後編
「なるほどな」
女は私にではなく、過去の協力者へ罰を与えることで、私の脱走への意識の喪失を試みた。
結果はこの通り。
女の下卑た笑みまで思い出し身震いする。
あの後、目を覚ました時には悲劇など何も最初から起こっていなかったように、ただの監禁生活に戻っていた。
「関係の無い人を巻き込んでしまったの……」
彼女は文字通り粉々に崩れてしまったのだ。
「…………。しかしそうなるとだぞ? 今カナリアが俺の胸に飛び込んで来たのは、なぜ大丈夫だったんだ??」
「枷や鎖への直接的な刺激じゃないからかも」
「ん? だが、意思にも反応して発動するんだろ?」
そうだ。一歩間違えればまた人を殺してしまうことになっていたのだ。
私は確信めいた答えを一人導き出していた。
「ケイに飛び込んだ時、思ってたことは『歌いたくない』とか『逃げたい』とかじゃなかった」
「ほう?」
じゃあ何を思っていたんだ? と片眉を上げて探るような視線に縫い付けられてしまうよりも前に明後日の方向を見る。
ケイの胸に飛び込んだ時、『逃げたい』という思いよりも前面に出てきたのはほわほわとした形のない感情だった。自分でさえその正体が分からない上、まだそれを話す程の仲ではないと感じる以上――黙秘一択。
「まぁ、つまりだぞ? 下手したら、君は気を失う程の激痛を全身に負うことになるってことだな?」
「そうだけど……そこ?」
「何が?」
拘束対象者を逃がそうとしたものへの制裁が “硝子化による消滅” だといま伝えたばかりなのに、彼が気にしたのは私へのペナルティ。
「気にして欲しいのは硝子化の話なのだけど」
「カナリア、俺は硝子にならない。心配ない」
「…………」
なんだそんなことか、となんて事ないように受け流す彼に不安感が募る。
もしまた――。
「まさか、今更来ないなんて言わないよな?」
「いなくならないで」
「何度でも約束する。俺は硝子にならないし、いなくならないし、消えないよ」
あんな事は一度きりで終わりにしたい。この人がああなってしまえば、私の心は今度こそ壊れてしまうだろう。
力強く答える彼に私は頷くほかなかった。
「……分かった」
「よし。“タイムリミット” も迫っている事だしササッと解決策を探そうか。とりあえず、無心で触らないとな? 無心で……」
そうして探りを入れようと、ケイが鎖を手に取った時だった。
この部屋の唯一の出入口が開け放たれた。勢いの余りそのまま壁にぶつかった扉が大きな音を立てる。
開いた扉の向こうには目を血走らせ息を切らした領主が立っていた。
ヒュっと私の喉が鳴り、体は強ばる。
この数時間ですっかり解きほぐされていた心へ一気に冷水が浴びせられた感覚は私を強制的に現実へ引き戻す。
私がいるのはまだ “部屋の中” なのだ。
怖い。
「おいおい、まだ早いだろ」
「お、お、お前ッ! 何者だッ!?」
「自分が一番理解してんじゃないか?」
「ッ! カ、金糸雀を返せ!」
「それより、アンタ。帝都の保安官――放っておいていいのか? あぁ……あれか、《金糸雀》だけ連れてずらかろうって?」
「お前に関係ないだろ!」
「関係ある」
情緒が不安定な伯爵と話している間、ケイはずっと私の腰に手を回し体を密着させていた。触れて感じる彼の体温のお陰で気持ちが安定してくる。
大丈夫。気持ちを強く持たなければ。
「う、煩い! 金糸雀! 言うことを聞かなければ分かっているだろう!」
一向に怯む様子がないケイに怖気付いたのか、標的を私に変えてジャケットの内ポケットに手を入れる。
「――なっ、ない!?」
「探してるのはこれか?」
が、探し物はケイの手の中。
「おまえっ!!!!?!?」
私の首輪に電流を流す為のそれは既に彼が回収していた。火かき棒を投げた時、落としたことに気づかず部屋を後にしたのがダメだった。今日に限って何とも運がない男だ。
「おじさまぁ~! 早く金糸雀連れて逃げましょう?」
「なっ! セレナ、あいつらの相手は!?」
「なぁに? あぁ、お城からのお遣いさん? だったら、私の魔法でちょーっと寝てもらったわ。精度高いのよ……って、あら貴方、どなた?」
「頭の悪そうな女に媚びを売る程俺は落ちぶれてない」
「なんですって!?」
遅れてやって来たセレナがケイに気付き頬を染めるも、彼の返答は冷たいもの。
「男なら美しい私に侍りなさいよ!」
私の腰に回された手を忌々しげに睨みつける。
「猛獣系女子はタイプじゃない」
「なんですって!?」
「俺は幻獣系が好きだ」
なんですって??
