2章7話 公女は、旧友に逢いたかった
まだ真夜中、いや朝方なのだろうか。かすかに夜空が群青に変わりつつある。
ノアはまだ眠い目を擦り、もぞもぞと準備を始める。
少ししてドアのノック音が聴こえてきた。ルークの出発の合図だ。
「おはようノアさん。ちゃんと起きられて安心したよ」
「おはようございます。僕も安心しました……」
まだ日が昇る前。ルークたちは荷馬車を魔女の家へと出発した。
「そういえば、マリエッタさんまだコルダにいましたけど、乗せなくて良かったんですか?」
「この時間の出発だからね。教会なら無人でも入れるから、私の宿の心配はいらないよ」
そうでしたか――と、ノアは昨日のマリエッタさんを思い出す。
(あれは……この時間には起きられないよな……)
きっと昼過ぎまで爆睡だろう。
段々と、ゆっくり、空が明るくなっていく。朝と夜の中間にいるような感覚。遠くのエルデ山脈から太陽が顔を覗かせると、世界は色を帯び、一気に鮮やかになる。そんな奇跡的にも感じる瞬間を過ぎれば、いつもの見慣れた朝が始まっていく不思議さ。
ノアはただ、荷馬車に揺られて、その瞬間を楽しんでいた。
***
積荷もほとんどないので、荷馬車は快調に進んでいく。
夕方前、と言っていたが、この分だと昼過ぎには魔女の家に着きそうだった。
「そういえば、近隣の村って、他にあるんですか?」
「うん、酪農中心のニース村、野菜や果物中心のカイン村くらいかな。どちらもハイデンから馬車で半日くらいだね。そっちの交易は重量があるから、専用の荷馬車を使うよ」
「なるほど……。交易路で野党に襲われたりはしないんですか?」
「まぁないとは言わないけど、行商人はみな護身用の魔道具を持っていてね。これをくらうと足が痺れて動けなくなるのさ。数時間くらいね。私のような一般人には、せいぜい5発くらいが精いっぱいだけどね」
「へぇ……すごいですね」
「そのリスクと、奪えるものを考えたら、襲ってもそこまで美味い獲物ではないよね」
「なるほど……確かにそうですね」
「貴金属のような高級品を運んでいるなら、護衛は必須だよ。野党も馬鹿じゃない。そういう商会の動きを読んで計画的に行動する。だからあえてダミーを走らせたりして、こちらも策を講じるのさ」
そんな話をしていると、魔女の家が見えてきた。見えた瞬間、旅の疲れがどっと感じる。気が緩んだのだろう。
「長旅ご苦労様。最後に申し訳ないけど、ルナリアさんに言って、ポーションを受け取って馬車に積んでもらえないかい?」
「分かりました!」
ただいま戻りました――とルナリアさんにあいさつし、帰って早々、ばたばたとポーションの準備をする。数を数え、荷馬車へ固定する。
「それではルークさん!また!道中お気をつけて!」
「うん、ありがとう!それじゃあね!」
ルークは帰っていった。
***
「ふぅ…………」
ノアはソファに座り、脱力していた。
「お疲れ様。どうだった?人間領は」
ルナリアが、紅茶を差し出しつつ訊いてくる。
「いろいろ勉強になりました。僕はまず、この家に自分の部屋を作りたいです。やっぱりベッドは良いものでした……」
「そうだな……考えておく。それで、どんなところを回ったんだ?」
「まずはマギナ村に行きました。知ってますか?魔法使いの村」
「ああ知っているさ。優秀な魔導士が多い村だろう?魔道具や魔術書なんかの店も多くてな!で、なにか面白いものはあったか?」
「…………ルナリアさん、ここ10年は確実にこの家から出ていませんね?」
「ん?なぜだ?」
「マギナ村はもうしばらく、そういう人を輩出出来ていなくて、かなり寂れてしまっていましたよ」
「え……そうなのか?……また魔導書を物色しに行こうと思っていたんだがな……」
この引きこもり魔女エルフめ――ノアはそう心で罵った。
そんな他愛もない話をしていた頃だった。
護衛付きの大層豪華な馬車が魔女の家の前に停まり、コン、コン、コン、と上品なノック音が聴こえる。
「フレデリカだな……ノア、急いでここら辺の片付けを」
わかりました、とノアは急いでソファをほろい、テーブルを拭いた。
ルナリアがドアを開けると、執事と思わしき人物が立っていた。
「おひさしゅうにございます。ルナリア様。フレデリカ様を中へお通ししてもよろしいですかな?」
「ああ、かまわない。入ってくれ」
馬車から、ゆっくりと降りてきたのは、赤く着飾った少しお年を召した淑女。執事に手を引かれ、家の中へと入る。執事は玄関外で待機するようだ。
「お久しぶり。ルナリア。10年ぶりくらいになるかしらね。貴女は変わらなくて羨ましいわ」
「ああ、久しぶり、フレデリカ。貴女は……少し老いたな」
「その皮肉ぶり、変わってないわね。私にそういう口を利くのは友人の貴女くらいなものよ?」
うふふふ――と、楽しそうに笑っていらした。察するに、きっと高貴な身分なのだろう。
「ところで、そちらのお方は?」
「ああ、彼はノア。ここの使用人みたいなものだ」
