前編
こちら前編です。
序幕からお読みいただくことを推奨いたします。
ガンガンガァァァンッ!
「う……」
鉄同士がぶつかり合う耳障りな音が頭に鋭く届く。冷たい床で横になっていた私は覚醒しきらない頭とぼやける視界で懸命に音の方向を探る。
「お歌の時間よ、金糸雀さん」
重い身体を腕で支えてなんとか上体を起こした私を火かき棒片手に見下しているのはこの屋敷に最近出入りし始めたひと。
歳は私とそう変わらない様に見えるが、胸元が開いたドレスを着こなし私よりもずっと妖艶な容姿の黒髪の女性だ。
「……(セレナ)」
声にならない声で彼女に呼びかけるが、気づいてもらえる訳もなく。セレナはスタスタと私の横を通り過ぎてカーテンと窓を開け放った。
「やっとの満月の夜よ。今日も私のために歌ってね? 最近お友達から、とある国の女神の話を聞いたのよ。その国では民はみんな女神から祝福を授かるのですって。若さや美貌を保つことだってできるそうよ。だから、そうね。題材は “祝福” よ」
「『……』ゔぐぅ――かハッ」
「ちょっと、なんなの? 仮病なんて白々しい。なんで歌わないわけ? 私のための歌!」
「(仮病だなんて! 違う)――けほっ。ゴボッ!」
セレナの言霊により強制的に口を開かされるも、ここ数日は水も愚か何も胃に入れていない私の口から出るのは咳だけだった。
否定したいのに、出来ない。
「ねぇ、なんで歌わないわけ? 歌いなさいよ。 “鳥籠で飼われてる鳥” なんだから、ご主人様の言うことは聞かないとでしょう?」
鳥籠――基この大きな鳥籠を模した鉄箱に閉じ込められたのはいつだっただろう。幼い頃に連れ去られ、助けが来ないと気がついてしまった時の絶望がどれほどのものか彼女には分かるまい。
いくら経っても反応を返さない私に彼女は真っ赤な唇を歪めて、また火かき棒を打ち鳴らす。
「セレナ、ここに居たのか」
「あっおじ様! この鳥、私がお願いしているのに、お歌を歌わないのよ?」
「あぁ……可愛いセレナ。すまないなァ、近頃何故か反抗的なんだよ」
セレナと呼ばれた彼女はピタリと動きを止めると、表情を即座に替えて後方の出入り口に姿を現した男に振り返る。
ぴたりと隙間なく体を寄せ合い語尾にハートマークでも付きそうな会話に眉間に皺が寄る。
聞かされる私の身にもなってほしい。
反吐が出そうだ。ここ数日は何も飲み食いしてないから反吐も何も無いが。
「おい、金糸雀。歌え。誰が寝ていいなんて言った」
「そうよ! 歌うしか能がないんだから。歌わなきゃ、金糸雀さん?」
彼らは私を人間と思っていない。云わば言葉が通じる愛玩動物……否それ以下か。
言葉で、行動で、人としての尊厳を徹底的に砕き、意に反すれば私の首につけたチョーカーから電流を流すのだから。
「お前にこの“鳥籠”を用意して生かしてやってるのが誰か、まだ理解出来てないようだなぁ!?」
この部屋には蝋燭等の明かりがない。カーテンは常に閉ざされ昼夜問わず暗いこの部屋の唯一の頼りは、満月の夜のみ開けられるカーテンから射す月明かり。
声に怒りを乗せ、月光の下に姿を見せた私の記憶から乖離した男の姿に唖然とする。
随分と窶れていた。
脂の乗った体つきだったはずの男の痩せこけ、杖がないと立てないほど弱っている姿はなんとも衝撃的だった。
「なんだその目は……この私を馬鹿にしているのか!? 誰のお陰で生きていると思っとるんだ?!」
「きゃッ」
何も言っていないのに勝手に結論付けて、そして勝手に癇癪を起こす。
案の定、セレナから火かき棒を奪い取ると私に向かって振り上げた。
あ、まずい。
「歌え、歌え、歌ええぇぇえええぇ!!!!」
「旦那様」
「なんだっ!」
「ご来客がありました」
「……来客だと? 今日はもう誰も来んはずだが?」
「帝都保安局から……お急ぎのご様子です」
「保安局が急ぎの用だ? なぜ――いや、まさかな……」
男は肩で息を吐きながら私を一瞥し火かき棒を投げ捨てると大きな溜息をつき家令の元へ歩き出す。
「応接間で待たせておけ」
「畏まりました」
