緑の献替子
〜プロローグ〜
とつぜんですがみなさんは、忘れたい記憶がありますか?私は…あります。
私の住む国、メイビスでは、ここ数十年で嫌な記憶を消すことができる装置が開発されました。初めはみんな、どんな経験も生きる糧になるって言ってた。みんな怖いって言っていた。
でもそれは、いつの時代においても同じこと。新しいものも、どんなにおかしいと感じられていたことも、時間が経つにつれて徐々に受け入れられていき、記憶をすぐ消す習慣もまた、同じように文化として定着していきました。
けれど…いざ記憶を消すとなると…いつになっても、こわい。
それでも私が消すわけは…
なんだっけ?よく、おぼえてないや。
1話 待ち合わせ
ここのはずだったんだけど。
僕は人混みに揉まれる。大通りの一本の木の下の丸い花壇に腰でもかけて、一服しよう。
幅の広いレンガ通り。同じく木の根を取り囲むようにレンガで形作られた花の壇。
木の幹には名も知らぬキャラクターの絵が、スプレーの類で落書きされていた。バカバカしいと感じ、一人で首を横に振っていた。そろそろ暇を持て余してきた頃だった。
「おーい、」
丁度良く、通行人の頭の向こうから元気があるのかないのかわからない声がした。僕は少しだけ前に進んで、それが流れつくのをまつ。
「ウツワは、道を、迷った、」
この子はウツワ・D。いつもに増しておしゃれをしていた。うねうねした桃色のミディアムヘアが特徴だ。裏表のないような、全てを知り尽くしたような赤い優しい瞳をもつ。最近転校してきたクラスメイトだ。前世は怪物だったらしく、そのせいか言葉が少したどたどしい。
ちなみに僕はキヤ・L。今日はここ、アニメシアに、友人達と遊びに来ることになっていた。
アニメシアは、メイビスで有名なアニメの聖地だ。僕自身はそんなにアニメに興味はないが、性格上、誘われたことを断るのは難しかった。
しばらくして、もう1人が木の裏からぬるっと姿をあらわした。
「ごめんごー。遅れちゃった感じー?」
彼は陽気に挨拶をした。時間を過ぎたというには程遠かった。
「全然!」
僕は明るく気遣った。
「結果、無駄な心配っていうね。」と、軽い答えを返す彼はおおよそそれほど深く考えていなかった。
おどけたような、少し飄々とした喋り方をする、メガネをかけたこいつの名前はクレイ・N。寝癖のような長い髪を肩にかけている。赤いカーディガンは独特のひとつがけスタイルで、ボタンは1番上しか止めない。脚が長く、金色の線で縫われた青いジーンズを着こなしていた。ウツワと同じくクラスメイトだ。
僕らは自転車レンタル所に向かった。アニメシアの通りは距離と幅どちらも長かったので乗り物が必要だった。
レンタル所の所員は、適当に取っていけというかのように、原色の自転車を指差していた。その指はあさっての方角を向いていたが、眠そうにしていたので、そこにはあまり触れず、使用欄に名前と時間を書いて去った。店員の寝顔を一瞥し、クレイは静かに扉を閉めた。まるでこっそり魔法の国にでも行くかのようだ。それぞれ好きな自転車のハンドルを手に取る。周囲に注意を払いながら、僕はスタンドを上げ、自転車に乗る。
生え際をふきぬける風。
アスファルトの坂道のカーブは崖に聳えていて、そこを下った先にはさながら繋がっていたかのように、駅前と同じレンガの道並みが続いていた。
乱れる髪を片手で押さえていたが、イタチごっこで拉致があかないので、思い切ってその手を離してみることにした。そしたら思いのほか清々しく、チャリチャリとなるチェーンを爽快に感じるようになった。僕は流れていく景色に目が揺れた。
途中で、クレイがレースをしようと提案してきた。乗り気ではなかったが、足に力を入れて強くペダルを踏み込み、少しずつ前進した。
しばらく漕ぎ続け、駐輪場が見えてきたところで、クレイが突然、追い越してきた。それに後続してウツワもスピードを上げる。僕はおいていかれそうになった。事故にならないようにみんなに注意を促し、僕もしぶしぶペダルの回転を速めた。
結果は、クレイの勝ちに終わった。
「言い出しっぺが最速だったってゆーね?」
駐輪場に自転車を停め、息切れしながら、君はサドルから滑り降りる。
「はやいなぁ…。」
僕は完全に負けたので、敗北の音をあげた。
「そういうこともあるってね。」
クレイの言い切りをどさくさに流し別の方向に話題を変えようとして、僕は駐輪場前の植木の元にあったマガジンラックのようなものを見つめた。そこからアニメシアのパンフレットを手に取り、みんなに行きたい場所を訊く。クレイは目を細め、マップを沿う僕の指先の一点を見て言った。
「ここら辺な感じ?」
その面を傍らからみていたウツワは唐突に挙手をする。
「ウツワは、メモリアル・メリー、の、缶バッチが欲しい!」
勢いのあるその視線に僕はふわっと感銘を受けた。 なるほど、意外だった。君は、アニメを見ていないものだとてっきり思い込んでしまっていた。ちなみに、メモリアル・メリーというのは、主人を失った可愛いお人形たちが過去の出来事を語り合いながらお茶を飲み、主人の帰りを待ち続けるというアニメであった。
僕にはあまり知識がなかったので、それについての話題を深掘りしてやることはできなかったが、そのあとも、みんなで楽しくアニメシアを巡ったのだった。
2話 帰り道に照らされたそれは…
僕らは仲良く3人並ぶ。少しずつ日も落ちてきたころ。気付けば空はオレンジ色で、もうすっかり夕暮れだった。黒光りした紙袋と強そうな人の絵が印刷された箱を二、三個抱えて歩く。ぶらぶらと今日の楽しかったことについて振り返ってた。
歩くにつれ夕日がアニメシアの高い建物とともに空の端に寄せられていく。
お金を下ろし、自転車ラックから自転車をガチャリと引き上げる。ゆっくりとまたがって、二輪車の群れの合間を縫うように進み始めた。
僕らは来た道を漕いでいった。紫がかってきたレンガの道。次第にポツポツとつき始める街灯。
遠方に見えてきた自転車レンタル所の看板。駐輪場に着く頃にはあたりは暗くなっていた。青白く光るその看板。そこから溢れるのは人工の光。ひらひらと飛ぶ虫の羽がその光に当たる。看板の足元にある、青緑に塗装された金属の網も光に照らされていた。
夜の良さが滲みでる。その灯りを頼りに僕らは自転車を停める場所を探す。僕らが自転車を返そうとしたその時だった。
突如、看板が点滅した。看板から緑色の雷が飛び出る。束の間に、走り出す電流。一瞬にして過ぎ去る光。僕の目のすぐそばを通り、路地裏に大きな音を立て落雷した。
「うわっ…!」
ドコォン…。
プラスチック製のゴミ箱が路地裏の奥で倒れた音がした。冬でもないのに僕は静電気を感じ、思わず声を出してしまった。
みんな硬直した。時間の感覚が長くなった。
「鳥肌立つ感じ?」
クレイは凛々しい表情で、歯を見せた。
僕はウツワとクレイを差し置いて他人の自転車に足を引っ掛けながら、駐輪場を抜けた。
緑の柵の向こう側。おそるおそる看板の裏の路地裏を覗き込む。違法に捨てられたゴミ袋が数個あった。闇夜のなか、よく目を見張ると、そこには何かが丸まっていた。後ろに続いてやってきたクレイはそれを見て目を丸くした。
「ばいばい⭐️」
クレイは少し考え、僕にそう言い残すと人差し指と中指を合わせておでこにつける仕草をする。その後、一目散に駅へと入って行った。僕がその何かに気を取られている隙にクレイはとっとと逃げてしまったようだ。
そんなクレイに構わず、ウツワは僕に話す。
「あの子は、泣いてるみたい、」
僕はウツワの言っていることがちっとも理解できなかった。もしやこの蹲っている物体について云っているのか?
そう言われ、できる限り目を凝らすと、確かにそれは人が座っているように見えなくもなかった。だが、うっすらとした黒の半透明な体。その表面を絶えず移動する、赤くまるい光、緑の光の帯。人であるとは到底言いがたいその見た目から、人間ではないということは一目でわかった。
クレイと一緒に逃げておけば良かったと後悔する。しかし、それとは反対に、ウツワは微動だにしない。
むしろ、彼はそれと関わりたそうに目をキラキラとさせている。これを、この世界特有の珍しい現象だとでも勘違いしているのだろうか?一体どんな化け物になったら、そのような考えができるのだろうか。よっぽどの大物じゃないとこの謎物体と人間を同一視はできないだろう。僕はウツワの寛大さに圧倒された。
仕方なく僕は黒い影に話しかけることにした。
「君はだれ?…もう夜だよ?」
そう言って僕は手を差しのべる。
その影は体育座りしたまま、赤い光る目で僕を見た。
両膝の上から目だけを出していた。よく見ると目つきはぱっちりとしていて、愛着が湧いてしまいそうになる。
しかし、不意にその影の姿は変わった。
両脚を抱えていた腕のうち、片側が鞭のような形となり、僕の手はそれにはたき落ろされた。
痺れのような痛みが肩まで走った。さらに、勢いに負けたか、驚いたか、僕はすっかりレンガ道に座り込んでしまったのだ。舗装されて綺麗であったが、手をついたらざらざらとして痛かった。
見上げると、影は浮遊していた。すでに人のような面影をもっていなかった。それは僕らを目のない頭で再認識して、襲いかかってくる。
僕は転んだ拍子に離した紙袋を手に取り、悪あがきでとっさにそれをおもいっきり投げた。無駄なことだと諦めかけていた。
だが、紙袋の縁がその半透明の体を切り、袋だけが歩道にふわりと静かに落ちたのだ。地面に襠の角が触れた衝撃で、夜の街道のむこうまで風音が吹いたようだった。
理屈はわからないが、僕はあの中に奴を捕らえたのか。
平然と立ち上がり、平気でそれを拾い上げるウツワ。どっと緊張がほぐれ、肩の力が抜け落ちる僕の前に、ウツワはなんのためらいもなくその紙袋を持ってきた。
僕は露骨に嫌がる顔をして、視線だけ下ろし、中身を見た。ウツワは中が見えるように取手同士の間隔を離した。
するとそこには、うっすらとした緑の物体が、縮小サイズで入っていた。それは初めに見た人の姿に戻っていて、反省するごとく袋の隅でまたうずくまっていた。
「ウツワは、この子を、持って帰っても、いい?」
そのとき、彼はおかしなことを言った。
持ち帰りという選択肢があることに困惑する。そうでもしないと僕にこの光る小人を持って帰られてしまうと思ったのか。確かに君の家には、転校してきたのにもかかわらず、家族がいない。もちろん寂しいのはわかる。だがその相手の枠をこんな未確認物体で埋めてしまうというのは、少し違う気がする。ひょっとしたらウツワはその怪物より強いのかも知れない。そう少し考えたが、やめた。やはり僕に、友達を傷つける可能性のある選択は取れなかった。
そう言えばよかっただけだった。
そのはずなのに、何を血迷ったか、僕は自分がそれを持って帰ると言ってしまったのだ。
「そうか、」
君は残念そうに見切りをつける。そう言われて、ようやくその誤りに気付いた。俯く君はちょっと可哀想だった。
自分の発言をいますぐにでも取り消したかったが、前言撤回の機会を得れぬまま、駅までやってきてしまった。
アニメシア駅の入り口でクレイが待っていた。ずっとその場から、一連の流れを見届けていたようだ。一緒に帰りたいから待っててくれたのだろうか。ただ怖がりなだけだったのだろうか。
駅のホームに、吹き込む夜の風。脱力した体が左右する。
僕は電車で腰を下ろした。
疲労に加えて不安にも体重をかけられ、僕は頭を下げた。怖いもの見たさでショッパーの中に目を向けると、そこに先程の奴はいなかった。夢だったのか?
時折電車の天井から電線のばちばちと言う音が聞こえた。車内の明かりも一瞬消えた。再び黒い人型と遭遇するのではないかと思ったが、家に帰るまでそれと出会うことはなかった。
3話 暖かい家庭
「おかえり。」
冷ややかな声が行き渡る。声だけで出迎えたのは、姉のメルツ・Sだった。
ドアを閉めるとふわっと広がる、暖かい空気に包まれる。茶色の靴棚。ペールカラーのよくある壁。慣れた匂い。
靴を脱ぐとすぐに溜まっていた疲れに襲われた。上り框に膝をつき、そのまま僕は廊下で横になる。
「はやく手ー洗いなよー。」
しんとした玄関先に姉からの促しが弧を描いて届く。
僕はしょうもない決心をし、力を込めて、膝を立たせ、起き上がった。
ふと目に入る、玄関に置かれた家族写真と、名も知らぬ押し花。いつもはわざわざ見向きもしないが、今日は何故だか不思議と気になった。上にかぶるホコリをなぞってみる。随分と放置していたな。母も父も、後一年しばらくは帰ってこない。
一息吸って、洗面台へ行き、僕は手を洗い、うがいをする。なおざりに水を切って、指をタオルで拭いた。
まだ湿っていた手指でドアノブを掴む。
リビングに入ったとき、丁度向かい合わせにテーブルの上に見えた姉の顔。一人、お誕生日席状態で座っていた彼女は、頬杖をついて不満そうだった。
「いーなぁ、友達がいて。私も欲しかったなーぁあー!」
顔をパーカーの袖に埋め、姉は悄気た。僕はそれを子供のように労わった。
姉は僕と同じ紺色の髪と目を持っている。僕の前髪の左上に一つついている赤いヘアピン。これはお揃いのもので、姉はそれを二個並べて同じようにとめている。前髪の端には、いわゆる触覚と呼ばれるパーツがそれぞれの目尻を隠すように首元までのびている。
腕捲りして、裾の広い半ズボンを身につける彼女は、あたかも活発そうに見えるのだが、性格は陰気。器用そうにものごとを行うが、大抵失敗している典型的なドジっ子。強気な眼差しで腕を組むのが癖だが、本当は打たれ弱く、常時怒っているように聞こえてしまう声が、彼女なりにはコンプレックスなんだそう。
リビングの部屋は至って普通。キッチンと直接繋がっていて、台所からでもダイニングテーブルを見渡せた。
「ごはん。あるけど、一緒に食べる??」
尋ねた姉は、僕と食べるためにお腹を空かせてまで、待ってくれていたようだ。
僕は喜んで返事をした。軽く飛び跳ねて、荷物を背負いなおす。階段をよいしょよいしょと上がる。一歩一歩、遊んだ内容を思い返した。
帰ってきた。自分の部屋の扉を豪快に開け,そう実感する。すぐ目に飛び込むぐちゃっと置かれた学校のカバン。約束があるからと言い訳して、放置した教科書やノート。遊びに行く前に怠けたことを後悔し、とりあえず荷物を全て棚に立てかけた。今日は疲れていることもあるし、こんなもんでいいかな。と自分で妥協して、見切りをつけた。
無関心に扉を閉めようとする。
ドアのラッチが完全に見えなくなるときだった。自分の部屋の明かりがついた気がした。だが、今日は疲れているんだろう、と思い込んで疑いもしなかった。
リビングに着くとオレンジ色のテーブルには色とりどりの料理が並んでいた。メル姉は、まだテーブルに体重をかけていた。にっこり微笑んでいる。僕は姉に感謝の言葉を伝える。
「待っててくれてありがとう。いただきます。」
そう言って僕と姉はそれぞれ手を静かに合わせる。
ご飯を食べる。
「このチャーハン美味しいね。」
僕はそう言って米を口に運ぶ。その料理の味に目を丸くした。なぜかと言ったら、美味しいと思ったからだった。
いつもは、これほど美味しくないからだ。姉は気まずそうに首筋をかいて、目を逸らして言った。
「あー…、冷凍だからー…。」
僕は申し訳なくなった。
「ごめん。」
僕は別の話題を持ちかける。今日の出来事について話した。姉は興味深そうに聴いてくれる。
満足のいくまで語り、僕はご飯を食べ終えた。
「ごちそうさまでした。」
そう言って席を立つ。
「お風呂空いてるよ。」と彼女が言う。
僕はリビングを後にする。
「いってらっしゃーい。」
メル姉は笑顔で食器を片手で運びながら、お風呂場に行く僕に手を振った。優しい姉に手を振ると僕はなにも考えずにお風呂に入った。
大理石のような模様のついた壁。ザラザラとした床。湯気が立ち込める空間。髪を洗い流す僕はプラスチック製のお風呂の椅子に座る。
そこに現れる奴。
僕の背中に後ろからひたりと触る。僕は飛び跳ねて後ろをみた。そこにいたのは、駐輪場で出くわした緑にひかる黒い影。こうやって明るい場所でみると女の子のような容姿をしていた。
僕は脳の疲れを疑い、湯船に頭まで浸かる。恐る恐る水面から目を出した。手首で擦って目を見開いた。緑に反射するお風呂特有の色の水が目に染みた。幻覚を除去できたと心の中で暗示をかけた。
しかし、それは健在していた。
その影もそろりと湯船に脚を入れる。その周りに波紋が生じた。
僕は信じられなかった。この謎の存在が僕の風呂に入ってくるとは思ってもいなかったからだ。僕と緑のその人型は湯船で向かい合った。
気まずい時間が続く。
急に緑のそれはとても痛そうな顔をした。その後、緑の光と黒い影は徐々に鮮やかになった。緑の光がひとまわり大きく黒いもやの周囲をくるくると飛び、緑のそいつは、いつの間にやら変形していた。
魚の形となって浴槽を泳ぎはじめた。
目障りだったので、掴んで放り出そうとする。しかし、すり抜けてしまいうまく捉えることができない。 諦めて僕は風呂を出た。
早急にタオルで水気を拭き取る。パジャマをきて、ドライヤーもせずに洗面所を飛び出した。廊下までが湯気でもくもくする。
リビングに入ると、丁度その扉で姉と鉢合わせる。 姉は凍りついたように僕を見た。
僕は困った顔でかしげる。
「だ…だれ…?」
姉の指先は震えていた。
その示す方向の先には、人型に戻った黒い影がいた。
それは緑色に発光していた。
「お友達…?」
メルツはべそかき気味な顔をして首を垂れた。
ボクは自分の隣をちらりと見る。
「いやいや、そうじゃない。」
慌てて弁解する。僕は激しく手を振った。人型なだけであってこの半透明な存在が、人間であるはずがない。
「ふたりの時間をごゆっくり。ごめーん…。」
姉は目を潤せてうつむいた。
なにか勘違いをして、乏しくリビングを立ち去ろうとする姉を泣きつくようにして止める。
………………………
僕はこれまでの過程と事情を説明した。
「じゃあーこの子は謎の謎なのか…。」
僕らはこれが何者か探るために、試しに少しずつ話かけてみることにした。
まず、姉から挑戦してみた。
「名前は…?」
メルツはそう質問する。しかし、そいつは返事はおろか反応すらしない。
姉は人差し指を上に立てる。急にこんなことを言った。
「呼びにくいな…名前をつけよう!キヤが決めて!」
さりげなく面倒事を押し付けられたような。
「ええ…?」
僕は困惑した。
名前をつけると言うこと。それはつまり、今後しばらくの共住を裏付けることだったからだ。
しかし、その容姿はいたずらにもまあまあ整っていて、僕には憎めそうになかった。
「…ぅ―ん。レィリにしよう。」
あまり練ることなく、頭の中に出てきた。たまたまそう思い浮かんだ。
こうして君の名前はレィリになった。
それにしても今日は疲れた。髪にタオルを巻きながら、ソファに頭まで寄りかかる。
ゆったりしてると姉も風呂から出てきた。
僕とメルツは2階に行って寝ようとする。しかし後ろにレィリもついてきていた。
僕はベッドに横になる。姉も僕の横に寝そべる。
「おやすみ。」
ベッドサイドテーブルにはランプが置かれていた。僕はそのテーブルスタンドの明かりを消した。
しばらく天井を一点に見つめていた。
少し逸らすと、枕元にはレィリが立っていた。赤く光る目は僕を強く見下している。暗闇の中で君は無表情でいる。恐ろしいものでしかなかった。
居ても立っても居られず、僕は掛け布団を蹴飛ばした。そして跳ね起きた。僕はレィリを両手で持ち上げて寝室から運び出す。
僕はレィリを家から出そうと試みた。
「…やだやだー。」
レィリがはじめて口を開いた。レィリの体色は曇るガラスのように変貌していった。レィリは抵抗し手すりにつかまった。声は棒線、単調だったが、その手取り足取りの動きに人間らしさがよく現れていた。
これでは追い出すにも追い出せない。そう思い困った僕は一旦寝室に引き返す。
しばらく、真っ暗な中をほっつきまわった。熟考の末、レィリに対して友好的な手を打ってみることにした。
僕は極力レィリの体に触れることのないようにした。静かに寝室まで誘い込んだ。僕はタオルケットをレィリにかけてみる。
君を刺激しないよう細心の注意を払った。僕は君をベッドにねかせてみる。
君は、相変わらず真顔のままで、ピクリとも動かなかった。
ベッドの脚に落ちていた掛け布団。僕はそれにくるまり床でまるまる。いつか、何か分かり合えるようになるかもしれない。明日、学校でみんなに聞いてみよう。レィリの目から黒い箔のようなものが伝うのをみて、僕は寝た。
4話 情報操作
次の日、眩しすぎない朝。淡い彩色の世界。
早歩きで身支度をする。
パンを口に詰め、パジャマを脱ぎ、着替える。
レィリはベッドの傍らに、立ち尽くしていた。昨日の夜よりも一段と小さくなった気がする。
僕は歯ブラシを口に咥えて、リュックを背負う。部屋の明かりをつけるほどでもないが、洗面所はほんのり薄暗かった。
口を濯いでコップを置く。
手のひらを拭き、指先を揃え君に向けた。君は稲妻の如く移動し、僕の左手のひらに乗る。
「行ってきまーす。」
寝起きはあまり声が出ない。だが、よく響き渡る空気。
「いってらぁっしゃあーい。」
姉からの返事が聞こえた。
少し肌寒い。しかし、明日の昼過ぎには猛暑になるそうだ。今朝の天気予報が言っていた。
浅葱色の車道を歩く。いつもの通学路。
はじめは、レィリは手のひらに座ったっきりぴくりとも動かなかった。しかし、歩き始めてから10分ほど立ったとき。君はふわりと浮かび上がって空中を推進し始めた。自ら電信柱に向かって行き、そこをすり抜ける行為を何度か繰り返していた。どこに面白い要素があるのか、さっぱりわからない。
