25.のえるちゃんに会いに行こう!②
のえるちゃんは癒し。
「チーちゃん、コーくん!」
コインパーキングに車を止め、楓のマンションへ向かうと、のえるがエントランスから駆け寄ってきた。ピンクのリボンがたくさん付いた白いワンピースと黒いエナメルの靴がとてもかわいらしい。
千晶はしゃがんで腕を広げ、飛び込んできた小さな体を抱き締める。公一も、かがんでのえると目線を合わせた。
「ふふ、のえるちゃん、お迎えありがとう」
「こんにちは。今日はお誘いいただいてありがとうございます」
「きょうのチーちゃん、いつもよりかわいいふく、きてるー! コーくんは、やっぱりおうじさまみたい! うちのパパよりかっこいい!」
のえると千晶と公一がにこにこしていると、遅れて現れた豊が愕然とした表情で立ち尽くしていた。その横で、楓が面倒くさそうに自分の夫を眺めている。
「のえる、いつもパパのこと、世界で一番かっこいいって……うう、のえる……」
「はいはい。パパ、お客さんの前で落ち込まないの。のえる、危ないから一人で先に行かないで。公一先生、休日に強引に誘っちゃってごめんなさいね」
「いえ、僕ものえるちゃんに会いたかったので、楽しみにしてきました。ね、千晶さん」
「そ、そうですね」
公一が千晶に向かって優しく微笑むが、淡い恋心を自覚したばかりなので何だか気恥ずかしい。
コクコクと頷いて、できるだけ公一の顔を見ないように、のえると手を繋いでマンションへ向かった。
五階にある楓たちの部屋へ通され、勧められて公一と並んでソファーに座る。
車内より近い距離に千晶の心の中は上を下への大騒ぎだったが、コップを持ったのえるがトコトコと来たので、これ幸いと声をかけた。
「のえるちゃん、こっちで飲もうよ」
「うん! チーちゃんとコーくんのとなり! あーあ、ふたりに、ニャンコちゃんみせてあげようと、おもったのになー」
不自然に見えないように千晶は公一から一人分離れて、のえるを座らせる。心の平穏を保つことができたが、のえるが口を尖らせていることに首をかしげた。
「しょうがないでしょ。また後で探してみるから」
楓がキッチンから声を張り上げる。豊が昼食を作っているので、その手伝いをしているようだ。
「どうしたの?」
「気に入っていた猫のキーホルダーをなくしちゃったのよ。先週末まであったんだけど、どこにも見当たらなくて」
「そっか、早く見つかるといいね」
「のえる、後でパパも探すからさ。まずは、ランチにしよう。豊ズキッチン特製、ガパオライスと生春巻!」
黒のエプロンを着けた豊が、ダイニングテーブルの前で胸を張る。
洒落たカフェのような盛り付けのガパオライスは、バジルのいい香りに、パプリカの赤と目玉焼きの黄身が色鮮やかだ。生春巻も、海老や水菜などの具材がライスペーパーから透けて見え、食欲をそそる。
テーブルの上に並んだ料理を見て、公一が目を丸くした。
「わあ、美味しそう! 僕もたまに料理しますが、こんな本格的なの作れませんよ。お店みたいですね」
「そうだろそうだろ、もっと誉めてくれてもいいんだよー」
「調子に乗らないの。ほら、温かいうちに食べましょ」
文句を言いながらも、楓はにこにこ笑っている。その顔を見て、豊は一番嬉しそうだった。
千晶は二人を見て、いつもより羨ましくなってしまった。
主にのえるの保育園の話を聞きながら、楽しく昼食を食べ終える。
食事の片付けをしながら、千晶たちが買ってきたケーキと一緒にコーヒーを用意しようと冷蔵庫を開けた楓が、あ、と声を上げる。
「牛乳がなかったんだった。パパー、ちょっと近くのコンビニで買ってくるから、のえるをよろしくねー。千晶も付き合ってくれる?」
「いいよ」
今日は楓と二人きりで話す機会はないと思っていたので、丁度良かった。
上着をはおる千晶を見て、リビングの隣の空き部屋でのえると豊と一緒に写真を探していた公一が慌てて立ち上がる。
「それなら僕も荷物持ちに……」
「コーくんは、のえるのしゃしんをみるんでしょ! パパ、みつかった?」
「うーん、こっちかな?」
「それに、ママとチーちゃんは、おはなしがあるのよ。パパがいってたの。ママはチーちゃんとたのしくおはなしすると、やさしくなるよって」
余計なことを言うなとばかりに、楓がクローゼットからアルバムを取り出している夫の背中をジロリと睨み付けた。気付いた豊は、視線を泳がせながらてへっと笑う。
空気を読んだ公一が、残念そうに頷く。
「わかりました。お二人とも気を付けて行ってきてくださいね」
コンビニで必要なものを買い込み、マンションに戻る。
普段ほとんど料理をしない豊が、今日みたいにたまに何か作ると、褒めてオーラをあからさまに出すのが面倒だという、楓の愚痴を笑いながら聞きつつ、エレベーターの上ボタンを押した。
話の切りがいいので、千晶は改めて切り出す。
「あのさ、公一先生のことで、楓に話があるんだけど」
「うんうん、何かあった? 何でも話して……」
楓の楽しげな雰囲気を不思議に思っていると、後ろから足音が聞こえた。
「楓!」
自分の名前を呼ばれたわけではないのに、金縛りのように体が動かなくなった。
真っ青になる千晶を、すぐさま楓は自分の背中にかばった。身長差があるので隠しきれるわけがないのだが、千晶にはその優しさが嬉しかった。
声をかけてきた人物は、ガサゴソと何かを取り出している。
「ちょうど良かった。俺のカバンにのえるのキーホルダーが入ってたみたいでさ、今朝気付いたんだよ。先週遊びに来たときに、間違えて入ったのかもな。近くに用事があったから持ってきた……って、え? 楓の、後ろにいるの、って」
「助かりました、ありがとうございました。では、来客中なので失礼します」
楓は早口で返事をしながら、千晶の背中をそっと押してちょうど降りて来た無人のエレベーターに乗せるが、ドアを押さえられてしまう。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 頼むから話を聞いてほしいんだ! 本当に、ずっと謝りたくて……」
「はいはい、近付かないでくださいねー。豊さんの友達でも、のえるがなついていても、私の地元の先輩であっても、"千晶の親友"の私にしたら、あなたは最低最悪な身勝手自己中男なんですから」
「うっ……それは、そうなんだけど……いや、誤解もあるんだって! なあ、千晶!」
楓が冷たく言い捨てて、エレベーターの閉まるボタンを何度も押すが、ドアの間に体を挟み込まれてしまったようで、なかなか動かない。
なりふり構わない相手の必死な様子に、千晶は深くため息をつきながら振り返った。
「エレベーターが壊れますから、やめてください……直哉さん」
どうしても暗い声になるのは、仕方ないことだろう。
十二年前コンビニに置き去りにされた元恋人と、再会してしまったのだから。
修羅場ですが、激しくはなりませんので、ご安心くださいませ。




