勿忘草の女神の章 第27節
前回までのあらすじ
大陸全土を巻き込んだ大戦が終わりを迎えて三年。四方を自然に囲まれたアナハイト領地では、病や傷を自らの血で癒す女神の伝説があった。
行方不明のソフィアを探すライファとアルゴンは、自警団殺害の容疑で捕まってしまうのだった。
尋問の末に瀕死の重傷を負ったアルゴンを自らの血で救ったライファは、彼に自分がアナハイトに来た本当の理由を打ち明ける。
何とか自警団の兵舎を脱出した二人は、領主クラウディアの待つ教会砦へと潜入するのであった……。
27
私は選択を誤ってしまった……。
もしあの日に戻れるなら、私は抵抗せず殺される運命に従うだろう。
そうすれば、この傀儡の悪夢を見続ける事は無かったのだから……。
解錠された鉄の門は、手入れがされていないのか、悲鳴にも似た軋み音を奏でながら開かれた。まるで誰かの嘆きのように、その不快な音色を耳にしたアルゴンは不愉快そうに眉を顰めた。
同じくライファも怪訝な表情を見せるが、その理由はアルゴンとは異なった。彼は密かに螺旋階段の先の気配を探り、そしてその気配の異質さに驚きを隠せずにいたのだ。
螺旋階段の先には、気配が一つだけ存在していた。だがその気配は、感知するだけでこちらを止めどない絶望に沈めるような負の感情に支配されていた。
何をすればそれ程までに絶望を抱けるのか、如何にしてその魂はここまで穢されてしまったのか。
ライファは、声無き悲鳴が思念となって自身の身体に纏わり付く感覚に襲われながらも、それを意思の力で祓い退け、自ら先頭に立って螺旋階段を上がり始めた。
階段を一段進むごとに、負の感覚が鋭く牙を剥いてくる。だが敵意などではなく、ただ純粋に気配そのものが生きとし生きる者を否定しているのか、はたまた己自身を呪っているのか、信仰を失った狂信者の抜け殻のように、その気配は辺りに目に見えない負の瘴気を撒き散らせていた。
「なんか陰気で嫌な感じだね。なんでだろう……」
ライファの後ろで、アルゴンがぽつりと小言を漏らした。彼自身何故そんな発言をしたのか疑問に感じている様子だった。
だがライファからしてみれば、ただの人間であるアルゴンにさえ、ただならぬ違和感を感じさせるこの気配に憐れみさえ懐いてしまう程だった。
そして不意に思うのである。今のこの世の中には、同じような負の瘴気を放つ気配の持ち主で溢れ返っている。下手に関われば火傷では済まぬ程に、彼等は其処ら中にいるのだ。
二人が互いに別の理由で苦悶の表情を浮かべながら螺旋階段を進むと、再び南京錠で施錠された扉が目の前に現れた。
「またかよ」
ぶつくさと文句を呟くアルゴンを横に、ライファは懐から先程の鍵を取り出し解錠しようとした。
それを待つアルゴンは、このただならぬ陰気な雰囲気に慄いていた。というのも、先程の鉄の門然り、目の前の扉にも南京錠がされている事に違和感を覚えたからだ。自分の部屋に鍵を掛けるのは何ら特別な事ではない。外部からの侵入を防ぐ為、または外出時の用心の為、理由は多岐に渡る。だがこの施錠はどれにも該当しない。何故なら外から南京錠がされているからだ。
この状況を目の当たりにして、不意にアルゴンはアナハイトの伝説を思い出してしまった。
自らの血で人々の傷や病を癒す女神ピプリス。しかし血が足りなくなると夜な夜な化け物に姿を変え、年若い少女を攫い生き血を啜った。それを人々は女神の神隠しと呼び、まるで至極当然のように振る舞った……。
不意に脳裏を過ったアナハイトの伝説に、アルゴンは固唾を飲みながら、人知れず心の準備をした。
この扉の向こうに一体何が待っているのだろうか。それは自分が望んだ真実であろうか。その真実に自分は納得できるのだろうか。ここまで辿り着いた自分を、ソフィアは褒めてくれるだろうか……。
「よし、開いた」
アルゴンの覚悟が決まる頃、ライファは南京錠を解錠した。彼はアルゴンの方に顔を向けると、口元に人差し指を当てて合図した。それにアルゴンが静かに頷くと、ライファはゆっくりと扉を開けようとした。その時である。
