中編
「君を攫いに来た」
突拍子もないその話に開いた口が塞がらなかった。
「国中飛び回るんだが、やっぱり旅の供には歌が必須だろう? 金糸雀と呼ばれる君ならピッタリだ。――では改めて、俺はケイで、こっちは相棒で幻獣のロアだ。これから長い付き合いになる。覚えておいてな」
いや、歌が必須なのかは知らないが。
国を股に掛ける盗賊で?
しかも指名手配されていて?
挙句、世にも珍しい幻獣を連れている……。
まさかこの鳥型幻獣もどこかの屋敷で拝借した “ご褒美” のひとつなのだろうか。
視覚聴覚共に、情報量過多がすぎるこの状況に唖然とする私を特に気にした様子もなく、鳥籠の扉に仕掛けられた南京錠を手に今度は自身の肩に留まる幻獣に話しかける。
「なぁ、ロア。お前これ開けれるか?」
嘴で一度だけ南京錠をつつき、それ以降は興味なしと言ったような態度の幻獣はふらりと金目のモノの方へ飛び去ってしまう。
「おい、頼むよ。相棒だろ〜?」
幻獣の姿を目で追いながら、一つの綱を無くした男はどうしたものかと首を傾げる。
「呪術だしなぁ。俺ので開けれるか?」
男は一見しただけでは見逃してしまいそうな微かな呪術痕に気づいた。
「ぇ……」
思わず声が漏れる。
こちらを一瞥した彼はすぐに南京錠に目線を戻して、心做しか周りに花が飛んでいるような声で言葉を続けながら手元のそれを弄くり回す。
「分かるんだよ。長いことこの仕事をしていれば、色んなモノやコトを見聞きするからさ。――それにしても酷いかすれ声だ。あのオッサンが言った通り、これじゃ歌声なんて聞こえてこねぇわな」
南京錠を解錠するのを諦めたのかほいっと手放すと、腰に提げた革の水筒を差し出してくる。
え、それを飲めと……?
「これ俺の――ッ!! 何すん……あ! ごめん! そうか、いや見ず知らずの、ましてや男のやつに口なんかつけたくないよな。えーっと、グラスとか――」
どこからともなく現れた幻獣から私が目撃している限りで本日二度目の嘴攻撃をお見舞いされた男は、私の表情を見てはっとすると「飲みかけなんか渡そうとしてごめんッ」とドッシャンガッシャン、伯爵のコレクションを倒し始めた。
彼は一通り金物を漁ると、ギラギラと仰々しい金の杯をひとつ拝借している。
「これでどう? かな……」
豪快に水筒から移し、自信なさげに鉄格子の間から杯を渡そうとする。
得体の知れない人間から貰うものなんて口にするものか。
嫌な記憶が起こし出される。
以前セレナが私の給仕を買って出たことがあった。黙々と口を動かす私に彼女が渡したのは1杯の紅茶。今は要らないと言っても引かないので観念して口にしたのが間違いだった。
その後、私は喉が焼けるような激痛に三日三晩、魘されることとなった。
死んだ方がマシだと思うくらいの激痛。
そのトラウマが脳裏に蘇った私の断固として受け取る気がない姿に、そんな事情を知りえないケイは眉を八の字にして手にしている杯を煽る。
「これでもダメか? ――そうか……ココ、置いておくから」
どうやら飲む事で毒が入っていないことを示そうとしたらしい。だが、私の心は頑なだった。
他人からのたった一度のその様な行動で克服出来たら苦労してない。そんなに簡単な問題では無かった。
まぁ、今までこの部屋に来るのはこの屋敷の主かその愛人か、私を置物としか認識できないメイドか……つまり克服も何も無いワケだが。
「さて――領主のコレクションは今一つなワケだが、ロア、 “こっち” に関しては、叩けばホコリがわんさか出ると思うがどうかな?」
一通り部屋を見て回った彼がまたこちらに戻って来ると、中身の減らない杯にシュンとしながらも南京錠を手に取り幻獣に話しかける。
「クルル」
「だよな! お前も、俺と同じ意見か。どれどれ……遮音に電流、毒ガス、って、うわ……催淫とかタチ悪いぞこれ」
また呟きながら南京錠に没頭し始めた彼を尻目に、私は傍に置かれた杯を凝視していた。
喉の乾きは咳が出る程にもちろんずっとあった訳だが、我慢できないほどではなかった。しかし、それも目の前のこの杯のせいで砂の塔だ。
保温されていたのか、湯気と共にふわりと漂う甘い優しい香り。
飲みたくないけど、飲みたい。
過去の出来事により極度の緊張で汗ばんだ手は無意識的にカタカタと小刻みに揺れている。
だけど、もう我慢できそうにない。
ええい、ままよ! と、ガっと杯を掴み、飲み干す――。
「…………」
――ことは出来なかった。
「どうした?」
男が私の様子に気がついて、南京錠からこちらに視線を移す。
「あっ! 重いのか!」
そう。重い。
長年この鳥籠が生活範囲だった私は、有り得ないほど筋力がない。腕力も、握力も。
そんな私には、金の杯は重かったようだ。
「純金じゃないんだけどな……そうか」
金の杯を手にした男は、私に手招きする。
「少し上を向いて、口を開けれるか?」
大人しく男の言う通りにする。
少しトロリとした粘度のある甘いそれが徐々に私の中を満たした。
「――ッ!」
そうして、口の中、腹の中を満たすあまりの幸福感は言葉にならない程のものだった。
代わりに、ほうっと息をつく。
「気に入った? ハニーとジンジャーを混ぜ合わせた俺特製のブレンドティー。比率がさ、重要で、ちょっとでも狂うとこの味は出ないんだ。君は運がいいぞ? ジンジャーはわりかし簡単に手に入るんだがハニーがなぁ」
ケイはホッとした様な柔らかい笑みをこちらに向けていた。その笑みはとても綺麗で――。
「それで少しは声が出しやすいはずだぞ」
バチッと視線が絡み、慌てて下に目線を逸らす。
ん? なんで逸らした?