昨日の夜から思っていたのだが、レィリはどうやら時と場合によって大きさや透明度が変わるらしい。今朝は特に色が薄くサイズも小さかった。
さらに登校中にも改めて気づいたことがあった。物質の中や空中をレィリが移動できるという点だ。体色が薄い時には触ることができず、色がはっきりとしてる時は触れることができる。そんな法則があることもある程度わかった。
学校の前に着く。
ここはグルギユ中学校。僕は中学1年生だ。レィリを一旦、足元にそっと置いた。
僕は檻のような正門を力いっぱいに開ける。非力なもので、腕が震えた。
君を地面から掬い取って、校内に入った。
今更だが、君を学校に連れてきて良かったのだろうか。
昨日のように暴れないことを願うしかなかった。
……………………
「週番、手紙配っとけよー。」
注意しながら担任のマトゥカースト先生は手紙を各列の先頭に渡した。
先生は、ライトグレイッシュな緑色をした髪に黒縁メガネ、キリッとした目、たまに生えている髭が特徴的な人だ。
僕も先生に手渡しされる。内容を見ることなく僕は折り線をつけた。
「明日は、小テストがあるから勉強してくるように。あ、あと、あれだ。終わった後、体育委員は振り返りカード回収しとけー。」
きんーこんーこんーかんー…。
放課後のチャイムがなった。
「ごうれーい。」
先生は気だるそうに言う。
「起立。れい。」
今週の当番が言った。僕は背筋よく席を立ち、的確なお辞儀をした。
「さようなら!」
クラスメイト一同はまばらに挨拶をした。
「はいさようならー。」
僕は、荷物を背負って、速やかに教室をでる。
部活に加入していない僕は、いつもなら、この時間で帰るのだが、今日は特例だった。
教室のドア付近でクレイが室内から僕に寄ってくる。
「あれ、方向音痴の日な感じ?昇降口こっちからが近いって〜。」
君はお気楽にそう言う。そんなクレイに説明しようと、教室に戻り、近くの席にリュックを置いた。
僕はお弁当を入れていた巾着袋を取り出す。
その中に、入ってもらっていたレィリ。それを君に見せた。
「あーね。そういう感じ?」
君は驚き顔で、手を打った。
大事に至らないように、迅速にレィリを袋に戻そうとした。しかし、あとのまつりでレィリは巾着に収まらないほど巨大化してしまっていた。
君は人の気持ちも顧みず、ゆうゆうと天井付近を飛び回る。
あまり人目につかないように迂回しようとしていたのだが、それ以前の問題だったか。
僕は彼女を隠すことを放棄した。
「ヌシは、今日も、どこかに、いくのか、?」
事件の過ぎた後にひょっこりと輪の中に入るウツワ。
「まあね。…おでかけするわけではないけれど。」
バックパックに布袋を投げ入れ、そう言った。
「ヌシは、ウツワが、同行することを、容認するか、」
そのお堅い言葉に、僕は二つ返事で答える。
「うん。いいよ。」
遠心力を使ってリュックを背負う。僕はクレイとウツワの準備を振り返って待った。
2人が寄ってくる。僕は前に進み始めた。階段を駆け降り、ハードルを運ぶ運動部員とすれ違う。
「さようなら。」
一階に足を踏み入れた時、担任ではない先生に挨拶された。
「さようなら。」
僕らに帰るつもりは無かったけれど、さようならと返した。このような状況では不思議な心地がした。クレイとウツワも、続いて挨拶をした。
僕らは昇降口を通り過ぎる。そこには大勢が蟠っていて、大変にぎやかでだった。色褪せたタイルの上に敷かれた木の板。生徒たちはそこでスニーカーに履き替える。グラウンドに行きたい陸上部がそこに参入していく。僕らは下駄箱を素通りした。
レィリは例によって廊下を飛びながら移動していた。僕は「皆に気味悪がられるだろう。」と廊下の斜め後ろに声だけ飛ばした。すると、注意された君は掴み損ねた夢の様に、たちまち薄れ、いなくなってしまった。
それからなかなか姿を表さない彼女を探して、僕とクレイとウツワは、レィリの名前を小声で呼び続けながら、廊下を歩いていった。
ついには、先ほど使った階段の反対側までたどり着いてしまった。
そこの角を左に曲がったところに、用事があった。誰もいないコンピューター室を通り過ぎる。
「ここだ。」
僕は一つの粗末な扉を前にして、仁王立ちする。ここに、クラスの女王がいる…。
「理科室…?なんで?」
クレイはお猿さんのようなポーズをする。
「ここにいる人なら、レィリについて何かわかるかもしれないかなぁって…。」
僕の声は自信なさ気だった。
しかし、肝心の彼女がいなくなってしまっていた。もしかすると僕のことを怖がって逃げてしまったのかもしれない。それならそれでまあ良いかと、ほっと胸を撫で下ろしたが、束の間、少し心細くなって、顔周辺が曇らせられた。
「だいじょぶだいじょぶ。きっとここにいるって…。」
クレイは励ますように歯を見せて笑う。僕の前で、透明人間の肩を持つような仕草をした。
しかし、思いもよらぬことに、そこには、偶然にも透明化していたレィリがいたのだった。彼女の体色が驚いたタコのように浮かび上がる。
レィリは目を大きくしてこちらを振り向いた。終わりを予感したように僕をじっとみつめ、震えた。
「ご…ごめんご。結果的ドッキリって感じ…。」
そう言ったのち、クレイもレィリと同じような表情で僕をみてきた。二人にどう対応すれば良いかわからず困惑する。
そんなとき、爆発するような勢いで声が飛んできた。
「そこにいるならさっさと入ってくればいいじゃん!」
毒の含まれたその言い方に場の雰囲気が悪くなった。扉を開ける前から緊張感が走る。僕らは顔を見合わせてそーっとドアをあけた。すると、ツンツンした態度の子がこちらを振り向く。早歩きで来て、残りのドアの可動域を片手でピシャっとあけた。どうみてもそんな音なりそうにない材質であったのに。
「なに?あなたたちみたいな人がウチになんかよう?」
そう偉そうに言ったのは、二つ結びのカシュミーエル・B。僕のクラスメイトだ。少し猫背気味で姿勢が悪い。外人とのハーフで、水色にもミント色にも見える目と髪をもつ。特に、髪は二つ結びで固定のようで家以外では常にこれらしい。服装は小学生のようなTシャツとスカートだが、明らかに不釣り合いな丈の長ーい白衣を常に着ていて、分厚いゴーグルを額に装着している。その白衣は足首まで覆っていて、後ろから見たらワンピースかマントのようだった。
科学部の活動時間でもないのに、パソコンが一台開かれていた。一人で試験管を振っていたカシュミーエルは肩をすくめて再び定位置にもどる。
だだっ広い空間では滴る音一つ鳴らず、もっと騒がしい活動なのかと思っていた僕は豆鉄砲に騙された。
橙色の滑らかな床。爪を立てたら痕が残ってしまいそうな材質。
なんとなく目を泳がせたあと、僕は一か八かお願いしてみた。
「突然ごめん。聞きたいことがあって。」
カシュミは顰めっ面をして一席分ほど身を引いた。
「それで?」
淡白な態度で、無関心そうに伸びをしながら言った。僕の説明は支離滅裂だった。
「昨日、緑色に光る影に出くわして…。物知りなカシュミーエルさんなら、何か知ってるかもと思って…。呼び名がわからないから、ひとまずレィリって名前をつけてるんだけど…」
僕が言い終える前に、彼女は頬杖をついてタッチパッドを撫で始めた。
「ひとまずネットで調べてみる手はなかったの?その、誰かさんについて普通にネットとかに載ってたら承知しないからね。」
付け足すようにすぐに彼女は応えを返した。ぶっきらぼうな返事だったが、カシュミーエルはネットをサーフし始めてくれていた。真意は読み取りにくいが、どうやら協力してくれるようだ。
緑色のマットのような表面の長机。特有の水道と一体化しているタイプだ。僕はそれに手をついてじっくりと画面を見る。机の縁は教室のものよりも、ささくれがひどかった。
みんなしてカシュミのパソコンを覗いている。レィリも薄くバレない程度にしれっとその場に居合わせていた。僕はレィリという実物を、カシュミに見せる機会をすっかり逃してしまっていた。
「みんなして集まんないでよ!!暑いじゃない!」
そう言ってカシュミは立ち上がる。白衣を机の上にたたみ捨て、肘まで少し腕をまくった。
あれ、さっきまでここに突っ立っていたレィリがいない。目を離した隙にまた見失ってしまったのか。
キョロキョロして、電流の尻尾がパソコンの中に入る瞬間をなんとか視野にいれる。
だが、水を一口飲んで振り返るカシュミへ、僕が注告してやる間などなく、彼女は画面に大きく映し出されたレィリと顔を鉢合わせしてしまった。
「ぎいゃあぁぁぉ!!ちょっと!ウチのパソコンになにしてんのよ?!」
カシュミーエルはジタバタして激怒する。それは驚くのも無理はない。さっきまで見ていた画面に、見知らぬ顔が浮かんでいたのだから。加えてそれは人外である。それを見たからには椅子ごと飛び跳ねる以外にすることはないだろう。レィリは怒っているカシュミを画面の奥から見つめていた。君は昨日お風呂に入った時に見せた痛みを訴える顔をした。そしてカシュミに向かって「ごめん」と言った。
すぐさまカシュミがどなり返す。
「何よ!?あなた!勝手に画面に出てきておいて、上等じゃない!ただのデータだってのに!」
データ…?僕は心の内で疑問に思った。なぜカシュミーエルは、レィリのことをデータだと言ったのか、と。
だが、よく考えてみた。レィリを知らないカシュミには、画面上に出た彼女をレィリだと認識できるはずがなかった。それゆえ、一種のコンピュータウイルスのプログラムだと思っているのだろう。
画面の中心に小さく全身うつったレィリは首を傾げ、液晶の次元から薄れていく。
「でえた…??」
レィリがきょとんと発した音声を最後に、画面が黒くブツと消えた。
そして、ディスプレイはたちまちもとの検索エンジンに戻った。さらに、USBケーブルの接続箇所から、電気を帯びた小さな竜巻が出てきた。それは人の形にまとまり、スンとレィリが姿を現した。
カシュミーエルは少々戸惑いながらもレィリに問いかける。
「え…!?あなたが、誰かさんが言う“レィリ”だっていうの?」
レィリは瞳を開いたままやおらにうなずく。それをカシュミは冷たい眼差しで見下して、わざとらしくそっぽをむいた。
そのまま、モニターに向かい合い続ける彼女。
目を細めたままカシュミは画面のふちに集中し、ついには、検索結果の1番下までスクロールしてしまった。
「うーん、確かにそう簡単に見れるところには載ってないんじゃん?あなたたちにしてはなかなかやるんじゃない?」
カシュミは納得して再びレィリの方を向いた。しかし、レィリは怖がって彼女と目を合わせようとしなかった。
カシュミ側としては本人に聞いてみた方が手っ取り早いと思ったのだろう。
しかし、レィリがそう簡単に口を開いてくれるはずもなく、だんまりしたまま僕の方を見てきた。
「助けて。」
ちょっと固まってから、レィリは口をへの字にして僕に救済を求めてきた。それを聞いて即座にカシュミはツッコむ。
「なんであなたにはしゃべるのよっ!!」
そんなこと僕に聞かれてもわからない。険悪なムードが悪化した。
場を落ち着かせようと、クレイが言った。
「まあまあ、代わりに俺がとりあえず昨日の出来事だけまず説明するっていうのはだめな感じ?」
「いや、別に良いんじゃない?」
その言葉にすかさずカシュミが反応した。
レィリ自身からレィリの存在についての謎は聞き出せなかったけれど、昨日の状況を分け合うだけでも少しは手がかりに近づくだろう。
クレイは被害者面をしながら説明する。
「俺たちが、レィリだっけ?それと出会った場所はアニメシア通りにある自転車レンタル所…だった感じ?」
相変わらずあやふやな彼の発言にカシュミは呆れてため息をつく。
おおよそ、こうなるだろうとわかっていたけれど、期待通りにはいかなかった。
「あなたはいっつも確信がないこと言うのね。」
だからあんたが嫌いなのよと言わんばかりにカシュミは舌打ちし、僕らを軽く見通すと、再び席についてマップを見始めた。
「ワンチャンデータなんじゃないの?」
そう言いながら、カシュミはカタカタとアニメシア通り付近の主要な電気機関を絞り込んだ。彼女は、レィリの出元としてあり得そうなのは通りの最北に位置する記憶コントロールセンターだろうか、と言う。位置的にも駅に近いので遭遇した場所ともかなり近似している。正直カシュミが何を言っているのか理解できないが、レィリが、何かの情報を積んだような存在だと僕らは推測した。僕らはカシュミに期待して、実験室で話し合った。
下駄箱近くが再び生徒たちで騒がしくなってくる。
僕らは痺れを切らしてきた。
クレイは飽きて、カシュミーエルのペットボトルを眺めていた。
「はーあ。わかんね。」
科学研究部としてのルール上、椅子を傾けたりすることはできないようだが、彼女は今にも机に足でも乗っけるような勢いだった。ため息と共に時間的にも今日最後のエンターキーを押す。
そこにページが表示された。
オカルトサイト。メイビスの北あたりにあるゴウト高校の同好会が出している記事だった。僕らは隅々までそれを読んでいった。そこにはそれらしきものがあった。
「ひかる人影のナゾ…。その、緑の誰かさんはなんか知ってるんでしょ?」
カシュミはレィリの方へとパソコンを傾けた。レィリはそのページに上げられている画像に目を通すが、黙って首を傾げるだけだった。
諦めがついたと同時に下校時刻のチャイムが鳴る。カシュミは優しくパソコンをおいて2度舌打ちをし、立ち上がって手をたたいた。
「今日の調査はお開きね。」
みんな、各自出していたメモや筆記用具などをカバンにしまい始める。
そこで僕は明日、レィリを連れてアニメシア通りに行くことを提案する。
しかし、そのレィリの素性を知っているクレイとウツワは首をブンブン振った。
「ウツワは、この子、に、ストレスかける、気がする」
確かに、もしあそこに何かレィリに関連する要素があるのだとしたら、刺激しかねない。何かがトリガーになって昨日よりも暴れられては困る。僕も同じく首を振った。
「まあ、一緒に時間を過ごして、まずはその、誰かさんをリラックスさせることね。それからじゃない?」
そう言ってカシュミは冷蔵庫に試験管を戻した。
そのとき、ウツワがさっきから持っていた手紙を広げる。
「ウツワは、これに、いきたい、」
スイカ取り放題。
そう書いてある手紙は今日学校から配られたものだった。ウツワは目を輝かせ、さらにそれを僕に押し出す。クレイは1人で勝手に納得する素振りを見せ、
「まさかの無料ってゆーね。」
と、半笑いした。
明日も科学部の活動はなさそうだったので、集う場所をここに決めた。
「じゃあ、明日またここで落ち合おう。」
僕はみんなの顔を見て言った。心の中でメンバーを確認した。
僕と、クレイと、ウツワと、…ああ、レィリを忘れてはいけない。
そうと口に出してはいなかったはずだったが、レィリはあたかも呼びかけに応えたかのように僕の方を見て、真顔でうなずいた。僕はまぐれだろうと鵜呑みにせず、再び考え事に戻った。
「これで4人…後は…。」
理科室のカーテンを束ね、窓の鍵を閉めようとしていたカシュミに声をかける。
「ええええ~!?ウチも行くわけ!?明日はレポートまとめようと思ってたんだけど!」
柱と柱の間から、眩しい光が横向きに射しこんだ。僕の言葉に、カシュミは、勢い余って窓に指を挟みそうになる。
慌てて僕は付け加えた。
「無理して行かなくていいよ。」
「いや、行くよ?行かないなんてことあるわけないじゃん。」
カシュミは食い気味に言い返す。どことなくカシュミの心が躍っているように見える。
「もしかして、友達に誘われたこととかない感じ。」
僕にしか聞こえないくらいの小声でぼそっと言い放った。せっかくのご機嫌な彼女に、クレイは油を注ぐような真似をする。
聞かなかったことにした。
教室内が橙色に染められていた。
ガラッとドアがあく。
そのとき理科室には、放送が流れていた。最終下校時刻を知らせるものだった。少し愁だが、明るい心持ちになれる曲。ドアが開いたのは突然のことだったが、その音にかき消されていたので、そこまで驚かなかった。
「おまえら、はやく帰れよー。」
理科を担当しているマトゥカースト先生が校内の見回りにきた。
「あ、!先生!」
カシュミは今日一番の張った声を出した。
「先生〜、聞きたかった場所があったんですけど〜、聞いてもいいですか?」
今まで聞いたことのなかった彼女の声に僕は注意を惹かれた。
「え!?今!?…おせえよおまえぇぇ。そういうのは早く言えって。職員室来いよ〜。今日せっかく暇だったのにー。」
先生はいつも通り砕けた口調で話す。でも部員と顧問という関係もあってか、どこか慣れが感じられた。
「だって、忘れちゃってたんですよー。」
「もういいから!そういうの!なにがわかんないのぉ〜。」
「え〜っ。」
カシュミは甘えた声を出した。
「はやぐしでー!!」
マトゥ先生は笑いながらがなりたて、せかした。
「ここです。」
彼女は急に真面目な目つきになって、テキストを開いた。
先生は2秒もしないうちに解説を始めた。
「あー、この原子(O)はな、通常二原子分子(O₂)として存在する。すーるーんだーけど、高温や化学反応の条件で、この二原子分子が分解して、酸素原子(O)一個になっちまう。単体はじゃねえぞー?間違えんなよー?」
「わかってますって。」
彼女はそう微笑する。
片付け途中の椅子に腰を下ろしながら盗み聞きをしていた僕とクレイの隣に、レィリもそっと加わった。
「…すると、このとき、酸素原子は片割れがいないわけだから、めちゃめちゃ反応性が高くなる。」
「そして、安定するために電子を補う相手を探しますと。」
「ほんで、いいところにいた炭素を引っ張ってきて、二酸化炭素になるわけよ。…わかる?わかった〜?」
忘れかけてた勉強のことを思い出し、僕はショックを受けた。変な話に聞き入るんじゃなかった…。僕はしゅんとして、耳を両手でぱたんと閉じた。
「え?このとき酸素原子によって取り合いは起きないんですか?」
カシュミはその一瞬の間、いつもの半月型の目に戻った。
「こんときは、ぶっちゃけ、酸素はあまり取り合いをしません。というのも、酸素分子(O₂)は2つの原子でできているんだから、燃える直前まで比較的近い場所にいたわけよ。だから、スムーズに反応が進むって、オチ。」
「なるほどです。」
「わかったー!?」
先生が不意をつくようにエネルギッシュな声を出した。
「はい!わかりました!ありがとうございます♪」
幸せそうにカバンを抱える彼女。終始あまりにも素直すぎたカシュミーエルに度肝を抜かれる。
「おぅい、よし…はやぐ帰っでー!!」
そう言って先生はパチンと電気を消した。
消灯した理科室内。まだ日が沈んだとは言えないけれど、骨格標本が踊り出しそうだった。
夕日に差し込む机。煌めく日陰で休む教材を跡に立つ。
「さようなら!」
僕らは先生に挨拶した。
「はい!気をつけて!」
他の先生によって消灯されていく廊下に、僕らは荷物を持って駆け込んでいった。
昇降口を出たすぐのところで僕は、カシュミーエルとウツワに別れを告げる。ウツワは、元気よく叫び、手を勢いよく振った。カシュミーエルはこっちを向かないまま、手を一度だけ振り返した。
僕とクレイで、夜道を歩く。
古い街頭。電球のところがくすんで、曇っていた。
レィリは相変わらず、無表情で、並木の下をくぐっていく。
いろいろ彼と話したけれど、疲れていてよく覚えていない。
前後左右、どこを見ても自分たち以外の存在が見当たらなかった。
最後の交差点でクレイとも別れる。
「お疲れちゃ〜ん、じゃねー。」
「ばいばーい。」
さてと、家に帰るかな。
僕はUターンした。そのまま歩いていく。すぐ近くに家が見えてきた。右側にある四角いライトがついた建物、あれが僕の家だ。
物覚えがいいのか、まだ何も言っていないのにレィリはそのドアに向かって飛んでいった。
うまい具合にレィリは体を薄めてドアをすり抜け、僕より先に家に入った。
僕は鍵を開ける。
「ただいま〜…。」
振り返って鍵を閉める。廊下はあらかじめ投光されていた。僕は靴を脱ぎながら言う。
「メル。明日、帰りが遅くなるかも知れない。」
「えー?寂しいんだけどー。わかった。何時ぐらいになりそう?」
そう言った姉。僕は水道の灯りをつける。手を洗いながら叫んだ。
「わかんなーい!」
うがいをして、ポタポタ垂れる手をハンカチで拭き、洗濯籠の中に入れた。
少し湿り気の残った指でスイッチを押す。風呂場は闇に覆われた。
僕はいつも通り2階に上がる。
荷物をどさっと置いた。
再び一階に戻る。
リビングに入った。
ゴロゴロするスペースでレィリはいつも通り直立していた。目だけがこちらを追いかけている。
「今日も冷凍でーす。」
レィリで遊ぶ僕にそう言いながら姉が料理を運んでくる。
「ところで、どこ行くの?」
姉はお皿を一度に大量に持ちながら、投げかけてきた。
僕は椅子を引いて、レィリを座らせようと試みていた。
「スイカ狩り。学校のすぐ近くだよ。」
僕がそう言うと、納得したように深く頷いた。
「あーん、そういうこと。」
メルツは僕と向かい合うように座った。僕の隣に視線を送ったあと、また向き直った。
「レィリは、どうするの?」
僕は即答した。
「もちろん連れてくよ。」
予想外だったか、呆気に取られていた。
「あ…そうなの、じゃあ、レィリの服も準備しないとね。」
姉はいつもに増して張り切っている。
メルツは手に持っていた箸を置き、木目の印刷が施された家族共同のクローゼットを開ける。