「初めましてフレデリカ様。私はノアと申します」
一応、膝をつき、知り得る限りの最敬礼で挨拶をする。
「ご丁寧にどうも。私はフレデリカ・フォン・ルーデン。ルーデン公国の公女をしています。でもここではただのルナリアの友人。気を使わないで頂戴?」
公女!!――最敬礼は正しい選択だった。
「はい、わかりました。ありがとうございます。それでは今お茶の準備を……」
なるべく関わらないようにしないと、どこで失礼をはたらくか分かったものではない。ノアは紅茶の準備を速やかに済ませ、奥に控えた。
「このソファ、まだ使ってくれているのね。この家だって。もうかなり年季が入っているでしょうに」
「このソファも家も、貴女が私にくれた大切なものだからな」
「だって、身一つで『独立する』なんて言うんですもの……当時はどこか危なっかしかったわね、お互い」
「そうだな。私もついていく!なんて言い出した時は、どうしようかと思ったよ」
「もう30年ほど経つかしら。今思えば青春していたわね。今でも夢のような日々だったと思い出す日もあるわ。歳をとったわ私も」
「なんだ、もう公女自ら鍬を持って開墾とか行っていないのか?」
「まったくいつの話をしているの?あれはまだ10代の頃でしたでしょうに」
うふふふ、はははは――と、二人とも仲良さげに昔話に花を咲かせている。とても微笑ましい光景だ。
「貴女はどうなの?エルフとはいえ、結婚しない種族ではないでしょう?」
「貴女は本当に……そういう話が好きだな」
「で?人間嫌いのルナリアちゃんは、どうして人間の男を使用人にしているのかな?」
いたずらっぽく、ルナリアの顔を覗くように茶化す。
「なっ……別に深い意味はない……行き倒れていたのを助けて、その、成り行きでそうなっただけだ……」
「さぁ、本心はどうなのかしらね?ノアさん……といったかしら?ちょっとこちらへいらして?」
うわ、呼ばれてしまった――
「はい、なんでしょう?フレデリカさん」
「貴方は、ルナリアのこと、どう思っているの?」
来た!来ると思っていた!――
「そうですね……たまに意地悪ですが、心根は優しい、僕の命の恩人です」
「ノアさんも逃げるのがお上手なのね。まあいいわ。ノアさん。ルナリアをこれからも支えてあげて頂戴。彼女はああみえて、脆いところがあるから」
「わかりました。お言葉感謝します」
「それで、ここからが本題なのだけれど。最近フェルニス王国がヒルダンテ公国に侵攻を始めたのはご存じ?」
「ああ、行商人から噂程度には」
「実はルーデン公国にも、ファシルファ王国侵攻への参戦要求があったわ。こちらにメリットが無いのでお断りしたのだけれど、きっとヒルダンテ公国にも同じ書状が届いていると思うの。ファシルファ王国攻略には、ヒルダンテ公国協力のうえで、彼らの港からエルデ山脈を迂回し侵攻するのが効率的。でもヒルダンテはそれを断った……。それでフェルニスは刃先をファシルファからヒルダンテに変更……というのが私の見解よ」
ハイデンで聞いた演説と話が繋がる。やはりフェルニス王国はファシルファ王国攻略を目的としているようだ。でもなぜ、近隣国を攻めてまでそれを――
「でもなぜフェルニス王国はファシルファ王国を……」
ノアはつい、口から出てしまった。しかし特に気に留めることなく、フレデリカは応えてくれた。
「そうね。領地拡大にしても、フェルニス王国にとっては近隣にまだ未開拓地は多い。宗教的な対立が濃厚だけれど、ヒルダンテ公国を屈させ、エルデ山脈を越えてまですることでは、ないわよね」
フレデリカは、ノアの考えていたことを見通していたかのように言う。
「正直なところ、私もその理由についてはわからない。でもシルドニア皇国が裏で手を引いているのは間違いないと考えているわ。その真意は今いろいろ調べさせているから、情報が集まり次第判断しようと思うのだけれど、ルーデン公国として大事なのは、いつフェルニス王国がこちらに刃を向けてくるか、なの」
「なるほど……ポーションが必要なんだな」
「さすがルナリアは察しがいいわね。まずは200。可能な分からでかまわないのだけれど、お願いできるかしら?」
「ああ、いま増産体制に入っている。そうかからず全数納められるだろう」
「それは素晴らしい。ありがとうルナリア……代金とは別に、せっかくだから贈り物もしたいのだけれど、何か不便はないかしら」
「そうだな…………ああ、彼の、ノアの部屋をこの家に増設出来ないだろうか?」
「わかったわ。すぐに職人を集めて作業に当たらせるわね」
「ありがとう」
「僕からもありがとうございます!」
「ノアさん、あなた、なかなかいい目をお持ちのようね。もしルナリアに飽きたらルーデン公国に来なさいな。官僚の席を空けておくわ」
「え、それは…………」
「それでは失礼しますね。また近いうちに、ごきげんよう」
言いたいことを言って、フレデリカは帰ってしまった。




