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6.目白押し

今回はいつもより少し長めです。


タイトルの意味:多くのものが隙間なく並ぶこと。

 カランカラン。


「いらっしゃいませ」


 木の扉を開けると、カウベルの涼やかな音と共に、カウンターの中から四十代半ばくらいのマスターが笑顔で出迎えてくれた。

 年相応の渋さと物腰が柔らかそうな佇まいに、千晶の胸は思わずときめく。


 えんじ色の蝶ネクタイと白シャツがこんなに似合うなんて、かわいいとかっこいいのいいとこ取りで反則だわ……左手薬指に指輪なし……って、反射的に確認しちゃう自分、どうにかして。


 千晶は気を取り直して会釈する。


「こんにちは。片近ドライビングスクールのヒアリングで参りました、久川です」

「ああ、聞いていますよ。窓際のテーブルへどうぞ。今、公一くんに連絡しますから」

「ありがとうございます」


 指定された席におずおずと腰かけてから、千晶は周りを見渡した。


 平日の午後三時、数組の女性客がケーキセットを頼んで会話を楽しんでいる。軽やかなジャズが邪魔しない程度に流れていて、居心地が良さそうだ。カウンター横のガラスケースに並んだデザートもかわいい。


 それより何より目立つのが、店内の至るところに飾られた、ある動物のグッズである。


 カウンターに並んだサングラスを付けたぬいぐるみも、玄関横の壁に飾られた写真も、テーブルの上の砂糖が入った小物入れの柄も、よくよく見れば床の模様も。


 ペンギン、ペンギン、ペンギン、ペンギン!


 マリン系のインテリアで統一された店内は、どこを見てもペンギングッズであふれていた。

 ペンギンの目白押し、略してペンギン押しである。

 それでいて、オシャレさが損なわれていないのは、きっとマスターのセンスがいいからだろう。


 極めつけが、店の一番奥のテーブルだ。

 でっぷりした巨大な丸いペンギンのぬいぐるみが、二席分を使ってドンと鎮座していた。

 どうやら女の子二人組が同席しているようで会話が聞こえるが、こちらから見ると椅子に乗ったぬいぐるみの後ろ姿で、完全に彼女たちの姿が隠れていて見えない。


 ここは、カフェ「アプテノディテス」。

 コウテイペンギンやキングペンギンの生物学上の属名で、「翼のない潜水者」という意味を持つらしい。壁にかかっている黒板に店名の由来が書いてあった。


 カウンターから出てきたマスターが、千晶の前に水が入ったコップ(もちろんペンギンが泳いでいるデザインだ)をそっと置く。


「ペンギンばかりで驚いた?」

「ええ。でも、ペンギン好きなので幸せです」

「それは良かった。ヒアリングのお客様は、どの飲み物も一杯無料ですから、どうぞお好きなものをお選びくださいね」


 マスターが持ってきたメニュー(当然表紙は、外の看板と同じ赤い蝶ネクタイを付けたペンギンのイラスト)をパラパラとめくりながら、千晶はここに来ることになった経緯を思い出す。



 * * * * *



「ああ、この片近ドライビングスクールって、公一が働いている会社だな」


 楓の家へ遊びに行った翌日、もらったプリンとともにチラシを弟の百太に見せた。甘いものに目がない百太が早速スプーンを用意している。


「やっぱり。片近って名字、モモちゃんがよく遊んでる子と同じだし、車関係の仕事してるって話も聞いたことがあったから、思い出したの」

「十五年くらい前に、車の教習所の教官だった公一の両親が始めたんだよ。公一や妹の理子ちゃんも一緒に働いてるんだ」

「みんな片近さんだから、電話を取り次ぐときに大変そうね」


 以前の職場に、同じ名字の社員が二人いて、「男性の鈴木ですか? 女性の鈴木ですか?」と聞き直すことが何度もあった。


「このプリン、マジで美味いな。いくらでも食べられる」

「その片近ドライビングスクールが入っているビルの一階にカフェがあって、そこのテイクアウトなんだって。楓がヒアリングで訪れたときに買って帰ったら、のえるちゃんが気に入って、今でも頻繁に買いに行ってるそうよ」


 プリンをあっという間に食べ終わった百太が、千晶の手元をじっと見つめている。千晶は素知らぬふりで自分の分を食べ始めた。


 生クリームの下に少し固めのプリン本体と大人な苦味のカラメル。その三つが口の中で合わさり、絶妙な美味しさとなる。器にはペンギンマークがワンポイント付いていて、そのまま洗って飾ってもかわいいだろう。


 千晶の口に消えていくプリンを名残惜しそうに見ていた百太が呟く。


「楓さんが、公一のところのペーパードライバー講習を受けていたなんて、全然知らなかった」

「楓も生粋のペーパードライバーだったのに、私がドイツから帰ってきたら颯爽とワゴン車を乗りこなしてるんだもん。ちゃんとこういうところでおさらいしていたんだねぇ」


 楓によると、娘ののえるを保育園へ入園させることになったが、どうしても車でないと連れていけない距離だったそうだ。最初は夫の豊を助手席に乗せて練習していたが、夫の態度や言い方に腹が立ち、夫婦喧嘩にまで発展してしまったらしい。


 しょうがなくペーパードライバー講習を受けると、女性の先生(話を聞くに公一の母親らしい)が優しく丁寧に教えてくれ、今では隣県の楓の実家にも高速道路を使って帰省することができるそうだ。


「姉ちゃんが楓さんの家に行ってから、俺は公一と会ってたんだけど、姉ちゃんの地獄のような運転の話をしたんだ」

「ぐっ……変なこと言ってないでしょうね……」

「そしたら、一度ヒアリングだけでも受けてみるのはどうかって話になって」

「ああ、現状の運転に対する不安を聞いてもらえるんだって?」

「講習自体は金がかかるけど、ヒアリングは無料だし、話だけでも聞いてみてもいいんじゃない」

「そうねぇ……」


 千晶はチラシを見つめながら、残り少ないプリンをゆっくり口に運ぶ。


「姉ちゃんの運転は寿命が縮みそうになるから、俺としては受けてほしいけどね」

「お母さんも賛成〜」


 弟だけでなく、和室で仏壇の掃除をしていた母からも勧められ、千晶は腹をくくった。


「やるっきゃないか。独身のまま三十代半ばになるし、そろそろ私も変わらないとね」


 鉄は熱いうちに打てとばかりに、その日のうちに片近ドライバーズスクールに電話する。丁寧な応対をしてくれた女性職員に、電話か直接会ってのヒアリングのどちらがいいか聞かれた。直接会う方を希望すると、あるカフェに来るよう指示されたのだった。



 * * * * *



 持ち物としていわれていた運転免許証をぼんやり眺めながら、千晶は表情を曇らす。


 ああ、やっぱり不安だなぁ。お父さんの言うとおり、もっと乗っていれば良かった。免許取り立ての頃は、いつも一緒に乗ってくれたっけ。


 スマホを操作して、父の写真を探しだし、しんみりと思いを馳せる。


「こんにちは、久川千晶さん。お待たせして申し訳ありません。片近ドライビングスクールの、片近公一かたちかこういちです」


 明るい声に顔を上げると、落ち着いた雰囲気の好青年が微笑んでいた。

「目白押し」というより、「ペンギン押し」でした(笑)

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