「コレなんてどう?…私にはあわなかったやつ。」
姉は自分の白いワンピースを取り出し、レィリにかざした。半袖で、可愛すぎない程度にさりげなくついたレース。
服のチョイスは姉に任せた。
「でもレィリちゃん透明になるんだよなー。」
姉は悩み始める。
「明日もし、服が浮かんでいると騒がれそうになったら、脱がせばいいし、服を着ていないと騒がれるようであれば服を着せよう。」
僕はそう作戦を伝え、一口頬張った。
5話スイカ(前編)
次の日の朝。眠い。まだ布団に入っていたい。気持ちを抑えて、僕は罠から抜け出した。
「おはよう。メル。」
「あ、おはよう。」
軽い挨拶を交わす。
太陽が窓から照らす。
「いってきます。」
そう言って、僕はいつも通りの道を歩く。
家をでたときの姉の様子を思い返す。
だいぶしょんぼりしていた。
姉の分までレィリの面倒を見ることを決意した。
学校に着いた。
きんーこんーこんーかんー…。
やっと終わった。僕は目いっぱい伸びをする。
放課後。僕らは理科室に集合する。
僕はレィリを連れて廊下を歩く。幼い頃に風船を持って歩いたことを思い出す。
そこに行くと、すでにみんな揃っていた。
早速、瓜園に向けての準備に取りかかる。僕らはロッカー室へ向かう。ロッカー室は、いまいる理科室とは反対のところにある。正確には反対ではないけれど、距離はあった。僕らはカバンを持って雑談をする。
来た道を戻り、昇降口前を逆向きに過ぎた。
T字になった廊下を、下から左に曲がった。
降りてきた階段も素通りしそのまま突き進む。
その先にもう一つの階段が見えてくる。その階段の手前の凹みに僕は手を合わせた。
そこはスライド式に開く扉。周りの壁の色と同化していて、日常では存在を忘れがちだ。
これがロッカー室。中に入ると勝手に電気がついた。なぜ、こんな部屋に金を注ぎ込んだのだろう。
白い光沢のある壁。乳白色の天井の窪みについた、丸い蛍光灯。何もかもが真新しかった。
そこにはいくつかの白いロッカーが並べられていた。
その収納ボックスの中に入ると、広いと感じるだろう。試着室のようになっていて、そこで着替えることができるのだ。
僕らはそれぞれ夏っぽい服装に着替える。
僕はレィリ用の服をカバンに入れてきていた。黒いリュックサックのチャックを開ける。背中あたりのポケットに綺麗に折りたたまれていたので取り出す。
今日は大変暑く、僕はすでに汗をかいていた。しかしつい癖で、長袖を持ってきてしまっていた。
僕は自分の服装を変え、姉から借りたワンピースを広げる。
僕は昨日の作戦を思い返し、顕著な反応を期待してレィリの目を見つめる。しかし、目を逸らされてしまった。理解していないのか、拒否をあらわしていたのか、レィリがどう思っているかはわからなかったが、どっちみち、君に服を着せるのは僕であった。君のリアクションが鈍かったことにさいさき悪くなりそうだと感じたが、今日一日がうまくいくことを願って、僕は自分用のくしを手に取った。それを君の頭にかけようとする。しかし、君にはくしが通らなかった。髪というより板のようで、頭部と融合していた。
僕はくしでとかすことを諦めた。
その分、手を込めてレィリをしっかりおめかしさせる。
「よし行こう。」
満を持して扉を開け、鉄製のクローゼットが壁に並べられた空間に戻った。静かに佇むその様はデパートのコインロッカーがある部屋のようだった。焦りながら身支度を整えたものの、早さは皆まちまちだった。クレイは準備を終えてからしばらく経っている様子で、やんちゃに向こう側のロッカーに寄りかかっていた。カシュミはちょうど自身の保管庫の扉を閉じるところだった。まもなく、すぐにウツワもきた。
「ウツワは、ヌシたちを、待たせた、か、?、」
出てきた彼は、ロッカーから僕らに、とても悲しそうな目で謝罪をした。そのお辞儀の際に揺れた、リボン状の薄黄色の髪飾りが目にとまった。
「みんなそろったね、よし行こー!」
僕はウツワのことを全く悪く思ってないことを示唆するために、あえて掛け声のようなものを入れてみた。そうしてロッカー室を出る。手をかざすと静かにスライドするドア。勝手に電気が消えていく。
廊下は早歩きで進み、迅速に靴箱へ行く。
忙しそうな他の学生たちが視野に入った。部活をしている人には申し訳ないが、先にお暇しよう。
申し訳とは言っても、これから始まるのは遊びではなく、レィリのことをより深く知るための重要な任務なのである。僕は一時も気が抜けない。彼女が何をしでかすか、見当がつかないからだ。
僕らは甘い木の香りのする下駄箱を越え、太陽光の直下に身を乗り出した。青と黄色の六角形が頭上に降り注ぐ。部員の気に触れない程度に退散する。
ガラガラと門を開ける。朝よりも軽く感じた。
住宅地をしばらく歩いていく。次第に田畑に移り変わる町並み。
「猛暑地獄っていうね…。」
麦わら帽子のクレイは言った。レィリもわずかだが暑そうな顔をしていた。
「うーわ。あなたと共感するなんて…それより、アイスくらい売ってないの?」
アイス棒をかじりながら、駄菓子屋を探す、カシュミーエル・B。全面からクレイを否定した。学校での白衣大好きエリートの姿からはあまり想像ができなかったが、意外と子供っぽい所が多いようだ。
「ん~…」
「ウツワは、太陽のぬくもりのある風に、心地よいと、感じる、」
ウツワはのびのびと腕を広げ息を吸う。稲の葉がよそよそと動く。田んぼの水面に波が立ち、きらきらと輝く。
夏バテ気味な周りを差し置いて、1人だけ爽やかにしていたウツワに尋ねた。
「暑さには弱くないの?」
彼はしばらく唸ってから何を言うか決めた。
「ウツワは、感覚と言う、言葉の真髄を、前世で、理解できなかった、」
「ウツワは、暑い、という心地を知れて、今、とても、暖かく感じている、」
そう言って良いスマイルを見せた。
いつのまにか、あたり一面は緑しか見えなくなっていた。空の向こうまで山が囲む、一帯の大自然だった。
レィリは無の感情で田んぼ道を歩く。あまりにもつまらなそうだったので僕はスマホの画面を横から見せた。スイカの画像を表示していた。君はそれを見てほほえむ。
よくわかってないのだろうな。と決めつけ、僕は端末を手元に戻す。
クレイとカシュミーエルは悶着していた。
君は道端に咲いているたんぽぽを見つけた。その場に座り込んで見入ってしまう。
前を行っていた2人が振り返る。にこにこ笑顔でダラダラと汗を垂らすクレイと、異常に偉そうに突っ立っているカシュミーエル。僕は少し先に進んで彼らと一緒に気長に君を待とうとした。
しかしカシュミはじれったそうにしていた。周りの顔色を伺い、僕は一歩一歩君のところまで戻る。僕はレィリに頓挫しないよう促す。
「それが欲しいの?」
君は僕を見つめ無言でうなずいた。何かレィリと関係があるのかもしれないと独り言を呟きながら、たんぽぽの花を摘み取った。
それを君に渡す。
なんとも思わぬ様子で、レィリはその花をポンポン触った。
楽しそうに体を揺らす花弁と、君の笑顔は僕の目に印象深く焼き付いた。
僕らはまた歩き始めた。
畦道のへりに、ぽつんと立て札が見えてきた。不自然に白いペンキが塗られていた。地平線からポールが漸次かしらを出す。そこは驚くほど高いネットに囲まれていた。
警戒しながら僕は足を踏み入れる。
中ではおじさんが瓜園のプレートを掲げ、耕された土の上に立っていた。ここで間違いなさそうなことを確認して一安心をする。
人はまあまあ集まっていた。大半が親子か、ご年配だった。雑木林の前にある、白い家が一軒目につく。よく見ると木造で、ところどころ裂けて割れたりしていた。
レィリは驚き目を丸くした。手のひらで口元を隠すと、薄く透明になって確認できなくなってしまった。
先にスマホで見せたものが、目前にあるものと一致することに気がついたのだろうか。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか僕らはそれぞれ別に好きな行動をとっていた。
ウツワは僕の足元でスイカを観察していた。危うく踏みかねない。
一方、カシュミは農園主の家に人が群がるのを見て、そっちに向かって行ったようだ。
しばらくして、悩んでいた僕を見たクレイが、テラスに向かうことを提案する。その後、駆けて行った彼を追うような形で、ウツワに一声かけてから草道を歩いた。名も知らぬ小さな虫たちが足首の周りを飛び跳ねていた。
木造の手すりには淡いパステルのペイント樹脂が塗られていた。僕はそこにあった木片のささくれを注視した。
「気をつけてね。」
僕は後ろに続く同伴者に静かに呼びかけた。
クレイは既に辿り着き、長テーブルに置かれてあるものを拝見しているようだった。 そこにひっそりと合流すると、そこではここの農園主、イーノークさんが両手を広げて待っていた。
「これは好きに使っていい感じ?」
クレイは机上の端に置かれた箱をみて、気弱にへのへのと言葉を発した。カシュミはすぐに反応し、折りたたみテーブルのもう一端から少し彼を睨んだ。彼女はスライドするように静かに彼の後ろに寄り、クレイの目の前にある長机の下を目をつぶりながら指差した。
「ご自由にどうぞって書いてあるじゃん?もうちょっと周り見たら。」
カシュミは大人びた口調で言った。
「あたり強すぎって。」
クレイは苦笑しながら、まあまあと落ち着かせるように手を仰ぐ仕草をした。
僕も長机にあったものを覗き込んだ。安っぽいケースの中には、園芸用のハサミが沢山入っていた。いくつかキャップがなかったので、扱いには注意しないといけない。
その隣のケースの中には軍手が入っていた。手首の部分の色は様々で、どれもきちんとペアになっていた。その奥には、カゴが重ねて床に直置きされていた。スイカを取る用のものか。入れ物は自作物だろうか。木製の薄くて長い板がたくさんの六角形を織りなしていた。長机の下には貼り紙でこう書かれていた。
”カゴはご自由にお使いください。人が多い場合には譲り合ってください。カゴは瓜園から持ち出さないでください。“
なるほど。
色々ルールはあるようだが、普通にしていれば怒られることはないだろう。
ふと視界の横に黒い影が横切った。なにかと振り向けば、いつぞやに見えなくなってしまっていたレィリだった。誰かに見られたら面倒だ。僕は急いでレィリに白いワンピースを着せた。僕は恥ずかしい所業を俊敏にこなし、冷や汗を拭き取った。
「この色、…。」
君は、僕の苦労も知らぬまま、新しいものに興味を示した。次はなんだろう。レィリは箱の中にある青緑色の軍手を見つめていた。
「この色、…。」
不意にボソッと喋ったレィリに、考えごとをしていた僕は聴きなおす。最後まで君の声が聞こえない。
その時、今まで彫刻のように不変であった君の顔や体が、まるで演技派俳優のように動きだしたのだ。
「この色、…綺麗な青緑…。ってそれ、…私の…?…………あーぁっ!」
君は頭を抱えて、瞳を震わせていた。いつもの棒読みのセリフのような声から一変して、魂の底から絞り出した大声の悲鳴のようだった。レィリの姿は濃くはっきりと浮かび上がった。
「この色、…。って…………あーぁっ!」
レィリの嘆きは止まらない。まるで同じシーンを繰り返しているようだった。周囲の人がみんなして僕の方を向いた。
急にレィリははたと叫ぶことをやめ、瓜園をよろめきながら抜け出していく。クレイは追いながら、この場を立ち去りたい僕にからかうように言った。
「キヤー、レィリに何しちゃった感じ〜?」
クレイは僕を見ながら静かににやけた。僕は真剣さを認めてもらうためにも、ちょっとだけムッと彼を睨んだ。
「冗談冗談、ってね。」
とことん自由な奴だ。
しかしそこで完全に気が抜けていて、再びレィリが喚きだしたとき、ようやくハッと我にかえった。僕は罪悪感に苛まれた。
「この色、…。ってそれ私のリボン?…………あーぁっ!…」
再びレィリは目からラメをばら撒き始める。
急にレィリははたと泣くのをやめ、奇妙な行動を取り始めた。誰もいない田んぼの向こう側に手を振ったのだ。
「おーっい!川に集まって何やってるのー?この色、…綺麗な青緑…。ってそれ私のリボンとお揃いじゃない?ちょっと待ってて…、あれ、あれれ、おかしいなー。私の知らない?…もしかしてそれ、…私の…?…………あーぁっ!やめてぇえっ!明日学校行けないよぉぉ……!!!」
君はその場に崩れ、畦道の真ん中にしゃがみ込んだ。君の色はさらに強く濃くはっきりとなった。緑色の雷明に周辺はドミナントされた。
「川なんてないじゃん…?」
カシュミも困りをあらわにしていた。
レィリ自身が録音テープに思えてしまうほど、繰り返す声の同じさまにおかしさを感じたのだ。君は頭を揺さぶったり、地面に向かって怒鳴りつけたりしている。そのうちに、君は少しずつ大きくなっていく。助けようと死に物狂いで近づくが、感情的になるレィリの壊れ具合に、体が勝手に恐る恐るとしか近づけなくなっていた。
「レィリっ!!」
僕はレィリに近づいてもらうため、震える声を上げた。レィリは僕の方をみると静かに目から光の粒を垂らす。見惚れる余裕もなかった。
「―あんたなんか、来なくていいよ―」
僕たちの頭の中で、そんな言葉が響いた。僕はめまいがして地にそのまま四つん這いになった。多分、他のみんなも同じだと思う。汗が髪をつたって手と手の間の土の上に落ちる。僕のスクリーンには、レィリの口の動きがスロー再生でうっすらと見え始めた。幻覚だ。倒れ込んで地面しか視界に入らない僕に、レィリの口元なんて見えるはずがない。その声と共に聞き取れないほど低い音が頭の中に反響した。音圧が強くキィィーンと耳鳴りさえした。
今の声はレィリのものだったのだろうか。確かに口が動いたし、レィリの声に聞こえた。でも、反対にレィリの喉を通じた別の人の声のようにも感じたし、もっとこう、自分の脳の片隅から語りかけられているような感覚にも陥った。あの幻覚で見た口は本当にレィリの口だったのか?
頭痛が治まり、顔を上げる。その瞬息、目の前で驚くべきことが起きた。
レィリが見えない何かに蹴飛ばされたかのようにひっくり返り、大きな水飛沫を上げて頭から田水に落ちたのだった。
6話 スイカ(後編)
「大丈夫な感じ?」
「大丈夫なわけないじゃん。」
「やっぱりー?そんな感じ?」
「……っちっ。」
「ごめんちょごめんちょ。許してちょ。…非許容な感じ?」
「……ふん。よくわかってるじゃん?」
2人の悶着が続く中、君は目を覚ます。君はとぼけ顔でいた。
スイカ園の農主が即席で用意してくれた青いテント。その下にレィリが寝かされてから、4分ほど。
日差しの抑えられた休憩所には、夏だけれど、涼しい風がそよいでいた。
体が薄くなっている時のレィリは軽く、体力を使わなくとも10秒ほどでここまで運ぶことができた。しかし、対処法がわからず、そのまま時がすぎた。仮に救急車を呼んだとしても話がややこしくなるだけだっただろうし、医者が診ても原因はわからなかっただろう。僕はテントの下に並べられた、小さなパイプ椅子に腰掛けていた。
「ウツワは、ヌシが、目覚めて、安心した、」
ウツワは君の手を掴んで飛び跳ねる。まどろんでいた君はまだ状況をよくわかっていなさそうだった。
農園のおじさんが様子を見に来てくれた。僕はすっかりお世話になったのでしっかりとお礼を言った。
「水分補給はしっかりしなよ。」
テラスに繋がる台所から出てきたおじさんは貫禄強めに、さらに心配りしてくれた。
少し目線を変え、僕は上の空になった。風に揺れるワンピース。洗濯バサミで吊るされた服とテントの骨組み。水を吸い重たくなっていたけれど、自然の力ですでに乾いてきていた。
レィリの突然の狂乱には、ど肝を抜かれた。一時は大騒動になることも懸念したが、テントの中に運ばれた形で終結した。そのこともあり、後々誰かに聞かれても、暑さでレィリがやられたと言い通せば、うまく誤魔化せるだろうと不安はなかった。
おじさんがクーラーボックスを開ける。僕らには関係のないことだろうと思っていた。
「はいよ。これ向こうの子達にもわけてやりな。」
アイスキャンデーを取り出した。水色のバーだった。僕とウツワは受け取ってしまう。謙遜する暇もなかった。
おじさんは忙しそうに別の畑へと低木をまたいで移動していった。
「あ、ありがとうございます!」
「ウツワは、ヌシに、感謝する、」
慌てて僕は感謝の言葉を贈った。しかしその礼節はウツワのものと被ってしまった。僕の声はおじさんの耳に届いただろうか。
ところで、なんなく受け取ってしまったこのひんやりとした棒。
「ウツワは、これたちを、渡せば、良いのか、?」
ウツワはアイスキャンデーを抱えて首をかしげた。飛び散る水滴が爽やかに感じた。
僕らはカシュミとクレイの背中が見える位置まで移動した。良さそうな木陰を少し見つけた後、目の前で作業をしている2人にアイスキャンデーの話を切り出した。
「スイカ畑のおじさんからアイスもらったよ。これ、2人の分。どうぞ。」
僕がアイスバーを一本つまむと、それに群がるようにクレイは腰を上げた。
「お。ガチありがたみっていうね。本当蘇生って感じ〜。」
喜んで彼は個包装を掴み取った。
カシュミはクレイにだけ、当たりの強い突っ込みをする。
「そもそもあなた死んでないじゃない。って、嘘でしょ!?。本当にアイスなんじゃん!!へへ。」
大好物の登場にカシュミーエルからは笑みがこぼれでてしまっていた。
飛びつくようにアイスを食べ始めようとしたカシュミだったが、ふと何かを思い出したかのように袋を開けるのをやめた。しばらくの間、透明な袋とアイスをつなぐ水滴を見つめ、彼女は顔を上げ、クレイの表情を見た。
「っ…。さっきはごめん…。ウチのこと許してくれるよね?」
カシュミは照れ臭そうにそう言った。目は逸らしてはいたが、声色からは本気の謝罪が感じられた。
僕には2人がずっと喧嘩しているように見えていたので、彼女が、何について謝っているのかわからなかった。
それを受けたクレイは、抜けた顔で手のひらを上にした。
「あれ、ケンカしてた感じ!?全然怒ってないってゆーね!w」
それは張本人も例外ではなくて、クレイは一切カシュミーエルと不仲である自覚はなかったようだ。
彼は目を皿のようにして、瞬きをしたのち、彼女に向けて親指を立てた。よく知らないが、なんだかんだ言って仲良しなようだ。
僕はレィリとウツワと共に近くの木の下に座り、溶け始めているアイスを食べ始めた。
氷を噛み砕く音を立て、自慢気に片手でスイカを軽々と持ち上げるクレイ。それを、レィリは物乞いそうな目で見据え、座ったまま両手を伸ばしていた。
彼女に対し、クレイはアイスを持ったまま水滴のついたツルツルのスイカを差し出した。もう少し拭いてから渡さないものだろうか。思いやりが足りないなあ、と彼を思案したが、レィリも大概で、片手間に果実を受け取ろうとしていた。僕には未来が見え、額に軽く手のひらを当てた。
案の定、その大きな球はバランスを崩した。
「おもっ」
予想外の重さにスイカがレィリの手から滑り落ちる。
レィリは心底驚いた顔をしていた。
「いたい…」
「いっつぇーっ!!」
2人の痛声が澄んだ空にピリッと走った。
彼女は転び、みるみるうちに霧散してしまった。パサリとその場に服だけ残る。クレイは少し湿った木陰のあたりで、土の上をごろごろ転げ回っていた。僕は焦りに背筋を凍らせ、焦りは冷たく背筋から上に通過した。
クレイは、握りこぶしにした手を内腿で挟んでいた。突き指をしたのだろうか。レィリは実を足に落としでもしたのか。そんな想像ばかりしていると、こっちまで痛くなりそうだった。
突然レィリは言った。
「…いたい…?」
僕の思考に干渉するようなタイミングで放たれた独語、そして徐々に浮かび出る姿。
君は起き上がり、自身についた土をはらいながらクレイに躙り寄っていった。クレイの負傷を心配しているのかと思えたが、“痛い”という言葉の意味を理解していないような挙動だった。
卒然、誰かが自分のうなじをつつくように触った気がした。
振り返ると、背伸びしたウツワの顔があった。頑張って届かせようとする彼の震える手が、僕にこそばゆさを感じさせていたようだ。
僕は何用かを聞いた。
「ウツワは、赤い、スイカを、見つけた、」
「ウツワは、ヌシに、それを、見せることを、したい、」
スイカの中身が赤い様子を見て赤いとでも言っているのか、赤いスイカというわけのわからない主題に僕はハテナをつけられた。
ウツワに袖を掴まれ、それに従ってトコトコとついていった。足を出すごとに単子葉類に脚首を刺激された。
彼が示していたその場所には、ごく普通のスイカが、ただそこに転がっているようにしかみえなかった。その隣もスイカ、その隣もスイカ。さらにその隣もスイカにかと思ったが、明らかに違った。
それは西瓜サイズの影であり、透明な球体の表面には、うっすらと大きな四角い赤い光が漂っていたものだった。
とにかく、そんなものがあったのだ。
しかし、……これは果たして「ある」と言えるのだろうか。試しに持ち上げようと、腰を曲げて手を伸ばした。
だが、手に触れた部分の光はすれて消え、自分の手が持ち上がっただけだった。まさにレィリのためにあるスイカのようだった。
これもみんなに見せて、情報共有をしよう。実見したレィリがどう反応するのかも興味があった。
ウツワは、軽く拳を握って一瞬だけ胸の前で振り、「これ、見張ってる!」と意気込んで言った。僕は「ありがとう」とうなずいて、胸の奥で好奇心を弾ませながら、みんなを呼びに行った。
辿り着くと、レィリたちはのほほんとした様子でスイカを触っていた。
