第2話:恐怖の食卓──“笑顔の狂気”との遭遇
「新鮮ならアレルギーは出ない」 そんな地獄のような理屈が、ついに実行に移されます。
挨拶の席で待っていたのは、湯気を立てる山盛りの“凶器”と、笑顔の加害者たちでした。 深呼吸をして、ご覧ください。
「さあさあ、上がって! ほら、遠慮しないで!」
義母の明るい声とは裏腹に、私の体は鉛のように重かった。
背後から悠真に「ほら、行くよ」と腰を押され、私は抵抗する力もなく玄関の敷居を跨いでしまった。
その瞬間、濃密なカニの臭気が顔面に張り付く。
換気扇を回していないのだろうか。家の中はまるで、巨大な蒸し器の中のようだった。
「うっ……ごほっ、ごほっ!」
反射的に咳き込む。喉の粘膜がチリチリと焼けつくような感覚。
体が危険信号を発している。ここは私がいていい場所じゃない。
「あらあら、美咲ちゃんったら。感動でむせちゃった?」
奥からエプロン姿の女性が現れた。義姉の佐緒里だ。
彼女は私の顔を覗き込むと、口の端をニヤリと吊り上げて笑った。
「すごいわよぉ。今日のカニ、まだ足が動いてたんだから。美咲ちゃんのために、お父さんと私で一生懸命茹でたのよ」
「……あ、ありがとうございます。でも、私、アレルギーが……」
ハンカチで口元を押さえながら、必死に絞り出す。
けれど、義姉は私の言葉など聞こえていないかのように、私の腕を強引に引いた。
「いいから、こっち来て。冷めないうちに食べなきゃ失礼でしょ?」
リビングに通されると、そこには地獄のような光景が広がっていた。
テーブルの中央に鎮座する大皿。
そこには、赤く茹で上がった大量のカニが山のように積まれている。
湯気と共に立ち上る匂いが、私の呼吸を物理的に阻害し始めていた。
義父がビール瓶を片手に、上機嫌で手招きをする。
「おお、美咲くん! 座りたまえ。今日は無礼講だ!」
私は座れない。
椅子の背に手をかけ、震える足で立っているのがやっとだった。
隣に立った悠真が、私の腕を小突く。
「おい美咲、座れよ。父さんが勧めてくれてるんだぞ」
「……無理よ。悠真さん、お願い。私、本当に息が……」
私の顔色は、自分でもわかるほど青ざめていたはずだ。
呼吸が浅くなり、ヒュー、ヒューという音が喉の奥から漏れ始める。
けれど、この家族の誰一人として、私の異変を「体調不良」として認識していなかった。
義母が困ったような顔でため息をつく。
「美咲ちゃん。あなた、まさかまだ『アレルギー』なんて言ってるの? さっき悠真からも聞いたけど、それはただの思い込みよ」
「……え?」
「今の若い子は過保護に育ってるから、ちょっと体が痒いくらいで大騒ぎするのよね。佐緒里なんて、小さい頃はピーマン嫌いだったけど、無理やり食べさせたら治ったのよ? それと同じ」
同じなわけがない。
嗜好の問題と、免疫システムの暴走を一緒にしないでほしい。
すると、義姉が冷ややかな目つきで割り込んできた。
「お母さん、口で言ってもわからないわよ。こういうのはね、体験させるのが一番の教育なの」
教育?
義姉が皿から太いカニの足を取り、殻をバキリと割った。
中から現れた白い身が、プルプルと震えている。
「ほら、美咲ちゃん。『あーん』して?」
義姉が身を私の顔に近づけてくる。
距離、わずか数十センチ。
強烈な匂いが鼻腔を直撃した瞬間、私の視界がチカチカと明滅した。
「や、やめてください……ッ!」
後ずさりしようとした私の肩を、背後から誰かがガシリと掴んだ。
悠真だった。
「美咲、いい加減にしろよ。姉ちゃんがせっかく剥いてくれたんだぞ。一口だけでいいから食べろって」
嘘でしょ?
振り返ると、悠真は少しイラついた表情で私を抑え込んでいた。
「早く終わらせてくれ」という自分勝手な苛立ちだ。
「離して! 死んじゃう! 本当に死んじゃうの!」
私が叫ぶと、義父が「往生際の悪い!」と怒鳴り、反対側の腕を掴んだ。
大人二人に羽交い締めにされる。逃げられない。
「新鮮なら死なないのよ! ほら、口を開けなさい!」
義姉の顔が迫る。目は笑っていない。
カニの身が、私の唇に触れそうになる。
──あ、これ、殺される。
恐怖で涙が溢れ出したその時、喉が『ヒュッ』と嫌な音を立てて痙攣した。
気道が塞がる感覚。
死の予感が、私の脳内で爆発した。
「いやぁあああああああああッ!!!」
私は火事場の馬鹿力で暴れた。
なりふり構わず頭を振り、悠真の脛をヒールのかかとで思い切り踏み抜く。
「ぐあっ!?」
悠真の力が緩んだ一瞬の隙を見逃さなかった。
私は彼を突き飛ばし、義姉の手にあるカニを薙ぎ払う。
宙を舞ったカニの身が、義母の顔にべちゃりと張り付いた。
「きゃあっ!」
その隙に、私はリビングを飛び出した。
玄関にある自分の靴なんてどうでもいい。
サンダルをつっかける余裕すらなかった。靴下のまま、玄関のドアを乱暴に開け放つ。
「おい、美咲! 待てよ!」
背後から悠真の声がしたが、私は振り返らなかった。
夜の冷たい空気が肺に入り込み、焼き尽くされた喉を少しだけ冷やしてくれる。
走って、走って、走って。
大通りに出てタクシーを拾うまで、私は呼吸の仕方も忘れて、ただ獣のように逃げ続けた。
逃げた!!! 美咲、ナイス判断です。靴なんて履いてる場合じゃありません。
それにしても、羽交い締めにしてくる婚約者……。 「一口だけ」じゃないんです。その一口が命取りなんです。
さて、命からがら逃げ出した美咲ですが、当然これで終わりではありません。 スマホの通知が鳴り止みません。
次話、「逆ギレする婚約者」が登場します。 彼の言い分を聞いてやってください(※血圧上昇注意)。
全話投稿済みです。 怒りの矛先をそのままに、第3話へお進みください!