何だろう。胸がむず痒い……。
自身の体の違和感(?)に胸元を擦りながら上目遣いで彼を見れば、「ん?」と少し首を傾げる姿にソワソワする。
「どう? 声は出るか?」
「ぅぁ………………ぁ……あ、ありがとう」
「どういたしまして」
喉に手を当てながら恐る恐る自分の声を確かめる。
そうだ。そうだった。私はこんな声だった。
久々に聞く自分の声に目じりが熱くなる。
「声が出たところでさ。君の名前を知りたいんだが、いいかな?」
「カナリア……」
「うーん――それはここでの呼び名だろ? 君のホントの名前は?」
目を閉じていちばん古い記憶を思い起こす。
浮かぶのは私を抱きしめて愛おしそうに私の名前を呼ぶ男女。だが、肝心のその部分は分からなかった。
この記憶のふたりは、私の両親だろうか。
輪郭さえ、もうぼんやりとしか思い出せない。
「――分からない」
「そうか。じゃあ便宜上、今はカナリアと呼ぶことにしよう」
ケイは手を叩き、その場の雰囲気を一掃するようにパンっと乾いた音を響かせる。落ち込みかけた気持ちも彼の声と表情に気を取られすっかり散漫する。
「ロア、お前は他を頼む。色々見てただろ? この袋にありったけ詰め込めよ」
ロアに指示を飛ばすとおもむろに自分の髪から2本のピンを抜き鍵穴に差し込んだ。耳を近づけ音を聴きアタリを探る。
呪術のかかった鳥籠をただのピンで開けようというのだろうか。
「不可能よ」
「まぁ見てな? なぁ、カナリア。君は外に出たいか?」
「そんなの――」
出たいに決まってる。
だが。
「……そんな質問無駄だわ」
どうせ、出られないのに。
「まぁ出たいっていう選択以外受け付けないつもりだけど――うぉ、重っ」
指示通り袋いっぱいに金銀財宝を詰め込み戻ったロアが彼の肩に乗る。
「一応、表向きは君の歌が聞きたい俺の我儘だってことで」
そして、カチャンという音と共に南京錠が外れ、扉が開かれた。
なんとも呆気ない。
「うそ」
「あはは――改めて、君を攫いに来た。その中は危うい。とりあえず、鎖は鳥籠の外に出てから外そうか」
キラリと光るピンを髪に戻してから手を私の前へ差し出す。片膝をついた彼の姿は月光も相まって、まるで姫を救い出す童話の王子様のようだ。無意識的にケイに手を伸ばしかけ、はたと動きを止める。
長い間、鳥籠の中だけが私の世界だった。それが突如自由への扉が開かれたのだ。動きが止まるのは必然だろう。
「おいで」
こんな世界で一生を終えるのか?
でも、知り合って一日も経っていない男を信じるのか?
