7章8話 男は、腹をくくった
ノアは、エルミナに借りた一室で、横になりながら物思いに更けていた。
この世界は、大きな転換点を迎えようとしている――
それは紛れもない事実だった。
もしフェルニス王国らがこの世界を統一するとしたら、それには何十年単位の時間を要することだろう。しかも不確実だ。これに対応することは、エルノア国にとってはそこまで難しくはないだろう。
状況が変わっているとすれば、ルタ・スクリット共和国がクーデターによりシルドニア皇国との結びつきが強くなることだ。ルタ・スクリット共和国には、技術開発によりエルノア国と同じく魔動モーター技術と電気概念がある。戦力を増強しかねない危険な技術だ。しかしこれが直接影響し、世界統一までの時間を大幅に短縮するとは考えにくい。何十年もかかる世界統一を、エルノア国が対応しきれない数年単位の速度で進めるには、技術革新があと2段階くらいは必要に感じる。
つまり、恐れるべきは魔族側かもしれない。
魔石の入手やらでフェルニス王国らが下手に魔族を刺激し、例えばオーク族が人間領へ攻めてくるとしたら、これはひとたまりもない。エルノア国にあるオーク族の村ミネスの住人だけでさえ、人間世界を滅ぼしかねない力がある。そんなハチの巣がきっとまだいくつも魔族の森にはあるだろう。
ノアが、もしかしたら本当に勇者として、この世界を救うために転生しているのだとしたら、ノアが考え得る最も再現性の高そうなシナリオは、魔族側の統一、という事になる。
しかしノアには、自分自身にそんな力があるとは全く思えなかった。
そもそも、自分が勇者だなんて思えていない。
ただ、気の知れた仲間と、愛する妻との穏やかな生活に憧れていただけの、ただの中間管理職おじさんだ。ゲームのような特殊能力もない、ただの人間だ。
そしてもう、愛する妻はいない。あるのは思い出と、確かに共にいるという実感だけだ。
それにもう、どうでもいいと投げ捨てたではないか。自分以外の世界を。ルナリアのいない世界を。
しかし――
それでもどうして、この脚は立ち上がろうとしているのか――
それでもどうして、この頭は世界を救う手立てを考えてしまっているのか――
ノアは、ゆっくり目を閉じる。
いままで様々な問題に取り組んできた。その手法の根底にあるのは、両立――。どちらかが間違っているわけではない。どちらも受け入れ、真実を探す。ずっとそうしてきたではないか。
理屈では説明できない感情を。
感情では説明できない理屈を。
探すのだ。無意識の中を――
***
翌朝。
ノアは窓から差す日差しで目が覚める。
どうやらあのまま寝てしまったようだ。
ノアは布団を丁寧にたたみ、部屋を出る。
エルミナはまだ起きていないようだ。昨日飲み過ぎて二日酔いなのか、はたまた単に朝が弱いのか。
ノアはなんだか懐かしい気持ちになる。
これも何かの縁だ。ノアは朝食を作ってあげることにした。
しばらくしてエルミナは起きてきた。が、完全に二日酔いらしく、ノアの作った粥をありがたそうにゆっくりと食したあと、またしばらく部屋にこもってしまった。
ノアは昨日の続きを思い更ける。寝てスッキリした頭で。
結局のところ、自分が何をすべきなのか自分にはわからないのだ、と気がつく。
それは感情でも、理屈でもそうだ。
救いたい、が意義を見出せない。何もしたくない、が見過ごせない。
それらは、倫理的でもあり、感情的でもあった。
じゃあ、自分はどうしたいのか?
