22.教習三日目③
ペンギンカフェを出た千晶と公一は、テイクアウトしたホットコーヒーを片手に、隣接する駐車場へ向かった。入口近くの駐車スペースに停められた黒のワゴン車の横を通りすぎると、
「あれ、千晶ちゃん?」
ワゴン車から降りてきたのは、楓の夫の豊だった。黒縁メガネにモノトーンのブランド服をさらりと着こなす彼は、一見職業不詳に見えるが、一級建築士として建築事務所で働いている。
「豊さん! 今日はお仕事お休みですか?」
「いや、休憩中なんだ。楓に頼まれて、『アプテノディテス』のプリンを買いにね。千晶ちゃんこそどうしたの? そちらの方は……」
親しげに駆け寄った千晶は、豊の視線を追いかけて振り返る。口元は笑顔なのに目つきは鋭い公一が佇んでいた。
公一先生、何だか不機嫌そう……?
「ええと、ペーパードライバー教習でお世話になっている、片近公一先生です。こちらは、楓の旦那様で私の大学の先輩でもある、橋本豊さんです」
「そうでしたか。初めまして、片近です。奥様には弊社をご利用頂きまして、ありがとうございました。のえるちゃんはお元気ですか?」
千晶の紹介を聞いて、公一が満面の笑みを浮かべる。先程まで見せていた敵意のようなものは跡形もなく消え去っていた。この一瞬で何があったのか、千晶にはわからなかった。
豊は顔をパッと明るくした。
「ああ! 君が噂の『コーくん』か!」
「噂?」
「先週、パン屋で楓とのえるに会っただろう? のえるが『コーくん、王子様みたいだった!』って、毎日のように話すからさ。公一くんは、今時のイケメンって感じでかっこいいねぇ。運転恐怖症の千晶ちゃんを毎日運転させるまでにするなんて、本当にすごいよ!」
「いえ、そんな。千晶さんがとても頑張っているからですよ。僕はサポートさせてもらっているだけなので」
学生の頃から「社交性の塊」「コミュニケーションの鬼」と称される豊が、初対面の公一を褒め称える。この距離の詰め方が、豊の老若男女を問わない人脈の広さに繋がっているようだ。
謙遜する公一に豊は笑みを深め、思い付いたように声を上げる。
「そうだ、二人とも、今週の土曜日って空いてる?」
「私は特に予定はないですけど……」
「良かったら、うちに遊びに来ない? のえるがピアノの発表会で演奏した曲を聞いてほしいんだって。お昼は俺の特製ガパオライスをごちそうするよ」
「僕も、いいんですか?」
戸惑い気味の公一に、豊が力強く頷く。
「もちろん! 公一くんって百太くんの親友なんだってね。最初は、千晶ちゃんから百太くんと公一くんを誘ってもらおうと思ってたんだけど、こうして会えたからさ、二人でおいでよ」
「ちょっと豊さん、私はいいですけど、一方的に決めたら公一先生のご迷惑に……」
「喜んで、千晶さんと二人でお伺いします。のえるちゃんによろしくお伝えくださいね」
苦言を呈する千晶の言葉にかぶせるように、公一は爽やかに言い切った。豊が気安く公一の肩を叩く。
「のえるが喜ぶよ、ありがとう! 良かったら、公一くんの連絡先を教えてほしいな。千晶ちゃんと公一くんは、お互い知ってるから大丈夫だろうけど、当日までに何かあるかわからないし」
「私は何かあったらドライビングスクールに直接電話してますから、個人的な公一先生の連絡先は知らなくて……」
「そうなんだ、じゃあ一緒に交換しておこうよ。公一くん、いいかな?」
「はい、大丈夫です」
公一先生が豊さんのことを尊敬の眼差しで見ている気がする……コミュニケーション能力の高さに感動してる、とか? それに豊さん、家に呼ぶのは信頼できる人だけって以前言ってたけど、この数分のやり取りで公一先生の何がその基準に至ったんだろう。何だかわたしだけ置いてきぼりだわ……。
話についていけない千晶は、楽しそうにスマートフォンの画面を見せ合う公一と豊から急かされ、のろのろと自分のスマートフォンを取り出した。
* * * * *
家の近くの月極駐車場に戻り、スムーズにバックで駐車する。千晶はホッと一息ついてエンジンを切った。
公一が手元の評価表にサラサラと書き付け、顔を上げる。
「では、本日の教習はこれで終わります。お疲れさまでした。次回はまた一週間後ですね」
「はい、ありがとうございました」
車の外へ出た二人は駐車場の入口に向かう。初回の教習終わりに、駅へ用があった公一が同じ方面にある千晶の家まで送ってくれて以来、以降の教習終わりも何故か一緒に帰ることが恒例となっていた。
隣を歩く公一に、千晶はおずおずと切り出す。
「来週の土曜日のお昼、豊さんが一方的に決めちゃった感じですけど、お忙しかったら私からお断りしておきますから遠慮なさらず……」
「いえ、大丈夫です。当日は、自宅まで車で迎えにいきますね。豊さんの家まで、案内していただけると助かります。時間などはまた連絡しますから」
「は、はい。よろしくお願いします」
千晶のささやかな申し出は公一のキラキラの笑顔でさらりと流され、当日の約束をさらりと取り付けられた。
本当に迷惑じゃないのかとチラリと様子を伺うも、公一の口角は上がりっぱなしで、気を使って渋々了承しているようにはとても見えない。
何でこんなに嬉しそうなんだろう。のえるちゃんに会えるのが楽しみだから? うーん、よくわからないけど、公一先生がいいならまあいいか、うん。さてと、のえるちゃんへの手土産は何にしようかなぁ。
深く考えることを諦めた千晶に、今度公一がポツリと呟いた。
「今更ですが、先程カフェでは騒がしくて本当に失礼しました」
「ふふ! いえいえ、楽しかったですよ。そういえば公一先生って、片近社長よりもマスターに顔立ちが似ていますね」
悦子、良和、正和と公一とのやり取りを思い出して、千晶は思わず笑ってしまった。しかし、本当に済まなそうにしている公一の様子に、気にしていないという意味であえて話を振る。
「そうかもしれませんね。正和さんは、うちの社長と僕の実の父親と合わせたような顔立ちですから」
「実の?」
戸惑う千晶をよそに、公一が立ち止まる。いつの間にか家の前だった。
公一は千晶の目をじっと見つめ、柔らかく微笑んだまま口を開く。
「僕が幼い頃、実の両親が交通事故で亡くなりまして。一人っ子だったので、父親の兄である社長……良和さん夫妻に引き取られたんですよ」




