7章3話 男は、国を捨て旅に出た(1)
ノアは3日かけて、旅の準備をした。
持ち物は、書き溜めているノートに、着火機能付きの旅用ナイフ、お金、着替えが一式のみ。たったこれだけの準備をするのに、3日もかかったのは、単に気乗りしていなかったからだ。
地図は持って行かない。行く当てのある旅では無いし、行き倒れたらなら、それはそれで受け入れるつもりだった。
出発の朝は、執務舎に誰も居ない。当然だ。まだ夜が明けて間もない。ノアは一通の書置きを残し、皆に黙って出るつもりだった。見送られたところで、どんな顔をして受け入れればいいか分からない。戻ってくるかもわからない旅に、行ってきますも違う気がした。
フードを深くかぶり、スサノオ手前で行商人を捕まえて、荷台に乗せてもらう。
スサノオ――ここを見つけてノアに教えてくれたのはルナリアだった。
そしてネス率いるオーク族が整備し、東側諸国へのアクセスが随分楽になった。こうして荷台に揺られながら見るそびえたつ左右の崖は、それは圧巻の景色だった。
日暮れ前、スサノオを通り終え、荷台を降りた。
行商人に別れを告げ、ノアはスサノオ村で一泊することにした。
ノアは、スサノオ村村長、ミズハの家を訪ねる。
「ごめんください……」
少しして、ミズハが玄関から姿を見せる。
「………これは、ノア様。お久しゅうございます……」
「突然の訪問すみません……一晩宿をお借りしたいのですが」
「ええ、ええ、構いませんとも。向かいの空き家をご利用くださいませ……お食事はお済ませで?」
「いえ、まだです……」
「それなら、私で良ければ、ご用意いたしますよ」
「……ありがとうございます。じゃあお願いします」
ノアは空き家で休むことにした。
スサノオ村に泊まるのは、今日が初めてだった。布団に横になると、改めて洞穴の中であることを感じる。ほのかに香る土のにおいが、魔族の森の獣人村を思い出す。
「ノア様、お食事が出来ましたよ。私の家まで来てくださいませ」
ノアは呼び出され、ミズハの家にお邪魔することになった。
「足りないようでしたら、言ってくださいね。若い人に食事を振る舞うのは、久しぶりなもんで、加減が分からなくてね」
並べられた料理は、これでもかという量があった。とても二人では食べきれないほどだ。
「これは、頑張って食べないとですね……」
「ええ、いっぱい食べてくださいな」
ノアとミズハは、特に会話も無く淡々と食事をする。
ミズハは、先日エルノア国で起きた惨事を知らないはずはなかった。それでも、ノアに訊くことなく、そっとしておいてくれていた。
「ミズハさん……何も、訊かないんですね」
「私は何も訊きませんよ……」
「……………あの………少しだけ、弱音を吐いても……いいですか?」
「ええ……」
ノアは今までにあったこと――ロイズの死から、ルタ、そしてルナリアの死を通して、ノアの中にある全てを話した。傲慢、怒り、不甲斐なさ、責任感、脱力感、悲しみ、虚無感――その醜いまでのノアの中身を。
ノアはいつしか、涙が止まらなくなっていた。
それをミズハは何も言わず、ただ聞いていてくれた。
***
翌朝――
昨日の料理の残りを出来る限り腹に詰め込み、残りは昼食用に包んでもらうことにした。
「本当にごちそうさまでした。それと、昨日は……ありがとうございました。お陰で少しすっきりしました」
「なに、私はなにもしておらんよ」
「それでは、また……」
ノアは、ミズハから教えてもらったここから一番近い集落、マウへ徒歩で向かった。
少し歩くと、以前ルタ・スクリット共和国へ向かった際に通った分かれ道に差し掛かる。
右手がコニト村との看板がある。前回通った道だ。
左手がマウ、らしい。看板は無く、細い道がまっすぐ森に向かっている。
ノアは左手に曲がり、マウを目指す。
きっとあまり使われない道なのだろう。車輪の跡はかなり薄く、草が茂っていた。
森に入っていくと、少し湿度があり、ひんやりとしている。道はうねりながらもなんとか続いている。辺りはまるで魔族の森のように鬱蒼としている。無理もない。ここらの森は、奥に行けば魔族の森へとつながっている。
木々の葉の擦れる音と木漏れ陽の中を、ただひたすらノアは歩く。途中、休めそうな切り株に腰を下ろし、昼食を摂る。昨日ミズハが作り過ぎた料理の残りだ。
そしてさらに歩き、ノアはようやく集落マウへとたどり着いた。