「ちっ…。なんでこんなにおいしいのよー!ふーん。うまいじゃん…。」
カシュミーエルはアイスをたいらげて、1人でつらつらと感想を述べているようだ。怒っているのか、ほめているのかわからないので、参考にならなそうだ。しかもよく見て見ると、彼女はアイスの棒をずっとくわえているだけじゃないか。そんなことをしながらスイカに手を置いてしゃがんでいる彼女と、ちらと目が合う。
「なっ何よ、ちょっとくらいいーじゃない!!」
まだ何も言ってない。カシュミは頰を赤らめながら、腕をぶんぶん振る。僕は話を棚に上げてそうそうと、本当の用事を思い出す。僕はウツワが見つけた赤いスイカの話をした。
「え?それってあのオカルトサイトに載ってた誰かさんの仲間ってこと?」
ため息混じりで偉そうに聞き返したカシュミの言葉にレィリが耳をそばだてた。
レィリはカシュミをそっくりのジト目で見つめた。その視線の奥には、ほんのわずかな不満が垣間見えた気がした。今回カシュミが言う“誰かさん”が、自分のことだと気づいたのだろうか。
「とりあえずプチ遠征な感じ?」
クレイが取り仕切って、ほんの少し気まずくなりかけた空気を切り上げた。
僕は仲間を、珍しいもののありかへと連れてきた。低木を越えた先の畑に手をふるウツワの頭身が見えた。僕らは手を振りかえした。手を振り返す僕たちを見て、一拍遅れてレィリもさりげなく手を振った。
少しずつだが、レィリに人間らしさが、見られるようになってきた気がした。
それはさておき、改めてみても、そのスイカにはレィリを連想させる要素がいくつもあった。色は違えど、関係がないことはないはずだ。レィリでいう緑の線が赤い色であり、彼女の赤い光点が、このスイカでの青い点々に当たるのだろうと仮説を立てる。ただ、その色合いは彼女に比べてずいぶんと淡かった。ウツワはキョロキョロと首を回して、みんながちゃんと集まったのを確認すると、ようやく口を開いた。
「ウツワは、スイカの、変形しない特徴に、気がついた、」
彼が言う変形とはどういうことだろうか。と、話題の中で戸惑いにつっかえる。
ウツワは自慢げに続けた。
「ウツワは、ヌシたちとアニメシアにいくことをした、あの日に、変形をした、レィリの姿を見た、」
彼の手はレィリに向けられる。
「確か、破れた服っぽい形になったやつだっけ?」
とクレイがアシストした。
僕らは「おお」と腑に落ちる。それは情緒に連動しているとも思えるレィリの変容についてだった。唯一の当事者でなかったカシュミーエルだけ、よくわからなそうに頭を横に傾けた。
レィリも何か言いたげな顔をしていた。僕はほのかな期待を秘めて、ウツワの顔を見る。もじもじしてなかなかレィリは話し出さなかったがしばらくして僕の方を向いた。
「ごめん…。」
一つ深呼吸を入れたあと、彼女は口を開いた。
出てきたものは謝罪の言葉だった。
話している途中の、彼女の表情は移り気するようにように変わった。
自慢げに、そして被害者のように、一瞬、照れくさそうに、無頓着な目で俯いた。声も所々で変調した。僕らの声を真似たようだったがその一方で誰だかわからない悲しみに打ちのめされたようなものも織り交ぜられていた。
「ウツワは、問題ないと、思う、」
ウツワは迷うことなくレィリを許した。
「ありがとう…。」
そう言って、レィリは静かに自身の手のひらの指先同士を胸元の位置で合わせた。
「ところでいい?…あなたさ、これについてはなにも知らないんでしょうね?」
良いシーンにわざわざ割り込んだカシュミは、赤いスイカの方角を人差し指で示したこぶしを腰にあてていた。
「知らないっ。」
レィリは、名前を呼ばれたように体を前に乗り出して即答した。
色々思うことはまだあったが、とりあえず、僕らはスマホで赤く光るスイカを写真に収めた。
しばらくそれを眺めたのち、気持ちを切り替えて、ようやく僕らはスイカを狩り始めたのだった。
スイカ狩り。茎をハサミで切ってかごに入れる単純な作業である。ただそれだけのことなのだが、それが難しい。
それと、レィリとハサミにはどうやら繋がりがあるようだった。近づけると、彼女の色はアクリル調に濃くなり、遠ざけると薄灰色のステンドグラスのように、透明に近くなっていた。
ずっと目の前の作業に没頭していたものだから他のみんなの様子が気になって、僕は手を止めて周囲を見た。
クレイは大量のスイカをカゴにためて、あちこちを回っていた。カシュミーエルは、その威勢に負けまいと、高速で収穫をしていた。ウツワは僕の後ろにいた。日差しに透けた葉の裏を楽しく見ている様子。レィリは、僕らに溶け込むように、畑で膝を折っていた。なぜだか、ここに来たばかりの時よりも、彼女の体色が薄くなっていたフシがある。この環境に地道にだが慣れてきたのかもしれない。
みんなの姿を見ることばかりに気を取られていた僕は、耕された土間を天で結ぶ、つたにつまづいて転んでしまった。
自分の油断を悔やむことしかできなかった。
ヘタを切る道具の落ちる、踏み固まった土壌の上。素足の横にカチャと滑り込んだ先に、目の光を落とすレィリ。とぼけた顔は影を刷り込み出す。
ツキ悪く手からはみ出て、前にいたレィリの肩下腕目掛けて一直線だった。
傷口から緑色の火花が線香花火のように近辺に飛び散った。
スパークリングのパチパチとした微弱な振動と共に、錆びる研がれた金属。
レィリは左肩をおさえていた。
その傷口からは黒いラメのようなものが無数に溢れ出て、煌びやかに小さく踊りながら、油の雫のような速度で幽玄に地面へと溶け込んでいっていた。それに加えて彼女の指と指の間を抜けて、垂直に落ちる流れ星のような酷く眩しい光々。
そんなことを考えて良いような立場ではなかった。
「…あああああああっ…!」
君は可哀想な声を出してぐらっとその場に崩れ込んだ。顔を隠す形でうずくまり、その身体はガクガクと怯えていた。
「やばい…!」
僕は憂慮に近いあせりを感じた。ウツワはレィリの崩壊のさまに、全く動揺せず、立ち上がった。僕と目を違わせ、足早に通り過ぎた。クレイとカシュミに援護を求めに行ったようだ。その後ろ姿は、可憐さと雄大を兼ね備えていた。
では、僕は、レィリを助けるために、奔走しよう。
不謹慎な声が何度もあたりにこだました。
「結構やばいってゆーね…笑」
クレイは焦りを腕ではらう。
変形したレィリから流れた強風。僕らはそれに威圧される。
服のような器官の裏側から突き破った軟体な管。裂け目から覗く瞳。鋭利なオブジェクトの支点の箇所にはもう一つの目玉がついていた。
鏡面反射する黒い石のようなその影は、沸騰する感情を空に彫り込ませ、示唆し、冷たさと威圧感を滲ませていた。
エコーする悲鳴に、胸を締め付けられ、気分を害そうにも、気持ちを揺らされ、害せなかった。どうにもできないこの状況に、ただ立つことしかできない僕は、全身を掻き乱すようなむず痒さを覚えた。君の口から再生されるその過激な声から、変えられない未来があったことを悟った。あたかも過去のカセットテープを再生しているような物言いは、どうあがいても既に結果が決まっているようで、僕に無力さを感じさせた。
「―はい、いたぁーいしまちゅねー。―」
また誰かの声が頭蓋腔に充満した。脳の中心から蔑みかけてくる。体制を崩し頭の重心から倒れ込みそうになったが、この現象に耐性がついたのか、今回はさっきとくらべてめまいはそれほどしなかった。
僕は冷静になり、その言葉の真の意味を読み取ろうとした。しかし、痛みに耐えながら、何かをするだなんて僕にそんな器用なことはできなかった。
ただただ聞かされることに胸が苦しくなる。
「…いたっ…、……。フフ……いだああああぁぁァァァアッ!!!」
突然、レィリは眼球を高速で動かし、空が歪んで見えるほどに全身を震わせて暴走をし始めた。彼女の咆哮に内腑の髄から揺らされ、どこからともなく呼び寄せられた、風の圧に押し負けそうになった。実際は風なんて吹いていなかったかもしれないけれど、前に進めず、息もできないほど苦しかった。
不気味なほどにセルリアンな、鮮やかすぎる開口色をバックに、うねる龍のようにたちのぼる君。大きな黄緑の指から、威嚇をするようにショキショキと金属同士を擦らせる音を鳴らしていた。
「ああああぁぁァァァアッ!!!」
君の唸り声と、ともに荒ぶる突風もとい哮鼓の勢いに僕は直感で目と耳を塞いだ。闇の中で、ぐらんと異様な力が首にかかった。
僕は目を開ける。
そこに広がっていた空は、ミキサーでかき混ぜられたように濁っていた。
僕の体は宙を舞っていた。
全方向から風を受ける。空が360°見える。僕の体は縦に、斜めに、回転した。僕はかろうじてレィリの束のような部位を触る。その触り心地はどう喩えようにも髪の毛だった。
キヤはレィリの指の間を真っ逆さまに過ぎようとしていた。
「いだああああぁぁァァァアッ!!!」
スピーカー越しで聞いた獣のような声。音割れした電子楽器がぶつぶつと声色の表面を汚しているようだった。波を浴びるたびに肩の産毛が小さく揺れていた。それのせいで僕は無心になっていた。
僕は終わりを覚悟した。眼球まで血が行き届かない。ブラックアウトする世界に目を閉じて懇願した。何に何を祈っていたかわからない。なんの捻りもないようで、幸せだったかもしれない生涯も終わるのかもしれない。
最後の最後でレィリと出会えて、世界の広さに、楽しく感じた。
けれど、欲を言ってしまえば探究心には物足りなかった。このままじゃ終われなかった。君の事をまだわからないまま、終われなかった。生きたいという切実な願いが胸に迫ってきていた。
風圧を受けながら、僕は自分の存在を確かめた。瞼が重くて開かず、強風で何も聞こえない中で、噴き上がる風に敢えなく四肢をバタバタと打ち付けられていた。全身に巻きつくチクチクとした痛みで感覚も麻痺して、その状況の激しさに、恐怖すら霞んでしまっていた。
脳まで伝達する余裕もないほどに、感情や判断はなかった。
僕はレィリの尖った指に、そっと手を乗せる。触覚だけが頼りだった。
触れたところを境に眩しく光る。ぼくの手の内側から緑の電気が迸った。
僕はなにがなんだか把握しなかった。板状のものを掴んでいた感覚はあった。浮力が働いていたからか、軽い力で飛落する体を支えることができた。しかし板も一緒に揺艘している心地がした。
手でそっと触れたとき、言葉を借りればそこから脈を通じて鼓動が伝わってきたようだった。無機質的な感触で、人工的な形であったけれど、生き物のようでもあった。
僕の心にはちょっとした空きスペースができた。無意識の奥底で観返す、目を閉じる直前の光景、君の姿。黒いカニのような手と、血管のように蔓延っていた黄緑色のライン。自分の手でしがみついているものがレィリではないことを祈りながらも、そうであることを願った。
望むとすれば、君と和解して、尚且つ僕も助かることだった。
慣性に担がれる内臓から、残酷な最後通告は知らされていた。事実に迷いながらも、未知数的な君に頼ることに全てを賭けていた。
背後の指と挟まれないことを祈りながら、僕は優しく、その手を撫でた。
「大丈夫だよ。」
「君を助けたい。」
共感の延長線上に、相手の経験を自分も感じとることができるということがあるという話。改まったことではないけれど、僕は君を分かろうとした。
降下する速度。
ふと耳元で喚いていた風が静穏を取り戻す。
あたりはしんとした。自分がいまどうなっているのか、何も見当がつかなくなっていた。
安らいだ空気の流れに目を開けられそうではあった。しかし、硬く瞑っていた余韻で筋肉が硬直させられて、視界の幕を持ち上げることを許していないかのようだった。
落ちる感覚と共に希望が去りつつあった。
まさにその瞬間だった。
ふと、誰かが語りかけてきた。語りかけたのは君の声。
綿毛がいっせいに浮かび上がるように、諦めかけていた僕に、一つ言葉が届いたのだった。
「大丈夫。…どんな時でも僕は君を助けるよ。」
優しい声で僕に囁いた。聞き慣れてはいなかったが、彼女のものだった。
君は僕の背中に腕をまわした。もう片方の手で僕の額を上から下へと撫で上げる。君の無機質な手はいつもと違って暖かく、潤っていた。風圧に負けた眉上の髪の毛が隠していた、美しい景色。
僕はそっと目を開けた。君は僕の顔を見た。
それはとてもとても高く、摩天楼を一望できる場所だった。
僕らは逆さ向きになった空で見つめあう。
「僕…私、きみと、この景色を見れて嬉しいよ。大切な宝物にするね。」
人型に戻ったレィリは物語の主人公のように風を受けながらそう言った。
僕はレィリににっこり微笑み返す。頭に血が昇ったせいかだんだん意識が遠くなっていく。
7話 日記
誰かの声がする。僕はうっすら目を開ける。見覚えのあった青いテント。パイプ椅子を三つ連ねた上に僕は寝ていた。
頬杖をついていたレィリと目と目が合致した。君は慌しくその場から立ち上がる。ふわりと舞い上がる布。その姿は、白いワンピースがとても似合っていた。どうやら姉の服は無事だったようだ。テーブルやイスのドカドカとぶつかる音。ふらつきながら、君は傍らに寄ってきた。
彼女が立てた注意音に、みんなが顔を見せてくれた。
「お姫復活って感じw?」
クレイは拍手喝采でイベントテントの中にやってきた。すましながら、にやけてもいる表情をして彼は座席にどかっと乗った。
「お姫…?」
僕はなんのことだかわからずポカンとした。彼に続いて入ってきた、ウツワが話し始めた。
「ヌシは、レィリちゃんに、診ることを、されていた、」
ウツワは深く息をついて、僕に向かって詳説を続けた。
「ヌシは、目を覚ますことを、せず、レィリちゃんを、悲しませた、」
「ウツワ、は、ヌシたち、に、王子様とお姫様に似ている、という、感想を抱いた、」
なるほどそういうことか。確かに救われるという立場上、どうしても姫という表現が妥当か。
突発的にカシュミが口を開く。
「ほんとさぁ…。空からお姫様抱っこしたまま降りてきたら、だれだってビビるでしょ!」
彼女は苛立ちながらテントの外側に向かってそう言い放った。その後、片目でこちらを見返した。
これまでの流れを考えると、僕を抱えていたのはレィリだったのだろう。
…僕の中で、彼女に対する印象がガラリと変わった日だった。
僕は一度筆を置いた。
僕は今日の出来事を布団で日記にかいていた。
「めっちゃ喋れるようになったなぁ。」
隙を見てメルツがそう挟んだ。
「そう?」
僕らの隣に横になっていたレィリはそう言った。姉は彼女を見て、顎に手をあてながら頷いた。そのあと、一つあくびをして目を擦った。それを見て僕は日記を書きたい気持ちを抑えようとした。
「今日はもう寝ようか。」
僕は提案する。
消灯は誰がするのか。僕は姉と消灯じゃんけんをする。
レィリは川の字の真ん中で2つの手が振られる様を見て、驚きと哀しみの表情を浮かべた。
「電気。消してみる?」
姉はレィリにそう配慮した。姉に台詞を奪われて、僕は若干悔しい思いをする。少しレィリの光が明るくなった気がした。
「やってみる!」
レィリは、小声で健気に答えた。
君は布団から少し身を出し、テーブルスタンドの紐の先を掴んだ。
カチッ。
下ろすと枕元を照らしていた明かりが消えた。
彼女の輝きが一層際立って見えるようになった。
「ありがとう!」
レィリはメルツの方を向いて言った。
僕はふてくさりかけた。ああ、またしょうもない事で不満を持ってしまっている。さっさと寝よう。そう思ったときだった。
「ありがとう。」
君は僕の方に向き直り、こっそり耳打ちしたのだった。
8話 水色のそれ
あれから数ヶ月ほどたった。僕のいつものグループは、5人組で一緒に遊びに行くようになった。
長期休暇に行ったテーマパークには、姉に車で連れていってもらった。ゴウトという町に調査をしにいった日もあった。オカルトサイトに載せられていた物を実際に確かめるためだった。しかし、その町にあったショッピングモールは厄介で、洋服や、ぬいぐるみ、ゲーム機、カバン、インテリア雑貨、あらゆる類いで僕らを誘惑した。なんと、面白半分で入ったっ切り、僕らは午後を全てそこで費やした。
もう連休は明けたけれど、僕らはちょっぴりとした遠出というものに入り浸っていた。
そんなこんなで。
…今日は、メイビスで一番大きな街、ドムマ・ストロノイアにきていた。
風変わりな名前をつけられたこの都市は、メイビスで最も美しく、カッコいい街だと言われている。
たしかに、ビルはほぼ全面がガラスで張られ、夜と僕を映し出していた。
スタイリッシュさを保ちながらも、クルクルとした装飾を都市中に施された街並みは、アンティーク風でもあった。
黒緑色の街灯は穏やかな橙の光を三つともしていた。
粉雪降り始める帰り道。
おしゃれな小店のショウウィンドウに映る君は、ガラス越しに、君と手を合わせ、眺めていた。
君はあちこちに興味を飛ばしすぎていた。
「レィリ。ふらふらしてたら危険だ。夜遅いから帰ろう。メルも待ってるだろうし。」
僕はレィリに柔らかく注意勧告をした。
君は返事をせず、代わりに小走りで僕に飛びついてきた。
ゴワゴワとしたコート。
何を思っているかは知れないが、君は満足したように跳ね回っていた。
そんなことより、都会と言われるだけあってやはり人が多かった。君はすれ違う人々に僕を見せつけようと気張っているようだった。
僕は君を払いのける。
「そんなに近づくと転んじゃうよ。」
そう口実をつけてレィリを振り払った。
肌寒くなった季節に夜を歩くというのは、ロマンチックなことではあるけれど、本心では、二人組とすれ違うたびに、周りの視線が気になって恥ずかしくて仕方なかった。
君は頰を膨らませ、脚を大げさにぶらぶらさせて歩いた。
そのとき、先頭にいたクレイから速報がくる。
「あれ、あれ、?この電車すぎたら結構、佇立る(ちょりる)っていうねw」
時刻表を目にした彼は、指差しながら、変な造語を交えて言った。
それと同時に不審者が出たとの情報が入ったが、自分たちと接触することなど、ありえないと本心ではあまり真に受けなかった。
駅ビルの入り口前。雲をも突き抜けそうなその高さ。天まで続く黒曜石のような表面に、圧倒されそうで、街の光を映し出すそれは、まるでもう一枚の星空が息づいているようだった。
「離れちゃダメだよ。」
君とはぐれることを念頭に置いておかなければならなかったため、僕は君の手をしっかりと握った。
暗い夜中の人混みに突っ込むことを決意した。
今にもはち切れてしまいそうな薄い色。すり抜けてしまわないよう綿密に君の袖周りをチェックしながら歩幅を広げる。
僕らは、5人、夜の街を走る。
たまに白く見える息に、僕は風流を感じる。
駅に入ると一気に照明の数が増えた。
特有の電光掲示板が放つ別れのにおい。もう帰ってしまうのかという名残惜しさと、楽しかった余韻に浸る時間。特に何もないけれど、その時見た風景は強く頭に焼きつくものだ。そんな日の帰りに電車の中で見た景色は、どこかはわからなくても、いつまでも記憶に残りそうだ。どんな旅の終わり時でもお世話になる駅というものには、いつも何かしらの感情を増大させられる。
沢山あるホームをみんなで2度3度行ったり来たりして、最寄り行きの文字を見つけた。
広告のパネルを4面に貼られたモリオンのような柱。
明かるいけれど、目に優しい彩色と光色。大理石模様の、一丸となって艶めく天井はとても高かった。非常に薄いベージュ色をした、照明を際立たせる正方形のタイル。黒かガラスかの二択の壁は野外に劣らず高級でさえ感じ、クルリとしたアクセントも、まだところどころのライトや看板にさりげなく残っていた。でも場所によっては配管が剥き出しであったり、ちぢれたアルミで覆われたようなところもあった。
いずれにしろ、上は過剰と言って良いほどに広く、ぼやけて見えた。
個人的な意見だけれど、大きな建物の屋根の高い場所はガラス作りになっていて、そこから太陽が差し込んでるイメージが強かった。だから、白くぼかされたように明るさの澄み渡った天井に、太陽がのぞいていると錯覚してしまった。
改札だ。その上には大きく3文字で堂々とこう書かれていた。
“グルギユ行き”
クレイは無意味に回りながらお札をかざした。少しよろける彼をふんと鼻で笑い、カシュミーエルがクールにくぐり抜ける。
次は僕の番か。
僕はカバンから札を用意し、改札の前まで行く。
改札の真上に設置された電光板。その分だけ天井が低くなっていた。摩擦のあるゴム状の床。改札の側面は青いサラサラした質感の塗装がされていた。ダルカラーに囲まれたゲート四辺…。
そんなとき、改札口からバチッと水色のスパークが散った。小規模の火の弾ける音が顔周りの近くで僅かに波紋し、にぎやかなフロアのざわめきをひっそりと突き抜けていった。
不穏な空気に心がどよむ。
かと思った矢先、駅全体が停電した。
少しして非常時用回路か何かが作動し、電気がなんとか一部つくやいなやアナウンスが流れた。
“ただ今、駅構内で停電が発生したため、安全確認を行っております。…”
暗闇の中にポツンと光が一個灯っていて、僕はどこかでみた別の記憶を思い出した気がした。
部屋の四隅が暗く、天井は無駄に高く、床は光沢感のあった両足収まり切るサイズのタイル。どこだか思い出せない。何も出なかった。掴もうとしても霧の中に消えていくようだった。ただその場所は怖かった気がする。例えるのなら閉鎖したショッピングモールのような場所だった。そんな場所に足を踏み入れる機会などまずないのに、そういった場面を記憶していることが不思議だった。時に夢は記憶と混ざり合って、現実のように感じられることがある。よくわからないけど、そこは美しかった。
