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10. 思い立ったが吉日

タイトルの意味:何かをはじめようと思い立ったら、すぐに着手するのがよい。

 店の外を老夫婦が歩いていた。何か面白いことがあったのか笑い合っている。平日の昼下がりの穏やかな光景だが、千晶は胸が締め付けられそうになった。


 お父さんも、あと少しで定年だったのにね。仕事辞めたら、百太を荷物持ちで、私を添乗員でそれぞれ雇って、お母さんとヨーロッパ周遊するんだーって、張り切っていたのにね。


 千晶は感傷的な心を切り替えようと、努めて明るく切り出す。


「改めて、父のためにお線香をあげに来てくれて、ありがとうございました」

「そんな、こちらこそ通夜や葬儀に参列できず、本当に申し訳ありませんでした」


 俯く公一の声には悔しさがにじみ出ていた。


 千晶の父が亡くなったとき、公一は一週間に一度しか船が来ない離島で一人旅をしていたそうだ。ずっと楽しみにしていた旅を満喫してほしいという百太の配慮で、公一が地元に帰ってきてから訃報の連絡をしたらしい。


 仕事を辞めるつもりでいた千晶は、葬儀が済んで早々にドイツへ戻り、手続きや話し合いをしていたため、家に焼香しに来た公一の話は後日聞いていた。


 千晶はゆっくりと首を横に振る。


「謝ることじゃないですから。百太は、あなたなら無理してでも離島から帰ってこようとして危ないって、言ってました。後から訃報を知らせたとき、あんなに怒った公一は中学からの付き合いでも初めて見たって」

「それは、その、百太や千晶さんが大変なときに力になれなかった僕自身が不甲斐なくて、つい腹を立ててしまって……あいつの気遣いも伝わりましたけど……」


 公一がシュンと肩を落とす。その様子がなんだかいじらしく、かわいく見えてしまった。そこまで気にしていてくれたのかと、心が温かくなる。


 それと同時に、百太の困ったような嬉しそうな顔を思い出した。『あいつ、すごい怒っていたけど、俺の立場だったら絶対同じことするはず。で、俺が猛烈に怒るんだ。結局似た者同士なんだよな』。


 千晶にも楓という親友がいて、相手を大切に思っていることを互いにわかっているので、百太と公一の気持ちはよく理解できる。弟にこんなに優しい友達がいて良かった。

 心からの感謝を込めて、千晶は微笑む。


「ふふっ、本当に仲がいいんですね。百太のこと、これからもよろしくお願いします」

「……それはもちろんですが、僕は千晶さんのことを、これからもっとよく知りたいのですが」

「え? 私のこと?」


 思いがけない言葉に戸惑う千晶は、真剣な表情の公一の手元に広がる資料に目が留まった。


「これからもっとよく知りたい」って、私が車の運転をするきっかけのことか! 話がそれてしまったことをやんわり注意してくれたんだ。角がたたない言い方をするなんて、仕事ができる男は違うわねぇ。


 黙ってしまった千晶を心配したのか、公一が恐る恐るといった様子で話しかける。


「あの、千晶さん、今のは……」

「すみません! 知りたいって、『私がペーパードライバーを卒業しようと思ったきっかけ』のことですよね。話が脱線してしまって失礼しました」

「……そんなことないですよ。気になさらないでくださいね。それでは、続きをお願いします」


 謝る千晶に対して、公一が残念そうに眉を下げて微笑んだ。何故そんな表情をするのか不思議に思うも、千晶はまずはしっかり話そうと決める。


 子供の頃から車酔いが酷かったが、大人になって少しマシになってきたこと。

 しかし父の四十九日で訪れた寺への山道がカーブの連続で、あまりの激しさに失神寸前で親族たちを心配させてしまったこと。

 もうすぐ一周忌で再び墓参りに行く予定なので、自分が車を運転すれば酔わないのではないかと閃いたこと。


 千晶の話に、公一が深く頷いた。


「僕も百……久川と一緒にお参りさせてもらいました。たしかに、あの道はカーブが多いですし、見通しもあまりよくないですね」

「正直なところ、私だけお寺へは行かずに留守番していようと思ったんです。でもやっぱり父に会いたくて。この一年、全然行けていませんから。今度こそちゃんと運転に慣れて、好きなときにお墓参りができるようになりたいんです」


 再就職のために車の運転を習い直そうか悩んだとき、父のことが頭によぎった。大学生の頃、履歴書の資格の項目を埋める目当てで取得した運転免許証だが、父から普段から乗っていたほうがいいと何度も忠告を受けていたことを思い出したのだ。千晶はそのたびに、大学やアルバイトが忙しいからと、のらりくらりとやり過ごしていた。


 あのとき、お父さんの言うとおり少しでもいいから乗り続けていれば、お墓参りに行けずに後悔することもなかったのに。


 内心落ち込みながら、紙に千晶の現状を記している公一を見つめた。しばらくして顔を上げた公一は背筋を正してペコリとお辞儀をする。


「よくわかりました。色々聞かせていただき、ありがとうございました。それでは、このまま教習の契約に移ってもよろしいでしょうか」

「はい、よろしくお願いします」

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