第2話 妹のために切り抜き動画を作るとか冗談だと言ってほしい!(前編)
頭が激しく痛い。顎も痛い。まるで巨漢の男に殴られたかのような鈍い痛みで、俺は意識を取り戻した。
「痛てて。あー、激しく頭痛がする。俺何で寝てたんだ?」
倒れたまま辺りを見渡すと、そこは馴染みのないすみれの部屋だった。イメージとしては、とても女の子らしいファンシーな内装なのかと思われるが、それは全く違った。たしか昔はもっとピンク一色だったはず。
すみれの部屋は利便性・使いやすさを重視した机、椅子があり、その上にはハイスペパソコン等々と、何だか少し前に見た光景がある。それ以外の部屋の家具も可愛さ重視と言うよりは、使いやすさとシンプルだけを追求した構成だ。周りをぼんやり見上げると、眼前に立ちはだかる黒い人影が覆った。
「あー、やっと起きた」
「すみれか……。どうしてここで寝てたんだっけ」
「あー! もうそんな事はどうでもいいから。すぐに答えなさい。見たの、見てないの。どっちなの?」
すみれは語気を強めて、詰問気味に聞いてくる。
「見たって、言っている意味わからんぞ」
俺の態度にすみれはスマホを操作しながら、イライラを隠そうとせずもう一度聞いてきた。
「だからさー、私のパソコン画面見たかって事よ。意味ちゃんと分かってる?」
「パソコン画面?」
そう言われて机の上に載ったパソコンを見る。確かに何か見たんだった。そうだ思い出した。
確か自室でVTuberの放送を視聴していて、喉が渇き飲み物を取りに行って。その後妹の部屋が五月蠅くて、注意しようと入ったのを最後に記憶が飛んでいた。ただそのパソコン画面には、見慣れたVTuber星野宮きらりが映っていた。それがやけに印象として記憶に残っている。
「あー、見た。すみれもVTuberを見てるんだな。星野宮きらりって名前の、女性もVTuberだろ」
「そうよ。という事は見たって事ね。最悪」
すみれは頭をくしゃくしゃと掻きむしりながら、大きく溜息を吐く。やたら不機嫌な様子だが、部屋に入って来た事にそこまで怒っているのか。
「何怒ってるんだ? 別におまえがやってるんじゃないのに、変なやつだな」
「もしかしてこの部屋見ておいて、何言ってるのよ。馬鹿なのか、阿呆なのかな。私がその本人よ」
さも当たり前のように自分がやっていると言ってきた。いやいや、冗談にしては笑えないぞ。
「はぁ!? 嘘も大概にしとけよ。星野宮きらりはもっと素敵な女の子だろ。お前とは似ても似つかないわ。彼女に失礼だ。土下座して謝れ!」
「この馬鹿兄貴。私はいつも素敵な女の子だっての。知らないのはあんただけよ。兄貴が土下座しろっての!」
俺は冷静になって考えた。
映っていたあの画面は視聴者側ではなく、配信者側の画面だ。星野宮きらり、やっている当人の画面だ。見慣れない画面がその証拠。
「本当に星野宮きらりをやっているのは、すみれか?」
自分で言ってると馬鹿馬鹿しい話だとやはり思ってしまう。俺の妹が星野宮きらりなわけがない。あんな美声で話も上手で、聞き上手で視聴者も大切にしている彼女が、この妹のはずがない。家ではがさつで、兄の俺に対しては酷い扱いをするようなやつなんだぞ。
「だからさ、さっきも言ったけど。正真正銘、私が星野宮きらりよ。驚きなさいよ」
どことなく、薄い胸を反らして自慢げにこちらを見てくる。しかし本人とは裏腹に、星野宮きらりは巨乳だ。そう巨乳なんだよなぁ……。本当なら理想の姿を投影しているのか、あいつ?