「あ、おい。カナリア、そんな目で見るなよ」
「ロアは幻獣……」
「待て。その誤解はいただけないぞ。コイツは雄だし、今のは言葉のあやだよ。言葉のあや」
「ヒソヒソ喋ってるんじゃないわよっ!」
先程とは違う意味で頬を真っ赤に染めた彼女の怒りが形を生し黒いモヤとなって私を目掛けて飛んできた。
答えたのは彼なのに、私に飛ばしてくるあたり女の怨みは怖い。
「ロア!」
直前でロアの羽ばたきにより弾き返されたそれは見事、出入口を塞いでいた男に命中した。
「アガッ!」
ケイはロアの跳ね返しを軽くいなしたセレナから目を離さず険しい表情で重々しく口を開いた。
「あいつ、呪術師だな」
「えっ」
「君に付けられた枷も、鳥籠からもあの女と同じ嫌な気を感じる」
そんなまさかと耳を疑った。だが、呪術痕を辿れるケイが言うのだからそうなのだろう。
そこで、私はある事を思い出しハッとする。
彼女の手にある黒子の存在だ。
私がここに拘束されてから今日まで、拘束具が増えていく日を境に入れ替わるように、愛人の女性が更新された。四人とも皆、同じ場所に黒子があった。そして、あの、女の呪術師もだ。
容姿も体型も声も話し方も全く違うのに、セレナの黒子を見た時感じた既視感はそれだったのだ。
彼女は姿を変え、声を変え、私とずっといた。わかった瞬間、ゾッとした。
「おにいさん、アレね? 今、最も話題な人だわ。その幻獣見たことあるのよ、新聞で。なんで、次のターゲットがこんな田舎なのよ。ほんと嫌になっちゃう」
気怠げに髪を掻きあげたセレナは仇でも見るかのようにケイを睨む。
そして、こてんと首を傾げて私を指差した。
「それ、返してくれないかしら?」
口元だけが弧を描くその顔は不気味以外の何物でもなかった。
私の腰を抱く彼の腕に力が篭もる。
「無理な相談だな。俺が誰か気がついたのなら分かるだろう?」
「それは、私の金糸雀よ」
「いや、この子は俺のご褒美だ。いつもは、興味もない宝石類で我慢してるんだ。たまには贅沢したって良いだろ?」
「それは! 私のモノよ! 金糸雀のチカラわワタシのモノ!」
セレナが自身の顔を掻き毟り呻き出した。言葉の端々も何処かおかしい。
「金糸雀の力……そうか、本当に比喩じゃなかったのか。だったら――」
ケイが玩具を前にした少年のようなキラキラした表情で納得したように独り言ちる。
「カナリアわ、私ノ為にゔたうノヨ!!!!!!」
一際大きく怒号を響かせたセレナが何かを唱え始める。
「呪言だな……カナリア、時間が無い。俺を信じてくれるか?」
「し、信じるっ」
何をするかも分からないが、反射的にそう答える。
間髪入れずに答えた私にケイが困ったように微笑んだ。
「後から俺を嫌わないでくれよ?」
「そんな未来、来ないわ」
「よし。カナリア、さぁ歌う時間だ」
「え?」
「題材は、そうだな……《自由》でいこう」
「ヨセ!!!!!! ヤメろッ!!!」
ケイの言葉を合図に私の意識が覚醒する。
何時ぶりだろうか。
監禁されてから今日この日まで自分の為に歌う日は訪れなかった。
『深く暗い静かな宵
囚われた鳥は夢を見る
一筋の光に魅せられて
天高く舞う鳥は識る
己の尊さを』
解放された声は《自由》を取り戻した。
『もう誰も私を縛れない』
