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1章1話 始まりの朝

 窓から差し込む陽光と、肌寒さで目が覚めた。


 暖炉に目をやると、火はもう消えかけ、薪は白く年老いている。とりあえず細めの薪をくべておいたが、暖炉どころか焚火もやったことが無いので、いまいち扱いがわからない。


 家主であるルナリアも、まだ起きてはいない。


 誰もいない部屋、見慣れない家具、空腹――それらは、昨日までが夢ではなかったという現実感と諦めを感じさせた。

 寝付くまで、散々あれこれと不安を巡らせていたにも関わらず、今朝はすっきりとしているのも、そのせいかもしれない。


 だからこそ、少しだけ、心細かった。


 彼は、気分転換に外を散策することにした。



 ***



 外の空気を、目いっぱいに吸い込み、吐き出す。


 なんだか、こんなに清々しい気持ちも初めてのように感じる。

 なんでもやれそうな、そんな気にさえさせてくれる。


 辺りは森だと思っていたが、正確には、森の入り口、といった感じだった。

 家の裏手は深い森になっているが、手前側はさほど深くはないようだ。


 家は、というと、思っていたよりもしっかりした家だった。奥にある鬱蒼とした森も相まって、一言で例えるなら、魔女の家。ここから出て来なければ、中には入りたいとは思えない、言い知れぬ妖しさがある。


 しかし、彼にはそれが、とても魅力的に見えた。


 人里離れた、自然との静かな生活――かつて、彼はそれを望んでいたのかもしれない。古い友人に会ったかのような、懐かしい憧れに出会えた気分。


 ――ここで過ごすことができたら……


 漠然とだが、なぜか、ここに在ることで、全てがうまくいくような。そんな気がした。




 ***



 肌寒くなり家に戻ると、ルナリアは既に起き、紅茶を飲んでいた。


「おはようございます、ルナリアさん」


 挨拶は自分から――きっとそんな生活を今までしてきたのだろう。反射的に、彼は元気よく挨拶をしていた。


「……ぁあ、ぉはょぅ……」


 昨日の毅然としたルナリアはそこにはおらず、どこか弱弱しい返事。

 よく見ると、長い金の髪はもつれ、寝間着は少しはだけている。どうやら、朝は弱いようだ。


「すまなぃ……起きるまで……待っていてくれぃ……」


 自認ではまだ寝ているルナリアは、こぼさぬよう大事そうにカップを両手で持ち、紅茶にゆっくりと口をつけた。



 ***



「待たせたな、すまない」


 まだ少しおぼつかぬ足で寝室に戻った後、ややあって再び登場したのは、服を着、しゃんとした背筋の、昨日会ったルナリアであった。


「改めておはようございます。ルナリアさん。先ほどのルナたんには、おやすみとお伝えください」


 何故だろう、昨日ルナリアに遊ばれたせいだろうか。どうも茶化したくなってしまう。


「なっ……し、仕方ないだろう……朝は、弱いんだ……」


 後半は消えそうな声で、色の薄い頬を少し赤く染めて言い訳がましく言うルナリアに、彼は少しかわい気を感じた。


「…………朝食にする。君も手伝え」



 ***



 朝食の準備をする傍ら、調理をするルナリアを観察する。


 ――指先で火を操り、フライパンで卵と干し肉を焼く。

 ――冷めていたはずのティーポットが勝手に温まる。


 食器が浮いて配膳を……とまでは行かなかったが、魔法が確かにあること感じた。


 あまりにも珍しそうな顔で見ていたのだろう。ルナリアはいたずら気に、


「そんなに女性の手料理が楽しみか?」


 などと訊いてきたが、冗談で返す余裕は彼にはなかった。


「ああ、いえ……魔法が……」


「ん?魔法が珍しいのか?」


「僕は初めてみました……便利ですね……へぇ……」


「初めて?……まぁ、魔道具なしで、というのは確かに珍しいか…」


 いえ、そうではなく……と言いかけて彼はやめた。この世界はきっと、この程度の魔法は魔道具があれば容易なのだろう。そして、その魔道具は、かなり広く一般的な代物だということも。


