8章9話 男の、『それ』との邂逅
ノアとエルミナは、ミネスの村を出て4日がかりでエルフの森へとたどり着いた。
「ここが私達の故郷、エルフの森だ。大体30人ほどのエルフが暮らしている」
「ここが…………」
ルナリアの生まれ故郷――。
佇まいは獣人の村に近しいが、森を切り開かずそのまま生かして住居を作っているあたり、自然を重んじるエルフならではだった。細い小川が流れ、心なしか草木の緑も濃い。鬱蒼とした森ではなく、よく手入れされた自然の庭園のような美しさだった。
そして遠くに見える大樹と、その上に作られた建物――エルミナが言っていた社、だろう。
「あそこに見える社に、ここの長である私達の父、エスタスがいる。早速だが、挨拶に向かうぞ」
「え?エルミナさんとルナリアさんのお父さんって、エルフの長なんですか?」
「ああ、聞いてなかったのか?」
「ルナリアさんは何も……姉がいることすら言ってませんでしたし……」
あいつはまったく――と、エルミナは頭を抱えた。
「それで、お義父さんに挨拶して、他にはどんなことを?」
ノアはエルフの森に来た詳細を聞かされていなかった。ただ、魔王となるための手順、としか。
「魔王とは魔力、ひいては魔素を操る王だ。その力を借りるため、精霊との盟約が必要になる。認められれば、体内に持つ魔石にその印が刻まれるらしい。そのための儀式を行う」
ぼんやりと、ノアの信頼においてオーク族の力を借り、人間を牽制。魔族側にもノアのその影響力によって統率を、と考えていたが、魔王となることでより実体的にそれらを管理できそうだった。
「さ、中へ入るぞ」
エルミナが先導し、社の中へ入っていった。
中は思っていたよりも広い。オークが数人入れる大きさだ。そして奥には人の頭ほどの水晶と、すらりと背の高い老年のエルフ――エスタスがいた。
「来たか。欲深き救済者よ」
エスタスは、聞きなれない二つ名でノアをそう呼んだ。
「初めてお目にかかります。元エルノア国王、ノアと申します」
ノアは跪き、最敬礼の挨拶をした。
「エルミナも長旅ご苦労であった。戻っても良いが、どうする?」
エスタスは、ノアの前で跪くエルミナに声をかける。
「いえ、同席させてください」
「わかった。まずは欲深き救済者よ。エルナリアの父として、礼をさせてくれ。あやつに寄り添い、そしてここに再び連れてきてくれたこと、誠に感謝する」
エスタスは深く頭を下げた。
「私こそ、エルナリアさんをこのような形で……申し訳ありません」
ノアは、小指の指輪をさする。
「謝る必要はない。生涯は短かったかもしれんが、おぬしと出会ったことで多くの幸福に恵まれた。…………その指輪が、エルナリアだな。触れてもよいか?」
エスタスは、ノアに歩み寄り、かがんでノアの小指にはまる指輪を覗く。
「ええ、もちろん」
エスタスは指輪にそっと触れる。目を閉じ、祈っているようだった。
「ありがとう…………」
エスタスは踵を返し、溢れた涙をそっと拭った。
それを眺めるエルミナも、小さくうなだれる。
「…………エルナリアは、魔王となる予定だった」
――!?
その言葉に、ノアもエルミナも驚いた。
エスタスは振り返ることなく、話を続けた。
「あやつは、エルフながら小さいころから魔力魔法に長けていた。魔王とは魔素を操る者だ。その才覚があやつにはあった。これまで魔王は誰に知られること無く、エルフの手によって継承されてきた。そうすることで魔族のこの森を維持してきたのだ。しかしあやつは、別の道を模索するため魔法研究を始めた。自らの役を放棄したかったのか、はたまた使命感だったのか。その真意はとうとうわからんかったがな」
「ちょっと待ってください。魔王は数百年も前に一度だけ、と」
魔王がこれまで継承され続けていた?――ノアの知る伝承と異なっていた。
「そういう認識になるのも無理はない。魔王として世界に影響を及ぼしたのは、過去のその一回だけだ。それ以外は、エルフの長老によって慎ましやかに行われてきた。そのことは、長老である者しか知り得ないことだ」
「そう、でしたか………。そしてその役割を、つまり次期長老は、エルナリアさんだった、と」
「そうだ。そこにいるエルミナも魔力は強いが、こやつは、長く人間の信仰を集めるエルフ、レラゥタラに見初められた。あの席もここの長同様、重要な役割だ。だからエルミナは次期レラゥタラに、エルナリアは次期エルフの長老とすることにした」
「初耳だ……エルナリアもそうだが、私も……そのような役を……」
エルミナは、驚きを隠せなかった。