「そこにいるのは誰ですか?」
部屋の中から女の声がした。二人は互いに顔を見合わせながら、扉をゆっくりと開け、そして部屋の中へと足を踏み入れるのだった。
ゆらゆらと揺らめきながら燃ゆる暖炉の炎に照らされた薄暗い寝室。領主である彼女は独り、暖炉の前に置かれた揺り椅子に腰掛けながら、天を仰ぎ虚空を眺めていた。
一見すると無表情で無感情と思しきその佇まいは、氷のように冷徹に見えるが、しかしそれは大いなる誤りであった。
彼女は独り眠れぬ夜を過ごしていた。人の夢と欲望と後悔に染められたベールに隠された秘密を抱き、彼女は決して目覚める事の無い悪夢を明日も彷徨い、その悪夢が命尽きるまで続くという現実に絶望していた。
一瞬たりとも気の緩まぬ日常を過ごし、過敏なまでに神経を尖らし、彼女はアナハイトの領主クラウディアで在り続けた。何が起きようと、誰が現れようと、彼女はアナハイトの領主でいなければならない。それが彼女に与えられた役割だった。
ゆっくりと背後の扉が開かれる。施錠されていたはずの扉が理由も無く開かれた。
誰が、何の為に……。
彼女は予期せぬ真夜中の訪問者に対し、恐怖と緊張と、そして微かな期待を懐くのだった。
「何者ですか?」
背後から視線を感じる。歩き音からして二人。いきなり襲い掛かるような真似はしてこないようだった。
彼女はゆっくりと腰を上げ、またゆっくりと瞳を閉じたまま背後へと振り向いた。その所作たるや上流階級の洗練された動き。いざ瞳を開眼させ、見開いた瞳で訪問者を見物した。
二人のうち、一人は薄汚れた衣服を纏う何処にでもいる少年だった。ただ彼は自分に対し恨みを宿した眼差しを向けている。はて、何処かで見覚えが……。
しかし彼女の想起は、もう一人の男の存在によって止められてしまうのだった……。
「気付かれていたとは、正直驚きだ」
揺り椅子を挟んで対峙するライファは、自分の姿を見て警戒心を募らせるクラウディアとは対照的に、穏やかな態度を見せた。その余裕の振る舞いは、彼女の目を通せば、簡単に黙らせる事ができるのだと告げているように映ったのかも知れない。クラウディアはまるで凶器を突き付けられたかのように一歩後退りした。
「身なりからして傭兵か? 私は軍も兵士も好かぬ。それにこんな夜中に領主の寝室に忍び込むとは無礼や輩だ。何者だ。名を名乗れ」
だが開き直ったのか、クラウディアは呼吸を整え、強張る表情を整えると、然とした姿勢を見せて強い口調でライファに言い放った。
だがライファはこの時、クラウディアの様子よりも部屋の内装を一見して感じた違和感の方が気になって仕方がなかった。
煌びやかな装飾を施したベッドや化粧台など、一見豪華な家具が並ぶその部屋は、この地を治める領主の寝室だというのに窓一つ無く、豪華な家具も、まるで別の場所から運んで適当に配置しただけの場違いな雰囲気を醸し出していた。
ライファの眼には、ここがまるで塔上の牢獄に見えたのである。
「俺はライファ。彼はアルゴン」
何者かと問われたライファは、言われるがまま素直に名を名乗った。だがそれだけではなかった。
「我々は名乗ったぞ。お前こそ本当は何者か名乗ってもらおうか?」
ライファの言葉に、アルゴンは思わず首を傾げながらも彼の方を見た。彼に冗談を言っているような様子はない。ただ真っ直ぐクラウディアを見ていた。すると次に気になるのは、暴言を吐かれたクラウディアの反応で、アルゴンはすぐさま彼女の方に顔を向けた。
「ぶ、無礼な。私が誰かも分からずここまで来たとは言わさぬぞ。私はクラウディア。アナハイトの領主であるクラウディア・バートリア・アナムスカだ!」
無礼を受けた怒りのせいか、クラウディアは声を張り上げて自らの名を名乗った。しかしその様子はあからさまに動揺を隠せていなかった。
「ねぇライファ、さっきから何言ってんだよ?」
