23.竹馬の友(side:百太)
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ダイニングバー「KUKU-BAKUBAKU」。
駅から少し離れた、飲食店が多数入るビルの8階にある和モダンな居酒屋だ。店内は畳敷で個室が多く、隠れ家的な雰囲気が人気である。
百太がエレベーターから降りると、レジで作業していた女性店員から明るく声をかけられた。
「いらっしゃいませ! 『KUKU-BAKUBAKU』へようこそ!」
「すみません、片近で十九時から予約しているんですけど」
「はい、お連れ様は先にいらしていますので、お部屋までご案内しますね」
何度か来ているが、穏やかで丁寧な店員の対応はいつも好感が持てる。
百太は靴を脱いで、店員の後に続いた。ちらりと辺りを見ると、客層は学生よりも社会人が多く、オープンになったテーブル席では、スーツ姿の男性たちがゆったり寛いで酒を酌み交わしている。
「失礼致します。お待ちのお客様がいらっしゃいました」
「百……久川、お疲れ。先に頂いてるよ」
「悪い、帰りがけに上司に捕まって遅れた」
掘りごたつの個室に通された百太は、ジョッキを傾ける公一に頭を下げた。
「いや、俺が誘ったのが急だったから、気にしないで。百……久川も、ビールだよね」
「ああ」
「すみません。生ビール二つと、串盛りと、本日の刺身のシマアジ、トマトと豆腐のカプレーゼ、お願いします」
「はい、かしこまりました。少々お待ちくださいね」
公一の注文を聞いた店員は、静かに障子を閉め、厨房へ戻った。百太はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩める。
「そうだ、百……久川、急な呼び出しだし、結婚祝いも兼ねて、今日はおごるから好きなもの頼んでいいよ」
「じゃあお言葉に甘えて……って、そんなことよりも、何回俺の呼び方を噛んでるんだ。いい加減、今まで通り名前で呼べよ」
「いやだって……」
「そんなんじゃ、絶対他の場所でも言い間違えてるぞ。もう元に戻せって。全く……いくら姉ちゃんを『千晶』って名前で呼びたいからって、親友の俺を名字で呼んでるなんて嘘、つくか?」
「ぐっ……」
百太が呆れた視線を送ると、公一は言葉を詰まらせる。
トントン、と障子が叩かれ、店員がビールとお通しを持ってきた。
二人は仕切り直しとばかりに軽く乾杯をする。
一気に半分までジョッキの中身を空けた百太は、本題を切り出す。
「ふう、美味い。それで、今日はどうしたんだ?」
「うん……千晶さんのことなんだけど、昨日から様子が変わっていなかった?」
「昨日って、お前と教習だっただろ? そういや何か俺に聞きたいことがあるようなそぶりをしていたけど……あっ、まさか姉ちゃんに告白したのか!」
「ぶほっ!?」
公一がむせこんでいるが、そんなことはどうでもいい。百太はグビグビとビールを全て飲み干し、ダンッと音を立ててジョッキををテーブルの上に置いた。
「過去に数回顔を合わせただけで、お前と姉ちゃんはほとんど初対面なんだぞ。教習が全て終わってから、改めてアプローチするって言ってただろ。せっかく車の運転をする気になってるのに、動揺させてどうすんだよ」
半年前、姉の千晶が仕事を辞めてドイツから日本へ帰ってきたと話したとき、初めて公一から姉への長年の思慕を打ち明けられた。
中学で出会ってから今まで、お互いに恋の話をしてこなかったので、百太はとても驚いたものだった。何故か、現在の婚約者である当時の恋人と結婚を考えていると、口を滑らすほどには動揺もした。
憮然とする百太に対して、公一が慌てて首を横に降る。
「ち、違う違う。俺だってそれくらいわかってるって。そうじゃなくて、実の両親が亡くなっていて、叔父夫婦に引き取られたって話をしたんだよ」
「ああ、なるほど。もしかして、ちゃんと説明しなかったのか?」
毒気が抜かれた百太は、神妙な顔でお通しに箸を伸ばした。色々なきのこのバター醤油炒めの甘辛な味に、酒が恋しくなる。空になったジョッキをテーブルに端に寄せながら、メニューを手に取った。
「うん、帰り際にちょっと話しただけだから……。実際は、仕事で海外を飛び回っていた実の両親のことはたまに会う親戚くらいの感覚だったとか、物心ついたときからずっと預けられて面倒を見てくれた良和さんたちを『家族』だと思っていたとか、説明が長引きそうで」
公一はうかない表情を浮かべるも、百太が呼んだ店員が料理を持って現れたので、すぐに営業スマイルで対応する。
ひとまず話は保留にし、二杯目のビールと美味しそうな料理を味わう。
熱々のねぎまの串を取りながら、百太は呟いた。
「ちゃんと公一の事情を知らないと、単純にデリケートな話を聞いてしまったって、姉ちゃんなら気にするだろうなぁ」
「悪いんだけど、百太さ、千晶さんに話しておいてくれる? 俺が元々疎遠だった実の親より、今の家族を大切にしてるって」
「わかった」
ようやく安堵の表情になった公一は、あぶらののったシマアジの刺身を美味しそうに口に運んだ。
その後は、来週末に迫った百太の引っ越しの話で盛り上がっていたが、酒も進んだ頃、公一がポツリと切り出す。
「……あのさ」
「ん?」
「その、友達が自分の姉に好意を寄せてるのって、どう思ってる? なんか、ちゃんと聞いたことがなかったって、思って。やっぱり気まずいのかな、って」
自分から視線を外す友人に、焼酎のグラスをテーブルに静かに置いた百太は、本心からの思いを口にした。
「良かったと思ってる」
「え?」
「姉ちゃん男運がなさすぎるから、ずっと心配だった。大学生のとき彼氏にフラれて駐車場に置いてきぼりにされるとか、既婚者に言い寄られるとか、前のドイツ人の彼氏なんか結局付き合ってもなかったって、不憫過ぎるだろ。公一なら俺もよく知ってるし、ちゃんと姉ちゃんのことを大切にしてくれそうだし」
何故、姉の恋愛遍歴を知っているかというと、ドイツから帰ってきた日に本人が自らぶちまけたからだ。
普段は悩みや怒りを抑えて気遣い上手な姉だが、気が緩んだのだろう。五年分の大荷物を背負い込んだまま、玄関のたたきに崩れ落ち、おいおいと声を上げて泣き叫んだ。
「どうして私ばかりこんな目に合うの!」と。
六歳も年が離れていて、ずっと大人でしっかりしていると思っていた姉の姿に、百太は痛ましく思った。
そして、いつも優しい姉のことを大切にしてくれる男が現れるようにと、心から願った。
その候補が、目をキラキラさせてモスコミュールが入ったグラスを掲げている。
「義弟よ……!」
「まあ、姉ちゃんの恋愛に対する心のガードはめちゃくちゃ堅いからな。義弟になれなくても親友はやめないから、骨は拾ってやる。頑張れよ」
百太は再びカシャンと軽くグラスを当て、笑ったみせた。
次回、千晶と公一がのえるちゃんに会いに行きます。