「マジかよ、じゃあ俺は妹をずっと応援していたのか。ナンテコッタイ」
「ちょっと、文句でもあるの?!」
「別にないって」
「あっそう。ま、そう言う事だから、配信活動をしている時は絶対部屋に入って来ないでね」
念を押して言うすみれは、自分の椅子に戻り忙しそうにしだした。少し気になって俺はひょいと横から覗けば、星野宮すみれの動画内コメントやエゴサーチをして自身のチェックをしたり、凝ったサムネイルなどを作成しているようだった。
「本当に本物なんだな」
「まだ疑ってるの。邪魔なんですけど?」
すみれに肘打ちをされつつ、俺は画面に夢中になっていた。すみれなりに自分の活動を考えているのだろう。兄ながらつい感心してしまう。
「あんまりジロジロ見ないでよね。ちょっと恥ずかしいし、作業に集中出来ないでしょ」
その頬は少し朱色に染まっている。気恥ずかしいのだろう。俺もガキの頃はヘタクソな絵を描いてるのを誰かに見られると、よく恥ずかしくなったもんだ。兄なら尚更だろうな。
「悪い悪い、でもやっぱ気になるしさ。妹がどんなふうにやってるのか興味湧くし」
「はいはい。別に良いけど、とにかく邪魔だけはしないでよ」
「分かってるって、きらりちゃん」
とんでもない速さでみぞおちに拳がめり込む。
「殴るよ?」
「もう殴ってから言うのやめて」
忙しそうに作業していたすみれだったが、何か思いついたのか、ピタリとその手が止まった。作業を止め、こちらに向き直る。
「ねぇ、兄貴。あのさ今日はもうこんな時間だし、また今度私の部屋に来てくれる? ちょっと頼みたい事があるの」
頼みごとの内容は気になるが、壁に掛けられた時計を見ると深夜3時を過ぎていた。
「頼みねぇ。とりあえず考えておくわ。眠いしさ、俺は寝るわ。んじゃ、おやすみ」
どっと変な疲れが出た俺はすみれの部屋から出て、自室へ戻りそのままベッドに入り瞼を閉じた 。
『この前言った頼みごとの件で。今日の23時00分に私の部屋に来て。遅れないでね。あと、ちゃんとノックはしなさい!』
スマホのSNSツールからそんな文章が送られて来たのは、あの日から2日程経った夜だった。指定された時間が遅いのは気にしても仕方がない。と言うか今22時55分ってあいつ分かって送ってるのか。
俺は律儀に了解と返事を打ち込むと、既読の跡が即座に付く。すぐに部屋へ向かい扉の前まで来ると軽くノックした。
「すみれ入るぞ」
「どうぞ」
部屋に入ると予想通り一生懸命パソコンの前で作業をしていたかと思ったが、画面には他のVTuberの動画を視聴しているようだった。
今日の星野宮すみれとしての配信は少し前に終わっていて、少し疲れ気味に見える。考えてみれば学校にも行き頻繁に配信活動もしていれば、疲れが出てくるのは当たり前だな。それだけ力を入れているって事とも言えるか。
「それでどんな要件なんだ?」
すみれはこちらに向き直り、少し間を開けて喋り出した。
「その、単刀直入に言って、私のVTuber活動を手伝ってくれる?良いよね?」
「断る」
「断るのはやっ。こんな可愛い妹が困ってるのに!」
反射的に立ち上がり、俺の顔を睨んできやがる。いや、いくら可愛い妹でも即座に了承出来ないっての。下手に手を出して星野宮きらりの人気を左右したくない。俺だってまだファンなのか変わらないんだかな。妹でもそれは、変わらん!