「いやああああああぁぁあぁあああ」
夜の静寂を斬り裂く断末魔の叫びが轟いた。
ーーーーーーー
ピシッと金属に亀裂が走る音が聞こえた。
それは、私を拘束していた枷が全て外れた瞬間を指す音だった。
「外れた……」
「やった! やったな! これで晴れて自由の身だ!」
「わっ」
本人以上の歓びを見せるケイが私の腰を抱き上げて一回転した後、そのまま私を抱き締めた。
あまりの出来事に体が硬直する。
「帝都保安局だ! 大人しく降伏しろ――んん?」
騒がしい廊下から部屋に乗り込んで来たのは、堅苦しい制服に身を包んだ男たちだった。
「あっ、やべ。ロア!」
心得たようにケイの呼び掛けにロアが翼をまた大きく羽ばたかせた。次の瞬間、人と物の時間が止まった。
「ごめんよロア。負担かかるのに、こんな事やらせて」
「クルル」
「お前優しいなぁ」
「おいっ!!! なんでまだいるんだよ!」
止まったその空間で私たち以外に一人まだ動ける者がいた。ナントカナントカ局? と声を大にして名乗った男だ。
「そんなに怒るなよ、こっちだって事情ってもんが」
「いつもなら、さっさとズラかるだろ! なのになんでまだ居る」
「アルジャーノ、お前が用意してくれた書簡だってあるんだから、熱くなるなって〜」
「俺が! 後始末! いつもしているんだが!?」
ケイと親しい様子(?)を見せる男を観察する。
黄金色の髪は天使の輪が出来るほど手入れが行き届いており、センターに分けられた髪から覗く切れ長の目は……眼光が鋭い。高給取りしか身につけられないとメイドたちが話していた眼鏡という代物を身につけているのも印象的だ。
唇が薄く、鼻梁は高い、そして彫りも深めな顔立ちは俗に言う美形という部類に入るのだろう。
でも――。
無性にケイの顔が見たくなって身じろいだら、横から声が掛る。
「辻褄合わせるのに、俺がどれだけ――誰だ、君は」
「例の歌姫だよ」
「お前に聞いてない……。いや、しかし。そうか、ケイの話は本当だったか。まさか監禁に手を出しているとは」
「おい、俺がそっちにウソを流したことなんてないだろ!」
「そうだったかな」
「そうだよ!」
テンポの良い掛け合いを終えた眼鏡の男は、冷たい床に延びる伯爵に呆れた視線を送る。
「それにしても、これはまた大仰な拘束具だな」
話は私に付けられていた拘束具に移った。
「呪術が張り巡らされて、なおかつそこの鳥籠からコレが延びてるもんだから手こずってさ」
「――なかなかお目にかかれない代物だな。組み込まれた呪術もかなり複雑ときた。どう外した」
「あそこでひっくり返ってる女に聞けば?」
ケイが顎で示すのは、床に転げ泡を吹いた状態で時が止まっているセレナだ。
「その枷全部お前らが持って行って好きに調べてくれ。壊したから効力はないと思うが気をつけろよ。今回も宜しく頼むよ。じゃあ俺らはこれで」
余計なことを聞かれる前にさっさとずらかろうと私を抱え直したケイの肩を、メガネの男ががしりと掴む。
「待て、まさか、今回の戦利品はその子じゃないよな」
「おぉ、ご明察。冴えてるね?」
「おい待て! お前が誘拐犯になってどうする! 俺がいつもどれほど辻褄合わせに苦労しているか知らないだろ!? 毎度毎度、上手いことお前を野放しにしてるのに、んなことしたら――」
