判断基準
「競馬は血統が全てだ」という持論の男は馬券をよく当てていた。
「この配合だと距離はマイルまでのスピード重視だ」男の講釈は競馬仲間の間でも有名であった。
そんなある土曜日、妻が外出から帰ってきた。
「今日、友達が馬券を買うというものだから、私も勧められるままに買ったのよ。明日、大きなレースがあるらしいわね。どうこれ、当たるかしら」妻はバックから馬券を取り出した。
男はチラッと見るなり、血相を変えて怒鳴った。「何を買っているんだ。そんな血統の悪い馬が明日の『T賞』に勝てるわけ、ないじゃないか。買うときは俺に相談しろよ。その馬の適性距離は一ハロン短いんだよ。短距離専門だよ」男は競馬新聞を丸めて食卓を叩いた。
「ごめんなさい」妻は男の余りの怒りに、ただ謝るだけだった。
「教えてやる。勝つのは3番か7番だ。それ以外にはない」男はあごを突き上げ言い切った。
翌日のレースは男の予想通り、馬連3‐7になり、妻が買った馬はゴール前で失速した。
「やはり、あなたの言う通りなったわね。いい勉強になったわ」妻は何度もうなずきながら言った。
「何だかんだと言っても、血統が判断基準、全てなんだよ」男は諭すように、胸を張って言った。
ある休日、隣町で働いている一人息子の光一が帰ってきた。
「久しぶりね。仕事は順調?」妻が笑いながら迎えた。
「ああ、ようやく職場にも慣れてきたよ。僕が家を出てから半年だけど変わりない?」
「お父さんなんか、毎日、お前の話しをしているわ。きっと寂しいのよ」
「バカ言うな。寂しいわけないだろ」競馬新聞を見ていた男は笑いながら、口を挟んだ。
「そうだろうと思って、今日は犬をもらってきたんだ。おかあさん、以前、犬を飼いたいって、言っていたよね。車にいるから取ってくるよ」と言って、光一は玄関から出ていった。
「あの子、案外優しいところがあるわね」妻が玄関を見ながら言った。
「ああそうだな。でも、血統の悪い雑種なら絶対に飼わないぞ」男はつぶやいた。
「これだよ。同級生の鈴木のとこの犬が子供を産んだんだ」光一が品の良さそうなミニチュアダックスフンドを抱いて入って来た。
「鈴木君って、あの大豪邸の」妻が尋ねた。
「ああ、そうだよ」光一が軽くうなずいた。
「あの家の犬の子供なら血統もいいだろうな」男は新聞を置いて、両手を差し出した。
「いいどころじゃないよ。ちょっとやそっとでは手に入らない血統らしいよ。血統書ももらっておこうか」
「もらえるのならお願いしてみてくれ」男は犬に頬擦りをしながら言った。
数ヶ月後の休日、インターホンが鳴った。
「何だ。急に来て、お母さんは今いないぞ」男は玄関を開け、光一の顔を見るなり言った。
「知っているよ」光一が意味ありげに微笑んだ。
光一の側には女性が立っていた。
「かわいい子だ。俺のタイプじゃないか」男は思わず微笑んだ。
「お父さん、紹介します。由香さんです。僕たち結婚したいのですが」光一は頭を下げた。
「お願いします」由香も頭を下げた。
「来て、いきなりなんだ。お前たちも子供じゃないんだから、お前たちがいいと決めたんならそれでいい」男は由香のさらりと垂れた髪を見ながら言った。
「本当にいいの。ありがとう」光一も由香も男の手を握って、飛び跳ねた。
「まあ、上がれよ」男の顔は崩れっぱなしだった。
由香は話しもうまく、男は心から気に入った。
「お前にはもったいないぞ。よく見つけたなこんないい子を。容姿も性格も良いと思うよ。天は二物を与えているよ」男は本心から言った。
「そんなことはありません」由香は頬をピンクに染めて、下を向いた。
「パーフェクトだ」男は震えるくらいの感動を覚えた。
「結婚認めてくれてありがとう」光一と由香は何度もお辞儀をして、飛び跳ねるように帰って行った。
夕方、妻が帰ってきた。
「あなた、何をニヤニヤしているの。気持ち悪い」
「光一が由香という女性を連れてきた。これがかわいい子ですっかり気に入ったよ」
「あの子が来たの。それで何と言ったの」妻は急に表情がこわばった。
「結婚したいというから、お前たちも子供じゃないんだから自分でいいと思うのならいいぞと、言ってやった。どうだ見直したか」男は由香を思い出し、目尻が下がった。
「いいって言ったんですか」妻は目を広げ、強い口調で言った。
「ああ……」男は妻の予想外の反応に言葉が続かなかった。
「本当に言ったんですか。由香さんのお父さんはアル中の暴力亭主で、働かないものだから、お母さんは離婚して由香さんを水商売で育てたんですよ。母一人子一人、そのお母さんも今ではアル中で仕事もできず、由香さんの稼ぎを当てにしているんですよ」
「お前知っていたのか」
「ええ、光一が会うだけでも、会ってみてくれと言うもんだから、由香さんとおかあさんに会いにいきましたよ。おかあさんは見るからに品がなく、感じの悪い人で、タバコを吸い続けるし、アル中のせいか、手も震えていましたよ。それで、私は、光一に、あんな親の娘は話しにならない。私が千歩譲っていいと言っても、お父さんが絶対に許しませんよと言ったんです。まさか、私の居ない時にいきなり連れて来て、しかも、あなたが許すとは」妻は窓の外を眺めながら言った。
「それであんなに喜んだのか」男はつぶやいた。
「あんたバカじゃない。あれだけ血統、血筋と言っているのに。孫の血統は考えないの」妻が振り向いて、怒鳴り声を上げた。
「……」男は顔を上げられなかった。
「私は絶対に反対ですよ」妻の甲高い声が家中に響いた。
「由香ちゃん、かわいかったんだもの。俺が結婚したいよ」男は心の中でつぶやいた。
みなさんが自らの判断基準を持っています。それはあくまで冷静な時の判断基準です。感情が入ると考えが変わることもあります。物事や人に接する前、感情がない時に判断する必要があるかもしれません。




