8章7話 男は、進んでいく友を……
外は雨がしとしとと降り続いていた。
空を見やると少し明るく、傾いた陽が遠くの山を少しだけ赤く照らす。
じきに雨は止むだろう。そう思わせる空だ。
ノアとナイトハルトは、特に言葉を交わすことなく馬車に乗り、ハイデンを出た。
ぬかるんだ道が、馬車を揺らした。
ナイトハルトは、ノアにかける言葉を探していた。しかし、何を話せばよいか分からなかった。
いや、分からなかったのではない。彼は普段、もっと気軽にノアに声をかけていたはずだ。天気の事でもいい。揺れる馬車のことだっていいはずだ。しかし、それでも、彼はかける言葉を失っていた。
ナイトハルトは、怖かった。
言葉をかけてしまえば、目の前にいるノアが、いつも横にいたであろうノアが、面影だけを残して遠くへ行ってしまうのではないか、と。
ナイトハルトは、ただ車窓を眺めた。
雨雲は流れ、ナイトハルトが眺める東側の空は重く、エルデ山脈に落ちる遠雷が見える。
ノアもまた、頬杖をしただ車窓を眺めていた。
ノアの眺める西側の空は、ところどころ陽が差し込み、止み始めた雨粒一つ一つを照らしている。
「ナイトハルトさん、話が、あります」
ノアは窓の外を見ながら、会話を切り出した。
「あ、ああ!なんだ?愛の告白なら、受け入れられんぞ?私にはクリスがいるのでな」
ナイトハルトは、重そうな会話のその切り出しに拒否するかのように、精いっぱいの軽口を叩いた。叩いてから、妻を失っている相手に言う言葉ではなかったと反省する。
「…………すまない」
「いえ、お気になさらずに」
そしてノアはナイトハルトに向き直り、話をつづけた。
「エルノア国を、正式に貴方に任せようと思います」
話は、ナイトハルトの予感が的中する。
指が、小さく震えていた。
「…………どこへ行くつもりなんだ?」
それは物理的にも、精神的にも――。
「…………キ・エラ連邦で、僕は自問自答していました。自分は何を望んでいるのか。何を大切にしているのか。どうありたいのか、を。そして出た答えは………世界を救う、でした」
「それは、ノアさん………貴方がやるべきことなのか?」
「それも問いました。私は転生者です。そしてそれは世界を救う勇者である証だと、キ・エラ連邦の王に指摘され、実際勇者に任命もされてしまいました」
「あれはやはりノアさんだったか…………しかし、そんな世界の押し付けで、ノアさんが世界を救う必要なんてないだろう?」
「ええ。僕もそう思います。でも……世界を救う、というのは僕の願望です。僕は大切な仲間と平穏に暮らしたいだけでした。しかし……僕の大切にしたい範囲はどんどん大きくなった。そして最終的には妻を失った。僕は欲張ってしまったんだと後悔しました……妻だけを愛せば、こうはならなかったのではないか、と」
ナイトハルトは何も言わず、ただじっとノアの話を聞いている。
否定してやりたい。でなければノアはエルノア国を離れてしまうだろう。
肯定してあげたい。ノアの理解者として。良き隣人、良き友として。
しかし実際は、否定も肯定も出来ずにいた。
「ルナリアさんは、幸せだったのか、とも思いました。でも姉のエルミナさんに言われましたよ。幸せそうにする愛する君の顔がそこにあったなら、とね。では僕の幸福とは何か?………それはきっと、仲間の幸福でした」
ノアは、小指の指輪を大切そうに撫でる。まるでルナリアに確認をとるように。
「そして仲間とは、この世界にいる者全て、でした。元来、僕は人間が好きでした。今の僕は……人間も魔族も大切な仲間に感じています。彼らを守り、全ての者が平穏に暮らすことが出来たなら、それが僕の幸福です。だからその為に僕は勇者になった。そしてこれからは、迫害されがちの魔族側に立ち、世界の均衡を保つ存在として、その役割を担うつもりです」
ナイトハルトは、そのスケールの大きさに言葉が出なかった。
それでも、彼は言葉を絞り出す。そうしなければ、ノアは遠くへ行ってしまう。そう思った。
「…………しかし、ノアさんの最も身近な仲間は私達だ。エルノア国の王であれば、それを守れる。そうだろう?」
「そうですね。しかしそれではいずれ…………」
いずれ、世界は崩壊する――ノアはそれを言いかけて辞めた。
しかしナイトハルトがノアの言葉に続けた。
「いずれ、エルノア国は無くなるかもしれない。しかしそれは私達の代の話ではないだろう?その頃の世界がどうなっているかなんて、分からないではないか」
ノアは黙り込んだ。
言葉を探したが、見つからない。
「…………それでも、です」
ナイトハルトは、そう押し切ろうとするノアの顔を見やる。
その顔は、とても静かで、どこか物寂しく、それでいて決意のこもった顔だった。
ナイトハルトは、言いかけた言葉を飲み込む。
ノアを止めることは、できないだろう。
彼の覚悟を止める覚悟を、ナイトハルトは持ち合わせていなかった。
それなら、止めるべきではないのかもしれない。
それでも、止めるべきなのかもしれない。
ナイトハルトは未だある迷いの中、深くうなだれた。
そして再び静寂が二人の仲を流れる。
「私は、ノアさんの良き友でありたかった…………」
そう、消えそうな声でナイトハルトはポツリとつぶやいた。
「ナイトハルトさんは、僕の良き友です。それは変わりませんよ」
雨は既に上がっていた。西に沈みかけた陽が赤く世界を染め上げている。
ナイトハルトはその燃えるように赤い夕陽を、生まれて初めて怖いと感じた。
そしてやがて訪れようとする夜に、言い知れぬ寂しさを感じた。
夕日はナイトハルトの窓の外にも注ぐ。遠くで鳴る遠雷をよそに。
二人は、それぞれの世界を、ただ眺めていた――




