第4話 ラヴェンドラの願い
「起き上がれるか」
声をかけると、ラヴェンドラは少しだけ体を揺らし、ゆっくりと上体を起こした。
「はい。ありがとうございます。ここは……どこでしょうか?」
紙のように白かった顔には朱色が戻り、受け答えもはっきりしている。
「良かった。倒れた時は正直どうなるかと思ったよ。ダンジョンマスターの力で作った家だよ」
「倒れてしまったのですね……申し訳ございません。魔王様の前で醜態をさらしてしまうとは……」
「気にするな。何か食べられそうか」
三日間も眠りつづけていたのだ、胃の中は空っぽだろう。
「ありがとうございます。実はお腹がペコペコで…」
少し恥ずかしそうなラヴェンドラを連れてリビングに向かった。
向かい合わせにテーブルに座り、その中央に俺と木霊で採ってきた瑞々しい果物を並べた。
「どうぞ召し上がれ」
俺から促された彼女は表情をパッと明るくし、尻尾をパタパタと揺らしながら嬉しそうに目の前の果物を頬張り始めた。
三日間で集めた果物は、満面の笑みのラヴェンドラの口にものすごい勢いで吸い込まれていく。
保存もできるなと思い、結構頑張って大量に集めたのだが……。
「とても美味しかったです! ありがとうございます! 魔王様っ!」
用意した果物はすべてなくなってしまったが、彼女はとても満足そうな顔をしている。
「お、おう。元気になったみたいで俺も嬉しいよ」
この小柄な少女のどこにあんな量の果物が入るのか。
ラヴェンドラは自分のことを竜と言っていたが、胃袋も竜並みなのか?
「私が眠っていた間は魔王様が看病してくださったのですか?」
ラヴェンドラは申し訳なさそうに俺に尋ねてきた。
「まあね。ただ、どちらかと言えば、こいつの力が大きいかな。毎日君にヒーリングをしてくれた。それに果物を集めるのも手伝ってくれたんだ」
「ピッキュ!」
誇らしそうなポーズをした木霊がテーブルの上に踊り出る。
「あなたが助けてくれたのね。ありがとう」
ラヴェンドラにやさしく撫でられ、木霊は嬉しそうに体を揺らしている。
「よければ、なぜ君が倒れたのか教えてくれるかい。君の看病をしている際に偶然見えてしまったんだが、胸元の傷に何か関係しているのか。言いたくなければ話してくれなくても構わないよ」
ラヴェンドラは先ほどとは打って変わって真剣な顔をし、少しうつむいている。
「分かりました。魔王様であれば隠し立てはいたしません」
少しの沈黙の後、ラヴェンドラが重い口を開いた。
「あの日、魔王様に出会う前。私は人間の勇者と戦い、そして敗れたのです」
……勇者。
その言葉が、脳裏に冷たく響いた。
それは希望の象徴であるはずだ。勇者とは巨悪を討ち、竜を屠る英雄だと数多の物語が謳っている。
だが、先ほどまでにこやか食事をしていた眼前の少女がその「討つべき悪」だとは思えない。なぜラヴェンドラは勇者と戦うことになったのだろうか。
衝撃の事実に声を出せないでいる俺を見つめながらラヴェンドラは話を続ける。
「私が魔王様とお会いしたのは、勇者から逃げた結果の果てでした。胸の傷はその時につけられたもの。もし魔王様にお会いしなければ私はあそこで死んでいたかもしれません」
「初めて会った時の君は元気そうに見えたけど、そんなにひどい状態だったのか……」
「お恥ずかしながら、魔王様にお会いできた嬉しさで、なんとか最後の力をふり絞っておりました。しかし、魔王様がダンジョンを生み出した後、しばらくしてわたしの力は尽きました」
俺に出会った時点ですでに瀕死だったと言うのか。途中から顔色が変わってきていたのは感じていたが、まさかそこまでとは……。
「でも、こうしてまた生きて魔王様にお会いできるなんて……。どうか我々をお導きください! 魔王様!」
目元を拭いながら、まっすぐ俺を見つめる彼女の瞳には、底知れない強い決意を感じる。
これほどまでラヴェンドラの心を動かすダンジョンマスターの力とはなんなのか……。
この数日で何もかもが変わってしまい、理解が追いつかない。
魔王と呼ばれても俺には何の実感もない。物語の魔王の様にモンスターを使って人間の国に攻めこみでもすればいいのだろうか。人間である俺にはそんなことをするつもりはない。そもそもこの世界に人間がいるのかすら俺は知らないのだから。
「ラヴェンドラ……驚かずに聞いてくれるか」
ラヴェンドラは小さく頷く。
「俺はこの世界の人間じゃない。違う世界から来たんだ」
「違う世界…」