ノアはミズハから、マウにいるマウアシという人物を尋ねるといいと聞いていた。
早速、マウの住人に声をかける。
「すみません……マウアシという方を探しているのですが……」
「ワシが、そうじゃが」
マウアシはすぐに見つかった。かなり小柄な、やせ細った老人だった。ミズハが着ているような、独特の意匠の服を着ていた。
「ミズハさんから紹介されてきました……少しの間、泊めて頂けないでしょうか。仕事は何でもします」
「ミズハが……そうか。それじゃ、薪を割ってくれんか」
ノアは早速薪割りを手伝う。
薪を割るのは、魔女の家が初めてだったことを思い出す。あの頃は全くうまく出来なかったが、今となってはお手の物だ。
集落マウはほんの数人が暮らす小さなものだった。全員が老人で、きっともうじき住人もいなくなるだろう。彼らはここでほとんど自給自足の生活をしていた。
薪を割り終わるころには、陽が落ち始めていた。ノアは外にあるかまどに火をくべているマウアシに、細めの薪を渡した。
大きく伸びをし空を見上げる。
夜と夕日が入り混じる空には、すでに星も出始めていた。
マウアシが、かまどから火種を焚火に移すと、森が赤く照らされた。
それぞれの仕事を終えた住人たちが、焚火に集まってくる。ここで食事をするようだ。
「すまんな若いの。わしらはあまり会話をせんでな。つまらんだろうが、我慢してくれ」
マウアシが、そうノアに弁解する。
「いえ、僕も、あまり話すタイプじゃないので……」
少し嘘をついた。ノアは話さないのではなく、最近はあまり話したくないのだ。
そうか――と、老人たちは少なめの食事をゆっくり食べていった。
***
翌日、ノアは住人の一人と狩りに出ることになった。
狩りといっても、罠を仕掛けた箇所を回り、かかっていれば回収する、といったものだった。
1つ目の罠は空。2つ目も空だったが、3つ目には小鹿が掛かっていた。随分弱っているようで、横になったままこちらを耳だけで警戒している。
狩人の老人は、その罠を丁寧に外した。
「………狩らないんですか?」
「ああ。あれは俺らにとっちゃ大きすぎる獲物だ」
狩っても食べきれないという意味だろう。小鹿はやがてゆっくりと森の奥へと歩いていった。
4つ目の罠も空。5つ目も空。6つ目は逃げられた跡があったが、7つ目にはウサギが掛かっていた。
狩人は手を組み、何やら祈りを捧げた。その後ウサギを気絶させ、喉元を切り血抜きをしてから、ノアに渡した。
ノアはウサギを受け取り、背籠に入れた。
8つ目の罠も空。これですべての罠のようだった。
二人は来た道を戻る。道中見つけた大きな蛙2匹、蛇1匹、キノコを何個か採り、ノアの背籠に入れた。
狩人とノアは集落に戻り、ウサギの下処理をする。
丁寧に皮をはぎ、筋肉に沿って肉を切り分ける。ウサギはいとも簡単に肉の塊となった。
「……皮は、どうするんですか?」
「売る。コニト村へ行けば、物資と交換できる」
「今回は何と?」
「…………………ナイフか、鍋、だろうな」
確かに、彼の使っているナイフは、もうすっかりすり減って細くなっていた。ここまで使い込まれたナイフを、ノアは初めて目にした。
「……いつからここに?」
「ずっとだ。生まれてから、ずっと」
「移り住もうとは?」
「思わなかったな」
狩人は、ウサギの皮の裏側についた肉を丁寧に削ぎながら、そう答えた。
これで話が終わるかと思っていたが、ややあって彼は再びポツリポツリと語り始めた。
「………いや。若い頃、一度だけ………シズという街に出ていったことがある。…………数か月住んで、ここに戻ってきた」
「シズですか……僕も少し前に一度だけ訪れたことがあります。活気のある街でした」
「そうか。ワシは………好きになれんかった。都会に憧れて飛び出したが、ワシには目まぐるしすぎた………」
「そうでしたか…………」
狩人は再び沈黙し、黙々と作業を進めていった――。
その日の夕飯は、ウサギ料理が振舞われた。特にノアには、後ろ脚を2本つけてくれた。
翌日の朝、ノアは出発することにした。
そのことを、昨日お世話になった狩人に話すと、蛇の燻製をくれた。心を開いてくれているようで、ノアはなんだか温かい気持ちになった。
「旅人よ……達者でな」
マウアシがそう、見送ってくれた。
「お世話になりました。皆さんも、お元気で」
ノアは集落マウを後にした。




