もう一つの物語「虐殺篇」
この物語は、5話の展開から分岐したバッドエンドルートです。ミサキの“あの行動”は、この展開を避ける唯一のターニングポイントでした。
【ミサキ視点】
わたくし、ミサキは、その日、どうしてもマツリさんに声をかけることができませんでしたの。
敗北を味わい、プライドが剥がれ落ちた裸の心は──まるで素肌で凍てつく鉄に触れるかのように、脆く、脆く……
ああ、そう。怖かったのですわ。
謝って、拒まれることが。
手を差し伸べて、その手を振り払われることが。
でも、きっとそれは──言い訳でしたのね。
*
マツリさんの異変に、最初に気づいたのはカレンでしたわ。
「……ミサキ、アレ……マツリ、ちょっとおかしいよ」
マツリさんが指名したスパー相手は、マキさんでも手こずるナンバー5の猛者。
結果は、十秒でしたの。
開始直後のボディ一撃で相手は嘔吐し、悶絶し、失神。
……まるで、カレンさんがやられたときのように。
ああ、でもマツリさんの目は……あのときと、違っておりました。
もっと深く、冷たく、虚ろで、恐ろしく美しい瞳。
それはまるで──血に濡れた刃のようでしたの。
*
そして……あの“決戦の日”が、訪れました。
ユリカさんとの戦いは、わたくしですら手に汗握る死闘でしたの。
けれども、途中で気づいてしまいました。
──これは、戦いではありませんわ。
──これは、“殺戮”ですわ。
かつて女帝と呼ばれたユリカさんが、まるで袋叩きにされるように殴られる。
誰よりも強かったあの人が……もう、防戦一方で、何も返せておりませんでした。
「っぐ、が、あ、うぐっ……! ま、まだ……!」
ユリカさんは、吐血しながらも立ち上がろうとなさいました。
でも、立ち上がった瞬間──
「……おやすみなさい」
そう静かに呟いたマツリさんの右拳が、鳩尾を、深く深く抉りました。
そのとき、観客席で──悲鳴が上がりました。
「っ……お兄、ちゃん……?」
ええ、フミヤさん。
彼はマツリさんの拳を見て、心を引き裂かれたような顔をなさいました。
過去の悪夢を、もう一度叩き込まれるかのように。
彼は、逃げるようにその場を去られました。
残されたマツリさんは──ユリカさんの倒れた身体を見下ろしながら、ただただ立ち尽くしておりました。
*
そして今──
マツリさんが、ジムの“女帝”です。
いいえ……正確には、“虐殺ボクサー”として君臨なさっておりますわ。
誰も彼女に逆らえず、挑む者は試合で再起不能にされ、スパー相手は控室で嘔吐する有様。
かつてのわたくしが、罰ゲーム係として慣れ親しんだ悪意と暴力が、今やマツリさんの背後に黒い炎のように揺らいでおります。
*
わたくし……知っておりますの。
これが、わたくしの罪の結末であることを。
マツリさんに手を伸ばすことを、恐れた結果であることを。
だから──だからこそ。
「……次は、わたくしが止めてみせますわよ、マツリさん」
あの日、握れなかった拳を、もう一度握りしめます。
今度こそ、これは“救うため”の拳。
赦しを乞うためではなく、貴女の“心”を取り戻すための挑戦状。
これはきっと、“もう一つの物語”。
けれど──この物語だけは、わたくしが決着をつけてみせますわ。
たとえ……貴女の拳が、わたくしのすべてを打ち砕いたとしても。




