後編
「言うタイミングを逸しておりましたが、私とカンチガイン殿下の婚約は2年前に白紙に戻っております」
茶番の土台をひっくり返す言葉に、会場はざわめきに包まれ…なかった。驚愕を浮かべたのは、カンチガインとタマーノのみである。
「なんだと?父上と母上は、お前の本性を見破っていたのだな!まさに慧眼!!」
両親に尊敬するような視線を、そしてアクャクには侮蔑の視線を、ついでにタマーノに愛しげな視線を向けるカンチガイン。
国王は頭が痛むのか手を額に当て、嘆息した。
「何を言っても諭しても遊びほうけ、責務を全うしないお前から継承権を剥奪したときだ。お主はそんなことすら覚えていないのか?」
「え?」
「アクャク嬢の諫言を聞かず、あまつさえ逆ギレし責め立てる様子に公爵家からは度々苦言があがっていた。せめてもの贖罪として、彼女の経歴に傷をつける破棄ではなく最初からなかったこと…白紙に戻したのだ」
「そ、そんなことより、継承権の剥奪とはどういうことですか?私は父上の長男であり王太子、将来の王でしょう?」
自分の婚約者、いや元婚約者のことを『そんなこと』と言い放ち、耳にとまった不穏な単語に関して問い詰める。
その様子に王妃は目眩を起こしたのかふらつき、その体を支えながら国王も顔を歪めた。
「何度も言ったはずだ。お主に国を、民を任せるわけにはいかぬと。また、お主のように操りやすいものをそのままにしては国を割る、そのための継承権の剥奪だと」
「確かにそんなことを言ってはいましたが、私は父上の息子ですよ?それに、私のような優秀な人間を排除するなんて、どれだけの損失かわかっているのですか!?」
「…本当に、なにも伝わってはいなかったのだな」
楽なほうに流されるのが人間の性とはいえ、王族に…特に国をおさめる国王にそれは許されない。言葉で、躾で、何度も矯正をかけようとした。しかしその結果は、ご覧の有様だ。
挙げ句の果てには息子を切り捨てる苦しみを呑んで告げた継承権の剥奪も、ただの脅しととらえていたというのだ。
王族である以上、甘言を弄し近づいてくる輩を排除しきることはできない。またそれくらい自分であしらえなければ、王族としてやってはいけない。
しかし彼は耳触りのいい甘言をはくものを側に置き、彼のために諫言する人間を疎んだ。何度諫めてもそれは治ることはなかった。
「私以外に王に相応しい人間なんていないではないですか!」
「いや、兄上以外はみんな王族としての責務を果たしていると思うよ?ちなみに現在の王太子は僕だから」
憤り喚くカンチガインを、苦笑交じりの涼やかな声が止めた。声に続いて国王たちの後ろから現れたのは、ヤクトクン…カンチガインの一つ下の弟だった。金髪碧眼や顔の造作は兄弟よく似ているが、彼の方が洗練されているように見えるのは中身の差だろうか。
ヤクトクンは真っ直ぐにアクャクのところに向かい、そっと手を取った。
「遅れてごめん、アクャク嬢」
「いえ…誰もこんな状況予想できませんわ」
「まぁ、ね。僕も兄上がここまでとは思っていなかったよ」
呆れたような視線を二人に向けられ助けを求めるように周囲を見渡すが、どこにも好意的な視線はなく。
「弟の分際で!私よりも劣っている存在のくせに!!上から目線で私を見るなああああああ!!」
「…あの、ヤクトクン様ぁ?なぜアクャク様の手を握っているんですぅ?もしかして、騙されているんじゃ…私が、私の愛で、あなたを救って差し上げますぅ!」
怒鳴るカンチガインと裏腹に、頬を赤く染めたタマーノは捕食者の目でヤクトクンを見つめながら少しずつ距離を詰めていく。
ヤクトクンは近づいてくるタマーノを嫌そうに見た後に、兄と目を合わせた。
「王族として兄上を野放しにはできなかった。でも家族としては、目を覚ましてほしいと願っていたんだよ。だからこそ継承権の剥奪のみにとどめて、卒業まで様子を見ることになったんだ」
祈るように兄を見やるヤクトクンを、カンチガインは射殺すような目でにらみ付ける。
「弟のくせに…私から王太子の座を奪うなんて、この簒奪者が!!」
家族の愛情を、王族の温情を理解せずただ吠える。王太子は国王の指名であり、簒奪もなにもないというのに、ただ責める。自分に責があるとは考えてもいない。
悲しげに目を伏せたヤクトクンの手を、アクャクが強く握りしめた。視線を合わせると、小さく首を振る。もう、どうしようもないのだと言うように。
その様子を黙ってみていた国王が、手に持つ錫杖で床を強く叩いた。これは国王から何らかの沙汰が出る合図である。会場中の視線が集まるのを見て取り、国王は一瞬だけ苦しげに瞑目し…目を開いた。
「カンチガイン、元よりお主の王族としての資質には疑問が持たれていた。そして今回の騒動である。お主を王族籍から抹消、平民へと落とす」