驚いたようにつぶやくのが聞こえた。
「俺はつい先日まで、ただのサラリーマン……そうだなこの世界で言うとおそらく使用人とかか、だったのが、気が付いたらこの世界に来ていた。ダンジョンシードもその時、いつの間にか持っていたものなんだ」
自分で話しながらサラリーマンだったのが遠い昔に感じた。
「他には何の力も持っていない。今もまだここは夢の世界なんじゃないかと思う時もある。だから俺は魔王なんかじゃないよ」
いくら考えていても答えはでなかった。
会って間もないラヴェンドラに俺が違う世界から来たことを話していいものか迷ったが、これまでの短い時間でも彼女が危険ではないことは分かる。
俺の話を聞いたラヴェンドラは落胆したのか俯いていたが、少しの間をおいてゆっくりと話し始めた。
「違う世界から来たという話はにわかに信じられません。でも、あなたが魔王様ではないとしても、わたしを助けてくれました。わたしの命を救ってくださりました。その御恩には疑いようがありません」
しばらくの沈黙の後、ラヴェンドラが俺に問いかける。
「魔王様はこれからどうされるのですか」
これからか……。そういえばこの世界に来てからそんなことを考える余裕はなかったな。
「そうだな……。俺はこの世界のことをまだ何も知らない。だから、今はこの世界のことを知りたいと思う。どう生きるかはその後に決められればいいと思うよ」
女神ウルズには、元の世界には戻れないと言われている。
それならばこの世界で好きなように生きてみたい。人間がいるなら会いにも行ってみたい。
いきなり魔王になれと言われても俺には荷が重いし、そもそも魔王がなんなのかもわからない。
「まあ、そう言っても俺一人では何もできないから、まずはこのダンジョンで生活できるようにするところからかな」
さすがに俺一人で外を彷徨うのは自殺行為に等しいのではないか。この前の狼の様な化け物が出てきたら対応する手段はない。
俺にダンジョンマスターの力があることは分かったが、この力を理解するためにも、まずはここを拠点に力をつけるべきだ。
「では……。わたしも魔王様とご一緒にこのダンジョンで暮らします!」
俺の回答を聞いた後、しばらく考え込んでいる様子だったラヴェンドラは意を決したように話しだした。
「ダンジョンでお一人で暮らすのは大変でしょうし、身の回りのお世話をする者も必要でしょう。その点わたしがいれば全部解決です!」
ラヴェンドラは顔を紅潮させながら尻尾を揺らしている。
「ラヴェンドラがいてくれれば俺はありがたいが、本当にいいのか?」
「もちろんです!」
「ありがとう。ラヴェンドラがいてくれればとても心強いよ」
ラヴェンドラがいてくれればこの世界のことも色々教えてもらえるだろうし、何よりこんな美少女と一緒にいられるなんて、苦節彼女いない歴年齢の俺には願ってもない幸せだ。
「え、あ、ありがとうございます!」
それまでの重い空気が吹き飛ぶように彼女の顔にパッと大きな笑顔が咲いた。
「一つお願いがあるんだけどいいかな」
「なんでしょう?」
不思議そうにラヴェンドラは小首を傾げた。
「俺のことは魔王様じゃなくて他の呼び方でお願いできないかな。さっきも言ったとおり俺はただの人間だし、いきなり魔王と呼ばれても実感が湧かないんだ」
「ではなんとお呼びしましょう? ご主人様とか?」
呼ばれた瞬間に恥ずかしさで少し動揺してしまった。
「ご主人様は恥ずかしいな」
「うーん……。では、主様では? あ、主上様、それとも旦那様とかもいいかも!?」
ラヴェンドラは満面の笑みで次々と提案してくる。
そんな呼ばれ方をしては、いちいち恥ずかしくてしょうがないのでやめていただきたい。
「名前じゃダメかな。俺の名前は米野緒香瀬。カガセでいいよ」
「え、お、お名前ですか…」
ラヴェンドラは戸惑ったように何度も瞬きを繰り返したが、やがて、おずおずと唇を震わせた。
「カ……カガセ様」
目の前で恥じらいながら俺の名前を呼ぶラヴェンドラのあまりの可愛らしさに、俺は気を失いそうになった。
彼女も恥ずかしさのあまりか顔を覆ってしまっているが、隠しきれない尻尾だけはブンブンと音を立てそうな勢いで激しく左右に揺れている。
「名前でもちょっと恥ずかしいな。ラヴェンドラ、これからよろしく」
「はいっ!カガセ様!」
その日はラヴェンドラの体調も考慮し早めに休むことにした。
気づけば放り出されていたこの異世界だが、ラヴェンドラと一緒なら悪くないのかもしれない。