「どうしてそんな事を俺がやらないといけない。面倒くさ」
「実はね~、そう言うと思ってました。でも兄貴にはこれっぽちも拒否権はないんです、これが」
すみれは不敵な笑みをしながら上着のポケットからスマホを取り出し、画面を見せつけてきた。少し不穏な気配を俺は感じた。
「その証拠よ!」
そこには数字や文字やらの情報が載っており、身に覚えのあるものがたくさんある。それを見て背筋が凍った。これはやばい。
その画面には俺が今まで星野宮きらりの放送中に打ったコメント、スーパーチャットの金額、その内容などが全て記されていた。要するに俺のアカウントが完全にばれていたのだ。
そう、こいつは放送中に俺のコメントを見ていて、陰で嘲笑っていたかも知れないと思うと、ゾッとする。
「いつもスパチャにコメント、ありがとうございます。兄さんっ」
屈託の無い笑みを向けてくる。始めから断れない様にするための材料を、予め用意していたのだろう。どうして俺のIDまでバレていたのか考えると、少し恐怖すら感じる。
「ど、どうしてそんな情報を!?」
一瞬パニックに陥り、動揺が止まらない。こっちの動揺を尻目に、ぐいぐいスマホを顔に近づけてくる。やめてくれ。我が妹ながらなんと恐ろしき女。きっと彼氏になる男は絶対苦労するな、と意味もなくその時俺は思った。
「それは秘密ね。でもわかったでしょ、無駄だって」
「うう、喜んでやらせてもらいます。だからそれしまってくれ」
「わかったわ。それでこそ私の兄貴ね」
すみれは嬉しそうに頷くとスマホをしまってくれた。それでこそって、脅迫しといてどの口が言っているんだか。
「それで俺は何を手伝えばいいんだ?」
「ズバリ、切り抜き動画を作って欲しいの。個人勢の私にはまだ人気が足りないし」
すみれが止めていたパソコン画面を再生させた。スピーカーから知らないVTuberがはしゃいでる声が溢れてきた。内容は分からないが、パッと見て動画はとても盛り上がっているように思えた。どうやら見ていた動画は誰かが作った切り抜き動画なのだろう。
「切り抜き動画って、確か面白い所を抜粋してカットして編集して、再投稿した動画の事か」
「さすがVTuber好きな兄貴。分かってるじゃん。実は私の切り抜き動画って全然出てなくて、人気を上げるには必要なのよ。だから無いなら作る。簡単な話ね」
切り抜き動画とは、長時間動画(主に生放送)が第三者によって特定場面のみを抜粋され、カット等編集の上で再投稿されたものである。
何のためにこの動画を作り上げているかは、人によって理由はさまさまだが、知らない人にそのVTuberを知ってもらったり、良さを伝えるため作る人が多いのではないだろうかと俺は思う。
「そうかも知れんが急に動画作れって言われてもな。作り方知らんし、編集ソフトとか触ったことも、持ってもないぞ」
「バカね、そんなの問題ないわよ。作り方なんてこのご時世ならネット見ればすぐだし、編集ソフトも入ってるこのノート貸してあげるから。はい、これで解決」
そう言って部屋の隅に置かれた大型リュックサックから、赤色のノート型パソコンを取り出し俺に押し付けてきた。デスクトップ以外にもこんなパソコンを持っていたとは。ブルジョアか。いや、配信活動で稼いでいるってことか。
「世界共通、兄貴なら可愛い妹のために頑張るのが世の常。でも私とお兄ちゃんは違うの?」
潤んだ瞳をしながら上目遣いで問いかけてくるのを見ると、少しイラッとするが、やると言った以上後には引けない。そして滅多にしないそんな表情が可愛くて、渋々やろうと思った。兄は妹に弱い生き物だよな、きっと。
「はぁ……。分かったよ。やると言った以上はとにかく動画を作ってやる。完成度に文句を言うなよ」
あまりやる気が出ないが、これでも星野宮きらり、強いてはすみれのためだと言い聞かせ俺は受け取ったパソコンをぼんやり見つめる。
やれやれちょっとこの先面倒くさそうな事が他にもあるんじゃないかと、不安が募った。そんな兄の胸中を知ってか知らずか、すみれは机に置かれたエナジードリンクを手に取り蓋を開け、ゴクリゴクリとビールでも飲むかのように一気に飲み干しだした。
おいおい、まるで深夜残業をしているリーマンみたいな事しやがって。それでも女子高生かよ。
「おっしゃー! そうと決まれば今すぐ動画作りに取り掛かるわよ」
「お前今何時だと思ってるんだ」
こっちの抵抗など完璧に無視して、すみれは強引にパソコンごと腕を掴み、部屋の扉を開け廊下に出る。そしてそのまま俺の部屋に二人で移動していた。
「おい、どういうつもりだよ」
「どうもこうもないわよ。明日は休みなんだし、今からいくつか二人で作るに決まってるでしょ。寝てる時間なんてないのよ」
「俺今すげー眠いんだけど」
「私も眠いに決まってるでしょ。でも心配ないわ。この激めざまし君、ジェットメン、ウルトラ危機一髪。これで問題なく乗り切れるわ」
その手には色とりどりの目覚まし用の、カフェインたっぷりのドリンクが握られている。
「さぁ、私たちの戦いはこれから始まるのよ!」
「そんな少年漫画みたいな恥ずかしいセリフを、深夜に叫ぶのやめてくれ」
意気揚々と叫ぶすみれの目は血走っている。こいつはどれだけ寝てなくて、いつも何本のドリンクを飲んでいるのか、兄の俺はちょっと心配になってしまったのだった。