17.教習二日目①
最初の教習から一週間後、二回目の教習の日になった。
千晶は約束の時間ギリギリに慌てて玄関を出る。取り寄せた専門学校の資料を確認しているうちに、熱中してしまったことが原因だ。
そもそも、何故ペーパードライバー教習を受けようとしたのか。
それは、地元市役所の公務員試験の社会人枠に挑戦するための準備なのだ。
最初は独学で取りかかろうと思っていた公務員試験だが、一次の教養科目の範囲が広すぎて、どこから手をつけていいのかわからない。そこで、残り少ない貯金をはたいて専門学校へ申し込む算段なのである。
『姉ちゃんは一次試験が肝心だから。そこさえ通れば、長年の旅行会社での社会人経験から、面接なんてどうにでもなる。今は学力よりも人間力を見てるから、一次である程度ふるいおとせば、あとはコミュニケーション勝負だから』。
モモちゃんはそう言うけどねぇ、社会人枠だから、みんな同じような経験積んできてるでしょ。現役の地方公務員の生の声は貴重だけど、やっぱり市役所ごとに合わせた面接の作法は学んでおかないと。
つらつら考えながら、急いで駐車場へ向かうと、すでに公一が待っていた。
「おはようございます。お待たせしてすみません!」
「おはようございます、千晶さん。焦らなくても大丈夫ですよ。今日もいい天気で良かったですね。あれから車には乗りました?」
公一の爽やかな笑顔につられて、千晶も微笑みながら一週間の成果を報告した。
「母や弟にお願いして助手席に乗ってもらって、家から駅までの道や近くのコンビニまでとか、一日一回は乗るようにしました。駐車はまだ怖くて、代わってもらいましたけど……」
「乗る機会が増えたのはとてもいいことですね。それで今回は、よく行くスーパーとパン屋へのルートの確認でよろしいですか?」
車で行けるようになりたい場所は、ヒアリングのときに伝えていた。
最寄り駅、スーパー、パン屋、図書館、海、そして父が眠る山寺。
その中の大型スーパーと一軒家のパン屋は、どちらも友人の楓が住む隣市にあり、その道中は交通量の多い国道を使い、苦手意識の強い二車線や合流が待ち構えている。
「はい! パン屋さんの近くには友人家族が住むマンションもあって、毎月のように遊びに行くので、車で行けるようにアドバイスをいただきたいです」
「わかりました。お店には寄りますか?」
「いえ、まだ駐車に自信がないので、まずは行き方だけわかれば大丈夫です」
「それでは、どちらのお店にも広めの駐車場があるようなので、ぐるりと一周して出ましょう。駐車料金はかからないようですし。早速行きましょうか」
助手席に座った公一がフロントガラスの左側の端に目を留めた。
「あ、これ……」
「頂いたペンギンのぬいぐるみは、ここに置くことにしました。急発進や急ブレーキで転がってしまうので、その防止にもなってます。本当にかわいくて、お気に入りなんですよ」
前回の教習終わりに、公一が予約特典のぬいぐるみを手渡してくれた。それは丸いフォルムに丸いサングラスが特徴の、手のひらサイズのペンギンのぬいぐるみだった。
ペンギン好きの千晶は大喜びで車に乗せた。ぬいぐるみのぽてっとしたフォルムには癒されるし、手渡してくれたときの公一の優しい笑顔を思い出すので、気を張り過ぎずに落ち着いて運転ができる。さすがに本人に伝えるのは恥ずかしいので、言うつもりはない。
公一は千晶の言葉に感心したように頷いた。
「それは安全運転にいいアイデアですね」
「そういえば、このペンギンって名前はないんですか?」
「特に決まったものはないのですが、社員たちから『まんまる』と呼ばれることが多いです」
ぬいぐるみを後ろから見ると確かにまんまるだ。千晶は思わず呟く。
「まんまる……そっか、ぺんどらより、まんまるのほうがかわいいな」
「ぺんどら?」
「片近ドライバーズ・スクールって、ペンギンドライバーズ・スクールって呼ばれてるって聞いて、省略して『ぺんどら』って呼んでいたんですけど……あはは、三十四歳にもなってぬいぐるみに名前を付けるなんて、痛々しいですよね……」
苦笑しながら、声がどんどん小さくなってしまう。説明しながら、いい年をした大人がやることではないと、千晶は恥ずかしくなった。
しかし、公一は柔らかな笑顔を浮かべ、「ぺんどら」の頭を指の先でそっと撫でる。
「弊社のマスコットキャラに愛着を持ってくださって、ありがとうございます。よし、ぺんどらも、千晶さんの運転を応援しような」
「公一先生……」
「それでは、まずはスーパーから向かいましょうか」
「はい」
公一先生って本当に優しい。フォローが全然押し付けがましくなくて、あくまでも自然で。生徒には誰でもこんな対応してるのかなぁ? 私みたいにビジネストークだってわかっている人ならともかく、自分のことを好きなんだって勘違いする人が出ても、おかしくないよね。モモちゃんを通して、夜道で後ろから刺されないように気を付けてって、伝えてもらわないと。
公一の対応に感心しつつも、余計な心配もしてしまう。しかし、まずは運転に集中しないといけない。
安全運転。焦らず落ち着いて。危ないところはゆっくりと。
口には出さず、心の中で唱える。ここ最近始めた、アクセルペダルを踏む前の習慣である。
千晶はゆっくりとブレーキペダルから足を離した。