“現在電気設備の故障により、駅構内の一部のシステムが作動しなくなっております。大変ご不便をおかけします。なお電車には影響がありませんでしたため、運行は平常通りに行う予定です。”
ハキハキと的確な駅員さんのアナウンスが終わるあたりで、僕は違和感に気づく。
改札口の奥から近くまで立ち込める煙。微かに風が吹き込み、もやは雲のように動く。ほのかに赤く光る消火栓の明かりが、それをかすかに染めていた。僕はとんでもないものを目にした。
それは、明滅する光をまといながら、煙の中を泳ぐ深海魚のようだった。
「レ…ィ…リ…?」
僕はその名を呼ばざるをえなかった。
改札の奥の深い闇から、もやを抜けて黒い存在が現れた。その体の表面には、水色の光が水面を滑るように揺らめきながら輝いていた。
一部始終氷のような色の火花が弾ける。つむじギリギリまで垂れ下がった断線ケーブル。
黒い人型は長い髪を靡かせながら、改札を撫でるように越えてきた。水中を泳ぐような仕草でこちらに向かってくる。明らかにそいつは、僕を一点に釘付けに見ていた。
目をそらすことができなかった。心臓の一拍一拍が重くなり、時間が引き伸ばされていく。
未知との遭遇に、僕の頭は空っぽになった。
それはどんどん近づいてきて、僕と面と向かい合った。
ぶつかる寸前で赤い陰った瞳で僕を見て、軽く片手でどかそうとしてきた。しかし、僕の体には何の影響もなく、その人影の手から映像が乱れるようなノイズが空間にはみ出て、すり抜けてしまっただけだった。
僕に当たって吹き飛んだその手から、水色の電流が、雫のように飛沫となって、美しく、光沢を見せる駅の床に溶け込んでいった。
その水色の光人はうまくいかなかったことに腹が立ったのか、甲を見せる形で片手首をひねり、僕を細目で見た。
フロアに飛び散った水色の電流が、その人の足元まで木の根っこのように広がり、すみやかに吸い集められていく。
床に水色の光が見られなくなると、ほんの僅かに照らされていたあたりは再び、闇に包まれた。
一度も床に目を向けぬまま、音も立てず着実にこちらへ迫って来る。徐々にその体は浮かび始めていた。
目前までそれは寄ってきた。
両肩を柔らかく掴み、問い詰めるように、浮遊したまま、僕とおでこをあてる。
宇宙でぶつかり合ったように髪は揺蕩していた。
僕より僅かに身長が高く、凛としたスカイブルーの色は鮮やかだった。
僕の腕の付け根を、手ひらのでっぱりで優しく突き放し、その子は3mほど距離を置き、腕を目線と水平に僕へ向けた。
僕の頭の中は静まり返り、全てが遠ざかり、時間の流れが消えたように感じた。まるで引き寄せられてるような心地さえした。ただその動きに目を奪われていた。
そいつは少し笑みを浮かべながら、左手の人差し指と中指と薬指を伸ばす。それを僕の反応を楽しむかのようにゆっくりと、しかし確実に僕の方へ向けた。
墨汁を垂らした綺麗な水のように、そいつの姿は一瞬で真っ黒に染まった。
…気がついたとき、僕は目を開けれなかった。それなのに、なぜか、周りの様子を見ることはできた。
宙には黒いラメが無限に舞っていた。
僕を示していた水色に光る指は溶け出して粉末化し、僕を膜のように包みこんでいた。
周りには注目する沢山の人がいた。スマホで写真を撮る者もいた。
星空で覆われたみたいで、なぜか暖かかった。宇宙の揺籠のようで、まぶたが能動的に閉ざされる。
水色の人型は姿を変え、夜空模様の繭ごと僕を覆い尽くした。
そのとき、自分がまぶしく輝いた。視界は真っ白にみえた。白やベージュ色をしたツルツルとした壁と天井が、非常に強い影に襲われた。
光が落ち着いた時には、ラメも水色の人型もいなくなっていた。
…一度目前は黒く塗りつぶされた。
…………………………………
僕は目を覚ます。
僕は4人の人間に観察されていた。
クレイと、カシュミーエルと、ウツワと、レィリ…?知っていたけれどよくわからなかった。
「キヤ…!大丈夫?わかる。」
僕は体を起こした。
僕は立ちくらみのようなものを感じ、視界がうっすらと二重に揺れた。3Dメガネをかけているような体感が、しばらくの間続いたが、段々と薄れ、なくなる頃には忘れていた。
「?…私はラィヴィ。…私は憎しみ。あなたはとっても悲しそう…。」
僕はそんなわけのわからないことを言った。でも、それについて考える余力はなかった。
喉の中で響いたのは自分の声だったけれど、自分の頭の周りで感じ取った音は僕の声ではなかった。頭が重く、鼓膜の手前で水が詰まったように、こだました。
改札を越えた先にいたクレイとカシュミーエルは、駅員さんになんとかしてもらって、こちら側まできたようだった。
「大丈夫?なんか変だよ?」
そう言って近づいたレィリ。君は慌てて心配する。
僕はすぐさま君に手のひらを向けた。自然と出てきた。
「さっきから思っていたんだけど正直言って邪魔だ。べたべたくっついてきて気持ち悪い。」
僕はそう、心にも思っていなかった辛辣なことを言ってしまった。
冷たく固い床は、とても凍てつくようにつらく痛そうだった。
レィリは駅の改札前の真ん中で座り込み、泣き出してしまった。
はじめて流した涙。僕もびっくりだった。大泣きして、袖をびちょびちょに濡らしていた。ザラザラときめ細やかに繊維が絡み合っていそうで、他人事なのに眼の周りが荒れそうだった。
僕はその出来事から目を離し、スイスイと1人で去ろうとする。
しかし、後ろからやかましい人が一人、歩幅を広げ追尾してきていた。怒らせながら足音を立て、斜め後ろまで距離をつめると勢いそのままに言葉をぶつけてきた。
「ちょっと!何泣かしてんの?バカじゃないの!?だれかさんはね、あなたのこと見てずっと育ってきてんじゃん!そのくらいわかるでしょ?」
彼女は怒りに拳をぎゅっと握り締めた。
「最初にだれかさんのこと持って帰るって言ったのはあなたでしょ?もっと優しくしてやったら!?」
カシュミの猛攻撃は少し論点がずれていた。そのうえ、僕が初めにレィリを連れて帰ると言ったわけではなかった。
面白くない話題に耳を傾ける必要はない。
それより後は全てききながした。
ゲートを越える寸前で、一度立ち止まってみた。
すぐ右を見下すと、レィリの丸まった背中を後ろからウツワが摩っていた。
「ウツワは、キヤちゃんが、あのような、酷いことを、考えていると、思うことは、できない、」
戯言を何度も言い聞かせ、レィリの肩を押さえているようだった。
「ヌシは、悪くは、ない、キヤも、悪く、ない、」
そうなだめる彼もまた、動揺しているようにみえた。
まだ悪いことをしたつもりではいなかった。
君らが落胆している間に、何事もなかったように僕は1人で帰ろうとしていた。なぜこのような行動を取ろうと思ったのかは、まったくわからない。
それでも、そうしてしまったんだ。
僕は改札を即座に越え、ホームまで一直線につながる通路に出た。その場を離れる脚は妙に軽く、地に足がついていないような奇妙な感覚だった。
ちょっとして、レィリが、息を荒げながら、人の海を割り込んできた。人波越しに見える僕の頭にどうしても、追いつかなきゃ行けない、そんな目つきで君はたびたび手を伸ばそうとする。しかし、その手は何度も空を切るばかりで、人混みが邪魔して前に進めていなかった。
…今思えば、こんなことが昔もあったかもしれない。喧嘩した後って、素直になれなかった。
僕は心の中で君に歩み戻ろうと思ったのかも知れない。しかし僕は体をそちらに向けることだけしかできなかった。顔を合わせられなかった。いや。別に何も考えていなかった。
彼女は息を切らしながら、それでも振り絞るような声で言った。
「キヤ!まって…!なんで!君は1人で…先に行こうとする!?」
人々が口々に指をさす公共の場でも、君は少しも躊躇しなかった。
僕の足取りは無意識のうちに速くなっていた。周囲の視線や状況ではなく、何か胸の内にある感情が僕を急かしているようだった。何にこんな焦っているのかと、気になるほどに。
「あなたも記憶の一部でしょう?……私はラィヴィ。あなたは…」
僕はまた自分をラィヴィだと名乗った。まるで何かに操られて言ってしまったかのようだった。要所要所で、自分の声が曇って聞き取れなかった。
僕はついに君と目を合わせ、君に向けて腕を伸ばし、掴み取るような仕草をした。
君は全てを拒否した。
「うるさい。うるさい。もういやだ。やめてやめてやめてっ!!」
君は両耳を塞いで、首を横に振りまくった。
しばらく鎮まり返ったような気がした。耳障りなガヤガヤ音が音圧にかけられたように感じた。
「一緒に…一緒に帰るはずだったじゃん、」
僕は黙って君を見下ろした。君がペースをおとして通路でしゃがみ込んだのを最後に瞳にいれ、僕はホームに向き直った。
そのとき、君の頭上をクレイが跳ぶ。
彼は群衆を軽く凌駕した。すみやかに、おかしくなった僕を掴み上げ、通路にあった凹んだスペースの壁に押し当てた。
珍しく彼は怒っていた。いつも朗らかに笑ってあしらうクレイが、憤りを感じていることに、信じられなかった。得意げな歯と眉には、より力が入り、笑みの裏にあった穏やかさは影を潜めていた。
よく聞き取れなかった。
「ごめ…………に…出……う…は……た………ね……。」
「………操…れ…て……じ………れ、………て……」
これは私の頭のせいか。
僕は口をつぐむしかなかった。
記憶が融合してるから私は別人ではなかった。何かが変わった自覚もなかった。それより後はひたすらに無心で起立していた。
次に列車が来る時間は乗りたかった電車より一本後だった。何も言わず、ただ周りの情景を眺めていた。
蒼月と人工灯に照らされた青空と夜の間、駅のホームでただただ立つ。
心が空虚に浸けられたようで、何も思えなかった風も布が擦れる音もみんなみんな過ぎていった。
誰も口を開かない時間が続いた。
悲しそうなレィリの横顔…。
……………
電車とそれがまとう風が過ぎるを待つ。寂しいけれど。すぐそばに仲間はいるはずだけれど。僕にはとてもおしゃべりする気分にはなれそうになかった。きっとみんなもそうなんでしょ…?僕が内心した質問を無視して電車は静かに停車する。よく反射する黒にさらさらした銀のライン。空気の圧が私前面に襲いかかってきた。ふと出た涙も乾いて気づいてもらえない。
……君はどんな気持ちでいるのだろう。……
電車の扉をくぐると、ふかふかした赤い座席が出迎えた。横一列に座った。僕はずっとぼーっとしていた。
窓からあたりいちめんに広がっていた紺景色を首をねじらず見た。
対照的に車内は青緑がかった独特の白に、浸透されていた。
ガタゴトと無情の音が淡々、通過していく。
気づけば、電車は安息地についていた。
機械音と蒸気が噴射されるような音を立て開くリベット留めのドア。
電車から降るためと立ち上がろうとしたレィリは、カシュミーエルに引き留められる。彼女の光がない、下弦の月のような目で見られて、君は立つに立てず座るに座れないような状態でいた。
ドアが閉まっていく。
…。
僕らは最寄りを乗り過ごした。
なぜここで降りなかったか僕にはわからなかった、が、そもそもそんなことすら当時は考えていなかった。
しばらく、僕とみんなは電車に揺られた。
みんなが突然立ち上がったとき、看板にはアニメシア通り駅と書かれていた。クレイもカシュミーエルもウツワも、僕を連れて無言で電車を降りていく。
アニメシア通り駅には一つだけ点滅する蛍光灯があった。光の当たり切らない、しがみついているホコリたち。
黄色味がかっていたけれど、どこか冷淡だった。
窓の稀少な、壁の分厚そうな駅は改札を抜けてすぐのところで、夜の姿を四角く差し込めさせていた。
人っ子少なく、駅長のおじさん以外誰もいなく、通行人を整理するための、地面からはえたような手すりは強い反射で照明のあたる壁に落とされた影と夜の匂いを取りこぼしなく拾っていた。
周囲にある建物を認識して記憶と照らしあらせた。ここは当然だが、やはりアニメシア通りだった。しかし、今日行く方向は自転車レンタル所とは正反対。クレイとカシュミーエルを先導者として進んだ。僕も一枚岩になった気でもないのに、意志の働かない身体が導かれるままに、肩を揃えて、同行していた。
日没したようにみえた空は虫色のベールを吊り下げていてまだ意外にも明るかった。
僕は察しがついてなかった。ここに来た理由。ここにある場所。
いずれは僕らでここにくることになるだろうとは予感していた場所だった。目星もつけて、ある程度、調査もしていた。
けれど、その初めての動機が僕の愚行からなるとはおもってもいなかった。
薄く揺らぐ人格のさなか、僕がラィヴィと名乗り始めてからずっと、知らない記憶が混じっていたようだった。探ろうとしても、自分のことなのに脳に入拒否されたようでうまく掴めず、内容もよく覚えていなかった。
この通りは、幅も広かった。
私はみんなに連れられようやく、最果てに到達する。
うねうね歪むお昼空。目の前の景色は揺蕩うように振動していた。
そこは感情なき冷たい建物に囲まれていて、通りと幅が均等な階段を5段ほどのぼった。あたり一面、パイプが奥から手前まで複雑に絡み合って立体的に配管されていた。
色光が、角膜の手前でフィルターをかけたように減衰し乱反射していた。景色は薄明でありつつも、白い光の先は皆とがれたように鋭く、万物を淡いコンテで塗りつけられたようだと、視覚が測り違えていた。
幼い子供が描いた絵のような不安定な怖さは、何か唆すものがこちらに手招きしているようだった。太陽から来て跳ね返った熱に四方八方から蒸され、暑さに汗が止まらなかった。
それらは白い高いスチールパイプの柵によって端まで遮られ、そこには立ち入りできないようになっていた。
主要なパイプは柵の上から飛び出し、そのまま直下にある機械の足元の地面に突き刺さっていた。電話ボックスにも見えるその機械は、広いこの通りの幅を惜しみなく使うように、10個ほど並べられていた。
この場所は広かったが、背の高いビルがここだけ取り囲むように密集している影響で、日光は愚か、空さえも一部しか見ることができなかった。
建物の表面はコンクリートで、赤くめっきが塗られた手すりや螺旋階段がところどころに目立っていた。ザラザラとした青い影をつける表面は、だんだん薄暗くなる世界に溶け込み、吹き行く空気は冷ややかだった。
「なんだっけ…。よく覚えてないや…。」
レィリは無意識にか、そんなことをつぶやいていた。彼女は自身の眉あたりを押さえていた。
「なぁんだ。しっかりとおぼえてるようね。」
私も君もハッと目を見開き、顔を上げた。
無自覚のうちにものを申していたのは、誰だったのか。
私が妖艶にクスクスと笑ったような感覚だった。その声はレィリに似ていた。
君は気づいていないふりをした。
「何気に初めてきたっていうね…記憶コントロールセンター。」
抵抗しない私は捕まえられ、クレイは、管の伸びる先を見上げながらゴクリと飲んだ。
「ウチきたの何年ぶりだろ?多分一緒にそのとき忘れたんでしょーけどっ。」
カシュミーエルはなぜだか、ひや汗をかいていた。
空間全体は低い振動音に満ちていることもなく、機械が動いているのか疑ってもいいほど静かだった。
電話ボックス型をしたあれらの機器のうち、一つの前に足を揃えた。それらも、膝丈ほどだがそれぞれフェンスで分けられていた。
その扉の前には"04"と書いてあった。みんなでここに入ろうと無言で決まった。
記憶コントロールセンター。それは記憶の一部を好きなように、綺麗に消すことができる機械。今ではこの国の基本となりつつある。ここに来ることは別に珍しいことではない。他人に悩み事を聞いてもらうことに似たような感覚。機械相手だけどその代わり、思い煩いを完全に浄化してくれる。
…ドアのとってはギラギラしていた。クレイが扉を引いて開け、フラフラと私は機械に入れられた。
ステンレス金属の敷居はそこそこ段差が高く、足をのせるとサンッと微かな音を立てた。そこを超えると、硬く踏み込んだところが足裏をほんの軽く押し返すかのような踏み心地だった。
中の床は証明写真機のような弾力と光沢があった。だが抵抗はほぼなく、サラサラとした塵が微妙に積もって滑らかさを生んでいた。
そこの空間は台形柱型で、どこも落ち着いた灰のような色をしていた。
剥がれ掛けの詐欺防止のポスターとセロハンテープの跡が残っていた。ツヤのある紙製のそれの色は大分劣化して落ち、テープも黄ばんでいた。ラミネートされたものの中は過去の湿気にやられたようで、半透明なものに包まれた紙は、中でグチュグチュになって、にじんで完全にラミネートは剥がれていた。
天井に三つのモニターと丸いスピーカーのようなものが視角に入った。サイズの割に画面が小さく、白か灰色か汚れた色の縁は厚かった。画面も曇っていたが、それほど古くはなさそうだった。天井に埋め込まれた丸型のライトは眩しく、見続けていると夜中に非常口を凝視しているような感覚になる。
正面の下半分は壁が突出した台のようになっていて、その上には6つの突起がついたヘルメットのようなものが無愛想に置かれていた。ねずみ色の台はプラスチック製にしては重厚感があり、金属にしては光沢がなく、石製にしても、当ててもなかなか体温を奪われなさそうなものだった。この台のなかには複雑な装置が詰め込まれているのだろう。そして上半分は、台より1段階奥に凹んだところに、常にぼやけている鏡のようなものが貼ってあった。
使い方は単純で、このヘルメットのようなものを被ってボタンを押して、出てきた引き出しについたパネルに手をかざすだけだった。そしたらあとは、機械が脳と心を解析して、有害なデータを削除してくれる。それゆえに嘘を念じていても、真に消したいものが消されるらしい。
僕は首に力が入らなかった。視界をグラングラン揺らされながら装置を取り付けられる。僕に思考しろと言われても、それはほとんど不可能だった。
カシュミの柔らかい手が僕を抑え、クレイの大きな手でしっかりと頭に固定された。
後ろの方で見ていたレィリは、にがそうに私と距離をおいた。
…そっと手を置いた。
あとは僕が今日駅で起きた出来事と、付け加えられた記憶を消そうと思えばいいだけだった。
いざ機械を眼前にして立ったとき、ほんのわずかだけ、恐怖心が垣間見えた。
手を着いたパネルがひかるとき、カシュミが勢いよく扉を閉めた。僕はミニマルな空間に取り残された。
…僕は何を思っていたか覚えていなかった。
ざっと3秒。あっけないが記憶とのお別れ。その後、その電子化した記憶データはパイプの奥にある機械で消去される。
ガチャッと戸があく。
ウツワとクレイとカシュミが口を結んだまま入ってきた。みんなもっと怒っているかと思ったけれど、心配そうな顔をしていた。
「ヌシはなぜ、そこにいる、こっちに、おいで、!、」
ウツワはあまり大きくない声を精一杯出して、なぜかかなたのビルのところで独り静かに立っていたレィリを呼んだ。
ため息をついたカシュミーエルは、さっきの表情から一転して、軽蔑するように僕を見た。
「はあ。あなた自身が誰だかくらいわかるんでしょうね?」
申し訳なさそうに僕はうつむいた。
「…僕は…キヤだよ…。」
一同、今度はしっかりと心から安らいだようだった。
カシュミーエルは数回まばたきをして、目を擦ったのちそっぽを向いた。
クレイは、一つ息を吐いて、肩を組んできた。
ウツワは、破顔し、戸当たりによりかかり携帯をいじりはじめた。
僕はなんだか悲しくなってきた。
外に出ると冬の夜のように冷たいブルーだった。
爽快な夜の気配が、自分の体表に停滞していた汗から、意地悪く熱を掻っ攫っていった。
…………………………
僕はレィリ。今日は気づきたくないことに気づいてしまった気がする。
それに、僕には彼がネガティブな思考に変わっている気がした。
9話 緑の献替子
帰り道はよく覚えていない。君はずっととぼとぼ歩いていた。
駅を降りたらすぐに、キヤには僕に無言で鍵を手渡した。僕のことは気にしないでいいと君は目で言っていた。少し寂しく思いながらも僕はそのまま1人で歩いた。
後ろから追いかけてくれるかと、何度かきた道を振り返ったけれど、そんなことは僕が抱いた幻だった。結局、一言も話さないまま家についた。
ガチャ。
冷たい鍵には極力触りたくなかった。だから、袖で挟んで開けた。
「おー、おかえりー。」
メルツは何気なく気楽にそう言った。
「ただいま。」
僕は玄関から壁越しでリビングに返事をした。
「え、キヤは一緒じゃないんだ?」
返事が聞こえなかっただけで、君がいないことを君の姉は言い当てた。
指をいじり天井を見て、僕は狼狽した。
「へ。こーんな可愛いレィリとわたしを置いてどこにいるんだろうねー?」
メルツは調子に乗って言っていたけれど、僕は少し照れながらもジョークに苦笑いしていた。
ちょうどそのとき、君が帰ってきた。
「……。…ただいま…。」
君はゆらりゆらりと虚脱状態で洗面台へ向かっていく。君の姉がガタンという音を立て、廊下を飛んでいった。
「大丈夫…?どうした…?ちょっとこっちで休もう。」
君はメルに首根っこを掴まれ、少しぎこちなく手早くもどこか不器用にリビングのソファで横にされた。
僕は一旦手を洗い、ダイニングチェアにもたれた。メルツは冷静な目でキヤを見た。彼女も椅子に腰掛けた。
「今日…、何があった…?」
顔を曇らせたメルツは床に向かってそう言葉を零した。
「…………。」
キヤはまともに活動しなかった。発言は僕に迫られていた。今日一日に詰め込まれた情報量に、戸惑ったが、全てについて説明をする決心をした。
「じ…きょ…ええと。ドムマストロノイアから帰るときだった…。突然駅で停電を起こし、そこで僕らは、僕に似た人間とであった。」
