6章10話 男は、最愛のひとを失った
シルドニア皇国の牢に入り、かなりの時間が経った。と思う。
カシッドはすっかり黙り込み、ノアも声をかける気力が無かった。
ルタ・スクリット共和国国王、ルタ・スクリット4世――彼ほど民を想い、民に尽くした国王はそういないだろう。少なくともノアはそう感じる。身分制度の中で、それぞれの階級に最低限の生活を国が保証し、自ら稼いだ富は自らの為に使える国。国家運営に必要な金は王族自ら事業を行い賄う国だった。そして彼はそんな国の平和を誰よりも考え、数多の村のそれぞれの文化を尊重し、結果、金銭的にも心的にも豊かなその中でルタ・スクリット共和国は大国となった。
そんな国がなぜ、クーデターなんか――ノアはルタを失った大きな悲しみを感じる一方で、ずっとそのことを考えていた。悲しみはカシッドの方が遥かに大きい。彼の前で悲観に暮れることは、彼に申し訳なかった。
「……………ノアさん」
カシッドが、すっかり枯れてしまった声でノアを呼ぶ。
「………うん」
「…………父は………間違っていたんでしょうか?」
カシッドは、ノアと同じ疑問を投げかける。
「…………僕はそうは思わない」
「しかし…………民によってクーデターが………それはつまり………」
「確かに、身分制度は危うい……。それを納得させられるだけのルールが無いと、不満によって簡単に崩壊する。そして、ルタ・スクリット共和国は制度上……少し危うさはあったのかもしれない。でもそれは、豊かさの中で、幸福という形で解消されていたと感じる。幸福は、貪欲になればなるほど遠ざかる。ルタ・スクリット共和国はそれを上手く管理していた。しかし…………宣教師ハリスがそこに一石投じたんだろう。その幸福の均衡を崩し、持っている幸福は偽りであると諭されれば、不満は一気に爆発する。その不満の矛先を王族に向けることで自己を正当化し、やがてその声はどんどんと大きな流れになっていく。負の感情とはそれほど大きな力を持っている。だから……これは明確な外部の意図によって起きた。民意によって起きたものではないと、僕は思う」
ノアは言葉を選びながらカシッドに伝える。これがハリスやシルド神教の『悪意』で起きたとは言わない。彼らもまた、何かしらの正義の下、起こした事件なのだ。例え、友人のルタが殺されようとも、彼らの正義を一方では受け入れなければ、争いは繰り返されるだろう。それは、カシッドや他の者の苦しみをより多くの他者に味わせることに他ならない。
しかし、そう理屈で理解していても、感情はそうはいかない。悔しい。苦しめてやりたい。殺してやりたい。そういう黒い感情は、結局はいつまでも消えずにノアの腹の奥そこでくすぶっている。しかし、それをカシッドに伝わってほしくはなかった。
「…………ありがとうございます。ノアさん。少し、気持ちが晴れました……」
「そうか……それならよかったよ……」
カシッドが気を使ってそういってくれているのは、ノアにもわかっていた。
「……これから、どうなるんでしょうね」
「……ハリスは、カシッドがルタに居なかったことを公表していない。ここから出られさえすれば、君は自由だ……追手は無いだろう」
審問官は、王族は皆死をもって断罪した、と言った。ハリスはカシッドの事を知らないはずがない。どういった思惑かはわからないが、彼はカシッドを見逃したのだ。
「出られたところで…………」
カシッドは俯く。
「…………死んだ方が、楽かい?」
カシッドは、はっとした顔でノアを見やる。
「死にたいのなら、止めないよ。もしかしたら、その方が楽かもしれない。でも、僕は生きていて欲しいと思う。ルタさんもそう思っているに違いない。君はまだ若い。これ以上の苦しみはそうあるものではない。いつかこの悲しみを乗り越えられる日がきっと来る。その時には、今よりもっと多くの大好きな仲間に囲まれて、充実しているはずさ」
「………そう、でしょうか」
「ああ、きっとそうさ」
カシッドの存在のお陰で、ノアは冷静でいられた。カシッドに言う言葉は、そのまま自分にも返ってきていた。
二人は再び長い時間沈黙した。
ノアはファシルファ王国を襲った魔法兵器について考えていた。
門番が言っていた、大人二人分の長さの筒は、きっと発射台の役割を果たしているのだろう。射程は多分、数百メートルほど。大きな魔石を使い切るほどの魔力エネルギーを使っているところを見ると、魔石を破壊することで瞬時に得られる大量の魔力を使って、水素などの可燃ガスを召喚しているのかもしれない。火魔法があるのだ。魔法の原理を知らなくても、水素の存在に運よく辿り着くことは十分あり得る。発射台と発射物に水素の魔法陣と発火の魔法陣。この線が有力そうだ。
そしてここから出られるか、だが――
出られそうな理由は、二人ともシルド神教信徒として振舞っていること。二人とも素性を明かしていないこと、門番に掴みかかったが、危害を加えていないこと。
出られない理由は、カシッドがルタ・スクリット共和国出身であること。
可能性は五分五分、といったところか。
***
審問官アレスが、もう何度目かもわからない、いつもの食事――パンとスープを持ってやってきた。
「ありがとうございます」
好感度を稼ぐため、ノアは礼を欠かさず言うようにしていた。
そして食事の前には、必ずアレスと祈りを捧げる。信徒の模範として振る舞えば、釈放してくれるかもしれないからだ。
「ところで、アレス様……ここ最近の聖戦ですが、これは信仰上、どのような理由がおありなんですか?」
ノアは慎重に言葉を選び、アレスに訊いてみた。
「もしや信仰を疑っているのですか?」
「いえ!そのようなことは決して!ただ……村に来る行商人の中には、聖戦を疑う者もいまして……そんな不届き者に、崇高な教えをガツンと言ってやりたいのです」
「なるほど。貴方自身はどう考えているのですか?」
「僕は……異教徒どもを排除し、この世界に平和と秩序をもたらす為、でしょうか」
「いい答えです。ですが、それともう一つ。この世界は再び、魔素によって支配されようとしています。ここがいい例です。魔素は魔族の活動によって生じます。つまり、このまま魔族を野放しにしていては、人間が住める土地は無くなってしまう。そうなる前に、シルド神教のもと世界を一つにし、魔族を打倒しなければなりません。そのための聖戦なのです」
概ね、ノアの想定通りの理由だった。
「では、今後は魔族を滅ぼす、と?」
「いえ、滅ぼしてしまえば、魔石が入手できない。そうなれば、私たちの生活は成り立たなくなってしまう。つまり、私たちの考える打倒、とは共存共栄。魔族の数を一定に管理し、使役する、という事です」
「そんなことが……」
許されてたまるか!という言葉を、ノアは必至で呑み込む。
「実際、エルノア国では行われているようですね。彼らは魔族を使役し、その利益を独占している。魔族の頭目であるエルフを妻にめとるとは、国王も随分と強欲な方だ。まぁそれも、じきに解決する問題ですが」
「解決…………?いったい何を……」
「一昨日から、エルノア国へ討伐部隊が出兵しました。ファシルファを一網打尽した神の一撃をもって、エルフ魔女、ルナリアを討伐にね。……そろそろ終わった頃ではないでしょうか」
え――?




