3章5話 男は、自分を見つめなおしたかった
ノアがこの世界に転生しかなりの月日が経ったが、どうやらこの世界には明確な季節は無いらしい。
時期によって多少の寒暖差はあるようだが、うだるような暑さも、凍えるような寒さも、ない。
つまり、作物が年中採れるので、開墾が終わったマギナ村の農地で、すぐに作付けが始まったのだった。
今やマギナ村は総出でこの作付けにあたっている。
先日、ノアのところへ交易品を届けに来たビズから、ナーレの村の北に大きなオークの村を見つけた、との報告があった。
話によると、ナーレの狩人が森ではぐれてしまい、奥へとさまよっていたところ、偶然にもオークの一団と遭遇。村へと案内された、とのことだった。
大きな農園があったそうで、ビズには、茶葉の作付け方法を訊けないか確認するように伝えた。
これで保留していたタスクが一つ消滅しそうだ。
きっとドワーフ鍛冶師ドレイクも、仕事のあてが出来て安堵しているだろう。
そしてルーデン公国からも、マギナ村への援助のついでで、ノアのところにフレデリカから言伝を受ける。
なんでも、フェルニス王国から、ファシルファ王国侵攻への参戦要求があったそうだ。
フレデリカは、相手が飲めぬ条件を突き付けて、事実上断ったようだが、どうもきな臭くなってきた。
ノアはこれらをすべてノートに記し、大きなため息をする。
自分が関わっている村は非常に順調そのもの。しかし、情勢――その村の外は非常に不安定だ。
ノアは、構えずにはいられなかった。
いや、そもそも、構える必要があるのだろうか?――
フェルニス王国の侵攻を受けて、確かにナイトハルト率いる領民は逃げた。しかしそれはヒルダンテ公国の領主であるナイトハルト自身の首が飛ぶからであって、領民まで逃げたのは何故なのだろうか?もしかしたら、マギナ村などの小さい自治村に関しては、同じような事にはならないのではないか?そうだとしたら、自治が終わりフェルニス王国に属するだけで、死ぬ覚悟をしてまで戦う必要はないのではないか?――ここは、ケルヒ領元領民と、ナイトハルトに意見を聞いたほうがよさそうだ。
ではなぜ、こんなにも情勢が気になるのか――
たしかにハイデンにも、ルーデン公国にも、仲間と言える知り合いがいる。しかしその安否が気になるだけというわけでもない。戦争が嫌い――確かにそうだ。それは誰しもそうだと思う。ではなぜ――そう問いかけ続けるうちに、ふと感じた問い。
もしかして、世界を、救おうとしているのではないか?
知り合いだけではなく、見ず知らずの者のことまで考えていないか?それは世界を救おうとしているのと変わらないのではないか?人は好きだ。人の営み全てが好きだ。だから失いたくない。しかしだとしても、このちっぽけな一人に何が出来るというのだろう。いやそうではない。世の中を動かす最初の一歩はいつだってそよ風のようなちっぽけな一人からだ。では自分がそのそよ風になるのか?それも違う。ただ静かに慎ましく生きたい。それは本心だ。では今他国で起きている戦争は、自分の幸福に直接影響しているのか?影響していないのでは、関係ないのではないか――
ノアはふと、フレデリカとマリエッタのことを思い出す。
フレデリカは、重要なのはルーデンに刃先が向くかどうか、と言っていなかったか。
マリエッタは、ただ美味い酒が飲めればそれでいい、と言っていなかったか。
つまり、彼女らは自分が関与する半径を持っている。自分が守るべき範囲。守るべき幸福の範囲。ノアにはその線引きがあいまいだった。だから本心とは別に、身の丈に合わないようなことをしようとしているのかもしれない。
「線引き………………か」
自分の幸福とは何か。どこまでが自分自身の幸福と感じられるのか。考える必要がありそうだった。
***
マギナ村での開墾地への作付けに目途が経った頃、ノアは酒場で元ケルヒ領民とナイトハルトに話を訊くことにした。
「作付け、お疲れ様でした!一杯奢らせてください!」
「おおノアさん!ありがとう!御馳走になるよ」
「ところで、少し訊きたい話があって……」
「なんだい?遠慮せず訊いてよ!俺たちの救世主様なんだから!」
