勿忘草の女神の章 第9節
少し間が長かったので、あらすじっぽい文章入ってます。
良かったら読んで下さい。
9
辺りが夕焼け空に照らされた頃、ライファは独り自警団員であるロイドの家へと向かっていた。
フォクスから手渡された手書きの地図によれば、ロイドの家はアナハイトの西側の村外れにあるらしい。アナハイトに入った時と同じような小麦畑に囲まれた道を進んだ。
道中小麦畑は風に揺らされてサラサラと心地よい音色を奏でていた。
しばらく進むと道の左側に小川が見えてくる。遠くの山から流れて来たその小川は水面に自分の顔が映る程透き通っていた。
大戦時、戦場の近くで流れる川は血で赤く染まっていた。川底には死体まで沈んでいた。そう考えると、このアナハイトはこの世に残された数少ない安住の地なのではないかと思えてくる。大戦で傷付いた人々が苦しみの末に辿り着いた最後の楽園。奇跡の力で人々の傷と病を癒す女神が領主として君臨する土地。
だがその実態は、年若い娘が行方不明になる謎めいた事件が頻繁に発生し、その犯人と陰で囁かれているのがまさかの領主クラウディア。軍や騎士を嫌った彼女は、独自に雇った盗賊まがいの連中を自警団として組織した。彼等に従わない者はアナハイトでは生きていけない。そしてまた、領主を女神と崇拝する者や村の若い衆を取り込み、自警団はその頭数を増やし続けているらしい。
それをライファに教えてくれたのは、アナハイトの森で出会った少年アルゴンだった。彼は三日前行方知らずになったアナハイト近郊の町に住む下級貴族の娘ソフィアを探す為、魔剣士であるライファに協力を求めた。実はライファも仲間のフォクスと共にソフィアの両親から雇われた賞金稼ぎで、それを知ったアルゴンは失望を露わにし、ライファとフォクスの前から走り去ってしまった。
アルゴンが言っていた事に嘘が混ざっていると見抜いたライファは、アルゴンの身を案じてその役目をフォクスに頼み、またフォクスも単独行動中に知り得た情報をライファに任せ、二人は再び別行動を開始し今に至る。
そうアナハイトに来てからの出来事を頭の中で簡単にまとめていると、道の左側に丸太造りの小さな橋が見えてきた。
ロイドの家はその橋を越えた先に建っていた。
ロイドの家は木製の二階建てで、外装がそこまで痛んでいない事から建てられて何年も経過していない事が容易に想像出来た。
というよりも、ここアナハイトの村自体が村と呼ばれるようになったのはほんの三年前。丁度大戦が終戦を迎えてからの事らしい。それまでは前領主グラディオとその妻で現領主クラウディアが暮らす屋敷と、遥か昔から丘の上に経っていた小さな教会しかない、だだっ広い土地だったのだから、今この村にある建物は全て三年以内に建てられた物である。古ぼけていないのは当然の事だった。
ライファは家の前まで来ると、玄関の真上にある二階の窓を見上げた。
ここに来る前フォクスが言っていたように窓は開いていて、風に煽られて金具部分を軋ませながらカーテンをユラユラはためかせていた。
窓の奥である室内は暗がりになって良く見えなかった。だがライファは少しの間だけ表情を強張らせながら窓の奥の暗がりを凝視していた。
それからライファは玄関の扉を数回ノックした。予想していた事だが返事は無い。おもむろにドアノブに手を掛ける。鍵は掛けられていなかった。
お邪魔します。と心の中で言いながら、ライファは扉をゆっくりと開けた。その瞬間中から吹き抜けるように生暖かい空気がライファの体を通り抜け、その後からなんとも言葉で言い表せない異臭が広がってきた。
ライファは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに平常に戻ると辺りを見渡した。
部屋の中は開かれた入り口の扉から入る夕陽のみで薄暗かったが、そこが家族団欒の場所であったと分かる台所とテーブル。そして暖炉の前には木製で剣を持った騎士の人形が転がっていた。ライファはそれを手に取るとそっとテーブルの上に置いた。木製の騎士は関節があるお陰でちょうど座っているような形になり、それを見たライファは悲しげな笑みを浮かべた。
