで? 一体誰のせい? 金髪? 超絶可愛い子? 祈君?」
「僕のせいだよ」
「くそう! 祈君め!」
「え?! 僕のせいだって!」
「優大君の言う自分のせいは当てにならないから。自分が一番の悪者になっとけばいいって思っているだけでしょ。捜査をかく乱するのはやめて欲しいよ全く……」
かく乱なんかしていない。
「違うよ。本当に僕のせいなんだ」
「少しでも自分に原因があるから自分のせいなんだ、と思うのは間違っているよ。楽なのかもしれないけど大間違い。本当に責めるべきは一番の原因になった人。それが誰なのかはっきりさせなかったら何も解決しないよ。当然だよね。だから何でもかんでも自分が悪いって思う優大君には何も解決できない。ぷぷ」
「……」
そうなのかもしれない。いや、そうなんだ。誰が本当の本当に原因なのかを見極めなければいけないんだ。
「名前は聞かないからどういう状況か言ってごらん。本当は誰が悪いのか私が教えてあげる」
「……いいよ……自分で考えるから」
自分で考えなければいけない事だし何より詳しく話したくない。しかしお姉ちゃんはどうしても聞きたいらしい。
「言わないのなら金髪に聞きに行く」
「え、でも、お姉ちゃん雛ちゃんの事……」
「嫌いだよ。でも弟の為ならそんなの我慢できるよ。それが姉ってもんだ」
「……」
こんな所でも例の違和感を見つけた。
どうして家でも感じてしまうのだろう……。
気になるけれど今はいいや。
「じゃあちょっとお姉ちゃんは金髪に超秘をぶちかましに行ってきます」
「ちょっと待って?! 目的全然違うから! 事情を聞きに行くんじゃないの?!」
「うるさい! 進化した超秘で家ごと木端微塵にするんだ!」
「どんな爆薬を爆発させるつもりなの?! 超秘強すぎるよ! 本当にやめて!」
「なにー?! 口答えするつもり?! ならあの一家の前に優大君をひき肉にしてやる!」
そう言って僕に飛びかかってきた。とっさに椅子から立ち上がり扉の方へ走って逃げ出そうとしたけれどあっけなくつかまり馬乗り状態で背中に乗られ床に押さえつけられる。
「超必殺! 肩甲骨パンチ!」
肩甲骨を中心に殴られる。結構痛い!
「や、やめて! 痛い!」
「君がッ死ぬまで殴るのを――」
「それ普通に殴殺だよ!」
泣くまでで我慢してください。
「ねえ、優大君」
突然拳を収め優しく聞いてくる。
「え、なに? どうしたの?」
「今日の晩ごはんはハンバーグがいいな」
「……うん」
この状況でご飯の注文を付ける姉に驚きながらも、この破天荒な明るさに触れて、姉の優しさに触れて、かなり元気が出た僕だった。
お姉ちゃんはやっぱりすごいや。
そして木曜日になった。
危険度で言えばイエロー。準備する時間の事を考えたら今日中に許可を取らなければかなり危うくなる。飾り付けはあまり時間がかからないもののあんこ作りは結構時間を取られてしまうので最低でも半日は準備に使いたい。
しかしながら金曜日もぎりぎりレッドラインで本当の意味でアウトになってしまうのは土曜日の文化祭当日だろう。
金曜日の放課後までに何とかすれば徹夜でもなんでもして準備を整えることはできる。
だから僕に許された時間は今日と明日。
まだ二日あるんだ……と言いたいところだけれどバタバタ準備をするのはいい事とは思えないので、甘い考えは捨てて解決のリミットは今日なのだと肝に銘じて絶対に今日何とかしよう。
クラスメイトの為だなんて大きなことは言わない。
ただ友達の為に。
僕はやるんだ。
「三田さん、おはよう」
登校してすぐ、机を凝視していた三田さんに声をかけた。
「……おはよう……」
なんでもいいから糸口を掴むために三田さんから情報を聞く。
「副会長、撤回するとか言ってない……?」
「……言ってないよ……。ごめんね、説得できなくて……」
力なく首を振る三田さん。
「え、あ、ううん。僕が解決しなくちゃいけない事だから。責めるつもりは無かったんだ。ゴメンね」
「……でも、私の問題だから……」
「ううん。僕らの問題だよ」
「……うん」
「その、それで、なにか解決のヒントが欲しいなって思うんだけど、何か気になることとか、無いかな。僕が土下座をすればいいとつぶやいていたとか、僕が丸坊主にすれば許してやるとか」
僕にできる事ならば何でもしたい。僕にできる事、ならば。
「そんなことはつぶやいていないよ……。それに多分、姉さんは佐藤君に対して怒っていないと思うし……」
「え。でも実際僕を許さないって言っていたよ」
それは怒っているということのはず。
「……ごめんね……」
何故か謝られた。
「え、あ、ううん。僕こそ、その、色々とゴメンなさい……」
色々と、傷つけてしまってごめんなさい。
「謝らないで。仕方の、ない事だったんだから」
どうやら、僕が『色々』に込めた意味を三田さんは感じ取ったようだ。
「……うん」
ごめんね。
そのことを思い出しても、三田さんは笑顔を作った。
「それに、こうやって普通に話せるみたいだし、私達はまだ友達だよね……?」
「うん。それは当然だよ」
「……そうだよね」
三田さんの笑顔。
しかしすぐに表情が曇る。
「ごめんね、佐藤君……」
また謝られた。
「どうして謝るの?」
「……私のせいだから……。ごめんね」
「三田さんが謝ることじゃないよ。三田さんは悪くない」
「……でも……」
「謝らないで」
「……」
うんと頷いてはくれなかった。
どうやら、三田さんは本気で自分が悪いと思っているらしい。
自分が原因でお姉さんは喫茶店潰しをしていると。誰も喜ばない好意を、ひたすらに。
誰が悪いのかはっきりさせろと昨日僕の部屋でお姉ちゃんは言っていた。
今回悪いのは、誰なのかな。いや、悪いなんて言葉はあまり使いたくないので、原因だ。
誰が原因なのだろう。
僕なのか、三田さんなのか、副会長なのか、会長なのか、先生たちなのか。
僕が三田さんの告白を断って、副会長がそれの仕返しをして、会長がそれを認めて、先生たちが最終決定をした。
最初に来るのは僕なので僕が原因なのだと思っていたけれど、そう思うのが一番手っ取り早いけれど、その考えは間違っているのだと気付いた。
僕が断ったことが原因なのだとしてしまったら、断らずに付き合っておけばよかっただなんてふざけた答えが出てしまう。
付き合っても幸せにできないのにとりあえず付き合うなんてことは間違っていると前橋さんに言ったのに、自分でもそんな考えを持ってしまうなんて僕は愚かだ。
だから、あまり大きな声では言えないけれど、僕が原因ではないんだ。そう信じたいというのもある。
なら、いったい誰なのか。
もう少しで分かりそうだ。