「典礼の時とはまるで別人だな。どっちが本性だ?」
答えの見えない奇妙なやりとりに痺れを切らし、アルゴンが口を挟んだ。だがライファの奇妙な質問は止まらなかった。それどころか彼はまるで獲物を追い詰める獣のように、身を乗り出しクラウディアに迫る勢いで話を続けた。
「俺は彼女の夫だったグラディオ卿とは面識がある。彼曰く、妻は自分よりも背が高く、ヒールを履けば俺よりも背が高いとな。それから楽しそうに、それでいて妻は可憐で気品に溢れ、妖美を兼ね備えながら、私にしか見せない少女のような笑顔を見せる。と語っていた」
ライファはおもむろにクラウディアの足元から頭の天辺までを確認し、それから揺れ椅子の近くで無造作に転がっているヒールを見た。
「可憐で気品に溢れ、妖美を兼ね備えながら少女のような笑顔の持ち主かどうかは知らないが、彼の話と大きく違う点が一つある。身長だ。お前はそこに転がっている靴を履いても俺と同じ身長にも到底届かない。さて、お前は何者だ?」
そう言い終わると、ライファは腕を組んでクラウディアの返答を待った。アルゴンの目には、彼がまだ語っていない真実があるような余裕が感じ取れ、クラウディアの返答次第では更なる追求が繰り出されるだろうと予想した。
しかしクラウディアは、ライファの更なる追求に応じる気など無かった。彼女は俯き、ぼんやりと地面を眺めながら、人知れず葛藤と安堵が織り混ざった歪な表情を浮かべ、そして重々しく口を開き始めた。
「私は、私は……、クラウディア様ではありません……」
それはあまりにも衝撃的な真実だった。
「え? はぁ? 何言ってんだよ? じゃあお前は誰だよ!」
クラウディアだったはずの女の口から放たれた衝撃の告白に、アルゴンは一瞬彼女が何を言っているのか理解できず、理解が追い付いた時には叫ばずにはいられなかった。
「彼女は、かつてクラウディアに支えていた侍女だ。確か名前は、ガラテアだったか?」
慌てふためくアルゴンとは対照的に、ライファは特に驚く素振りも見せず、淡々としながら女の正体を告げた。
「誰だよそれ! 知らないよ! じゃあ本物は? 本物の領主は? あの馬鹿げた事を始めた張本人は何処にいるんだよ!」
アルゴンはクラウディア改めガラテアに、今にも掴みかかる勢いで問い詰めた。その圧に押されるように、ガラテアは膝から崩れ落ち、項垂れながら何かをぽつりぽつりと語り出した。
「なんだって? はっきり喋れよ!」
躊躇いがちに語るその言葉はか細く、最初は聞き取れなかった。業を煮やしたアルゴンはガラテアに近付いた。そして聞き取れたその言葉は彼が予想すらしていないものだった。
「……クラウディア様は、すでに亡くなられています……」
「はぁ? ……いつだよ?」
「……三年前です」
「三年前だって? 嘘ばっかり言うなよ!」
それはアルゴンにとって余りにも不都合な真実だった。それ故に湧き上がる怒りを何処にぶつければ良いのか分からなくなった。彼は表情を険しくしながら、今までライファの前で見せた事の無い凶暴な気配を放ち、ガラテアに掴み掛かった。怯える彼女を眼前に、もう片方の腕には短剣が握られていた。
「よせアルゴン!」
だが短剣はガラテアには振り下ろされはしなかった。寸前の所でライファが間に入り、その刃を掴んで阻止したのである。
「彼女は嘘を言っていない」
ライファは宥めるようにアルゴンに言った。アルゴンの手にする短剣からは、怒りや悲しみ、行き場を失った感情が憎念となって練り上げられ、底知れない渦のような殺気を帯びていた。腕力の有無とは関係なく、その憎念を宿した短剣は圧力を生み出し、それを受け止めたライファの腕を小刻みに震わせた。
だがやがて、冷静さを取り戻したアルゴンから僧念が薄らぐと、彼もガラテア同様ぐったりと項垂れてしまった。
一瞬の騒動の後、項垂れて言葉を失うアルゴンとガラテアを前に、ライファも沈黙した。部屋の中は異様な静けさが覆い、誰が先に口を開くのかと思いきや、意外な人物が先手を打つ。