「ほら、できたぞ」


 スライスされたパンに、目玉焼きと干し肉がのっていた。異世界で食べる初めての食事。


「いただきます……」


 手を合わせ、そうつぶやく彼を、不思議そうにルナリアは眺めた。


 味は……まぁ、想像通りというか、若干下回った感じ。パンは固くぼそぼそとしているし、干し肉も少し臭みがある。そもそも、味が淡泊というか、薄い。素材の味。


 一瞬、ルナリアの料理スキルを疑った。たしかにそれもある。あるのだが、きっと素材そのものによるところも大きいのだろう。






 美味しい!などの言葉も無く、淡々と二人の食事が進んでいく。





(そういえば、向かい合わせは初めてだな……)


 食事の大半を済ませ、紅茶をすすりながら、彼はふと、そんなことを思った。


 窓から差す陽で照らされたルナリアの顔を、じっと見やる。


 色の薄い肌、整った小さな顔立ち、大きな瞳に長い睫毛――


 綺麗な人、程度には薄暗い昨日の段階でもわかっていたが、こうして近くで見ると、その想像を軽く超えてしまい、思わず驚き、息が止まる。


 彼はそっと目線をそらし、気づかれぬよう息を整える。


(これは……かえって目に毒だな……)


 きっとこの顔で迫られれば、なんだってしてしまう――自分がそう単純な男でないことを祈りたい。



 ***



 二人とも食事を終え、一息つく。ルナリアはつまらなそうに読書を始めた。


 彼は紅茶のお代わりをもらい、何となく許されていそうなので、そのままルナリアの正面に座ってみる。

 ちらり、とこちらを見たが、そのまま本へ目を落としたところをみると、許してくれているのだろう。


 そのまま、お代わりの紅茶を半分ほど飲んだところで、彼は話を切り出すことにした。


「ルナリアさん」


「なんだ?出発か?」

 本から目線をそらさず、そう切り返す。


「いえ、そうではなく、」


 彼は一呼吸置いた。その仕草に、ルナリアも顔を上げる。


「僕を、雇いませんか?」


 その言葉を聴き、少しの間、目が合う。そして興味が失せたのか再び目線を本へ戻し、


「なぜ?」

 そう短く、少し気だるげに訊く。


 彼は、昨日の夜考えたこと、今朝散策中に感じたことを素直にぶつけてみることにした。


「僕には、どうやら記憶がありません」


 だろうな――と、特に興味もなさそうな相槌をいれる。


「記憶が無い、というよりも、自分自身に関する記憶が抜けているようで……残っている記憶から考えると、これは推論なのですが……どうやら異世界から来ているようでして」


 異世界――その言葉に、ルナリアは重たそうに頭を上げ、真剣な彼を一瞥し、ため息とともに背もたれに寄りかかる。目頭を押さえ、二度目のため息とともに髪をかき上げた。


「はぁー……そんな予感はしていた、していたさ……行き倒れ、所持品無し、魔法を知らない、食事前の謎の所作……古い文献、特に勇者英雄譚の類には、そういった記述がいくつかある。あるがしかし……」


「……なんなら異世界ネタ、披露しましょうか?」


「いらんいらん!もうお腹いっぱいだ!それよりなぜ転生なんか……いやこれ本人に訊いても意味が無いのか」


 ルナリア突っ伏した。少し動揺しているようだった。それに、少し早口だった。彼も、ここで彼女が食いつくとは思っていなかった。


「で、雇ってもらえそうですか?」


「異世界人……確かに興味が無いわけではないし、君の今後も気にならないわけではない。しかしなぁ……私が面倒を看る義理というか……そもそも私なんかが看て良いものなのかもがなぁ……」


 ――あと一押し、そんな気がした。


「ちなみに、ここからが本題なのですが……」


「まだなにかあるのか……?」


「僕、ルナリアさんの役に立てると思うんですよ。例えば、掃除、洗濯、料理。僕も得意ではないですが、ルナリアさんの代わりになることができます。すると、どうでしょう?ルナリアさんの時間が増えます」


「まぁ……確かに」


「そして、少し生活に慣れたら、仕事のお手伝いも出来ると思います」


「ほほう、どんな?」


「街までポーションを卸す、注文を受ける、来客対応をする……どんな形態の商売かはまだ分かりませんが、きっと一人でやっているのでしょう?僕の食い扶持くらいはお役に立てそうかな、と。」


「人体実験、とかも、そのお役に含まれるのか?」


 来たな!意地悪な質問!