「な!?」
継承権を剥奪されても、王族ではあった。王族を出ても新たな爵位をもらえれば、貴族にはなれた。しかし下されたのは、平民に下れという命。生まれたときから使用人がつき、自分ではまともに何も出来ない人間が平民に下る…まともな生活は期待できないだろう。
国王は次に、そっとカンチガインから距離を取ろうとするタマーノに顔を向けた。
「タマーノ男爵令嬢、カンチガインに付けていたものから、今回のことはお主の策謀だと判明している。本来公爵令嬢に冤罪をかけるなど処刑ものではあるが、カンチガインにも責はある。よって、お主も貴族籍から抹消、平民となれ」
「私も!?」
息子が悪いことはよくわかっている。しかし、今回のトドメとなる騒動はあまりにひどすぎた。内容もさることながらこれだけの貴族の目があるのだ、誤魔化しなど許されない。
そのせいで、どこかに養子や婿に出すことも修道院に入れることもできなくなった。お門違いと理解していても、タマーノがいなければと考えてしまう。
「先ほど二人は結婚したいと申していたな?許そうではないか、国王として二人の婚姻を命ず。もちろん離縁は禁じる、二人で平民として生きるが良い」
死ぬことで一人だけ逃げるようなことはさせない、そう国王の目は語っていた。
「アクャク嬢、今回の被害者はお主だ。この判断に異論はあるか?」
「いいえ、ございません。陛下の良きようにお計らいくださいませ」
優雅に一礼をし、陛下の決断に従う意を見せる。しかしこれで終わり…とはいかないのが、件の二人だ。
「ヤクトクン様、誤解なんですぅ!私はただカンチガイン様の望みを叶えようとしただけなんですぅ」
「タマーノ?」
「カンチガイン様ったら、お仕事したくないからぁって…口うるさい婚約者を切るために私と恋人ごっこしてただけでぇ。私は、本当は前からヤクトクン様のことがぁ…」
「え、私のことを愛してるって」
見苦しくヤクトクンに取り入ろうとするタマーノと、その姿を呆然と見つめるカンチガイン。つい先ほどまではあんなに暑苦しくラブラブアピールをしてたというのに現金なものである。
「タマーノ嬢」
「なんでしょう、ヤクトクン様ぁ」
潤んだ瞳、薄ら上気した頬、自分が一番可愛く見える角度でヤクトクンを見上げる。確かにその姿だけ見れば、可憐で愛らしい。
しかしヤクトクンは嫌悪を滲ませた瞳を細め、そんな彼女を睥睨した。
「よらないでくれ、吐き気がする」
タマーノの表情が、ピシリと凍った。恐らく今までそんなことを言われたことがなかったのだろう。特に、男性からは。
「君が常に複数の男性と関係を持っていたことは調べ済みだ。しかも、兄上を唆し私の大切なアクャクに冤罪を着せようとまでした。そんな君に、なぜ好意を抱けると思う?」
「そ、そんなことしてな」
「君のような女性を、ビッチと呼ぶのだろう?」
冷笑を浮かべるヤクトクンの手を、まだつないだままでのアクャクが小さく撫でる。小さくため息をつく様子を見るに、窘めているようだ。
その効果かヤクトクンは冷笑をやめ、すっとタマーノから目線を外した。そのまま国王へと顔を向け、小さく頷く。
「皆のもの、無粋な邪魔が入ってしまいすまぬな。だがせっかくの卒業パーティだ、気分を切り替え最後まで楽しんでくれ」
その言葉を合図に近衛たちが喚くカンチガインとシラを切り続けるタマーノを会場から引きずり出し、止まっていた会場の音楽が動き出した。人々も少しずつ場所を変え、ポツポツと雑談を交わし始める。
会場の意識が散り始めたのを確認し、ヤクトクンはそっとアクャクと向き合った。
「あらためて、卒業おめでとう」
「ありがとう存じます」
お互いに少し疲れたような表情を浮かべ、祝辞を交わす。
「本当は、今日は前に打診させてもらった件について、きちんと僕の口から伝えたくて来たんだ」
「前に、というと…」
「アクャク嬢、兄上の婚約者だったからこそ僕は君を一度諦めた。でも今の君になら言える…ずっと好きだったんだ、僕の妃になって欲しい」
繋いだ手に小さくキスを落とし、愛の籠もった甘い瞳でアクャクを見つめる。きっと、その言葉に嘘はない。前からそのような瞳を向けられていることに、アクャクは気づいていた。
カンチガインのストッパー、そしてフォロー役として選ばれたアクャク。そこに義務感はあれど、愛はなかった。毎日が仕事…そんな中、そんな瞳で見つめられれば意識してしまうのもしょうがないだろう。
しかしその時は、立場が許さなかった。でも、今なら。
「…えぇ、喜んでお受けさせていただきます」
咲き誇る華のような、満面の笑みでプロポーズを受けたのだ。
明日、最後の後日談を投稿します。