そんな問いが降ってくる。
理屈ではなく、感情的でもない、感覚的な問いとして。
自分は結局どうしたいのだろうか――
あまり感覚的に動くことのないノアに、その無意識と向き合うのに慣れていなかった。
確かに今までは、仲間と妻と穏やかに暮らしたかった。しかしその道中で妻を失った。ノアが頑張る意義を半分、いや感情的にはもっと多くの割合を失っていた。しかし、まだ全てではない。
失ったルナリアは、始めはノアが勇者である可能性を鑑みて保護した。しかしそれは形を変え、愛へと昇華され、互いの幸福を望むようになった。
ノアの幸福は、ルナリアの幸福だった。
ではノアの幸福は、なんであっただろうか?
ノアの幸福は、妻の幸福と仲間の幸福だ。
では、仲間の幸福が、ノアの幸福でありルナリアの幸福なのではないか?
まるで禅問答的マッチポンプ。
しかし、これが即ち、ノアの本心。本質的な欲望なのかもしれない。
全ての人が、幸福であるように――
それは言葉が示すほど、美しいものではない。
独善的で、傲慢で、強欲だった。
ノアは、ノアのために、世界を救う――
そう、結論が出た。
***
昼前にはエルミナが部屋から出てきた。
かなり体調が戻ったようだ。訊けばずっと精霊魔法を自分にかけていたとか。
精霊魔法――便利なものである。
ノアは、エルミナに連れられて昨日訪ねた神殿レラムへと入った。
最奥の部屋に入ると、どこからともなく花の良い香りがした。柱には水が流れ、細い川のように水路がめぐらされている。とても神秘的な空間だった。
「昨日お話しした、エルノア国王ノアをお連れしました」
エルミナは手で作った小さな三角形を頭にかざす。ノアも慌ててそれに倣う。
「国王はよい。貴殿は私と同じ立場ではないか」
玉座からそう言われ、ノアは恥ずかしそうに手を引っ込める。
「私がキ・エラ連邦の代表、レラゥタラである。そなたがエルノア国ノア国王だな?」
例えようのない神秘的な白いレースを纏った少女のようなエルフ――レラゥタラに、ノアははい、と返事をする。
「まずは謝罪をする。エルノア国建国の際は顔を出せずすまなかった。どうしても外せぬ用があってな、行けなんだ」
「いえ、こちらこそアゥクさんに出向いていただけたこと、光栄に思います」
「にしても、あれを使いに出したが、何を聞いても答えてくれぬ。唯一答えたのはそなたの魂の色のみだ。……まぁあれが他人の魂の色に興味を示したのは意外だったがな。まあしかし、こうして直接会う機会があろうとはな。嬉しいぞ」
「魂の、色。ですか…………それはどういう?」
「あれにはな、魂の色とやらが見えるようなのだ。あれ曰く、人の持つ知性というか、物事の捉え方というか、なにやらそういったものが色として見えるらしいのだ。よくわからんが」
よくわからないんだ――。
「それで、どんな色だと?」
ノアには興味があった。第三者からの目線で、ノアはどう映っているのか気になったのだ。
そうレラゥタラに訊いたが、答えたのは後ろで控えていたアゥク本人だった。
「当時は……オレンジや緑の混ざった黄色だった。しかし今は……青緑に近い色をしている」
訊いてみたが、色だけではよくわからなかった。良いのかも悪いのかもすら。
「…………総評をお願いできますか?」
アゥクは困った顔をしながらも、絞り出すように答えてくれた。
「………前にお会いした時に、調律の話をしたな。……それがその色の総評だ。今の色は…………うむ………」
アゥクは慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……………世界を………いやもっと大きなものを………調和させ得る………存在……」
それはノアが、世界を救う勇者足り得る力を持っている証明なのかもしれない。
しかしそれは、決して他者から与えられたギフトなんかではない。
その力はノア自身が、悩み、苦しみ、思考し、決断し、失敗し、そうして長い年月の中で削ぎ落し磨き上げた産物だ。
それを、ノアをこの世界に転生させた神かブラフマンかが『勇者』と呼ぶのであれば、そうなのだろう。
しかしノアは、それを否定する。
ノアは、あくまで自分の意志で、自分の感覚に従い、自分の幸福のために、世界を救うのだ――。




