婚約破棄を告げるあなたに、屋根裏部屋で最後の口づけを望みました。
「リネ、きみとの婚約を破棄する。僕は侯爵家四女、ソニアを妻に迎えたい」
静かな夕食の席はその一言で、さらに音を失った。
ノースレイ伯爵家恒例の食事会。
テーブルには伯爵夫妻、一人息子のロイ、そしてロイの婚約者リネ・カーナ子爵令嬢。
息子に向けて、伯爵と夫人の声が爆ぜた。
「ロイ、何を血迷ったことを!」
「その通りよ、ロイ! 今の言葉すぐに取り消して、リネに謝って! 長年貴方に尽くしてくれた大切な女性なのよ?」
「父上! 母上! リネとは確かに長い付き合いです。だけど僕は真に愛する相手と出会った。それに子爵家より侯爵家との縁の方が、家の益になります」
「お前はよくも……!」
「──皆様、私はそれが彼の意思なら、尊重したいと思います」
当事者であるリネの言葉に、ロイは満足げに頷き、夫妻は慌てた。
「待ってちょうだい、リネ。この子、ちょっと正気じゃないの」
「そうだともリネ。ロイには言って聞かせる」
「僕は正気で──」
「ただ。ロイ様? 婚約破棄を受け入れるには、お願いがあります」
「願い?」
「ええ。貴方と私の思い出の場所に、付き合ってください」
「思い出の? どこだ。僕たちは幼馴染だし、そんな場所たくさんあるぞ」
「今すぐ行ける場所です。このお屋敷の屋根裏部屋」
リネの発言を聞くや否や、伯爵夫妻は「ああ……」と力なく崩れ落ちた。
ロイは両親の様子に驚いたが、それでリネとの婚約が取り消せるならと了承し、ふたりは共に伯爵家の屋根裏へとのぼった。
(昔、よく一緒にかくれんぼして遊んだな)
そう思いに耽りながら、ロイはリネと埃舞う部屋に入る。
天窓しかなく閑散としたそこには、大きな箱がひとつ、置かれてあった。
「何の箱だ?」
「どうぞ、開けてみて」
促されるままに箱の中を見たロイは、息を飲んだ。
貴族服を着た、子どもの骨。
「これは──」
急に嫌な汗が噴き出す。両の足が力なく震える。
これは。この服には見覚えが。
まさかこの骨は!!
「思い出しまして? ロイ様。貴方は十年前に川遊びで命を落としたの。いまの貴方は、伯爵夫妻に頼まれ造られた存在。我がカーナ家の秘術で維持されている土塊」
「そんな……嘘だ」
「嘘じゃないことはもう、貴方自身わかっているはず」
ロイの揺れる瞳が弱々しくリネと絡み、そして。
「さようなら、ロイ様。愛していたのよ?」
リネの口づけで、仮初の命は闇へと戻った。
屋根裏に、崩れた泥土を残して。
翌朝、伯爵家嫡男急死の報が、王都を巡ったのだった──。
お読みいただき有難うございました!
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ここから先は、上記の結末だと悲しいな、って方へ回帰ルートをご用意しています。
ちょっとね、意味不明みたいになっちゃったのですが、"屋根裏"は思い出の場所とは少し外れ、そして大きな箱が置かれることもなくなった的なことが伝わると嬉しいです。
(どうしよう、蛇足すぎ? 消したほうがいいかなぁ? と迷い中です。あとで取り下げて、活動報告のSSに移動するかもしれません)
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──ぶはっ!!
思い切り、寝台から跳ね起きた。
まだ心臓がバクバクと全身にこだましている。
心臓……?
(良かった! 僕は生きている! あれは夢だったんだ)
ロイはほっと胸を撫でおろし、自分の手を見た。
まだ小さな、子どもの手。
(夢の中の僕は、18歳の大人だった……)
奇妙な夢をなぞりながら思い出し、ゾクリと震えた。
たった今まで見ていた長い夢の恐怖が、なかなか体から離れない。
「ロイ──、起きた──?」
軽快なノックと同時に笑顔いっぱいの少女が、ロイのベッドへと駆けつける。
「わああ、リネ! 急に部屋に入ってくるなんて!」
「えへへ。待ちきれなくて朝一番に来ちゃった」
屈託なく弾む明るい声で、リネは言った。
「今日は一緒に川遊びに行く約束だよね。ね、早く準備して!」
「かわあそび……」
なんだろう。何か、良くない予感が心を覆う。
「ねえ、リネ。川遊びはまた今度にしない? 僕、今日はなんだか調子が悪くて、うちにいたい気分なんだ」
「大変! お風邪かな? 大人を呼んで来ようか?」
「平気。ごめんね、リネ。楽しみにしてくれてたのに」
「ううん。未来の旦那様だもの。ロイには自分を大切にして欲しいから、川遊びは元気になってからにしよう?」
チクリ
何かがロイの口を動かした。
「──リネ。もし僕に何かあったら……。リネは僕のことを忘れて幸せになって欲しい」
「何かって? 何かあっても私はずっとロイといるよ?」
無邪気に首を傾げる幼い婚約者に、ロイは"なぜ僕はこんなに真剣なんだ"と疑問を抱きながらも言葉を紡いだ。
「僕は、きみのことが大好きだから。僕に縛られて生きて欲しくないんだ」
「??? 私もロイのことが大好き!」
ああ、そうだ。僕はとてもリネが好きで、リネもまっすぐに僕が好きで。
どうして忘れていたんだ──?
「リネ、僕、きみのことを一生大事にするからね」
「わあ、嬉しい! ありがとう、ロイ! でも今日のロイ、なんだか変」
クスクスと傍らで笑う少女を、自分が優しく見つめていることに気づかないまま、ロイは。
彼女のあたたかな手を握りながら、寝台を降りた。
「僕、お腹ペコペコだった。朝ごはん食べてから、屋根裏で"かくれんぼ"して遊ぼう」
「ええ? あそこ隠れられるような場所や物、何もないから、すぐ飽きるよぉ」
「そっか。それじゃあ別の遊びで……」
柔らかな朝日は、子どもたちとその未来を祝福していた。
【第233回】2023.3.17OA下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオディレクターズカット版にて朗読。
https://www.youtube.com/watch?v=ylGeg7BJEN8
(19分50秒付近から)