「救世主だなんて……。実は皆さんがナイトハルトさんについていった理由を知りたくて。残ったとしても、生活は出来たわけじゃないですか?それなのになぜ……」
「確かにそうだな。まぁ理由は色々あるね。ヒルダンテ公国よりもフェルニス王国の方が税が厳しい、シルド神教を強制させられそう、戦争で落としてくる国に服従するのが嫌……人によって大小あるだろうけど、その辺りかな。要は自由が制限されるような気がしたんだ」
でも――とその元領民は続ける。
「一番は、ナイトハルト様かもな。あの人は領民の今後をよく考えてる。弟に領主を譲ろうとしたのだって、弟の方が父親を正しく引き継げると考えたからさ。フェルニス王国に渡って魔道具技師になったのだって、いつかケルヒ領で使える技術を持って帰ろうとしてのことだ。そんな姿を、俺ら若い世代は見ている。そんな彼が、家々を回って、一緒に逃げないか?安住は保証する!なんて必死に説得するんだ。悪いことにはならない、ついていくべきなんだ。って思ったね。そのおかげで、こうして今美味い酒にありつけてる!ついていって正解だったな!」
がははは――と笑い、ノアの背中をバシバシと叩いた。
***
ノアはナイトハルトの家に向かいながら、先ほどの話を反芻していた。
自由を制限される――それは当てのない旅に出る理由になりえるのか?若い者にとってはそうなのかもしれない。そして、当てのない不安を、ナイトハルトが補完していた。確かに彼にはそういった言葉に出来ない力がある。
「ごめんください、ノアです」
「これはノア様。どのようなご用向きで?」
クリスが出迎えた。ナイトハルトと共に住んでいるようだ。
「ナイトハルトさんと少しお話がしたくて」
それでは中へ――と、真新しいその家へと通された。
「ようこそ、我が救世主!ささ、かけてくつろいでくれたまえ!」
救世主――語源は彼からなのだろう。
「それで、話とは?」
「亡命した時のことを伺いたくて。なぜケルヒ領の人も亡命するべきと?」
ああ――と、ナイトハルトは長い髪をかき上げ、どう話すべきか考えているようだった。
「そうだね……つまらない話になるが、かまわないか?」
「ええ、今回は面白さを期待してませんから」
あっはっは――と、そのノアの言葉に高笑いし、少しだけ困ったような顔をしてから、話し始めた。
「フェルニス王国の侵攻は、ヒルダンテ公国に留まらない。ファシルファ王国へ進軍する足掛かり……フェルニス国内ではそう噂されていたよ。つまり、攻防の末、ヒルダンテ公国がフェルニスとファシルファの戦場となってもおかしくはない。間に挟まれているからね。どちらも大国だ。ヒルダンテが本格的な戦場となれば、農民は助からないだろう。もちろんそうならない可能性もあるし、そうなってほしくはない。そうなるとして、それがいつ起こるかもわからない。しかしそうなってしまえば、もう逃げることは叶わないかもしれない。それなら早いうちに、ってね」
「怖くは……なかったんですか?その……責任というか」
「怖かった……その感情に気が付いたのはここにたどり着いてからだな。それまでは、何とかしなくてはいけない、ついてきてくれた者たちを不安にしてはいけない、そんな気持ちだったよ。きっと、恐怖ってものは、立ち止まっている時に感じる感情なのだと、今の私は思う」
「実際、ここの生活に目途がついてから数日、ナイトハルト様は体調を崩されていました。心労が祟ったのでしょう」
「皆は全幅の信頼を私に置いてくれている。しかし私はそんな優れた人物ではない。肩の荷を下ろした途端に体調を崩すくらいだ。だがこの旅で気が付いた。そんな弱い私を含めて、皆信頼してくれているのだと。それなら私の仕事は一つ。その信頼に応えるのみさ!」
「もし、応えられなかったら……?」
「それでもいい。応えようとしたのであれば、私は私を許せるし、皆も許してくれるだろう。ノアさんだって、きっと許してくれるだろう?」
***
その後、ナイトハルトにクリスも交えながら、酒を酌み交わしながら他愛もない話をした。
一晩宿に泊まることにしたノアは、ベッドに横になる。
「信頼を託す者と、信頼を託された者……か」
ナイトハルトとその領民の信頼関係に、ノアは羨ましく感じた。