「あーあーあー! ひとつ語弊があるぞ。俺は誘拐犯ではないからな」
「はぁ!? この子監禁されてたんだろう。伯爵が誘拐犯でその誘拐犯から誘拐するならお前も誘拐犯だ!」
「え、ややこしっ」
「親元に帰さないと――」
「あのっ」
「うおっ!? な、なんだ?」
「わたし、ケイが好きなんです」
ケイが誘拐犯で捕まってしまうのを止めたい一心でいたら、自然と口について出てしまった。
「は?」
「へ?」
私の唐突な告白に不意を突かれた男二人は間抜けな声を出した。
言葉にして初めて自分の気持ちに気がつく。
あのふわふわとした暖かい胸の感覚はこれだったか。
メイドたちが恋の話に盛り上がっていた気持ちがやっと分かった。
「ケイ」
「ん!?」
「好きよ」
ケイの顔は真っ赤だった。
それだけで、私の気分は上向きになってしまう。
「だぁああああもー! ……分かった。ケイ! それは置いていけ」
ガシガシと頭を掻いた眼鏡の男が目で示したのは、ロアが抱える大袋だった。
「コレはいつも通り国民に配ろうと……」
「その子か、それかどちらか選べ。あと、次はもっと大物の裏を掴め。それが条件だ」
「分かったって。そんな睨むなよ。次の仕事だってお安い御用だ。俺を誰だと思ってる?」
「よし。――俺は何も見なかった」
さっさと行け、と手で追い払う仕草をする眼鏡の男にケイは軽く挨拶をする。
私を横抱きに窓からその部屋を後にした瞬間、時はまた正常に動きだした。
「……言い訳を考えないと」
「アルジャーノ様!」
「あぁ、なんだ」
ーーーーーーー
ケイは足を緩めることなくずっと走り続けている。冷たい風が赤くなった私の頬を隠してくれる。
私が長い間囚われていた屋敷はもう見えない。
それ程遠くに来ていた。
「そういえば、カナリア。やっぱり自分の名前は思い出せないのか?」
「……ごめんなさい」
「謝ることねーよ。そうだな、じゃあどうしようか。ずっとカナリアって呼ぶわけにはいかないしな」
苦虫を噛み潰したような表情をするので純粋に疑問に思った。
「なぜ? 私、貴方の『カナリア』は好きよ」
「好ッ……ぶ、ぶっこむな。いや、その……でもやっぱりアイツらが呼んでた名前だと思うと胸糞悪いから、変えたいんだがダメか?」
なるほどと思った。
そして、胸の内がこそばゆくなる。
「あなたがつけてくれる名前なら」
「よし。じゃあ、『ルーシェ』なんてどうだ?」
元々決めていたかのように、即答だった。
「ルーシェ……」
「この世界には九人の女神がいるんだとさ。その内の一人が月の女神のルーシェ。仮の姿が金糸雀だったと言われている。金糸雀姿のルーシェの歌は不思議な力があって、時には相手の望むことを叶える力を発揮するらしい」
「それって」
「まさに君だと思った」
「うん……とっても素敵」
欠けていたものが嵌ったような、なんだがしっくりくる感覚。
「良かった」
「ねぇ……今、呼んでくれる?」
「――ルーシェ」
胸がむず痒くなって恥ずかしさから勢い余り彼の肩に顔を埋めるが、彼の体はそれでもビクともしない。
「よし。まだ先は長い。どうだろう? 旅のお供に君に歌を頼んでも?」
「ええ、喜んで」
彼の腕に護られているのを直に感じながら、私はこの先続く旅を想って、《未来》を歌う。
[完]