第一話 手 (1/3)
自分で言うのもなんだけれど、私は他人の気持ちをよく考えられる方だ。
それは家庭環境から得た、後天性のスキルのようなものなのだと思っていた。
だけど最近は――
「ちょっと青っ。私の洋服ケースに、パパの靴下が混ざってたんだけど!」
それだけじゃないのかもしれないと、感じるようになってきたのである。
「ごめん……気を付けるね……」
「青ねーちゃ~ん! 今日のご飯って何っ?」
「真白」
私は野月青、中学二年生の14歳。
こうして6歳離れたヒステリー気味の姉と、元気でまだまだ甘えたい盛りな小学三年生の弟、真白。そして勤労な父とで四人暮らしをしている。
母は居ない。一昨年の7月に一応、他界したから。
命日である翌月の20日には、3回忌を予定している。
「よいしょっと。青ねーちゃんっ。今日の夜ご飯は?」
「ん? 今日はねぇ、真白が大好きなカレーライスにしたよ」
「やったぁ! あっ」
真白は私の膝の上から飛び退いた拍子に、畳み終えたタオルの山を倒してしまった。
「大丈夫。ほら、出来上がり」
一瞬だけ不安そうな表情になった真白だが、私が気にしていない素ぶりを見せるとすぐに笑顔になった。
全然いいのに。真白はそういうところがある。
でも母が他界したばかりの頃に比べてみれば、真白は随分と調子を取り戻していた。今だって学院の友達と遊んで帰ってきたくらいである。
父は私たちを養うために仕事の毎日だし、姉もあの調子だから、家庭では私が真白の喪失感を埋めてあげなければ。頑張るぞ。
私が洗濯物を全て仕舞い終えリビングに戻ってくると、真白が算数のワークと筆箱を脇に抱えやって来た。
「青ねーちゃん、一緒に宿題やろ?」
「うん、いいよ。自分から進んでするなんてえらいねぇ」
「えへへ」
和室の大きなテーブルに英語の宿題を広げていると、真白がぴったり私の横にくっついて座った。
「真白。ちゃんと自分の宿題の前に座らないと肘が当たっちゃうし、やりにくいよ?」
「えへへ。僕ねぇ、青ねーちゃんと結婚するんだ」
「えっ」
真白はぽかんとする私を仰ぎ見て、にこにこと笑った。
これってきっと、母親に対して言うあれだよね。
私は少し迷ったが、お姉ちゃんとは結婚ができないものだと優しく指摘しておく。けれど真白は私の話を聞いていないのか、決めたと声を弾ませ、宿題に取り掛かり始めた。
まぁじきに反抗期が来るわけだし、こんな可愛らしい発言は今だけだろう。
とはいえ、真白にとって家事全般をこなしている私は、やはり母のポジションなのだろうなと、改めて感じたのだった。
「疲れたー!」
「頑張ったねぇ真白」
「えへへ。ねぇ青ねーちゃん、なんか食べたい。僕、お腹空いた!」
「え。もうすぐご飯だよ?」
友達と遊びに行く時は、持参したお菓子を食べてきているはずだ。けれど、それでもまぁお腹は空くよね……そうだ。
「バナナ買って来たんだった。それ食べたら、あとはご飯ね? 真白が好きなカレーライスだぞ?」
「うんわかった! ありがとう!」
私が冷蔵庫からもぎ取ってきたバナナを受け取り、真白は美味しそうにバナナを食べる。そんな真白へ、夕飯を作って来ると断り、私は再びキッチンへと向かった。
キッチンに着くと、2階の部屋に戻っていた姉も入ってきて、私にもう夕飯作っていいよと言った。姉もお腹が空いているらしい。私は真白にしたように、バナナあるよと返した。
「えっ、バナナ食べられてる! ちょっと誰っ、私のバナナ食べたの!?」
姉は冷蔵庫の中を見て驚く。結構な大きさの声だった。
確かに姉から頼まれて買って来たバナナだけど……。
私は姉の目を盗み、振り返って和室に居る真白を窺い見てみると、離れたここからでもバナナをくわえながら、その表情を曇らせていく様子が見て取れた。
ここで私が食べたと言えば、真白が飛んできて姉と口論になるだろう。私は自分が真白にあげたのだと、正直に姉へと話した。すると姉はさらに気色ばむ。
「じゃあ買い直してきて! 今!」
「ええっ、今?」
まだバナナ、いっぱいあるじゃん?
そう思ったけど、姉は気に入らない事に対してとても執着心が強い。
血を昇らせる姉と打って変わって、私の頭は冷静になっていた。
今から買いに行くなんてしたくない。それに夕飯を作るのには、どんなに早くても40分かかる。私は姉に自分勝手だったと謝り、買い物に出かけると夕飯が二時間後になってしまうけど良いのかと訊ねてみた。もちろん返事はNO。だよね。お腹が空いてるもんね。
私は何とかその場を取り繕い、大事そうに房ごとバナナを抱えながら背中を丸める姉を見送った。
「はぁ……今日も視えちゃったな……」
姉に集る、小さな黒い丸。あれってやっぱり、あの事に関係しているのかな。それとも……って、気にしている場合じゃない。真白がお腹を空かせている。ご飯だ、ご飯。
「さ。カレーライス作るぞ!」
左肩に圧し掛かる、下へと押し込むような鈍い痛み。私はそれを無視して、料理の支度に取りかかった。