「その……性的なものでなければ」



 ………

 ……

 …



 ルナリアは、そのまましばらく、うーんと頭を抱え悩んでいる。


(性的な人体実験も、オプションに入れるべきだったか?)


 そんなことを考えながら、彼はじっくり彼女の回答を待った。



 …

 ……

 ………



「よし、わかった。君を雇うことにする」


 長時間悩んだ末、ようやく彼女の口から結論が出た。


「本当ですか!ありがとうございます!」


「一応、まずは理由から伝えておく。それは、君が異世界人であるのが理由のほとんどだ。異世界人とは本来、世界の転換期にのみ現れる、とされている。まぁ、文献や伝承にあるのは、創世記に一度、魔王討伐に一度くらいだがな。しかし今はそういった転換期ではない、と少なくとも私は思う。ではなぜ転生されてきたのか……これが判らなくては、君の処遇を決められない」


 ――確かに、もし彼が勇者なら、野垂れ死にさせる訳にはいかないだろう。


「また、その少ない文献で描かれている内容と、君とでは、状況が大きく異なる、と私は考えている。具体的には、まず記憶喪失。魔王討伐を果たした勇者4名は、全員に記憶があった。そして、姿。勇者4人の髪色は黒く、瞳も黒みがかっていた、とある。この世界ではほとんどいないから、かなり珍しい。それが、どうだ?君の姿は……」


 ルナリアに鏡を渡され、覗く。そこには、黒がかった銀髪で、濃い碧眼のおじs……青年が映っていた。


「おおう……!?」


 彼は自分の今の姿を初めて見た。

(なかなかのイケおz……美青年なのでは?でも、こうしてみると……)


 違和感はそこに確かにあった。自分自身への記憶が欠落しているにも関わらず。髪や目の色もそうだが、年齢が、すごく若いと感じた。見た目では、30代前後だろうか。決して、若い!と手放しで思える年齢ではない。つまり、転生前の年齢はもっと……


「そう、この世界の住人となんら見分けがつかないのだ。君は記憶がないから実感がないだろうが……」


「……いえ、それでも、僕のいた世界ではこんな髪と目の色は……」


「つまり、本来異世界人とは、異世界からそのまま連れて来られるのに対し、君の場合はどうも違う。この不一致が何を意味しているのかは分からないが、それでも、やはりどうやら私に、君の面倒を看る責務があるようだ」


「でも、それにしては悩んでいましたよね?動揺、というか……」


「それは…………うん……そうだな、君には伝えておこうか」


 ルナリアは、そっと横髪をかき上げた。


 ツンと上に向いた、長く尖った耳――


「私は、エルフなんだ。普段は魔法で隠しているがね……」


 すっ、と髪をおろすと、耳は髪に完全に隠れてしまった。


「そして基本的に、エルフは人里で生活なんてしたりしない。言いたいことは、わかるか?」


 つまり、ルナリアは()()()、なのだ。


「こんな外れエルフが異世界人を看る、というのは、どうも恐れ多くてな」


「でもまぁ、もし世界の創造主がいたとして、僕をここに導いたのが彼なのだとしたら、ルナリアさんが僕を看るというのも、また彼の意志なのかもしれませんよ」


「まぁ……そうかもな…………。なんだ、良いことも言えるんだな」


 ルナリアは、まるで女神のような微笑で、そう返した。



 ***



 その後、いろいろな事が決まった。


 まずは仕事。家事全般と来客の応対が主である。

 空いた時間は、ルナリアが、この世界のことを色々教えてくれるそうだ。

 ある程度この世界のことを学ぶまでは、この家が見える範囲で行動すること。

 賃金は、自分の仕事を自分で見つけ、対価を得たもののみとすること。

 本や研究道具は、勝手に触らないこと。


 そして、名前――


「そうだ、名前を決めなくてはな」


「はい、おねがいします」


「え、私が決めるのか?」


「はい、お願いします。主様」


「なんだか使い魔みたいだな……」

 ――使い魔、なんて存在するのか。


「よし、決めたぞ。ノア。君の名前は、ノア、だ」


 ノア――短くて心地の良い名前だ。


「お名前、頂戴いたしました。ルナリア様。今後はこの『ノア』に、なんなりと」





 こうして、彼はノアとなった。

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