どもる声を彼女は目を見据えて聴いた。
「僕に似た人間はキヤの中に入り、自らを“ラィヴィ”と名乗る化け物となった。」
僕は声を少々強めて言った。
早口な自分に気づいたけど、緩めるべき瞬間が掴めなかった。
「キヤと思えない冷たさで、ちょっと駅で揉めてしまって…。」
メルツは難解そうにしたが、優しくまばたきをした。
「キヤをもとに戻すためにみんなで記憶コントロールセンターにキヤを連れて行ったよ。」
メルツは全てに頷いてくれた。
「なるほど…。そっか。」
彼女は立ち上がり、持っていた新聞紙をテーブルに立てて、静止した。
天井を見続けていた君は顔を僕に向ける。僕は真剣にキヤを眼差して口をひらく。
「僕、気づいてしまったかもしれないんだ。」
僕は戦慄していた。
「…自分やラィヴィが、人から消し去った強い記憶だ…って。」
僕は唇を震わせながら、涙ぐんでいた。君は唖然としてくれていたかもしれない。
「ただ、知っている知識なだけかと思った…。僕に眠る出来事が、記憶だったなんて知りたくなかった。」
僕はそう打ち明けた。
「そっか…。た、たとえ…君が誰かの記憶だったとしても、僕は、嫌じゃないよ。」
キヤがそう僕にかけてくれた言葉はありきたりに聞こえた。
「…うん…、そう…だね。あ、あ、りがと…。」
僕はそう言ってキヤに作り笑いを浮かべていた。
先程まで新聞紙に隠れていたメルツは、悲しさを紛らわすようなひょんとした顔をして不意に手を打った。
打ち壊された空気に、僕は一瞬息を呑んだ。
「違う違う。本当はこの話がしたかったんだよ。」
そう言って、新聞の上の折り目辺りを指の腹でつかみ、彼女は僕らに出して見せた。
姉が視線を落とす先の見出しを、まつ毛に滴をつけたまま僕は黙読した。
献替子。
はじめて目にし、耳にする言葉。
とは言っても、新聞に没頭しているようで、実際は視線をページに滑らせていただけだった。気持ちは別の場所に引っかかっていた。
けど、内容を読み進むにつれ、胸がざわついていった。
“献替子”
〈文〉
“記憶コントロールセンターで削除されたデータが、自我を持って動き始めることが判明した。
見た目は半透明の黒い色素の沈着したガラスのようで、形、形状は大小様々。
記憶コントロールセンターを発明したベレサドン・O氏は、データの不可解な喪失が見られたと証言。
削除した内容が記憶に深く根付いているものであるほど実体の最大サイズが大きくなり、膨大なデータ量であるほど、記憶に基づいた形にのみ変形可能なものが多い。
記憶には他の記憶とくっつこうとする習性がある。自身の安心を求めるためか、なんらかの人為的または故意的に分断された記憶は、その場をとどまるのに非常に不安定な存在であり、それが、今回記憶が可視化されることを起因させたのだと思わせる。
記憶のインパクトが鮮明であるほど、記憶の引力は強く、主体に帰属しようとする。(トラウマ)
記憶のインパクトが鮮明であるほど、記憶の引力は強く、観者に理解してもらおうとする。(ポエム)
また再床されたとき与える精神的苦痛をフラッシュバックと言う。
実体化した記憶が他の人の記憶とくっつくとことを共有。他者の似た記憶を共鳴させることを、同感。他人に記憶を送りつける行為を発散。記憶を切り離すことを忘却、と言うことを定義した。
ものによっては個別に色を持つ。
それを献替子と名付けた。”
姉を見つめ、言葉を出せずにただ視線で読み終えたことを伝えた。僕の心にもやもやを残して。
君の姉はいたずらにも僕を見た。
自分が誰かがもっていた記憶であるとかに納得してるわけではいなかった。けれど、新聞が語ることを完全に否定できなくて、思わずうなずいてしまった。自分自身の人格がかかっていても虚弱であることに呆れ、内心涙を流して、哀笑を剥いた。
「…レィリは…緑の献替子だ。」
キヤが微笑んでそう言った。その一瞬だけ、心が軽くなった。フローリングのビネットがオレンジ色に晴れたが、追憶の襲撃ですぐに元に戻った。
僕はそのあとさりげなくリビングを抜けた。
階段を上がって壁に寄りかかる。
暗い廊下。窓に見える蛾の影。
違う。違うんだ。キヤ…。
僕は壁に背中を預けて、ゆっくりとずり落ちた。僕が言って欲しかったことはそう言うことではなかった。
「………うぅ………。」
…忘れかけていたことを思い出すことは、ときに非常に重い負担となる。
君にもあるだろう。そんなこと。
10話忘れられた日常
あの出来事から数日経ったある日。
…僕はレィリ。
君は今まで取ることのないような行動を取るようになった。具体的になにが変わったかはわからないけれど何かが違う。そんな気がした。
君は今どんな気持ちでいる。君は今何を考えているの。僕は常にそれで頭がいっぱいで、授業にかけらも集中できなかった。僕もラィヴィのように記憶となって君の中を観たりできてしまうのかな…。
………………
…僕はキヤ・L。数日前から、僕は変わってしまったみたいだ。なにがどうかわったかは知らない。
「大丈夫か?自分には最近調子が悪そうに見えてな…。」
言葉の選び方が慎重で、その一つ一つが落ち着きを感じさせる声で僕に話しかけてくれたのは、キサラマリカ・S。隣の席の子だ。少し困ったような眉毛に、カールした癖っ毛が特徴の橙色の長髪と橙色の瞳。白いブラウスに深緑と真紅のキュロットを身につけた彼女は、まるで魔法使いの映画から抜け出してきたかのようだった。僕はその声に安心しながら、大丈夫だと答えた。
「そうか。それなら良いさ。まあ、無理はしないでくれ。」
そう、張りのある滑らかな声でしずかに君は微笑み、ハッカあめを僕にさしだした。とりあえずいただくこととし、僕はそれを筆箱の横にさりげなく置いた。別にそこまで仲が良いわけでもないのになぜか世話を焼いてくれる不思議な人なのだ。
「ああ、まあ、それは好みが分かれやすいな。苦手なら戻してもらって構わないぞ?」
僕はそんなことないと首を横に振る。僕の行動が嫌がっているようにでも見えただろうか。ハッカの味はそこまで嫌いではないが、たしかに好き嫌いの分かれるところだとは思った。
「なんでハッカ?」
僕は純粋に問いたかった。
「ふむ、そうだな。まあ、頭がすっきりするから良いと思ってな。」
授業が終わった。みんな次の時間の準備をする。
「おすおす!わりぃ!キッサ。きょーかしょ忘れちまったからかしてくんね?」
そう言って割り入ってきたのはシルビス・K。全体的に金属のように光沢する金髪だが、一部あまり反射しない青髪の部分がある、ツンツンした髪の、黄色い目の子だ。それは、マリカの後ろの席に座っていた。
「ああ、別に構わないぞ?」
「おサンキュー!」
「ああ、礼には及ばないさ。」
軽快なコミュニケーション。僕には真似できない。シルビスは机から身を乗り出して、彼女の教科書を入手する。シルビスはスキップで教室後ろのロッカーを整理しにいった。僕は頼られない。
まったく一体この人は何をやっているのだろうか。教科書を貸してしまえば、なくて困るのは自分だというのに。
僕は、空虚の眼差しで窓の外を見た。空は吐き気がするほど青くも、力なく切なかった。僕は黒板の上にかけられている時計を見て目を休めた。
日の光が斜めに差し込む教室。昼に近い朝。
チャイムがなる。生徒を席へと掻き立てる。
座っていれば良いものを。
授業中。マリカは先生の内容を急いでメモに書き留めていた。高速の達筆。教科書のページを記しておいて、家で自習に見でもするのだろうか。
僕は手元の教科書のページを開いて、すぐ戻した。そんなことをされても、迷惑だろう。僕には教科書を貸してあげることができなかった。
次の休み時間になると、クレイや、ウツワが僕の席の周りに集まってきた。
「あの、なんていうんだっけ?あれ、次の授業問題。アンサーしちゃう感じ?」
クレイはいつものようにそれを聞く。
「う…んやめておく。」
そう言った僕の答えにクレイは拍子抜けした。どうせ前の僕ならもっと積極的だったとでもいうのだろう。僕が積極的だったことなど今までになかったと思うのだけれど。僕はハッカ飴の袋を目的もなくいじりながら、窓際で担任が来るのを待っていた。
……………
休み時間中君を眺めていた。キヤ…。最近君はずっと席と一体でいる。日ざしが強くなって室内が暗くなってきた。
なにが不安か、なぜか胸騒ぎがした。
予令が鳴った。
僕は猫背で、机に溶けこむように座っていた。クラスメイトは素早く着席する。僕に風が当たった。君が気になるけど近づけない。それは、授業を開始する合図となる音響が鳴っていても、鳴っていなくても関係ないことだった。
僕は腕で顔を囲むようにして、うつ伏せになった。顔を腕で半分隠したまま、君を見つめた。
ん?君はなにをしてるんだろう?僕は曖昧に君にピントを合わせていた。
しかし、君が頭を抱え込みうなだれ始めていたことに、次第に気づいてしまう。
ウツワやクレイと君が話したことが、君に、先日起きた出来事を思い出させるきっかけとなったかもしれない。勝手に妄想と不安が広がっていく。
「おいおい、キヤっちのやつまるまってやんの。」
シルビスが半分冷やかしながら言った。生徒も先生も微妙に動きを止め、数秒間の沈黙が広がり教室中にしらけが生じた。
君は駆けつけた先生に顔色を確かめられる。僕も無気力ながらも、顔を向けずにはいられなかった。
「大丈夫?」
マトゥ先生は顔に柔らかな緊張感を匂わせ、言った。
「大丈夫…って…。」
今、君が喋った?
思わず僕は眉間にしわを寄せ、目を凝らした。君が出した声というよりも、別人によって重ねられたような、閉ざされた言の音だった。それも、すごく聞き覚えがあった、一番僕がよく知っていたはずの声。
君は壊れたように言葉を流し始める。
「大丈夫、大丈夫って、また言うんだね。忘れればいいだけだし、忘れてもまた……」
君と先生は、まったく会話が噛み合っていなかった。君は徐々に荒ぶる声を出した。僕は何かを察して、嫌だと思い、半泣きになりながら首を横にふる。
君はおでこを机につけたまま、目だけを僕に向けた。
「かしてかしてって…私いいよなんて一回も言ってないよ。しかも無くしたって、どうしてそんな…ことするの…?」
君は髪をデスクに押し付けながら、殴り語りした。僕を泣かせたいがために言っているみたいだった。僕は精神と共に崩れ落ちそうだった。けれど、怖くても、君からは目を外せなかった。
「ああああああああああああああああああ!!!!!」
突然君はガシャンと立ち上がり、発狂した。その衝撃で、机が前に押し出された。
「…僕にはよくわからないよ。…」
そう最後に別れセリフを絞り、君は少し浮かび上がった。曇りなき最後に発した言葉がどこまでも心に刺さる。
レモン色に透き通った光が、君を螺旋状に包み込む。水彩で描いた水色の掠れた筆跡が君の腕と脚を覆い、三本のヒレを作り、翼のような器官を生み出し、胴体をシャチのように作り替えた。お腹の前で、巨大な瞳が縦向きに開く。その赤い虹彩は宇宙の果てを見つめていた。
その瞳の濁りは何かが溶け込んでいるかのようだった。 君は水色の檻に囚われているようだった。君はすっかり奇形な化け物に包まれてしまった。
空間全体をそのひとつ目で見なす。まるで教室を、ものだと捉えてなかった。
「今度は僕…私が壊す。」
君の牢獄は黒いドブ水で満たされる。 終局に放たれた言葉も遠く遠くに取り込まれていった。
浮かび上がる姿。黒地に水色した線。もう見たくなかった配色。
「…ラィヴィ…!」
僕は、自分で胸辺りをぎゅっと掴んだ。
「ああ…。嫌なことほど、忘れられないんだよなぁ…。」
目をつむって、首を横に振った。何かを嘲るように心の中でそう呟いた。僕は自覚していなかったけれど、内心で何か覚悟がついた。
「キィアアアアアアアアア!!!!」
「ンエエエエエエエエエ!!!!」
変わり果てたキヤの姿、それを見た複数の生徒たちも、意味もこめられていない言葉を脳天に向かって叫び、それぞれ異なる色の光に包まれラィヴィのような奇形な化け物の姿へと変貌し暴走し始めた。偽ラィヴィとでも呼べる存在だと、僕は思った。
“嫌だったこと”というリンクで、他の人についていた全く知らない人の記憶が共鳴したんだろう。
僕らは逃げようとした。しかし、誰一人として足を動かさなかった。
ラィヴィは嘴にも見える指でクラス全員を指さす。
その先端がぱっくりとなめらかに開いたかと思うと、そこから放たれる虹色の電撃の束が、教室中の空気を、引き裂いた。
行手を阻むように同時に激しい爆発音がした。
僕は床に尻餅をついた。粉塵に目を塞いだ。袖で目元を守った。
目を開くと、手をついて座り込んだ僕を上から覗くように、ラィヴィが至近距離にいた。
心臓が喉元まで跳ね上がろうとしていた。
見える範囲の端に生徒が点々と倒れていた。
学生は今更になって一斉に廊下へと走り出す。廊下に響く足音や叫び声。教室のドアはおしくらまんじゅうになっていて、我先に出ようとする人によって荒波が立っていた。
澄んだ空気が天井の線角から足の裏まで歓迎するように吹き込み、空にさらされた開放感があった。曇り空に照らされる原色の布バッグや巾着袋。使い古した木のパレットのような床は広く感じられ、木片が足場から反り上がっていた。霞のかかるビルディングが清々しく聳え立っていた。
「ふむふむ。たいへんなことになってしまったな。」
やっぱりキサラマリカはどんな状況下でも冷静に落ち着いた声で喋る。みんなが騒ぐ中、平然と歩行していた。
クレイは衝撃を受け、若干後ずさった。
「こーれーはー、潜伏厨って感じ…?」
彼はあごから垂れる水滴を腕でさっと払うと、姿勢を低くしてソレと睨み合った。
「ちっ…そういうことなんじゃん?」
カシュミーエルはあからさまに嫌な顔をして見上げた。
「ウツワは、負けない、」
席が隣であるウツワは、終始、僕に優しい言葉をかけてくれていた。彼は、勇敢に仁王立ちして笑っていた。いざとなったら戦う気らしい。
「お!オレも戦うぞー。」
ルンルンでやってくる、組1番の奔放者。シルビスが槍のようなものを握る手には、彼らしいアイテムであるデッキブラシが収まっていた。
すぐに逃げることができない現状と君を大切に思う想いに、周りに仲間が集まってきた。
既に、カラフルな偽ラィヴィらによって、教室にあった天井は一部だけを残し、壁はすっかり破壊されてしまっていた。砕け散った壁のかけらが空気を分裂し、裂けた風が渦を巻いて足元をかすめていた。
彼女の暴走は明らかに以前駅で見たときよりも、激しさを増していた。
赤い目玉を釘付けにしながら僕は考えていたんだ。彼女を止める方法を。
暴走を見つめながら浮かんできた疑問は、この国の記憶技術についてだった。
なぜこの国は、記憶を消すことはできるのに意図的に戻すことはできないのか。
それは一度喪失した記憶を戻す時に、その人に精神的に大きな負荷が加わるからだった。
今はもはや、君はラィヴィの記憶の一部として動いている。尽くす限りの破壊をしている君は、もしかしたら、ラィヴィの記憶の容量に押し潰されて自分の記憶を覚えていないのかもしれない。
君がもし、今、僕のことを忘れているのであれば…。
「僕がラィヴィに入って、キヤの部分の記憶を戻させれば、その衝撃でラィヴィ全体にダメージを与えられる!君にも負担がかかってしまうが、そんなんで倒れる奴じゃない!」
今にもラィヴィは空に舞いあがろうとしていた。
キヤが連れていかれる。
僕は怖さを抑えて、涙をぬぐった。力強くつむって踏み込んだ。
自分の体がふわっと浮かぶ。目をそっと開いた。
君を見上げる。暗い木材の教室と明るい空、そして目の前の君とのコントラスト。がくがくとめまいがする。視界が三層ほどにずれる。ぼやけて見える。
空は飛べるはずなのに。涙袋の下の都市景色に君の姿が掠れる。
ラィヴィからは、影のない僕と同じ人型の姿が現れていた。まるで僕を迎えに来ていたようだった。その姿は大きな目玉から生え、金色の光で目や口の中、肌は透けた水色の光で構成されていた。骨組みのようなその姿の隙間からは、淡い空模様がはっきりではなかったけれど、確かに見えた。半壊の教室と空のあいだを駆けるように、その姿は僕に近づいてきた。
そして、僕と見つめ合う。君の手のひらから出る黄金に発色するつたを、僕に接続して、口が裂けるほどの不気味な笑みを浮かべた。
「うん…君を探してたッ」
ヒステリックな魔女のような声が、側頭葉を針で突き刺すように次第に高く鋭くなっていった。その言葉を言い終わる頃には、僕は君という電気の塊に引き摺り込まれようとしていた。
その一瞬は高速すぎて、争う余地なんてなかった。輪郭が君を突き破る瞬間、目の前で星の手が伸びるように輝いた。
ふわふわとした世界。
淡いクリーム色の記憶の中の世界はどこまで行っても壁がなく、まるで宇宙空間のようだった。
結果として、作戦はうまくいかなかった。
そして僕も君も、ここから脱出する方法を失ったんだ。
絶望に打ちひしがれていたそのときだった。
「うわああああ゛あ゛あ゛あ゛あっ!!!」
突然、電子につつまれていた温かい世界が傾いた。電子というおりを越えた外側からラィヴィがあげた叫び声が聞こえた。
相手には違った方法で、ダメージを与えられたみたいだ。
…水色の献替子は、緑の献替子の記憶も、知っていたのだった。
僕自身がラィヴィにとって思い出すべきでない深い深い傷跡の記憶だったんだ。
同様に、ラィヴィ。…君自体が、僕から切り離されていて欲しかった、傷跡以外のすべての記憶だったんだ。
ラィヴィにダメージが入ったように、僕の頭にもラィヴィが持っていた苦境の記憶がながれてきた。
頭と心が張り裂けそうだった。
一瞬という間に脳に流れ着く、膨大な量のデータを読み取る。
「うん…。僕も知ってるよ…。…一人じゃないよ。」
僕は私に言い聞かせた。
苦しかったこと。そんな日々。それが辛かった記憶がレィリ。それが許せなかった記憶がラィヴィ。
2人合わせて、まるまる1人分ほどの記憶の量。全部やんなっちゃって、記憶を全部消しちゃったんだ…。そうだったんだ。よく頑張ったね。
僕は何もないところを優しく撫でる。まるでそこにラィヴィがいるような気がした。
ラィヴィと僕が混ざり合う。
その刹那を永遠に感じる。
なつかしさに私は涙がぼろぼろとこぼれる。
私という体が、緑色の粒子になってバラバラになり、泡のように消えていく。
良くも悪くも美しかった記憶がぷかぷかと浮かんで私から離れてゆく。
いやだ…。忘れたくないよ…。
静かにとびきりの笑顔を作った。
一度は忘れることを望んだ記憶なのに、不思議だなぁ…。
その中に紛れて、僕らの楽しかった短い記憶も昇っていく。
多分、きっと、私の記憶が、……キヤに、ラィヴィに、届いてくれる。
私はそう信じながら、意識を失っていった。
(キヤは分離して、先生に救助されるが、二つの記憶が合わさり生まれた存在は、超絶的暴走を始めた)
複数人が会話する声。
…うっすらと目が開く。清潔感のある天井。僕は何人かのクラスメイトに囲まれて目が覚めた。
…僕はキヤ。そして、どこかに寝かされていた。僕はひっそり起き上がる。するとそこには横向きのクレイの顔があった。
僕には今日学校で寝た記憶が一切なく、最近の出来事すらもしっかりと覚えていなかった。
ふと耳に届く音声。保健室のほこりを被ったテレビからはニュースが流れていた。
“コードネーム ―ラィヴィレリ―献替子特別警報Level7『直ちにひなん』”
大きな字幕がテレビ画面を四方囲っていた。なるほど、みんなこれを見に来ていたわけか…。
燃え盛る建物と建物を飛び飛びに移動する、ラィヴィレリと呼称されるチョコミントカラーの大型の物体。レィリや夏に見た赤いスイカに似ていた。僕にはテレビに映る厄災がレィリのように思えてしまい、不安が皺寄せになっていた。
僕が起きてもみんなニュースに夢中で気づいていないようだった。
僕が寝ているうちになにがあったのだろうか。僕は保健室を出た。そこで僕は何かにつまずきそうになった。
停電した廊下にはたくさんの知らない人がいた。その周りにはたくさんの荷物があった。まさかこれらの人が避難者か。僕は深い現実を受け止めざるをえなかった。廊下の中央を避ける形でアリのようにその列は続いていた。
僕は一人で校内を探索することにした。踊り場は薄暗かった。僕は階段を上がり、自分のクラスの教室に入る。今にも崩れ落ちそうな床の上に僕のカバンがあった。カバンを拾い上げようとしたとき、後ろの床に何かがキラリと光った。僕はカバンを背負い、そこまで行って針の曲がった缶バッチをかがんで拾い、回して見た。麦子ちゃん…。2Dのキャライラストの上に、そう書かれていた。どこかで見た覚えがあるキャラの名前と絵とフォント。メモリアルメリー…。そのとき僕の頭の中にハッと衝撃が走った。僕は、これがウツワが前に買ったものだと納得した。針が刺さらないように内側に折りたたんだ。
そのとき、足元でカラカラと、床の破片がちょうど真下の学習室Cへ落ちていく音がした。
僕は身震いし、転がるように1階へ戻ってきた。
階段下で腕を組んでいたカシュミーエルに声をかけられた。
「2階にいったのね。…いっちゃダメだから立ち入り禁止って書いてあるのに…。」
そう言ってカシュミは階段にかかった鎖と、その真ん中に吊るされた標識を片手で摘み上げた。その場で指を離し、乱雑にじゃりんと下ろした。彼女は憐れむような顔をして首を振った。どうやら僕は知らないうちに鎖を潜り抜けていたようだ。そんなものがついていたとは全く気が付かなかった。僕は慌てて謝った。
