第7話 後編 「サンドバッグの誓い」
マキのおとぼけキャラは、すべてこの回のための前振りでした。
「……アンタがすべての元凶なんだよ、マキさん」
拳を突き出すたび、喉の奥から熱が湧き上がった。
「お兄ちゃんが壊れたのは、アンタのせいだ!」
皮膚を打つ感触。鈍い音。マキの身体が揺れる。だけど、抵抗はない。避けない。殴り返してもこない。
「なんでよ……なんで何もしないのよッ!」
叫びながら、また拳を叩き込んだ。
マキの身体は明らかに痛みで歪んでいたのに、どこまでも呑気な笑みを浮かべていた。
「ふふっ、あたしって、ほんとダメな先輩だったよね〜」
――黙れ。
頭の奥で、“もうひとりの私”が目を覚ました。
《あの女は、壊していいよ。だって、お兄ちゃんを壊したのはあの人間なんだよ。》
《許しちゃダメ。立ち止まっちゃダメ。やめたら、アンタは何のためにここまで来たの?》
「うるさい……!」
自分で自分に、怒鳴る。
でも止まらない。止まれない。手加減もできない。
このまま殴り続けたら、マキさんは――
……そのとき、気づいた。
マキさんは、ずっとわざと殴られ続けてたんだ。
「……もしかしてアンタ、最初から……私の八つ当たり受け止めに来ただけ?」
「ん〜。ちょっと違うかも。あたし、“身体を使ってマツリちゃんのために尽くしてこい”ってフミヤくんに言われちゃったしね〜。だから、こうしてサンドバッグ中♪」
「ふざけないでよ……!」
涙がにじんだ。
呆れと怒りと、よくわからない気持ちがごちゃまぜになって、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。
「殴ってほしいだけなら、今度は本気で応えてよ。わたしはサンドバッグじゃなく、戦ってくれる“相手”がほしいの!」
マキさんは一瞬目を見開いたあと、くすりと笑った。
「そっか。……わかった。じゃあ、ほんとの“あたし”を見せてあげるね」
そして、あのいつもずり落ちかけてた眼鏡を外した。
その瞬間、マキさんの顔が、別人みたいに引き締まった。切れ長の目。ブレのない視線。まるで、空気が変わったみたいだった。
「ユリカに次ぐナンバー2って呼ばれてる意味……その身体で覚えてね?」
ぐっ、と息を呑んだ。
たった一発。たった一発のジャブで、私のガードが大きく動いた。
強い――多分ユリカに匹敵する。いや、タイプが違うぶん、余計にいやらしい強さだ。
「ッ……でも、負けない!」
拳と拳がぶつかる。ただ、殴るだけ。でもその重みは、命のやりとりに近かった。
殴られ、殴り返す。
汗と血と涙が混ざり合う中、あの声がもう一度――
《なんでその女、壊さないの? 復讐できないアンタに何の価値があるの?》
でも。
「もう、いいんだよ……」
声に出してそう呟いた。
不思議と、涙は出なかった。ただ、体の奥にあった何かが、ゆっくり溶けていくのがわかった。
“もうひとりの私”は、抵抗もせず、静かに消えていった。
最後の一発を、全力で放った。
そしてマキさんの拳も、私の顔面を正確に撃ち抜いた。
お互い、同時に崩れ落ちた。
――でも、なぜか、ほんの少しだけ笑っていた。




