7.馬が合う
タイトルの意味:性格や気が合う。意気投合する。
塩顔系のあっさりとした顔立ち、優しそう、健康そう、左手薬指に指輪なし……だからもうっ、今日はそういうのじゃないから!
内心は突然現れたイケメンに上を下への慌てぶりだったが、だてに三十四年は生きていない。千晶は自然にみえる笑みを顔に張り付けて、ゆっくりと立ち上がる。
「お久しぶり、片近くん」
「ご無沙汰してます、お姉さん。僕が中学生のとき以来ですね。あの頃はよく久川の家に遊びに行っていましたから。今も久川からお姉さんの話は度々伺っていますが、なかなか会う機会がありませんでしたし」
千晶に座るよう促しながら向かいの席に腰掛ける青年の顔は、十四、五年前の坊主頭の中学生と被らない。
モモちゃん、変なこと吹き込んでないでしょうね……それにしても、こんなにかっこよくなったのかぁ。結婚したとは聞いてないけど、恋人はいるんだろうねぇ。若いものねぇ。
六歳下の弟の親友に、ついお姉さん目線でしみじみとしてしまったが、「中学生のとき以来」という言葉が印象に残る。
実は彼とはその後一度会っているのだが、そのことを忘れているようで千晶はホッとした。
十年以上前のことだし、忘れているだろうって思ったのは正解だったわ。万が一あの出来事を覚えられていたら、恥ずかしさのあまりここから逃げ出すところだったよ……。
心の底から安堵しつつ、千晶は苦笑いを浮かべる。
「お姉さん、はやめてくださいね。これからたくさんお世話になる予定ですから。よろしくお願いします」
「では、名前で呼んでもいいですか?」
「え?」
「名字だと、弟の方の呼び方とかぶってしまって、落ち着かないもので。ね、千晶さん。駄目ですか?」
その上目遣いは、あざとかわいすぎるでしょ……!
最近会話をした男性といえば、弟と友人の夫くらい。そんな枯れた生活で、六歳も離れた若い男の子に唐突に名前を呼ばれたら、胸くらいときめくのは仕方ないのではないか。
動揺をひた隠しにしながらも、目の前の彼をさりげなく観察する。こんなに人懐こいタイプだっただろうか。もっとぶっきらぼうだったような。
しかし、テーブルに置かれた書類の束を目にした千晶は、すぐに我に返った。
相手は仕事なんだから、ヒアリング=お客様予備軍に、愛想がいいなんて当たり前よね。
浮わつく心を落ち着かせ、千晶は穏やかに頷く。
「名前でいいですよ」
「じゃあ千晶さんも、僕のことを名前で呼んでくださいね。ご存じでしょうけど、うちの会社には片近が四人いるもので」
うーん、さすがに名前に「くん」付けは、馴れ馴れしいかな。これから色々と教わる身だし。楓はこの子のお母さんのことを「悦子先生」って呼んでたっけ。
「じゃあ、公一、先生……? あ、まだ誰が私の担当になるかわからないんでしたっけ」
「……それで、お願いします。では、まずペーパードライバー講習の内容を……」
一瞬、公一の笑顔が固まった気がしたが、何か気の触ることを言ってしまったのだろうか。千晶は自分の発言を思い返すが、特におかしなところはない。
「お話し中に失礼します。公一くん、まずはお客様に、お飲み物を選んでもらわないかい?」
不安になる千晶だったが、公一の分の水とメニューを持ってきたマスターの柔らかな笑顔で、心が少し軽くなった。
咳払いした公一が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません千晶さん。お決まりですか?」
「ええと、本日のコーヒーをお願いします」
「僕も同じものを」
「かしこまりました」
本日のコーヒーはキリマンジャロだった。別名タンザニアコーヒーと言い、やや強めの酸味と甘味が特徴的とされている。
マスターがカウンターに戻り、サイフォンの準備を始めた。ろ過器とフラスコ、布フィルターなどをセットする。物珍しさにその様子を眺めていると、公一が話しかけてきた。
「千晶さんは、コーヒーがお好きなんですか?」
「そうですね、毎日飲むくらいには。公一さんはマスターととても親しいですね。よく来られるんですか?」
イケメンとペンギンの組み合わせは、かっこよさとかわいさの相乗効果を生むだろう。ペンギンのぬいぐるみと戯れる公一を想像しながら、千晶は質問する。
「仕事でも使っていますし、ここの二階で働いていますから、休憩のときにいつも昼飯を食べに来ていますよ。実は、あのマスターが僕の叔父で。年の離れた父の弟なんですが、お互い独身で恋人もいないので、気楽に付き合える仲なんですよ」
「居心地が良い関係ですね」
「ま、お互い家族からやいのやいの言われているから、仲間意識が生まれたんだよね」
カウンターの中から、マスターが苦笑いを浮かべている。
こんなにモテそうな叔父と甥が、揃ってフリーだなんて! 理想が高いのか、別の理由があるのか。そこまでまだ親しくないから聞けないけど、ちょっと気になる。はあ、ゴシップ好きな性が憎い。
しかし、家族から色々と言われているのはどこも同じだと、千晶はマスターの言葉に深く頷く。
「よくわかります」
「私みたいなおじさんはともかく、あなたや公一くんはお若いのだから、まだまだ独り身を楽しんでもいいと個人的には思いますけどね」
「三十路を越えたら、周りも結婚したり子供ができたり、遊ぶ人もいなくなってしまって……」
「そういうときは行きつけのカフェを作って、一人の時間を楽しむのをオススメしますよ」
「まあ、営業上手ですね」
千晶とマスターは顔を見合わせて笑い合う。
ペンギンだらけの店内、美味しそうなコーヒーの香り、イケオジマスター……よし、常連客になろう。