「そっちがどうなろうがウチには関係ないけどね。まあ、友達思いなのもあなたらしいところなんじゃん?」
カシュミは手に負えないというように首を横に振り、目を休めながらため息をついて言った。
僕は話を切り替えて、ウツワを見なかったかカシュミに聞いてみた。
「んな…誰かさんが事故ってからはしばらくの間、ウチ別行動してて…。」
「そっか。ありがとう。」
僕はそう言って階段下で立ち止まった。
一度カバンを下ろし、缶バッジを入れた。
もう一度、人で敷き詰められた廊下を見て、僕はロッカー室に向かった。
僕は階段をすぐ曲がったところの壁に手をかざした。僕は室内にはいるとさっさと自分のロッカーの前にたった。リュックサックを入れるための場所ではなかったけれど、荷物のスペースの確保には最適だった。改修工事したてなこともあって、少し安心できた。
カバンを押し込み、ロッカーを閉めた時、自分に身内がいたことを思い出した。再度ロッカーを開け、カバンからケータイを取り出し、画面をつける。
朧気だったが、最後に意識があった日と日にちは同じだった。しかもまだその日中だった。姉の無事を確かめようと、一言メールを送信した。僕は携帯電話を右ポケットに詰め、ロッカー室を出た。背後で静寂に閉まるドアは、賑わう人声でほぼ無音だった。
僕は暗い通路を歩いて再び保健室を目指す。
うすうす気づいていたが、学校はすでに避難所の一つになっていた。影の濃い壁にもたれかかって電話をする人。不自然に一人でいる子供。廊下の隅に座って静かに泣く人。カバンをたくさん持っている人、あるいは何も持っていない人。僕はまだ空を見ていないが、学校の外の様子がどうなっているのか、それらを見てだいたいの見当がついた。
明かりがついている数少ない部屋の一つ、保健室。その扉の隙間からは、かすかに光が漏れていた。取手を掴もうとした瞬間、向こう側から扉が疾風のごとく開いた。
「あ、クレイ。」
僕はとっさに声を出すが、クレイは僕のことをチラッと一目見たか見ていないか、必死に走り出して、颯爽と人溜まりの合間を潜り抜けていってしまった。クレイが去っていった保健室で事情を尋ねようと、再び取手を掴もうとした瞬間、僕よりも先にシルビスが顔をにょいと出す。
「うおおっ。びっくりすんじゃねーか!こんな時にドッキリかよー?」
不必要に大声を出し、ニシニシ笑う彼。僕はシルビスの無神経さに一瞬苛立ちを覚えたが、彼なりの空気を和ませる方法なのだと思い、心の中で納得した。
シルビスは声を大にし言った。
「じゃねー、じゃねー。クレイっち、ウツワたん探しにどっかいっちまったぞ。」
僕はようやく、ウツワの所在状況を知ることができた。その上、クレイが駆け抜けていった理由も理解できたので、シルビスに片手で合掌した。シルビスがカッコつけた様な顔をしたのを最後に見て、僕は後ろを向き、クレイと同じくほの暗い廊下をかけていった。
下駄箱まで来ると、アーチ型の黒いガラス屋根から光が差し込んでいた。クレイのところは開けっぱなしになっており、中には空虚が佇んでいた。
僕は白い柵と花壇や鉢植えで飾られた、黄緑色の異世界のような校門の道を抜け、レンガの並木道を全速力で突っ走った。いつも僕らが学校から駅まで通う道沿いを見渡しながら進んでいった。今朝まで、威風堂々と立っていた古株の薄汚れたビルや、おしゃれでかわいい新築の家までも、あらゆるところが破壊し尽くされていた。
家の前を通り過ぎたとき、すでに近所の家の大半が更地になっていった。けれど、あたかも僕らの家だけは壊さないと狙ったかのように、綺麗にポツンと残されていたのだ。
クレイを追いかける途中、僕は疲れてペースを遅めた。スマホで今の世間の状態を調べながら進むと、『ラィヴィレリ』という一語で飛び交う情報が目に飛び込んできた。それらはどれもひどい言葉や、本来なら人を傷つける悪い言葉でネット上の注目を集めていた。レィリのことまで悪く言われているように感じ、僕は憤慨しそうだった。
画面を見るのをやめ、クレイを追いかけることに集中した。
君を追いかけていくと、駅前の広場に出た。そこは、遠くに遊びに行くときにいつも目にする緑に飾られた場所だった。一本の木の下にあるプラスチック加工のベンチにクレイはいた。
「どうして、こんな…ところまで?」
僕は息切れしながらそう尋ね、そこにあった大きな一本樹に手をついた。
クレイは両手をベンチの手すりと背もたれに置き、すがすがしそうに空を見上げた。僕は木に触れた自分の手を見て、次に幹を見た。その木を囲んでいたものはレンガではなかったが、よく見れば、アニメシア通り駅前の広場にある木と同じだった。
「無意味に走って……みたかっただけ。」
音を立てずにクレイは肺を動かす。
「なんだそりゃっ。」
僕は肩を揺らして笑った。
本当に久しぶりに笑った気がする。
2、3回呼吸したあと、クレイは首を横にふって続けた。
「ふふっ…て言ったりね…。」
急に君はトーンを落とす。
「クラスメイト数人未発見な感じくて…、タンマも、キサラマも、ウツワも、…あとカナも、ザライガも行方不明っていうね…。」
「瓦礫の下にいる的なことを誰か言ってたけど…。瓦礫の重なってあった床はまるまる陥没しちゃった感じで、マトゥ先生は一旦救助に来てくれたんだけど、最後瓦礫に巻き込まれて行方不明で、…悲惨な情勢って感じ。」
「せめてキヤは助けたくてさ、お前のこと保健室まで連れてったんよ…?」
まさか、僕をあそこに寝かせてくれたのがクレイだったなんて。
「あ……。」
僕は途中で言うのをやめた。
まだ助かってない人がいることを考えると、感謝しようにもしづらかった。
僕は彼の話をただただ真摯に聞いてやった。
クレイの目からは涙が出ているように見えて、よく見ることなんてできなかった。君はいつも明るく、頼もしい友人だ。そんな君が泣いている様子を、僕は見ていられなかった。クレイが見上げる黄色味がかった葉っぱと空のぼやけた境界線を見つめると、僕の視界上でもそれがうるうるとゆらめいてくる。
僕は一声嘆きをあげ、泣いた。クレイは静かに頷くだけだった。今は何も言わなくていい。クレイはそう分かってくれているかのように黙って立ち上がり、僕をベンチに座るよう誘導し、肩や背中を優しくたたいた。
そういえば、小学生の頃もクレイと二人でこんなことがあったっけ。辛かった出来事だったけど、今は、もう少し、その側面に救われていたかった。
砂粒や火種が風で吹き飛んでゆく中で、僕らは慰めあった。
11話 夢とさよなら
あれからどれほど経っただろうか。僕は曜日を数えるのも、時計を見ることもしなくなった。実際には一ヶ月ほどだ。
国のあらゆるところが破壊され、人々はこの一カ月の間でほとんどの人がいろんな手段で国を出ていった。船も国境を跨ぐ電車も道路も壊された今、この国から生きて出れる方法は、泳ぐか飛行機しかなかった。人間を次々に襲う「ラィヴィレリ」。外に出ることは非常に危険なことになっていた。
僕はあの後もグルギユ中学校でシェルターのような生活を送っていた。先生方は校内の安全地帯を確保し、生徒や先生も多少怪我をした人はいたが、無事全員救出できた。
学習室Cに最初に入った時には、なぜか瓦礫がすでに取り除かれていて、瀕死状態だった生徒たちは寝かされていた。救助された生徒たちは、ウツワが助けてくれたと証言していた。彼の頭や背中から奇妙な角や腕が生えていて、それで瓦礫をどかしてくれたとのことだった。
もちろん、ウツワにあの缶バッチも渡した。あのあと、姉とも連絡がつき、無事隣の国に避難できたと話していた。
父と母については、別の国にいたので心配する必要はなかった。
僕らは、先日、頼みの綱であった旅客機も破壊されたことで、メイビス国内から出るにはどうにもできない状況に置かれていた。そんななか、グルギユ中学校がもともと軍の基地だったこともあり、幸運にも学校の地下にはかつての戦争に使った自動飛行小型戦闘機が7機あった。
先生たちは、ここグルギユ中学校から隣国へ飛び、乗っている人を下ろした後、再びここに戻ってくるようなプログラムを寝る間も惜しんで組んでいたようだが、それが昨晩ついに終わったようだった。
避難の準備が整ったことで、生徒たちはそれぞれ家族の無事を願うようになっていた。でも、僕の家族であるレィリは、人々を恐れさせているラィヴィレリの一部にほかならない。他国へと避難をしてしまえば、気楽になれるのかもしれない。しかし、僕はその脅威と立ち向かい、大切な家族を連れ戻さなければならなかった。
どうにか良い方法は無いか。模索しながら、今日も学校内で食料を探す1日が始まるのだ。僕は物置部屋で目をひらく。あたりには暗くてよく見えない天井が広がる。朝日ではないであろう光を察知し、部屋のドアの取手を探る。朝でも学校内は電気がないと案外暗い。意を決して僕は固いドアを開ける。
「おはよう。」
誰かに声をかけられた気がしたので、僕はしっかりと挨拶をする。こんなご時世に眠気なんてことは言ってはいられない。
「ああ、おはようさんだな。まあ、よく眠れたか?今日も一緒に頑張ろうな。」
困り眉のまま笑顔をたやさず話しかけてきたのはキサラマリカ・Sだった。喋り方の癖が強い、みんなのお目付け役であるキサラマリカはクラスのみんなに声をかけて歩く。
...隣にクレイを連れて。
キサラマリカは先日のガレキ騒動の際に、左腕と左脚を酷く負傷した状態で見つかり、すぐに保健室に運ばれたそう。その時保健室に偶然居合わせていたクレイは、キサラマリカを支える左脚の役目を果たすこととなったのだった。
忙しそうだったクレイには軽く手を振ることしかできなかったが、クレイもピースしてくれたので、わかってくれているはずだ。
あの日、僕はクレイから、ラィヴィレリがレィリとラィヴィという二つの献替子が合わさり生まれた存在であることを教えてもらった。さらに、ドムマ・ストロノイアでの出来事と起きた後の数日間についても聞かされた。それを聞いて、僕が夢だと思いたかったところもすべて事実だったことを知り、レィリに随分酷いことをしてしまったと大後悔した。心の中で何度も謝罪の言葉を紡いだけれど、それを直接、すぐに君に伝えることができない現状が辛かった。
水道の窓から、かすかな朝日が木漏れ日のように入ってくる。
そのまま廊下を歩いていると、学習室Cで缶詰を放り投げている担任のマトゥカースト先生に遭遇した。マトゥ先生は僕の存在に気づかぬまま、ところ構わず缶を選別して後ろへ棄却していた。すると突然、目の前に大きな誰かの手の甲が現れる。僕の顔に飛んできた缶を片手でガシッとキャッチしたのはシルビス・Kだった。
自分よりもシルビスの方が先に気づいて、先に行動してくれるなんて申し訳ない。まだまだ頭が回っていないな、と、寝ぼけている自分に心中罵声を浴びせた。
そんな僕も顔負けのこえで、彼は先生に向かって叫んだ。
「おいおいマトーっ!」
シルビスは、床に置いていたビニール袋を再び両手にぶら下げると、僕のほおの横でがなり立てた。とてもうるさい。だが元気があってよろしい。励みになるので、シルビスのポジティブさに感謝する機会が最近かなり増えた。
「モノ投げるとか、先生としておわってんじゃ〜ん!」
先生の隣でドアの影に隠れるあたりでしゃがんで、缶の側面をみながら、くすくす笑い、先生に叱るように言ったのは、カシュミーエル・Bだった。誰彼構わず、鋭い言葉を向ける彼女は、マトゥ先生と話している時だけまるで別人だ。
僕は保険室にものを運ぶ彼に一声お礼をし、その場を後にした。
さて、ここが僕の任せられている場所だ。オンボロなドアを腕で押し開けた。資料室と言う名のゴミだめ部屋を片付けなければならない。特に心の準備もなく普通に電気をつける。
とりあえず、昨日の作業で散乱した本やプリント、ダンボールなどを整頓しないといけない。他の人が寝る用のスペースを確保する。
そんなとき、ガラッと扉が開いた。誰かと思って見ると、そこにはウツワがいた。
彼は入ってくると、ホコリまみれの部屋で息をいっぱいに吸って、
「ウツワは、今日、1機目に乗る…!」
と、宣言した。
まさかもう出ると言うのか。
出るというのはこの中学校から出るなんてことではない。先に言った自動飛行機に乗って、この国から出るということだった。
「そ、そうなんだ。よかった。」
僕はどもった。なぜなら、それが良いことだと断言できなかったからだ。空に出るということはすなわち、ラィヴィレリに自ら見つかりに行くようなものだった。僕のこんな返事で満足してくれるのか。その選択肢を選んで、それは本当にウツワにとって良かったといえるのだろうか。
「ううん、きっと大丈夫。隣の国でまたみんなで合流しよう。」
そう言い直して、僕はそんな悩みを取り払った。
その日のお昼過ぎ、保健室と反対側の棟の3階の廊下に、色んな人が集まっていた。僕もそこに行きながら、レィリとこのまま別れ別れになってしまうのではないかと心配していた。廊下の端にある空き教室が騒がしかった。
人混みを避け、うまいことさらっと室内に入ると、目前の光景に僕は驚かさせられた。使わない机が積み上げられ、物置のようだった部屋の壁の一面が開かれていて、大きく空が見えていたのだ。
机のどけられた真ん中はあたかも滑走路のようになっていた。昔からこの部屋の壁に謎の切れ目があることは少々気になっていた。
だが、先週資料室の掃除中に見つけた軍事の書類と地下室の存在が明記されたものを先生に渡しただけで、こんなにも人々を助けてくれるものに変わるとは思わなかった。
眩しい日差しに目を細め、飛行機の近くまで歩く。
だが、グレーのプラスチックのような鈍い色の飛行機は、きしむ床と共に頼りなさを感じさせる。機体の中には二つの座席が横並びでついていた。
部屋の全体を見渡していると、その隣にもう1人なかまがきた。
「まだ実質飛ばしたことのないものに人を乗せるだなんて、まるで実験台じゃんっ!」
きたかと思うと、カシュミーエルは早速怒り出す。確かにそうだ。だが、それはこうだからだろう。
僕は数日前に配布された一機目搭乗者募集のチラシをピラと見せた。
「ここに、希望性と書いてあるし、やりたい人が自分からやったんだと思うけど。」
僕がそう言うと、彼女は腕組みしながら顔をしかめた。
「チッ…。納得いかないわね。そもそもこんな書き方するのが悪いんでしょ。」
カシュミはよくわからないキレかたをする。
僕が書いたわけでもないのに、何故か怒られたような気分がした。
ん?となると、ウツワが自分で立候補したということになるのか。そもそも立候補も自分一人でできなさそうなのに。
何やら廊下が賑やかだ。僕らはそちらに注目した。もうそろそろ出発が近いらしい。大勢に囲まれて、小型飛行機の前まで歩いてくるウツワ。
近寄ろうとしたけれど、色々忙しそうでまるでアイドルのようだった。
ウツワも入学時当初と比べてだいぶ変わったな。人はいろんな経験を積んで自分という形を見つけるものだ。僕らとの記憶がウツワにとっていいものであると幸いだ。
ちなみにウツワは、瓦礫の下敷きになったのにもかかわらず、文字通り無傷だった。それのせいで彼は何か悪い自信を手にしてしまったのかもしれない。
僕は結局話しかけることができなかったまま、数分が経ち、ウツワと名の知らないもう一人の立候補者は自動飛行機に乗せられていった。ますます君を置いていくことになりそうでいたたまれなかった。飛行機の近くで数人の教師が見届けにきた。
激しい火のような色の、冷たい激風が古い校舎を吹き抜ける。機体は今にもなってようやく金属らしい光沢を出してきた。小さくてころんと転げてしまいそうなその機体はすっと浮かび上がり、発射した。
周りの空間が暑い夏の道路のようにひずんだ。その力はあまり強くなく、僕の体は軽く後ろに押されたようだった。内臓が揺れるような感覚がした。
ウツワの乗った小型飛行機が雲の海を一つ超える。
都へと離陸したのを確認し、僕は君の無事を願って、そそくさとレィリのところに行こうとした。
しかし運の悪いことにカシュミーエルにちょうどすれ違ってしまった。僕は一瞬立ち止まり、心が揺れた。
彼女は振り返り、僕に告げた。
「あ、トイレにでも行くの?あなた3機目に乗るらしいんだけど、それまでに戻れるんでしょうね?」
僕は右手でその言葉を軽く受け流し、堂々と廊下を歩いて学校を出た。
校舎内でずれた袖を直す。正直、ひやっとした。ここで僕の計画がカシュミにバレたら全てパーだっただろう。
とりあえず駅まで行こう。
僕は最寄り駅まで全速力で駆け出した。またここを走ることになるとは驚きだったが、あの時から予感はしていた。
あの日、その日の思い出がいっぱい詰まった木を横目に、改札にカードをかざす。人がいないのにお金を払うのか、と心の中でつぶやいた。
目指す先はもう決まっていた。
ホームに停まっている全自動の電車に急いで足を踏み入れると、中はしんとしていた。
5秒ほどして、車両が走り出す。
誰も乗っていないだろうと思ったが、目を凝らすと色とりどりの献替子が吊り革につかまり、席に座っていた。
通勤や仕事のつらさというものも忘れたくなるターゲットなのだろうか。彼らについての考察を巡らせながら、僕は上手く、誰も座っていないところを見分ける。無論、皆半透明なのでどこにいるのかわからないような薄さのものも多い。赤い座席に手を強くかけ、背をねじるようにして座る。
予想通り、献替子は思い出や感情の強かった場所に地縛霊のように止まるみたいだ。電車に乗るという咄嗟の行動が、仇とならなそうでよかった。それなら、レィリはきっとあの場所に…。
電車の窓からは、空の広い都会の跡の景色が見える。前までは向こうに丘があるだなんて知りもしなかった。隣の国に向かっている、ウツワが乗っているであろう小型飛行機を目で追いながら、電車はゆったりと進むように感じた。
僕は3機目に乗る予定のようだが、そんなことはお構いなしに列車は学校から遠ざかっていく。レィリと帰ろう。そう僕は改めて決心をした。
僕が駅に着く頃には空の色は薄紫になり、少し裏から当たる恒星の光が飛行機雲に反射する頃だった。僕はすこし目をかすめる。
…………
自分はキサラマリカ・S。中学校の地下には小型飛行機が7つあった。1つ目の飛行機が他国めがけて出発する。2つ目は壊れているらしい。生きて帰れる確率は低いが、乗る人はいた。少しの可能性でも信じたいような状況なのだ。1つの機体に2人まで乗ることができる。
キヤは3つ目の飛行機に自分と乗る予定だったのに、キヤの姿がない。
……………………………………
キヤはラィヴィレリを追いかけていった。
それからと言うもの僕は夜のアニメシアでラィヴィレリを探した。
いつもの内照式看板は、なに一つついておらず、ほとんど、ラィヴィレリによって断線していた。どこにいるのだろうか。あたりを見渡すと、ラィヴィレリのように暴走した献替子たちが僕を追いかけ回していることに気づく。走り隠れを続け、うまく逃げ切った。
どれだけの間、暗闇を駆け抜けたか、わからない。深呼吸をしながら歩行をしていたら、路地を抜け、大通りのど真ん中に出てしまった。すでに真っ暗になった空は僕を絶望感に浸らせようとしている。ふと上を見上げた。
青緑の光線。真っ黒な翼。
いた。やっと出会えた…。
そこには、失われた夜景を補えるほど美しいラィヴィレリが夜を背景にして空中でたちどまっていた。
青緑色の光の線を規則正しく全身に走らせ、赤色の光を点滅させていた。君は天使のような翼を広げ、羽の光が周囲の看板に反射して、それぞれ異なる色合いの輝きを夜街に散らしていた。
色づき始める夜に静寂が漂い、雲も月も影を潜めた夜。その中心にいる君は、天使とも悪魔とも言えない存在だった。僕にとって大切な家族でありながら、ここで何かが終わりそう。そういう意味で、君は、天使のようで悪魔のようだった。
こちらに気づいていないのかと思っていたが、ラィヴィレリは突然人型に変わり、頭を振り回して叫び出す。
「こわす。やめて、こわすっ、やめてっ!、こわす」
「やめてぇ゛ぇぇーーーっ!!」
君の感情の起伏に応じて、火花を吹き出す街の光源たち。君の姿は拳のようになって急降下してくる。
着地点からレンガブロックが突出し、浮かび上がり、陶器がぶつかり合う音が連鎖し、無残に砕け高く跳ね上がった。
僕は転びそうになりながら必死でかわし、擦りむいた手のひりつきを感じた。
手が痛くなる材質なのはもう知っていた。
僕には目に映るすべてがスローモーションに見えた。
赤い満月の瞳と見つめ合う。
「レィリ…。帰ろう。」
砂埃が舞っているし、暗くて見えない。目が痛んだが、僕は君を見続けた。ブロックの雨がゴトゴト降りそそぐ中、少しずつ歩き近づく。足元は荒れ、何度もバランスを崩し足をくじきそうになった。
その間もところどころで街のあらゆる箇所から電気の漏れる音がした。怖かったのか緊張していたのか、バクバクとした音が胸の上当たりで響いていた。広い夜の道路で動いているのは、僕と君だけだった。
君は僕を睨んでいるだけだった。低く深い笛の風音に孤独感はなかった。
僕は目の前に立った。
ラィヴィレリは僕の怪我を見て、途端に大粒の涙を流し始めた。
「いたーい…。」
僕におまじないをかけるように、その言葉を発した。
もしかしたら、レィリ側も何か痛みがあるのかもしれない。
僕は雪の降っていた街で彼女に対してやったことを思い出す。僕の酷い態度に君は心を痛めたはずだ。そのことをまだ謝っていなかった。
「レィリ…。あのときは、ひどいことをして、……ごめん。」
僕は深々とお辞儀をした。
「違う…。違うよ……!キヤ!」
僕は驚いて目を見開く。…僕の名前を呼んだ?