とその時、二階の方で子供が走り回るような、小さな歩幅の足音が響いた。
咄嗟に天井を見上げたライファはまた眉をひそめる。そこはどす黒い染みがまるで水溜りのように浮き上がり、床下へいくつも同じ色の水滴を滴り落としていた。よく目を凝らして見ると床下にも同じどす黒い水溜りが出来ていて、無音の中微かに水滴の音が聞こえていた事に気が付いた。
部屋の奥に階段を見付け、ライファはそのまま二階へ上がろうとした。がテーブルの前で立ち止まり、その上でちょこんと座っている騎士の人形を目にし、それを手にしてから二階へと向かった。
二階に上がると手前と左に部屋があった。手前がどす黒い染みの真上の部屋であり、左が外から見えた窓の部屋である推測できた。
ライファは左の部屋の扉に目をやりながらも、先程の足音が聞こえた手前の部屋の方を先に調べる事にした。
すると部屋の扉が軋みながらゆっくりとほんの少しだけ開いた。その幅はちょうど片目で中の様子を覗ける程度だった。
まるでそうして欲しいのかと言わんばかりに微かに開かれた扉の隙間をライファは求められた通り覗き込んだ。
中は暗闇が広がっていた。奥に窓があるようで、締め切られたカーテンの隙間から光が差し込んでいた。
とその時また足音が聞こえ、差し込んでいる光の前を小さな影が横切った。と思った瞬間、扉の隙間からこちらを見上げる青白い顔が一瞬覗くと、扉が凄い勢いで閉まろうとした。
しかし、ライファはそれよりも更に凄い勢いで扉の端を掴んで止めた。勢い余って掴んだ端の部分が指の形に潰れてしまう程に。
そして次の瞬間、扉をこじ開けたライファは真っ直ぐ窓の方へ向かうと勢いよくカーテンと窓を全開にした。
全体が映し出されたその場所は子供部屋だった。
窓辺には小さな机があり、そこには水の入ったカップ、その近くには薬草を粉末にしたような物が入った手の平に乗るくらいの小瓶が置かれていた。
そしてそのすぐ横に子供用のベッドがあった。そこには一階で拾った人形の持ち主が永遠の眠りに着いていた。
その姿はとても安らかとか言い難く、悪臭を放ち、蝿と蛆に覆われ、頭皮は腐りきって剥がれ落ち、着ている衣服はボロ切れのようになり、どす黒い体液に身を委ねていた。
この子は生前どんな顔をしていたのだろう。
騎士の人形を持っていたから、騎士に憧れていたのだろうか。
最期はどんな想いで窓の外を眺めていたのだろうか。
「ねぇ、お母さん知らない?」
ライファが神妙な面持ちでベッドを見つめていると、背後から子供の声でそう尋ねられた。
その声は、最初は確かに子供の声だった。
「お父さんに聞いても何も答えてくれないの……」
しかし、徐々に擦れ、濁ったようになっていく。
「オ父サン隣ノ部屋デグルグル回ッテル……」
それはもう、子供の声ではなかった。
「これ、君のだろ? 俺昔騎士だったんだ」
ライファは右手に持った騎士の人形を背後に見えるように上げ、出来るだけ明るい声でそう言うと、深呼吸をしながらゆっくりと背後に振り返った。
そこには痩せ細ってはいるが、目を輝かせながらライファを見上げる男の子が立っていた。
「本当に? お兄ちゃん騎士だったの?」
その声は子供の声に戻っていた。
「本当だとも。護るべき人がいなくなって、辞めてしまったけどね」
そう言うとライファは、男の子の背丈に合わせるように片膝を突き、人形を男の子に手渡した。
「ありがとう。これ前にお父さんが作ってくれたんだ。ボクの宝物」
人形を手にした男の子は、何かを思い出すように目を瞑り、その表情は徐々に笑みを浮かべ、窓から差す夕陽に照らされてながら少しずつその姿を煙のように薄れさせていった。
男の子の姿が完全に消え去るまで、ライファはその様子を静かに見守り続けた。
やがて男の子の姿が跡形も無く消え去ると、ライファはカーテンを取り外し、それをベッドの上で眠る男の子の抜け殻に優しく被せると部屋を後にした……。
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