8章5話 世界は、静かに動き始めていた
一方、ルタ・スクリット共和国は、クーデターにより崩壊した政権をシルド神教――実質的にはシルドニア皇国が握ったことで宗教的弾圧と分断が起き、混乱に満ちていた。
元々王権による統制が弱く、各集落による自由度の高い自治を推進していたルタ・スクリット共和国。その基盤となっていたのは、各集落ごとに違うとさえ言われる信仰神の多さを否定せず、大きなくくりで一本化された多神教――ミンツ教と、その教義に紐づいた身分階級制度と生活保障だった。
この基盤を、信仰心をシルドニア皇国が揺るがしたことでクーデターは成功しているのだが、その反作用として民は信仰心そのものを疑うようになった。今までの生き方を疑い、新しく来たシルド神教ですら疑わしく感じる。シルドニア皇国の甘言による扇動とはいえ、ミンツ教の教義上規制されていた自由と平等を望んだ彼らは、身分制度と生活保障を犠牲にそれらを手に入れたが、それは彼らにとって望んでいない苦しみとして体現することとなってしまっていた。
生活保障を国から受けられないことにより、農民は生きるためにより多くの農地を耕し、より多くの作物を収穫する必要がある。まだクーデターから数か月とはいえ、それは既に彼らを直撃していた。
陽が出る前から陽が落ちてなお農作に明け暮れ、疲弊する者。より多くの農地を求め、領地の奪い合いに発展する者。農地を売り払い、近隣の都市国家へ移民する者。区画分けが廃止されたことを利用し、商人の街へ強奪しに行く者までいる有様だった。商人も似たよう状況で、自由競争の激化により物価も安定しなくなった。
ルタ・スクリット共和国民は思う。
これは本当に、我々の望んだ自由と平等なのだろうか、と。
かつてルタ・スクリット王が統べていた頃、ミンツ教が国民を導いていた頃の方が、よほど自由で、平等だったのではないか、と。
その自問自答であるべきはずの問いかけが、矛先をかえてシルド神教とシルドニア皇国へと向かうのに、それほど多くの時間を要さなかった。
各個人の怒りは、転がるほどに大きく膨らんでいき、ルタ・スクリット共和国からミンツ教と王族を奪った揺り戻しとなって、今まさにシルド神教を襲っていた。
それでも世界に布教を続けるシルドニア皇国国王、教皇レインズが求めるものは、世界の救済であった。
世界はシルド神によってつくられ、シルド神の教えによって構成されている。
その教えに反すれば、人間は統率を失い、世界は魔物であふれ社会は崩壊してしまう。
そうなる前に、異教には正しき教えに導き、魔物を管理し魔素の侵攻を食い止める必要がある。
――それを彼は、自らの使命としていた。
***
一方、ファシルファ領も同じく内部崩壊の危機にあった。
前政権であるファシルファ王国時代に、フェルニス王国とシルドニア皇国の連合軍によって侵攻を受け、しばらく続いた戦争の末、たった数発の新型魔法兵器によって征服され、フェルニス王国配下となったファシルファ領。頭を挿げ替えるような侵略を行った結果、当然国民の反発は強かった。だがこれをフェルニス王国は自国内の貴族らを集め、重税という名の力で抑制した。これはフェルニス王国の隣国ヒルダンテ公国攻略の際にも使った手段だったが、ファシルファ王国はヒルダンテ公国ほど小国ではない。一旦は火が消えたように見えた反発も、見えないところでくすぶり、やがて大きくなっていった。
課せられた重税の中には、シルド神教への献金も多く含まれていた。そのこともファシルファ王国民を逆なでした。
元々無宗教国家だったファシルファ王国に、そのような文化は無い。国内に宗教は存在するものの、その運営は各団体に委ねられていたからだ。
そしてその献金は、ファシルファ領に新たに作られたシルド神教大聖堂――後のシルドニア皇国移国先に使われた。重税によりその日食うものも困っている状態で、そんなものを作られては、国民はとうとう黙ってはいられなかった。
とある郊外の村で、フェルニス王国から来た現領主を襲撃する事件が勃発。
それを皮切りに、複数の街で同様の襲撃事件が多発した。
そしてその流れは首都ファシルまで届く。フェルニス王国配下となってから、街の憲兵として成りをひそめていたファシルファ王国軍残兵が、ファシルファ国民と結託。フェルニス王国から移り住んでいるフェルニス国王のいるシルド神教大聖堂を取り囲む事態にまで発展していた。
そしてその流れは、これらフェルニス王国の大侵攻の最初の犠牲国であったヒルダンテ公国へと、少しづつだが届き始めていた。
***
そして、当のフェルニス王国。
元来の領地は首都を中心にもぬけの殻だった。魔素のせいである。
これをシルドニア皇国は魔物の侵略の前兆と位置付けていた。
しかしそれ以上に、度重なる戦争と、ファシルファ王国やヒルダンテ公国への貴族派遣による内政悪化に大きく影響していた。
首都フェルニスは中心部から逃げてきた難民が近隣に集中し、過密状態。そのさらに外の街まで波及しているが、各街には統治者がいないため、統制がとれず混乱状態。しかしフェルニス王国の外周の村は既に過疎化しており、いびつな人口比となってしまっていた。
そして攻め落とし自領土とした交易都市ハイデンと、エルノア国の台頭も影響した。元々交易していたコルダ村やマギナ村がエルノア国となった際、フェルニス王国は直接国交を結ばなかった。それでもハイデンが中継することで交易は可能だったが、フェルニス王国が征服したためにその交易は途絶えた。ハイデンがエルノア国へ編入した今でも、正式な交易は途絶えたままだった。
それでもフェルニス王国国王ファンベルグが望むものは、世界の平穏であった。
統一国家による国家運営の効率化、思想の統一。これにより世界から不安や貧困が無くなる。
国家を統一するためには痛みが伴うだろう。しかしその後の恒久的な平穏に比べれば、大したものではない。そしてその痛みは全て自分が引き受けるのだ。
――それを彼は、自らの使命としていた。
そして世界は静かに、しかし大きく動き始めていた。