「僕が言って欲しかったのは、そういうことじゃないんだよ!」
僕の体をハッとおこさせるその声は、哀しみ一色でも怨み一色でもなかった。君のやや怒りを含んだ声。まるで僕の謝罪に対して言ったようだった。
“僕に眠る出来事が、記憶だったなんて知りたくなかった。”
いつか漏らした君のつぶやきをふと思い出す。
そのとき、ようやく僕は気づいた。君の痛みは、過去の記憶の断片にあったのだと。レィリの不思議な行動、言動,姿は、すべてレィリが受けた過去だったのだと。
僕の脳内で点同士が一気に結ばれる。そう思うと、レィリの行動について、僕にはそれ以上考えることができなかった。
「僕も痛い。」
僕は突拍子もないことを言った。
その瞬間、ふぁさっとそよかぜが横髪を吹き抜けた。冷たくもなく、暖かくもなく、それはまるで僕たちの間のぎこちなさを静かに取り払おうとするかのようだった。
君の記憶をラィヴィを介して受け取ったあの日からずっと、自分の心の胸の奥に重く沈む、理解し得れない謎の感覚があった。でもようやくわかった。
その苦しみを経験したかのように、ラィヴィレリの記憶の痛みが僕の一部になっていたんだ。
ラィヴィレリはまつ毛のように伸びた微細な電片をぱちくりさせ、とぼけた顔で停止した。その電片にはラメが糊付けされたようについていた。
…ここで、出会ったんだよね。最初に…。
…ここにいるってことは…
…ここが思い出深い場所だった?
嬉しいよ。…僕の思い出を大切にしてくれて。
ありがとう。
僕は気づいたら、思い出話を語っていた。
…いっぱい喋ったせいで微塵も覚えてなかった。
僕は日記と紙袋を持ってきていた。なぜだか必要な気がしたんだ。わざわざ、それのために一度取りに帰った夢さえも見た。使わないことはわかっていた。そこにあることが大事だった。
さあ
「レィリ…、 … 一緒に帰ろう。」
君の目から無限の光線がでる。
いつの日にかレィリの目からは流れ出なくなっていた黒いラメのようなものが、一気に溢れ、輝き出して街の風景の隅々までひろがる。
オタクのためにあった道が、今や崩れかかった異世界のようだ。繁華街のごとくでっぱるたくさんの看板が、淡い色に包まれる。
ストロボのようなとても強い光に、空が負ける。それはまるで朝のようだった。明けたばかりの、眩しくはないけど明るい日差し。気分が落ち込むような黒茶色の影、だけど空気と物体の境界線はパステル色に輝く。まるでと言うより、朝そのものだった。鼻をつんとする冷たい風といい、人の少なさと風の柔らかさといい、それは心地の良く、見る人によっては暗い気持ちになる…なんてことない、綺麗な綺麗な朝だった。
よく見ると、ラィヴィとレィリは朝の光の上で二人に分かれていた。
僕の声が届いたのだ。
僕はぐったりとしたレィリを抱えると、急いで飛行場でもある中学校に向かった。誰も僕を待ってくれてはいないだろうと考えてここまできていたので、レィリと乗る気満々でいた。しかし、アニメシア通り駅前まできたところで、レィリはその向こうに見える記憶コントロールセンターを指差して、微かな目と口で笑うと、かすれた声でぼそっとこうつぶやいた。
「あのキカイをこわして。」
僕はずんずんと大通りを進んでいき、深く考えもせずにコントロールセンターを破壊した。君からの初めてのきちんとしたお願いに、僕はそれを叶えずにはいられなかった。
僕はコントロールマシンを破壊した。
居場所を無くした記憶たちが次々と持ち主の所へと戻ってゆく。少し暴走したり、頭痛がしたりする人は出るかもしれないが、今のような状況よりかはよっぽど良いだろう。これで記憶のかけらを探してレィリが苦しむ事も無くなるし…。朝空にのぼっていくパステル色の記憶の光たちが目に映るなかで、その視界の真ん中に可愛く笑うレィリの顔が写る。レィリも、緑の献替子…。僕は最悪の事態に気づく。もう、レィリに会うことは無くなってしまうということに。
「えへへ。」
僕に背を向けてそう言って、くるりと僕の方を全身で向くレィリは、何の悔いもなさそうにまた笑った。僕らはお互いの目を見合って向き合う。これではほんとうにお別れみたいじゃないか。これで終わりなんて嫌だ。
「ごめん。」
レィリはあざとくてへぺろする。いつからこんなこともできるようになったのだろうか。
「…こんな記憶と仲良くしてくれて、ありがとう。」
と、いいながらレィリは道端に咲いてるたんぽぽを摘むと僕に差し出した。
僕は受け取るように、レィリのことを離さないというように、手を差し出すも、レィリは記憶として、持ち主のところへ行くために薄く光って、そして、消えていった。
たんぽぽは僕が直接受け取れることなく、手のひらの上におちた。周りの偽りの朝もさああっと元の闇に戻ってしまった。
まるで僕だけが夢を見ていたみたいに。
そのご、僕は誰かにおされるように中学校へと走っていき、03飛行機に乗る。
飛行機内でキサラマリカに緑の献替子について、聞かれた。僕は、何も言わず、ただ、たんぽぽをクルクル回してみせ、窓越しにメイビスの景色を見た。その夜景は美しかった。闇の先まで鮮明に見えた。周囲に比べてほんのりと明るい場所があった。あの場所だけまだ空の色。記憶の余韻に浸る。少し、そこを通るあたりで、飛行機の高さが下がった気がした。細かいものまではっきりと俯瞰できた。色とりどりの看板が朝焼け色にぼやける。飛行機は陸から離れていく。
一生の宝物…。窓で薄く光が反射して見えない。窓の形もふにゃふにゃと揺れ動き、記憶と共になにかがたくさんこぼれおちる。マリカは僕の後ろ姿をみて、
「またどこかであえるはず。」
と、そっと呟いた。
〜エピローグ〜
気がつくと僕は狭い暗い部屋の中にいた。隣には、お母さん、お父さん、姉がいる。僕は家族と再会して、今は眠りについていることを知ると、もう一人いないか確認する。―やはりいなかった。…外は夜でまだ暗かった。
その日の朝方、自分達がコンテナの中で寝ていたことを知った。朝日のまだ出ていない、本当の朝だった。まだお日様も起きていない、辺り一面が青く塗られた世界。つめたい風が鼻にさわる。
僕は通行禁止になったスパーライアーブリッジと、その川とも海ともみれる水の流れを、こんてなの置かれた、草原の土手をほっつきまわりながら歩いていた。その川沿いにはいくつものコンテナがある。まだだれも起きていないのか。そう思ってふざけて手を振ってみる。誰かが僕に気づいて手を振ってくれた。どんな早起きなのだろうか。少し近づいて気づいた。なんと、ウツワだった。ウツワと少し寝ぼけた会話をしたあと僕は、自分のコンテナという家に戻る。僕はやっぱり何か欠けている焦燥に駆られる。ウトウトしてきたので、再び眠りにつこうと草の上をふさふさと歩いていると、死角に何かの気配をかんじ、僕は落ち込んでいた顔をふっとあげた。コンテナの横にだれかが座っている。
緑の献替子だった。
これは夢かもしれない。どこまでが夢かもわからない。ただ、夢であるのならば、夢からさめないように。そして夢の記憶を忘れないように…。
二人はコンテナの上に座り、朝日が昇るのをずっと、ずっと、眺め続けていた。
おまけ話 夢とは忘れてしまうもの
記憶の星が他国に散らばっていきます。そんなもの、見ればわかるって…?
周りが明るすぎるせいでこの国メイビスだけが、まだ夜のように見えます。星は皆、持ち主の元へ帰ろうとしています。私たち、メイビス国民は、星の導きには逆らうことができなかったのでした。記憶と人は、磁極のように結ばれていました。記憶が人をつくり、人は他の人に記憶をあたえる。誰だってそれをずっと繰り返してきた。でも、それでも、私がここにいるわけは…。
私の持ち主はもういません。私には記憶として再帰する場所がありません。当分使われることのない、燈ひとつつかない国を、今、私は1人、さまよっています。
誰もいないスクランブル交差点の横断歩道の中心で、横たわる。
「…誰か…。さみしいよ……。」
私はラィヴィ。水色の献替子。夜が薄められていく空を、私はうつろにながめ、微笑んだ。
〜おわり〜
<ちゃんとあとがき>
物語のコンセプトは、「忘れたくなることってあるよね?」「忘れることができたものを思い出してしまうのってつらいよね」というおもいから、「もし、自分が忘れた記憶が自分の中に戻ろうとしているのなら。自分が嫌っていた記憶が、誰かに愛されることを望んでいたら」という考えが生まれたところから始まりました。
他人に経験談、相談をする、つまり自分の記憶が相手の中に入り込む。相手がそれをわかってあげることで心は落ち着くわけであり、相手に愛されたことで自分は少し癒され、脳内の不安の割合が減る。それはつまり相手に話すことで自分から記憶が抜けていくということ。それを機械的にして表現したかったのが記憶コントロールセンター。
塞ぎ込んだ誰かの逃げ場のない助けを呼ぶ声が、なんらかのアクシデントで意思をもち、持ち主のところへ戻ったり、周りの人に見せつけて、世間に迷惑をかけたりしたらファンタジックで面白いんじゃないかと思いました。実際、嫌なことがあるとネット上で呟いてかまってもらおうとする気持ちをどこかに持っている人がいると思います。そこを結びつけて、〔嫌なこと→忘れる→忘れたものが知らないところで世間や社会に干渉する。→自分の中に戻ってくる→思い出してしまう→より深い傷になる〕という一連の流れ、記憶サイクルをカナデイン(説明はのちほど)、レィリ、ラィヴィ、を用いて表現しようと思いました。
これより先
注意 世界観崩壊の危険性あり
以上。上記は全て後付けです。本当は夢でこの話を見たんです。私がキヤのポジションでこの物語を進んでいく様子を。
ところどころ夢から覚めた後に付け加えたり、目覚めるときに忘れてしまったりしたこともあったのですがそれでよかったと思っています。なぜなら、そのとき私は記憶についてまた面白いものを見つけたからです。
夢というものはなんともあやふやでモヤモヤしているもの。朝起きても覚えていないことの方が多い。そんな夢もまた記憶の一種であること。嫌な記憶は私を追いかけるのに、いい記憶や面白い夢は時間が経つにつれて壮大さを失い徐々に忘れていってしまうんだな。と。
まるで私の中から献替子が抜け出していくように。
夢から覚める時、たまにそれが夢の中でもわかる時があるんです。
目覚める時に、ほとんどはどんな夢だったのか忘れてしまいます。愛しかった君の姿を。見た美しい世界を。芽生えた友情を、忘れたくはない。もうその世界に戻れるかどうか、君に会えるかどうかはわからないから。
キヤが戦闘機の中で泣いているシーン。夢の中で、キヤである私はキサラマリカに見守られながらそのまま泣き疲れて寝てしまったのです。そのとき、さあーっと薄まる暖かさ。やばい眠りから覚めてしまう。もう少し思い出を巡回して忘れないようにしてから目覚めたい!!。
私は目を力強くつぶったまま、現実の布団を頑張ってつかみ、より深く布団の中で丸まりました。 すると、布団の中が暗くて狭い場所だったからか、夢の中で次に目覚めた場所は真っ暗なコンテナの中でした。
そこで私は夢の中の友人と再会した。夢の中ではまだ眠気に襲われるように行動していたけれど、僕は友人の隣に座って朝まで眠らずに、瞼も閉じずに、日の出をながめていました。怖くて友人の顔の方を向けませんでした。太陽の光によって、今、自分は夢のなかで目を釘付けにできていて、友達の方を向いたらお話が進んでしまうかもしれない。そう思って僕は太陽を見ながら、頭の中で夢について整理しました。でも、途中で眩しくなって思わず目を太陽から背けた隙に夢から覚めてしまいました。
目の前には敷布団と掛け布団の隙間から差し込む本当の朝日。
私は紙をドタドタ取りに行って、すぐにその出来事をまばらながら書き出しました。夢の中で流れていたテーマ曲も打ち込みました。
歌詞も一部聞こえてきたのでそれを元につくってみました。
もう 忘れることの無い 記憶
嗚呼 私を駆け巡る 追憶
遠く 強く
ただ あなたの思いに 胸が痛くなる
ああ 辛くて苦しい日を 送る
朝日に睨まれる 感触
はやく はかなく
ああ 私の悲鳴が 電子に比例する
もう 忘れてていたい
ああ ここから消えたい
もう 忘れたことさえ 忘れてしまいたい
ああ 光を流れて
ああ 私に気づいて
ああ 私の記憶よ あなたに響け
キーワードの3文字の漢字を忘れてしまったので、辞書で良さげな漢字を調べて"献替子"をつくりました。それが、「緑の献替子」の誕生裏話です。
解説
レィリは、誰かによって消された記憶だったのに、仲良くなったことで「新たなデータが追加され、人格ができてしまった」——つまり、記憶と融合したがる性質によって、レィリという固有の人格が形成され、ただの断片ではなく、一つの存在になった。
献替子は喋れないが、レィリはみんなから言葉という形で記憶を受け取ったことで喋れるようになった。
2話では、紐でしばられ、助けを求めた手を友人だと思ってた人にはたき落とされたことに起因する。キヤが悪いやつだと思わずに手を差し伸べた結果,レィリにはたき下ろされる様子はレィリの持ち主自身が過去に受けたのシーンの繰り返しと思われる。
持ち主の(この辛さに誰か気づいてくれたら…)という記憶に基づいて行動するので、レィリは話しかけてくれたキヤに引き寄せられていった。(初期はまだ記憶の引力が弱く、電線のほうが通りやすいので、電話、電車、街灯、給湯器、などという電気機器に潜んでキヤについてきちゃった。)
4話はじめ,いつもと知らない朝、記憶に存在しない憂鬱ではない日常に,記憶が共鳴する点が見当たらず、存在が矮小化している。
電気伝導性が高い電線に受動的に引き寄せられているだけ。電信柱自体に興味があるわけではない。
巾着袋から出た時に大きくなる。何か狭いところに入れられた後に解放された経験があるのかも。
気味悪がられる→気味が悪いに似たニュアンスの言葉をかけられて、その場から立ち去りたいと思った記憶があるのかも知れない。もしくは,「注意をしてくれる優しさ」にまったくの経験がなく、共鳴できない点が多かったか。
カシュミと先生の化学結合の投げ合いは、のちの記憶が引き合うということを受け入れやすくさせるために、ものとものが引き合うことの例として挙げられている。
レィリを持って歩くことが、幼児期に風船を持って歩いたときようだ。というのは、記憶のあり方の一例。
カシュミが子供っぽい所が多い点としては彼女は過去に学童期の記憶をほとんど消した過去がある。それゆえ、友達とのつるみ方がわからなかったり、するのかもしれない。
レィリがなにも反応しないあたり、記憶の上でたんぽぽは、あまり干渉しない存在だったのだろう。ただ、キヤとタンポポについてのやり取りを行ったことで、レィリの中で新たにタンポポというものが愛らしいものの一つとして認識されるようになった。
スイカを見つけたシーンでレィリが透明化した理由については、プラスのポジティブ的な驚きの経験が少なかったか,あるいはその記憶をかき消すほどマイナスでネガティブな驚きの量が多かったか。
「あんたなんか来なくていいよ」の幻聴・幻覚については、レィリにとってとても深い傷のような記憶であるせいで、周りにいるキヤたちにまで当時に、持ち主が見た情景、音声が鮮明に伝わったのだろう。記憶が鮮明ということはその出来事が起きてからそう時間が立たないうちにレィリが作られ、レィリの中でも特に多く積まれた情報であることがわかる。
レィリが見えない何かに蹴飛ばされたかのようにひっくり返り、大きな水飛沫を上げて頭から田水に落ちた様子は、言葉のとおりである。
あかいスイカはレィリが特別な存在ではなく、似たようなものが存在することを主人公に知らせる役目を果たした。
6話の暴走。痛いこと→多く共鳴。痛いこと→一つの出来事が重いため巨大化、およびそのシーンを再現した形となった。
抽象的な表現が多いがそれは目を瞑っているためである。主人公がよくわかっていないことを,読者に鮮明に説明することもできないだろう。
6話末で、2人で空を落ちるシーンで、キヤからレィリへの大規模な記憶の共有が何かをきっかけとして行われている。
この出来事の記憶ものちにレィリにとってはだいじな思い出として扱われることになった。
キヤの不満→キヤの記憶となる。レィリにある程度意思が生まれたため行動の幅が広まり、キヤの記憶を感じ取ったレィリの優しさで、彼女はキヤにもお礼を言った。
電光掲示板や閉鎖したショッピングモールのくだりも記憶のあり方の一例。
不審者とはラィヴィのこと。停電は膨大な記憶データ量によるブレーカー落ち。
ラィヴィはキヤに入ったことで、記憶の一部が混同し、喋れるようになった。では,ラィヴィという名はどこから得たものか。キヤがレィリと名付けたように誰かがそれにラィヴィと名付けていたとすれば…?しかし,キヤと記憶を共有する前は喋れなかったことの説明がつかない。記憶の持ち主が本名とは別で名乗っていたという可能性はある。
駅でのキヤの状態は、キヤの記憶もラィヴィの記憶も、はなから持っていたと思い込んでいた、キヤでもラィヴィでも無く、キヤでもラィヴィでもある人格だった。そのため一人称が僕、私と不安定だった。
8話最後で、「自分とは何か」の問いを記憶の中から連想で生み出し、それを介して自分の中に根付いていた,自暴自棄や自己嫌悪を真の意味で知る。(それ以前は、記憶データ上に基づいた行動や,それらを掛け合わせた行動をただ,行動として狂い,笑い、泣き,行っていただけ。)
学校でキヤを取り込んだ際、キヤの記憶の分が作用し、ラィヴィの体色が赤から黄色になった。
ラィヴィの二回目の暴走がより激しかった理由。それは、一回目の暴走を思い出したことによる衝撃を伴っていたから。
周りの生徒がラィヴィをみて暴走した理由は連想である。怖いシーンを見た時に、怖い過去を思い出すことと同じ。
レィリの決断のときに、レィリが考えていたことは、情報過多でパニックで真っ白になってるイメージを想像してもらうとわかりやすいだろうか。
真っ白=記憶がない。
というのと、
記憶なしの状態から思い出させる=トラウマによるダメージ
という二つの要素を組み合わせてキヤを救出することを考えたのだろう。
ラィヴィレリという名で報道されたニュース。誰がこの名前を局まで持って行ったのだろうか。ラィヴィとレィリの名前を知っているキヤの友人が聞き込み調査かインタビューでそう言ったのだろうか。それとも単純に2人の名前を続けて言ったものを取材側がラィヴィレリという一つの名前だと思い違えたのか。ふたりの名は、偶然にもlibraryのようになっているが、誰も狙ってやったわけではなかった。
詳細には記憶コントロールセンターは記憶を本体から分離するシステム。破壊され、そのシステム制御が不可能になったことで、献替子は主体外ではとどまれなくなり、強制的に持ち主の場所に戻ることに。
しかし、レィリの記憶の持ち主は既にこの世に存在せず、レィリの帰る場所がなかったことで、キヤとレィリは再開をはたせたのだった。
キヤ・Lとメルツ・S。なぜ、姉弟でありながら苗字が違うのか。それはそもそもこれが苗字ではないからだ。メイビスの国籍の人々には名字が存在しない。しかし、それがどのように決められているかは不明で、国民に知らされていることは、名前についているアルファベットは名字ではない、ということだけ。
ウツワは、はじめは幼稚園児くらい世界知らないことだらけでピュアだったけど、
後半はなんか主人公たちよりもおしゃれになっちゃってて髪も伸ばしちゃって、ヘッドホンもして電車ではスマホいじるようになってる。(初めはスマホも知らなかった)
ウツワは、こうした記憶の積み重ねで今のあなたはいるんですよってメッセージのつもり。
記憶の持ち主とレィリの正体について。
持ち主の名前
名前 カナデイン・I
女子高生(レィリの見た目が小さいのは記憶として少量だから。)
陽気な子だった。いじめが起こる。体育のグラウンド帰り。川に制服の青緑色のリボンを捨てられる。→(ご想像にお任せ)→明日も学校に行かないと。→辛いな→そんな日々で蓄積。→いじめられた記憶を忘れよう。→レィリ誕生。しばらくもてたが、ある時、いじめがエスカレートした際に、全て思い出してしまう。精神的苦痛。今までにされたことが一気に降りかかる。→精神崩壊。→もう嫌だ!全ての記憶を消す!!(ある程度知識は残して。)→ラィヴィ誕生→カナデイン、なんだっけ、よく覚えてないや。のプロローグになる。→その後道がわからなくてまいごになる。→行方不明