21.教習三日目②
更新が不定期になります。大変申し訳ありません。
必ず最後まで書き上げます、それだけはお約束します。
やる気みなぎる千晶を乗せた車は、月極駐車場内を低速で走り、駐車スペースに入れることを繰り返した。
何故車体が左右に寄ってしまったのか、その状態から切り返しを最小限にして停車させるにはどうしたらいいか、その都度公一から助言をもらい、次の駐車に生かす。
しばらくして、スムーズに駐車スペースに停められる回数が増えてきた千晶に、公一が腕時計を確認して切り出した。
「今日の教習はあと残り一時間を切りましたが、せっかくですからここ以外の駐車場でも停めてみませんか?」
「そうですね。今の感覚を忘れないうちに、他のところでも駐車してみたいです。どこがいいかなぁ……あっ、あのお店!」
「ど、どこでしょう?」
千晶は思わず助手席に身を乗り出した。自分の思い付きに夢中になっていたため、公一が頬を赤くして言葉を詰まらせていたが、それを不思議に思うことはなかった。
* * * * *
カランカラン。
「こんにちは、正和さん……うわっ」
「公一先生、どうかされました?」
ペンギンだらけのカフェ「アプテノディテス」のドアを開けた公一が、低く唸った。
不思議に思った千晶も続いて公一の背中越しに中を覗き込む。すると、マスターである正和と、カウンターに並んで座っていたスーツ姿の壮年の男女が一斉にこちらを振り向いた。
「いらっしゃいませ……って、あれ、公一くんと千晶さん?」
「あの女性が、例の?」
「あらまあ、噂をすれば! 千晶ちゃん、お久しぶり!」
「はあ、出張から帰っていたのか……。千晶さん、こちらが弊社の社長の片近良和と、教官の片近悦子です。悦子先生とは、会ったことがあるんですよね」
いつもの爽やかさはどこへやら、公一がげんなりとした顔で二人を紹介した。
良和はさっと立ち上がり、千晶の前へ進み出る。悦子は席に腰かけたまま満面の笑みで手を振っていた。
わあ、社長ってクールメガネダンディ! 悦子先生は相変わらず朗らかで癒されるー! このお二人が公一先生のご両親かぁ……ってそれより、「例の」「噂をすれば」って、もしかして私の教習が公一先生の教官としての評価に関わる、とか? よしっ、ここはしっかりアピールしておかないと!
千晶は内心気合いを入れて、良和から差し出された名刺を受け取る。
「初めまして、片近ドライビングスクール代表の片近良和です。こちらの公一は、今年の春から新任の教官として配属になりまして、まだ経験も浅いですが、ご迷惑おかけしていませんか?」
「久川千晶です。公一先生にはとてもお世話になっております。丁寧に指導してくださったおかげで、運転への恐怖感が薄れました。今日は車庫入れの練習で、このビルの駐車場に停めさせて頂きました」
「それは良かったです。どうぞいつでも駐車場をご利用ください。これからも、よろしくお願いしますね」
良和が安堵したように微笑む。一見冷たく見えるほど整った顔立ちが柔らかく綻ぶさまは、まさに「ギャップ萌え」だった。
いいものが拝めたとほくほくする千晶は、ふと隣の公一に視線を移して驚いた。きゃっきゃと盛り上がる悦子と良和に見て、気まずそうな顔でため息をついていたからだ。
へえ、公一先生もこんな顔するのねぇ。やっぱりご家族の前って恥ずかしいのかな。モモちゃんも、私とお母さんが婚約者さんの前で色々話しているとき、同じ顔してたし。いつも落ち着いていて年の差を感じさせない公一先生だけど、年頃の男の子って感じですごく新鮮。ふふ、何だかかわいい。
にこにこと口元を緩める千晶に、悦子が身を乗り出して話しかけてきた。
「ねっ! 千晶ちゃん、毎日のように運転しているんですってね! すごいわぁえらいわぁ!」
「悦子先生、お久しぶりです。今までが今までなので、そんなに誉められたことではありませんから」
「運転の上達のコツは、とにかく乗ることなんです。だから、毎日運転するのが大切なのですが、なかなかそうもいかない生徒さんが多くて。千晶さんのように意欲がある方は素晴らしいですよ」
「あ、ありがとうございます」
絶賛する悦子に対して苦笑いを浮かべるも、良和からも肯定されて、千晶はこそばゆくなる。
対して、公一がぶつぶつと溢す。
「何でみんな千晶さんのこと名前呼びなんだよ……正和さん、テイクアウトのメニューお願いします。千晶さん、二人のことは放っておいていいですから、コーヒーを選びましょう」
「はい、これね」
正和が含み笑いしながらメニューを取り出した。ペンギン柄がちりばめられた表紙を裏返すと、ブレンドコーヒーやアイスコーヒー、カフェオレなど並んでいる。
悦子は眉を下げて千晶に謝った。
「そうよね、練習中なのよね。ごめんなさいねぇ、千晶ちゃん。どうぞ選んできて。でもね公一、生徒さんの生の声を聞くのは、うちの会社のサービスを向上させる意味でも必要なのことなのよ」
「それはわかりますが……」
キリッと顔を引き締めたベテラン教官の言葉に、公一は渋々肯定する。悦子は表情を崩さずに頷く。
「そうだ公一、卵と牛乳と食パンがないから、帰りに買っておいてくれる?」
「……え、買い物? そんなの、有休取ってる理子に頼めばいいだろ……」
「理子は結婚式の打ち合わせがあって、帰りが遅いそうだ。イチゴジャムも頼む。あのチェックの蓋のガラス瓶のやつ」
「社長まで……はあ、もう、わかったよ……」
悦子のように凛々しい表情で良和が付け加えると、公一はガクリと肩を落とした。敬語も忘れて親しげな言い方になっているが、その情けない声音に千晶は思わず噴きだす。
「ふふっ!」
「千晶さん……」
「あ、ごめんなさい。家族仲がいいなって、微笑ましくなっちゃって」
「あはは! 何でも器用にこなす公一くんも、良和兄さんと悦子義姉さんには敵わないからねぇ」
正和がグラスを磨きながら朗らかに笑った。良和と悦子は、すでに別の話題で盛り上がっている。
そんなカウンターの二人を恨めしそうに一瞥し、公一は近付いてきた千晶にメニューを渡す。
「どうぞ、千晶さん。本当に騒がしくてすみません。もう、毎日こんな感じで。仕事の真面目な話をしていたかと思えば、終わった途端にこんな調子で、他の社員に笑われてばかりですよ」
「元々、良和兄さんと悦子義姉さんが車の教習所に勤めてたときの同僚と立ち上げた会社だから、みんな知り合いで仲が良いんだよね」
「そうなんですね。私、転職活動中なので、こんなアットホームな職場に憧れます」
お世辞でもなく、本心からの言葉だった。
仕事をしていく上で、人間関係は大事だ。千晶の前職の旅行会社も、同僚たちとの関係は割りと良好だった。ドイツ人男性との一方的な失恋や父の死などが重なり、精神的にダメージを受けた千晶の希望通り、ドイツ勤務から日本へ戻してくれれば、今でも同じ仕事をしていただろう。
市役所で上手くやっていけるといいけど。まだ受けてもないけど。それよりも試験勉強や面接対策が先だけど。
「まあまあ! じゃあうちで一緒に働きましょうよ!」
「いつでも大歓迎だよ」
「ちょっと本当にもう黙っててくれる!?」
千晶の言葉が聞こえたのか、悦子と良和が声を上げる。
公一の悲鳴にも似た声に、千晶は正和と顔を見合わせて笑った。




