1章6話 男は、とにかく争いを避けたかった(1)
おおお――
ノアは感嘆の声を漏らした。
「ここが俺らの集落、ナーレの村です!」
上にはツリーハウス、木組みの渡り橋、やぐら、下には木でつくられた貯蔵庫、資材置き場――人間の暮らしとは違う、森を最大限生かした、獣人ならではの暮らしが、そこにはあった。
「すごいですね……目新しいものばかりだ……」
きょろきょろと、興味深く辺りを見回しながら村の奥へと入っていく。
しかし残念ながら、そんな彼を快く思わない声もちらほら聞こえる。
「あまり気にせんでください。人間の中には、獣人を狩る輩もいるもので……」
ノアには、自分とは関係ない、とは思えなかった。人間社会にいる以上、きっとその狩られた獣人による恩恵を享受している。自分で手を汚していないだけで、それは背負うべき罪なのでは、と。
「ここです。ちょいお待ちを」
長ぁ!おさぁ!――と、大きめのログハウスに入っていくゾフ。ここが村長の家か、執務室のようなものなのだろう。
「いました。ささ、中へ」
ノアは案内されるがまま、中へと入っていった。
***
「初めまして、ノア殿、ですな?私がこのナーレの村を仕切っている、ヤドと申します。ご足労頂きありがとう」
ゾフほどでは無いが、他の獣人よりは大柄の、穏やかなおじさん、といった印象だった。
「初めまして、ノアと申します。ん?私をご存じで?」
「ミィから話は聞いているよ。なんでも、すでに婚約を交わした、とか」
え、それは――と、戸惑いを見せるノアに、優しく笑いながら、
「はっはっは……冗談だよ。ノア殿は優しい御仁と見える。そんなところにミィは惹かれたのかもな」
どうしていいか判らず、とりあえず愛想笑いをするノア。
「それで、早速本題なんだが……直接ノア殿が来てくれたということは、なにか良案がある、ということで良いかな?」
「いえ、いまの情報量ではなんとも。なのでこうして直接お話をきいて、そのうえで解決策を提案できればなと」
「そうか……それであれば、ゾフ。夜は宴の準備を。ノア殿は私の家でしばらく泊まるといい」
いえいえ宴なんてそんな、お構いなく――と一度は断ったが、
「人間を良く思わない者も多いんだ……ノア殿の身の安全と信頼の為に、ここはどうか……」
そういわれてしまっては、返す言葉も無かった。
***
小さな宴が、村の中心で行われる。
人一人くらいのサイズの焚火が上がり、村人が勢ぞろいする中、ゾフから紹介を受け、軽く挨拶をする。
気のせいだろうか、幾分、不信感を持った目線が減ったように感じた。
ノアは、先ほどヤドから訊いた、ここまでの顛末を思い出していた。
ナーレの村と、隣村ノルンは、こうなる前は非常に友好的な関係であったこと。本来であれば、お互いの狩場が接触することは稀であること。それがここ最近、ナーレの狩場へノルンの狩人が侵入する場面が多くみられていること。それをその場でとがめても、自分たちの狩場だと主張し、全く聞き入れてもらえなかったこと。ナーレの村の村長であるヤドが、親交の深いノルンの村の元村長バズを通じて村長へ抗議文を送るも返答が無いこと。それどころか、その抗議文自体を宣戦布告と見なす動きもあるようで、こちらの村人の不満も相まって、非常に緊迫した状況であること。
――以上が、現在の状況だった。
ノアにはいくつかの疑問が残っていた。
まずは、ノルンの狩人はなぜ、ナーレの狩場へ侵入し、しかも権利まで主張してくるのか。友好な関係を築けているのなら、これにより外交に傷がつくことくらいはわかるのではと思う。そして、抗議文への返答が無いこと。これも不可解だ。
これらを単純に考えると、これは侵略戦争の前触れのように感じる。
しかし、本当にそうなのだろうか?ノルンの村にも、のっぴきならぬ事情があり、不可抗力でこうなってしまっているのではないか、そんな気がしていた。
(これは、慎重に動く必要があるな……)
小さな村同士の争い――そう言ってしまえば、よくある話なのかもしれないが、止めることが出来るなら、そうしたい。増して、こうして知り合ってしまったからには。
「ダーリン!飲んでるかにゃ?」
ミィが、難しそうな顔をしていたノアをのぞき込む。