それきり私には見向きもせず退出する男を息を止めて見送る。
心臓は破裂しそうな程に大きな音を立てている。
冷や汗も止まらない。
電流を首に流されるか、火かき棒を振り下ろされ怪我をするかなんて、どちらも嫌に決まっている。
家令の横入りで何とか怪我せず済んだことへ安堵し静かに息を吐いた。
「帝都の犬が、なぜこんな田舎に……」
彼女が毎日のようにこの部屋に訪れるため何度も顔を合わせているのだが、まるで感情が抜け落ちたこの表情は初めて見る。
「――ほんっと忌ま忌ましいったらないわ」
私からは距離があり聞き取れないが、ボソボソと何か呟きながら美しく整えられた爪を齧る姿は危なっかしいような不安定さがあり、一種の不気味さを醸し出す。
その時ふと目に入ったのは、小指球側面にある黒子。どこかデジャブを感じるそれに頭を捻るも、既のところで引っかかり思い出すことは叶わなかった。
「明日は歌いなさいよ。この愚図」
男が去った方向を見つめていた彼女は首だけを大きくぐりんと反転すると、私を睨みつけヒールを鳴らして部屋を後にする。あの様子だと、今夜はもう二人共ここに来ることはないだろう。
見張り人により閉められた扉に緊張が解け鉄格子に背中を預ければ、動きに合わせてジャラジャラと音を立てる鎖が流れる。
そして、視界に入るは手足首を拘束する枷。これは何度目かの脱走の失敗により装着されたもので、根っこは鳥籠の床に埋め込められている。
「…………」
誰もいなくなった部屋で静かに膝を立て顔を埋めると、勝手に目尻が熱くなる。もう涙なんて枯れたと思っていた。
「随分と居心地悪そうなところだなぁ」
窓に背を向けた状態だった私がそのありえない場所から聞こえた声に思わず飛び上がると、手足から伸びた鎖が大きな音を立てる。
「あっ?! えぇっ、そんな驚く??」
ここは外の景色からして三階以上で人が来れるはずがない部屋だ。
一体どうやって……。
ザァッと風が吹きカーテンが靡く。出ていった奴らと入れ替われるように窓淵に男が足をかけ部屋の中を窺っていた。
大型の鳥らしき動物を肩に乗せた彼の顔は逆光で認識できないが、声からして若いはず。
「でもまさか、本当にいるとは。お前も驚いたな? ロア」
「クルル」
「それよりも、どう思うよ? 欠陥警備が過ぎないかここ。伯爵はアホか? なんで警備が扉の方だけで、窓は全開なんだよ。窓の方こそ警備いるくねーか? いくら一階じゃないからって……ザルだ、ザルすぎる。まぁ、そのお陰で楽々侵入できるんだけどな?」
お邪魔しまぁす、とナチュラルに不法侵入した彼は羽織っていたローブを寛げ部屋を見回し、やれやれと首を振る。
「んー、こんなんでアイツらが納得するようなもん出てくるか? 白けてんなぁ」
この部屋は一応あの男のコレクションが保管された場所なのだが最初以降それらに目を向けず、迷うことなく此方に近づいてくる。
「こんばんは」
改めて近くで見た青年は特別美しい訳でもない顔立ちに、艶があるとは言い難い栗色の髪と同色の瞳の持ち主だった。
「君が噂のカナリアだね? さっきは驚かせてごめんよ。出来ればそのまま、大声を出さないでくれると助かるんだが」
然し、何故か否応なしに惹き付けられる何かを感じる。
「よッ……と」
ドカッと目の前に胡座をかくと、鳥籠の格子越しに私へ優しい声色で話しかけながら、肩にかかる色褪せたレザーバッグをガサゴソ漁り紙を取り出す。
「これ、俺なんだけど知ってる?」
見たところ新聞のようだ。
差し出された新聞の一面を飾るのは『《アウルの王》義賊ケイ、悪徳貴族成敗』という見出し。
「俺さ、いつもは宝石やら絵画やらを悪~いお貴族様から拝借して、ついでに国のお偉い人に恩を売っt……んん! まぁそんなこんなで、ヴァンクラストを治めるこの伯爵家に目をつけたんだけど、せっかくだから自分への褒美に歌姫でもどうかなと思ってさ――」
話の途中で男が肩に乗る鳥型生物に頭を刺された事は置いておくとしても、とりあえず情報量が多すぎて頭が追いつかない。
「君を攫いに来た」
……えっと?