こんな所で一生を終えるよりは間違いなくマシだと、思ってしまったのもまた事実。
だから。
「いい子だ」
攫ってもらうことにした。
というか、気づいた時には彼の胸目掛けて体が勝手に動いていた。
私が突然飛び込んだにも関わらず、危なげなく受け止めたケイは優しく頭を撫でてくれる。規則正しい心音と少し高く感じる体温に私の中でぽっかりと空いていた穴が埋まっていく気がした。
ギュッとボロボロのマントを握り締め、彼の胸元に顔を寄せる。
自分以外の体温を間近に感じた今この瞬間を私は一生忘れないだろう。
「あったかい」
「そりゃよかった。暖をとっている所悪いが、脱出に当たってこの枷をどうにかしないといけない」
まず第一の砦として立ちはだかった鳥籠はケイが(何故か)難なく解錠してしまった訳だが、本当に問題なのはここからだと私は思っている。
「おにーさんに任せなさい」
私から不安を感じ取ったのか、聡いケイはニカッとこちらに笑みを向けると、袖がない服で大袈裟に腕まくりをしてみせる。
ケイは私の手を取ると目線まで持ち上げて、手首を拘束している枷をまじまじと見つめる。そして、いくばもなしに眉間に皺を寄せ、ロアと共に首を傾げることとなった。
「……無いな?」
困惑の表情を浮かべながらも、足枷、首輪と視線を移していく。だがやはり、「無いな??」と呟いた。
やけに自信満々だと思っていたら、やはり気がついていなかったようだ。彼の言う、“無い” が指すのは――拘束具には必ず付いているであろう鍵穴がない、ということ。
手枷、足枷、そして首輪、そのどれも凹凸が一切ない金属で一周隙間なく肌を覆っており、鳥籠とはまた違った造りで構成されていた。
表面が文字らしきモノと幾何学模様で埋め尽くされているそれ等はなんとも美しく、そして奇奇怪怪としていた。
「鍵穴が無いなんてタイプは初めて見た……ピッキングは無理だな」
ケイは自分の髪に戻したピンをさわりと一撫でした。
「《停止》と……んん? 《硝子化》? こんな効果聞いた事ないぞ」
「……私が抵抗したり、外部からの刺激に反応して赤く発光するの」
「詳しく」
「えっと。例えば、私が歌わなかったり。『嫌だ』って声に出して反発したり」
「カナリアの意思に反応するんだな?」
間髪入れず食い付いたケイに気圧されつつも、記憶にある限りの出来事を指折り挙げていく。
「うん。あとは、外部からの刺激だけど……昔……」
彼は私の背中を撫でながら険しい顔をしている。
「いき吸えるか? ゆっくりで良いから」
気づけば、犬が呼吸をするように短く息を吐いている私がいた。途端、目眩に襲われる。酸素が上手く取り込めていない。
「…………ありがとう」
「辛いことを聞いた。ごめん」
「大丈夫。話せるから、聞いてくれる?」
息が整っても変わらず背を行き来する手を感じながら、ゆっくり深呼吸する。
――吸って。
――吐いて。
「大事な事だから」
彼を失いたくない。だから、話さなければ。
ーーーーーーー
『嫌! い、いや! いやああああぁあぁあああ!!!』
『よしよし! いくらでも喚け!』
私の叫び声と男の下卑た笑い声が部屋に響く。
一度目の脱走では私は鳥籠に閉じ込められた。
二度目は首輪。三度目は足枷だった。
これで四度目の脱走の失敗。
今度は手枷が追加された。
抵抗するも、首輪と足枷に流れた電流で強制的に動きを制限されてしまい、抵抗も虚しく私の手首に新しい枷が嵌められる。装着された途端、金属の結合部分から切れ目が消え失せた。
『これ以上増やしてなんの意味があるのよ!!!!』
そして乱暴に手枷から延びる鎖を引っ張った瞬間、手枷の文字が赤く発光した。苦しむ私をあてにワインを飲む男が安楽椅子で感心したように手摺に腰掛ける呪術師の女に声を掛ける。
『これが――噂には聞いていたが、こりゃ……たまげた』
『ふふ、そうでしょう?』
女が領主と言葉を交わしているが私はそれどころじゃなかった。
ガラスを鋭い爪先で引っ掻くような音が頭の中に直接響き、耐え切れなくなって鎖から離した手で頭を抱える。まるで頭が割れるように痛い。
『あとね! これ面白いのよ――さぁ、触ってみなさい』
『お、お許しください』
乱暴に髪を掴まれて連れて来られたのは、まだ鳥籠もないただ部屋に監禁されていた時代にした一度目の脱走の協力者のメイドだった。
私と同じぐらいの娘を亡くしたと、私に同情して逃がしてくれようと過去がある。
結局はバレて屋敷を追い出されてはずだ。
そんな彼女がなぜ今更。
私が繋がれた手枷を無理やり握らされた彼女が顔を涙で濡らし必死に許しを乞う。
『外してあげたいでしょ? 取ってみなさいな』
『うぅあう…………ゔあぁあああああぁぁぁ!』
叫んだのは、私だったのか、メイドだったのか。
はたまた両方だったのか……。
『あらあら、んふふ! 成功ねっ! ねぇ、足枷と首輪なのだけど。手枷と同じあの仕様に……どう?』
『今すぐにでも頼む』
『モチロンよ!』
頭に響く痛みにのたうち回る私の手を手枷の製作者であろう女がそっと両手で包み込み、まるで母が子を慈しむかのように優しく撫でる。
『ねぇ、これ見て?』
『――ッ!!?!?、??!』
『無駄な抵抗なんて、これからしないでね?』
目に飛び込んできたのは。
地面が透き通るほどに透明な文字通り結晶の肌となった枷を握らされたメイドだった。
硝子に変えられたメイドは女が少し指で触れただけで、砕け散り、砂の山のように形無く崩れた。
その衝撃的な光景に錯乱した私は頭に響く痛みも相まって意識を手放した。