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11.親しき仲にも礼儀あり

タイトルの意味:親しい間柄では、ことさらに礼儀を忘れずに接するべきである。

 公一がメールをアウトプットした紙を千晶に差し出し、ある箇所を指差した。


「それでは早速、ご相談したいことが。大変申し訳ありませんが、こちらの事前にメールでいただいていた日程では、ご希望の担当教官との予定が合わないんですよ」


 日程は父の一周忌に間に合うように、担当教官は楓から勧められた一番人気の人に頼みたいと思っていた。


「千晶さんとしては、どちらのほうが優先順位が高いでしょうか?」

「うーん、日程ですね。転職活動もありますし、一周忌も近いですから」

「なるほど……では、こちらからの提案なのですが、担当教官の候補に『片近公一』を考えてもらえませんか? 実は、今年の四月から事務員から実務指導になったばかりなんですけど」

「え?」


 このヒアリングだけだと思っていた千晶は驚いた。公一が熱っぽい表情で続ける。


「経験が浅くて不安や不満などもあるでしょうが、社内規定に則って実技研修を重ねていますし、手前味噌ですが経験豊富な他のスタッフからも、運転技術やお客様対応を認められています。まだ数件ではありますけど、僕との教習を終えたお客様からのアンケートの結果も悪いものではなく……」

「いえ、能力的なことを疑っているわけではなくて、私のこと、教えづらくないですか?」


 千晶は旅行会社に勤めていたとき、数人の知人から予約の際に特典を付けてほしいとしつこく頼まれたことを思い出す。割引、ホテルのグレードを上げる、食事を付ける等々。特に普段から連絡を取り合っていたわけではない人のほうが、よりねだる率が高かったのが不思議だった。


 自分がそんな嫌な客になるつもりは決してないが、親友の姉(しかもあまり交流がなかった)という近いようで遠い微妙な相手では、気を使って面倒ではないだろうか。これまであえて公一に敬語を使っていたのは、余計な親しさを見せないほうがビジネスライクに接せられて彼が楽だろうと考えていたのだが。


 恐る恐る問いかけた千晶に、公一は自分の胸に手をあてて真剣な顔を見せる。


「僕は願ってもないことです。千晶さんの不安を全て解消したいと思っていますから。どうか、僕を選んでもらえませんか?」


 イケメンで口が上手くて熱意あふれる態度。これはモテるだろうなぁ。運転に関する不安を解消したいとか、教官として僕を選んでもらえないかとか、すごい口説き文句。やっぱり顧客が多いほど営業成績に直結するだろうからねぇ。


 公一のキラキラ笑顔と真摯な態度は、仕事熱心さからくるものだと、千晶は納得した。運転技術も大切だが、相談に乗ってくれる人当たりのいい彼を断る理由は特にない。


「わかりました。公一先生、これからよろしくお願いしますね」

「ああ、良かったです。では、これから書いていただくいくつかの書類について、ご説明しますね」


 すっかり冷めたコーヒーを一気に飲み干した公一が、にっこりと笑顔を見せた。





 夕食後のリビングで今日もらった書類を確認していると、百太が帰って来た。残業が続いていて疲れているのか、足取りは重い。


「はあ、ただいま。母さんは?」

「お風呂。ごはん食べる? 温めようか?」

「ん、頼む」

「今日はお姉ちゃん特製の、ツナとひじきの炊き込みごはんと、具だくさん豚汁だよ」

「おー」


 のそのそと部屋に戻るがたいのいいうしろ姿は、まるで熊のよう。小柄でかわいい弟の婚約者とのなれそめを思い出す。


 まさか、モモちゃんが拾った白いイヤリングがきっかけでお付き合いが始まったなんて。お礼に踊ったのかなぁ。


 ふふっと笑い、有名な童謡を口ずさみながら、鍋に火をかける。炊飯器からごはんをよそい、冷蔵庫からサラダや漬け物を取り出してテーブルにセットすると、部屋着に着替えた百太が現れた。


「何これ。ああ、公一の会社のか。ヒアリングどうだった?」


 百太がテーブルの端にまとめていた書類を一枚取り上げた。


「うん、話せてよかったよ。片近くんが教習の先生になった」

「え? 姉ちゃんはともかく、公一はやりにくくない?」

「私もそう思ったけど、片近くんが立候補したんだよ。ねえ、モモちゃんに聞きたかったんだけど、片近くんってモテるでしょう。かっこいいし、優しいし、話上手で聞き上手だし」


 百太の前に山盛りの豚汁を置いて、千晶は書類を集めてソファーへと移動する。百太が手を合わせてきちんと食事の挨拶をしてから箸を取る。豚汁がみるみるうちになくなっていった。


「顔がいいから、いろんな女の子から告白されてたよ。ほとんど断ってたけど。あいつ普段は淡白だから、ミステリアスに見られてるんだよな。高校生になってからやけに落ち着きだしたし」

「え、そうなの? すごく愛想よくて冗談も言ってて、淡白には見えなかったけど」

「そりゃあ仕事なんだから、多少とりつくろうだろ。客商売は信用と評判が命だって聞くから」

「それはよくわかるわ」


 千晶は深く頷いた。以前旅行会社に勤めていた経験があるので、相手によってフレンドリーに対応したり、あくまでも下手にでたりして、情報を聞き出してプランを勧めていたからだ。


 炊き込みごはんをおかわりした百太が、箸を止めて呟く。


「そういや公一って、中学のときにつき合ってた年下の子と大学卒業後に寄りを戻して、一年くらいで別れたんだよな。それ以外では、彼女の話を聞いたことがないかも」

「あら、一途なのね。それか理想が高いとか?」

「何年か前に飲んだとき、へべれけだった公一が『ずっと昔から片思いしてる。別の子と付き合ってみたけど、その人が忘れられない。』ってわめいてた」

「あまーーい!!」


 思わずどこかの芸人の突っ込みのようになってしまったが、公一の素直な恋心に心がときめく。


 あんなに優しい子だから、幸せになってほしいなぁ。長い片思いが報われてほしいよ。はあ、ずいぶんご無沙汰だけど、やっぱり恋っていいなぁ。んん、次に会うときに照れないようにしないと。


 公一の恋愛成就を願いつつ、彼の教官としての立場のためにも、百太から普段の姿を聞くのはやめようと心に決めた。

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