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甲殻類アレルギーなのに新鮮なら死なない? 命がけの食事会と崩壊した婚約  作者: 品川太朗


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3/10

第3話:逃走と絶望──「非常識だ」と告げる婚約者

命からがら逃げ帰った美咲。 翌朝、スマホには婚約者からの着信の嵐が。


「心配してくれているのかも?」 そんな淡い期待は、第一声で粉砕されます。


常識が通じない相手との対話は、ここまで消耗するのか。 ハンカチ(または壁を殴るためのクッション)をご用意の上、お読みください。

 タクシーの運転手さんに「お客さん、足元が……」と心配されながら、私は這うようにして自分のマンションへ逃げ帰った。


 オートロックを抜け、玄関の鍵を二重にかけ、チェーンまで掛けてようやく、私はその場に座り込んだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 手の震えが止まらない。

 鏡を見ると、首筋には赤い発疹が浮き出ていた。直接食べてはいなくても、あの空間に充満していた蒸気と、飛び散った破片が肌に触れたせいだ。


 急いでシャワーを浴び、抗アレルギー薬を飲む。

 薬が効いてきても、心臓のバクバクという音だけは、朝まで消えることがなかった。


 ──スマホを見るのが怖かった。


 何十件もの着信履歴。すべて『大野悠真』という名前。

 恐怖で電源を切っていたスマホを、翌朝、恐る恐る起動する。


 ピロン、ピロン、ピロン。


 通知音が連続して鳴る。

 留守番電話のメッセージやLINEが次々と表示される。


 私は心のどこかで、期待していたのかもしれない。

 『大丈夫か?』『ごめん、俺たちが間違っていた』『病院には行ったのか?』

 そんな、人として当たり前の気遣いの言葉を。


 けれど、画面に表示された最新のメッセージは、私の淡い期待を粉々に粉砕した。


『昨日の態度は何だ? 社会人として非常識にも程があるぞ』


 ……え?


 私の目がおかしくなったのだろうか。

 「非常識」? 誰が? 私が?


 呆然としていると、スマホが震えた。悠真からの電話だ。

 私は深呼吸をして、通話ボタンを押した。


「……もしもし」


『おい美咲! やっと出たな!』


 受話器の向こうから、怒鳴り声が響いた。心配の欠片もない、純度100%の怒りだ。


『お前、自分が何したかわかってるのか!? 挨拶の席で暴れて、母さんたちに失礼なこと言って、裸足で逃げ出すなんて……俺、恥ずかしくて顔から火が出るかと思ったよ!』


「……悠真さん。私、殺されかけたのよ?」


 私が低い声で遮ると、彼は鼻で笑った。


『まだそんなこと言ってるのか? アレルギーなんて気の持ちようだ、って母さんも言ってるだろ。実際、昨日のカニは朝獲れで、特別なルートで仕入れた……』


「新鮮なら死なない、なんて医学的根拠はないの! アナフィラキシーは最悪の場合、呼吸困難で死に至るの! 昨日も発作が出かけてたの、見てなかったの!?」


 叫ぶように訴える。

 けれど、壁に向かって話しているような無力感が私を襲う。


『大げさなんだよ、お前は!』


 悠真がさらに大きな声で怒鳴り返してきた。


『母さんが夜中まで泣いてたんだぞ! 「せっかく美咲ちゃんのために準備したのに、あんなひどいことされるなんて」って。姉ちゃんも「あの子は情緒不安定なんじゃないか」って心配してる。俺の家族を傷つけて、お前、何とも思わないのか?』


 プツン。


 私の中で、何かが完全に切れた音がした。


 この人は、私の命よりも、母親の涙の方が重いのだ。

 私が呼吸困難になろうが、肌が腫れ上がろうが、母親が「悲しい」と言えば、私が悪人になるのだ。


 ──ああ、無理だ。

 この人と家族になるということは、私が死ぬまでこの「殺人未遂」に付き合わされるということだ。


「……もういいわ」


『あ? なんだよ、謝る気になったか? 今すぐ実家に来て、土下座して謝罪するなら……』


「婚約、解消しましょう」


 私の言葉に、電話の向こうで息を呑む気配がした。


『は……? お前、何様で……』


「私の命を守ってくれない人とは結婚できません。さようなら」


 電話を切ろうとしたその時、悠真が冷ややかな声で言った。


『……そうかよ。こっちから願い下げだ。親の好意を踏みにじるような女、うちの敷居は跨がせない』


「それは良かったです」


『ただな、会社には覚悟して来いよ? お前みたいな非常識な人間、俺が上司に報告してやるからな』


 一方的に電話が切れた。

 ツー、ツー、という電子音が虚しく響く。


 上司に報告?

 私たちが同じ職場であることを利用して、私の立場を悪くするつもりだろうか。


 確かに、彼は営業部のホープで、外面はいい。あちらが「被害者」として振る舞えば、私は「婚約者の実家で暴れた頭のおかしい女」に仕立て上げられるかもしれない。


 ふと、テーブルの上に視線をやる。

 そこには、昨日会社でもらった花束を飾るつもりで用意していた、空っぽの花瓶があった。


 命からがら逃げ出した私は、あの美しい花束さえも、あの忌まわしい家に置き去りにしてきてしまったのだ。

 祝福の象徴だった花は今頃、カニの死骸と共にゴミ箱に突っ込まれているのだろうか。


「……会社、辞めよう」


 私は決意した。

 もう、あの会社にはいられない。婚約破棄となれば、どちらにせよ居づらくなる。

 何より、あんな男と顔を合わせたくない。


 私はパソコンを開き、『退職願』の作成を始めた。


 悔し涙がキーボードに落ちる。

 どうして被害者の私が、逃げるように去らなければならないのか。


 でも、これで終わりじゃない。

 彼が「上司に報告する」と言ったのなら、受けて立とう。

 最後の挨拶くらい、きっちりさせてもらう。


 私は震える指で、退職理由の欄に書き込む文章を考え始めた。


 これは、ただの退職ではない。

 私の尊厳を守るための、最後の戦いだ。

「母さんが泣いてたんだぞ!」 ……知らんがな。


読者の皆様の声を代弁しておきました。 自分の婚約者が死にかけているのに、母親の機嫌を優先する男。これ以上の「無理物件」はありません。


さて、彼は最後に余計なことを言いました。 『会社の上司に報告してやる』


自ら墓穴を掘りに行きましたね。 彼は忘れているようです。アレルギーの診断書が会社に提出済みであることを。そして、上司がまともな常識人であることを。


次話、いよいよ反撃開始です。 会社を巻き込んだ公開処刑(話し合い)が始まります。 スカッとする展開が待っていますので、ぜひ第4話へお進みください!

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