1章10話 男は、早く魔女の家に帰りたかった
………………
きっと夢の中なのだろう。
まるで映画を一人称で見ている感じだ。
彼は人が好きだった。面倒見がよく、相手のことをよく理解していた。
彼はきっと、立場のある役職なのだろう。多くの人々、様々な部署へ指示をしているようだ。
彼がこなさなくてはならない仕事が山積みだが、部下からあらゆる相談が飛んでき、手につかない。
彼は優秀で優しかった。その相談に丁寧に答えつつ、具体的なサポートまで介入している。
定時になり、退勤する部下たちを笑顔で見送り、ようやく自分の仕事に取り組む。
しかしその大半は、部下から相談を受け、任せきれなかった課題ばかりだ。
そのいくつかの解決策を資料にし、ようやく帰宅準備。もう日付を超えようとしている。
大きな家だ。きっと家族もいるのだろう。
しかし、家の中は暗く、人の気配が無い。洗濯物は溜まり、ゴミがあちこちに散乱している。
壁には家族の面影が所々に見える。
離婚――彼の記憶がそう告げる。
彼は忙しすぎた。家族や仲間の生活を守るため身を粉にして働いた。上司にも部下にも信頼され、それが嬉しかった。
しかしその結果、家族との心の距離はどんどん離れ、別々の道を選ぶことになった。
そしてやりがいのあった仕事にもいつしか追われ、求められ、仲間を守らねばというくさびの中で徐々に彼の心はすり減っていった。
家に帰り、独りでは大きすぎるソファに座ると、毎度虚無感が彼を襲う。
本当に大切にしなければならなかったものは何だったのか?
自分を大切にしてくれていた家族を、どうして手放してしまったのか。
自分は、自分を大切にできているのだろうか?
どうして、こうなってしまったのか――
「……………はっ!!!」
ノアは勢いよく飛び起きる。
手が冷たく震え、冷汗が背中にべっとりと張り付いている。名前を思い出そうとした時と同じ感覚。
おちつけ、おちつくんだ――
ゆっくり深呼吸をし、天を仰ぐ。見知らぬと感じた天井は最近よく見る天井。記憶が前世と混濁している。
あの夢は――
確証はないが、間違いなく過去の記憶だった。記憶が戻ったわけではないが、自叙伝を自分で読んで追体験したような、妙に納得感のある物語。そんな夢だった。
頼られるが、頼れない。
拒まれたくないが故の、オーバーワーク。
尽くすが故に、自分がわからなくなる。
皆を見るが故に、自分が見えなくなる。
人を知りたいが故に、人に絶望していく。
人が好きが故に、人に疲れていく。
どうしようもない袋小路。打開できない根本的な矛盾。
彼はついぞ、その矛盾は解決できなかったのだろう。
ノアは重く深いため息をつく。
だからノアは、人里から離れて静かに暮らしたかったのだ。
人の助けにはなりたい。面倒ごとはアドバイスしたい。それが出来る力があるからだ。
しかし深く首を突っ込めば、性格上、責任から逃れられなくなる。こうなるのを避けたかった。
仲間を頼る――
ヤドの言葉を再度思い出す。
結局、これが足りなかったのだ、と。しかしこれは今のノア自身も悩んでいる通り、言葉では簡単だが、会得はノアには難しく感じた。簡単に出来ていれば、夢の中でああはなっていない。
しかし、人と距離を置いたところで、果たして幸せなのだろうか?
仲間と分かち合う興奮も、達成感も、人と繋がる一体感も、居場所も――すべて捨てたとき、本当に幸福は感じられるのだろうか?
人間は、他者との関わりの中でしか、活きてはいけないのではないか?
他者との関わりとは、頼り頼られることであるなら、頼れていない自分は生きづらくなるのは当然ではないか?
――本音は、人里から離れて静かに暮らしたいのではなく、人との関わりの中で、穏やかに暮らしたいのではないか?
自問自答するノアに窓から、いつぞやのように星の光が注ぐ。
ルナリアさんに会いたい――ふと、そんなことを思った。
***
後日、各村で行った、移住に関してのアンケートの集計が第二回会合の中で公表された。
内容としては概ね理想の配置となり、全員納得の上で可決となった。
新村の場所も決まったようで、これをもっていよいよ本格的に動き出すこととなる。
新村の名称は、村長ビズと妻マイの名を取って、「ビズマの村」と名付けられた。
こういう名付け方は、どうやら獣人族の風習らしい。
ビズも鼻息荒く、気合が入ったようだ。空回らないを祈る。
今後は、相談事があれば魔女の家まで来てもらい、ノアに助言を乞う形をとることにした。
ノアの中には、交易方法の精査や食料の需要供給バランスなど、まだまだ作りこみが足りないと感じる部分はあったが、まずは全て彼らに任せることにした。丸投げ、といえば聞こえは悪いが、こうしないと彼らも、そしてノア自身も、育たないと考えたからだ。
そしていよいよ、魔女の家へ帰る時がやってきた。
「ノア殿、今回の事、本当にありがとう。心からの感謝を」
ヤドは深々と頭を下げた。
「ノアーリン……またすぐに会いに行くからね!」
ミィは新村ビズマへの移住を決めていた。理由は、ノアにすぐ会えるから、だそうだ。
「皆さん、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました!」
それではまた!――と、手を振るノアを背負い、ゼフ一行は出発したのであった。
***
やはり獣人の脚は速い。
一晩の野営を経て、翌日の昼前には魔女の家へと着いた。
半月は向こうで過ごしたため、魔女の家よりも過ごした時間は長かったが、それでもノアには、帰ってきた感が大きい。
ゾフたちに、中で少し休むことを提案したが、すぐに戻るとのことだったので、ここでお別れとなった。
「ゾフさん、アルさん、エルさん。最後までありがとうございました」
「いやいや、礼を言うのはこっちの方だ!まだまだ頼らないとならないと思うが、よろしくな!」
「ええ、気軽に遊びに来てください!」
それじゃあな――と三人は帰路に就いた。
「さて、この扉を開けばルナリアさんがいるのか……」
早く会いたいような、気恥ずかしいような、くすぐったい気分だった。
「ただいま」
「おかえり」
そう言ってもらえる相手がいるというのは、こんなにも嬉しいんだな――
ノアは、少しだけ涙がにじんだ。