「伝えることができずすまなかった。レラゥタラに止められていたのだ。レラゥタラには、目指すのではなく、なるのだ、と。おまえの将来性を案じていたのだろう」
エルミナは、感謝の思いからか、レラゥタラの名を呟きながら深く頭を下げた。
「して、欲深き救済者。そなたが現れた。奇しくも、エルナリアの夫であるそなたが」
誰の意図も介せず、ノアは魔王となるべくここに来た。それはまるでルナリアの遺志を継ぐかのように。
運命、導き――そう感じざるを得ない。しかしそれらの言葉が、ノアは嫌いだった。
「…………エルナリアさんと共に、その役割、果たそうと思います」
ノアはそう、エスタスに宣言した。
***
儀式は、非常にシンプルなものだった。
エスタスの祝詞を受ける。それだけだ。
それで精霊との盟約を交わす。盟約とは、魔素を操る力をもって、精霊の住処である森を守り続けることだそうだ。
しかし、精霊にノアが認められるか、ノアの体内に眠っているらしい魔石が、印に耐えられるか。それが不安だった。
それでもエスタスは問題ないと断言した。しかし、若干の苦しみはあるやもしれない、と。
「それでは始める」
エスタスのその言葉によって、儀式は始まった。
知らない言葉をエスタスは呟く。
次第にノアの頭に置かれた杖が光り輝いていく。不思議と温かい。心地よい気分だった。
ノアはウトウトし始めていた。
抗えない眠気。
そしてとうとうノアは眠ってしまった――。
***
気が付くと、そこはまるで映画館のような空間だった。
目の前には多くの椅子。すべて前を向いている。
そして本来スクリーンのある場所は赤いカーテンで閉められていた。まるで休演しているかのように。
「そうか。君は、ぼくの隣に座るんだね」
突然声がし、ノアは勢いよく横を見る。
そこには、これはどう言えばいいのだろう――人のような、そうでないような、とても抽象しがたい白色の『それ』が座っていた。
「あなたは、一体………」
ノアは戸惑いながら、正体を訊いた。
「それを君に説明できる言葉を、僕は持ち合わせていないんだ。でもそうだな…………近い言葉でいうなら、創造主……いや、ブラフマンと言ったほうが君には分かりやすいかな」
ブラフマン――真理的存在、という意味合いだったか。
「もしかして、僕を転生させたのは……」
「そう、ぼくさ」
「なぜ…………」
「なぜ、か。それを聞いても、きっと君は変わらないよ。でも……うん、ぼくは終わりを終わらせたくなかった。………この世界を救いたかった、と言ったほうが分かりやすいかな」
「僕が世界を救う確証なんて……」
「ない。君はそう思ってるし、ぼくもそう思う。でも、それでも世界は救われる……うーん、これは説明が難しいね」
「運命、ですか?僕が何をしようと、結局は世界は救われると」
「そうとも言えないんだけど……言葉にするのが難しい領域なんだ。ごめんね。でもこれだけは伝えておくよ。この結果も、過程も、ぼくが導いたわけではない。君の自由意思によるものさ。君が知りたいのはそういうことだろう?」
「そうですね、きっと」
「……それよりも、これからのことを話さないかい?」
「これからのこと……?」
「そう、これからのこと。そうだなぁ……君は今、一時の平穏を世界にもたらそうとしている。でも君が本当に望むなら、恒久的な幸福だって作れるかもしれない」
「僕はそれを幻想と捉えます。しかしそれを認めることで、より恒久に近い、均衡という平穏を手に出来ると感じてます」
「なるほど。君ならそう答えるだろうね」
「あなたは……ずっと見ていたんですね」
「うん。見ていたよ。すべてをね」
ビーーーー、という劇場でよく聞く音が鳴り響く。
「そろそろ開幕のようだ。最後に訊きたいことは?」
ゆっくりと暗転していくなか、ノアは訊いた。
「ルナリアさんは、幸せだったでしょうか?」
辺りは暗くなり、赤いカーテンが開いていく。
「ああ、幸せだったよ。そしてこれからもね…………」
…………
……
…
***
ノアは目覚めた。
飛び起きたノアを、エスタスとエルミナがそっと見守っていた。
「ああ…………すみません。眠ってしまったようです………あ!儀式は!?」
「滞りなく終わった。眠ってしまうのもまた、儀式の一環だ。それで、精霊の長に逢えたか?」
精霊の長――あれはそういう類のものではない。しかし、どう説明していいか分からなかった。
「…………逢えたのだと思います」
「そうか。それなら、これを…………」
それは、エスタスが使っていた杖だった。
「この杖がそなたの魔石に呼応して魔素を操ることが出来る。欲深き救済者よ。魔族の森を頼んだぞ」
ノアはそれをしかと受け取った――。