「ミィ……だからダーリンはやめてって」
「んなぁ……ごめんごめんにゃぁ……それより、ナーレの村はどうかにゃ?」
ミィは、すりすりとノアの肩に頬ずりをしながら、訊いてくる。
「いい村だと思います。本当に。見知らぬ僕が居ても、こんなにみんな楽しく酒を飲んでる……」
それを聞いて、ミィはぴんっ!と立ち上がり、大きな声で言った。
「みんにゃ!!!ミィのダーリンが、寂しいんだって!!!!かまってあげてにゃ!!!」
え、そんなこと一言も――
ミィのその一声で、仕方ないなぁ、どれどれかまってやるか、と皆が立ち上がり、気が付けばノアは人だかりの中にいた。
何を話したかは、酒のせいか全く覚えていないが、とても楽しかったことだけはよく覚えている。
***
目を覚ますと、藁に敷かれた自分の毛布にくるまっていた。どうやら誰かがここに運んでくれたようだ。
ふと、部屋の端に服が落ちていた。ノアのではない。これは――ミィのであった。
「え、なんで……」
運んでくれたのがミィなのか、何か事が及んでしまったのか、それともそのどちらもなのか――ノアは少し血の気が引くが、その答えはすぐにわかった。
部屋を出ると、既に朝食を食べ始めているヤドとミィがいた。キッチンに居るのはミィの母親だろうか。
「やぁおはよう、ノア殿。昨晩はすまなかった」
酒を飲ませすぎたことだろうか?――
「ああいえ、僕も疲れていたみたいで……寝床に運んでもらったようで、ありがとうございます。」
あ、いや、そのことではなく――と、少し言いにくそうにするヤド。
「うちの馬鹿娘が、その、寝込みを襲うような真似を……」
「残念だったにゃ。あと少しだったにゃに……」
「お前はもう少しこう、節操というものをだな……」
ノアの食事を運んでくれている、その馬鹿娘の母親らしき女性――お年を召してはいるが、すらりと優雅で美しかった――が、キッチンに戻りながら会話に入る。
「多少強引な手を使ってでも、意中の男性は狩らないと、ね」
まさかの肉食女子!というか、そういったセンシティブな話を朝食でするものなのか?――
「わかってるにゃ、お母ちゃん。ナーレの村に恥じぬよう、次はしっかり狩るにゃ」
はぁぁ――と、ヤドは大きなため息をした。
***
「ノア殿、本当にすまない……あんな娘でも、どうか友達としては見捨てないでやってくれ」
やいのやいのとミィが喋っていた食卓は片付き、ノアとヤドは執務室へ移動していた。
「僕も友達が少ないですから……ミィは楽しくていい娘ですよ」
「1番上の娘はしっかりしていてね、もう子供も授かって、村長候補だ。真ん中の娘は……まぁしっかりしてはいるが、最近村に居ないことが多くてね……どうやらノルンの村に思い人がいるとか……。それで一番下のミィだろう?……母親のリリィも昔はかなりのお転婆だったから、こう、下に行くにつれて母親のに似ていったというか……」
あのお母さん、お転婆だったのか――
「大変ですね……父親は……」
まぁいずれノア殿にもわかるよ――と、ヤドは疲れた笑みをこぼした。
リリィの入れてくれた茶を飲みながら、話は本題へと入っていく。
「それで、昨日の話だが……どうだろう。なにか手立てはありそうか?」
昨日の今日で――とも思ったが、さほど時間も無いのだろう。いつ、なにがきっかけで争いになるかわからない。そんな状況なのだ。
「そうですね……まずは、ノルンの村へ行って話を訊いてみたいのですが」
「そうか…………そうだな…………ううん…………」
かなり難しいのだろう。ヤドはしばらく考え込んだ。
「…………昨日話に出した、ノルンの村の元村長になら、話はつけられるだろう。彼は私の古くからの友人だ。すぐにでも会えるだろう。しかし……村長――彼の息子なんだが、あまり彼とうまくいっていなくてね……話が出来たとしても、何かを変える力は、今の彼にはないんだよ……」
「なるほど……いえ、それで十分です。ノルンで起きている状況を確認したいだけですので」
しかし――とノアは続ける。
「最終的には、両村長との話し合いは避けられないとお考え下さい。そのための準備を、ナーレとノルン、両方にお願いしたいと考えています」
ヤドは重そうにうなずいた。