「……私を、助けて下さい。知り得る情報は全てお話しします。だからお願いします。私をここから出して下さい」
「なに自分勝手な事言ってんだよ!」
ガラテアの発言に、またもアルゴンは声を荒げ、その気配は再び殺気を帯びる。自分の保身に必死な彼女がどうにも許せなかったのだ。彼にとってしてみれば、この女がクラウディアであろうがなかろうが関係無い。奴等に加担する憎むべき敵の一人に他ならなかった。
「交換条件だ。情報の自供と事件後の供述に協力すれば命を保障してやる」
しかしそこへライファが割って入り条件を提示した。
「本当ですか?」
ライファの提案に、項垂れていたガラテアは顔を上げた。その瞳は藁にもすがる必死さを覗かせ、今にもライファに縋り付いてきそうな狂気を宿していた。
「お前次第だ」
ライファはその狂気を察して軽く睨みを利かせて牽制した。しかし今度はアルゴンの方から再加熱されたような沸々と燃え上がる怒りの気配が放たれ始めた。
「ちょっと待ってよ! こいつを生かすって事? なんでだよ! こいつも奴等も皆八つ裂きにされて家畜の餌になっちまえばいいんだ!」
アルゴンの口から放たれた言葉は、まるで人が変わったかのように、あまりにも暴力的な罵詈雑言だった。その言葉を聞いたガラテアは何も言えずまた俯いた。ライファも何も言わず荒ぶるアルゴンの様子を見ていたが、その視線はやがて入口の扉の方へと移っていった。
敵意が近付いて来てくる。大勢の仲間を引き連れ、身に覚えのある気配が殺意を抱いてもうすぐ雪崩れ込んでくる。
ライファが敵の気配を感知してから時を待たずして、螺旋階段を駆け上がる大勢の足音がけたたましく響いてきた。アルゴンもそれを聞いて異変に気付くとガラテアから距離を取り、途端に苦悶の表情を見せ、頭を手で覆って身を守る姿勢を取ると、震えながら部屋の隅に後退りしだした。
その姿を目の当たりにしたガラテアは、アルゴンの醜態に共鳴し、憐れみの眼差しを向け、やがて自身も地面に平伏した。
唯一立ち続けているライファは、二人の豹変した様子に、まるでこれから理不尽に叱られる無力な子供の姿が重なり、彼等をここまで追い詰めた元凶が姿を現すであろう扉へ怒りの形相を向けるのだった。
そして扉は暴力を体現するかの如く、力任せに凶暴な音を轟かせ破られた。
「おぉぉい! 勝手に居なくなってんじゃねぇよぉ!」
それはまるで怒りと喜びを混ぜ合わせた獣の咆哮のような怒鳴り声だった。悪意に満ちた大きな音と声は、一瞬にして部屋に緊張を走らせ、震え平伏す二人を更なる恐怖へと突き落とした。
そんな彼等をギョロリと見開いた瞳が睨み付ける。剥き出しにした悪意を部屋中に振り撒き、ザイテスは己の存在が彼等に恐怖を与えているのを堪能しながら、ボウガンを手にした部下達を引き連れ、初めて遭遇した時と同じく、何がそんなに可笑しいのか分からない不気味な薄ら笑いを浮かべながら現れた。
「お前等にはまだ聞かにゃならん事が結構あるんだわ。それとなぁ、奪ったもんの隠し場所ぐらい話せよ、いい加減によう。なぁ? そうだろうがぁ?」
隠しきれぬ程の悪意のせいか、またはただの酔っぱらいか、睨みを効かせるザイテスの眼差しは、血に飢えた獣のように充血し、瞬き一つせず異様だった。だが部下達への指揮はできるようで、奴の手の合図に部下達はライファにボウガンを向けた。
負の瘴気を振り撒く輩がここにもまた湧いて出てきた……。
関わるだけ時間と精神の浪費になる糞の役にもならない汚物共。必ず鉄槌を喰らわせてやるぞ。振り撒き続けた負の瘴気の報いを受けさせてやる。
ザイテスの不気味な笑みを視界に入れる度、ライファは内に秘めた殺意を押し殺していた。そして今、密かに誓いを立てる。だが今ではない。
ライファは身を翻し、漆黒のマントを靡かせながら壁目掛けて蹴りを叩き込んだ。
その場にいた者達の意表を突く、風を切り裂くその一撃は、耳を劈く破裂音を轟かせ、減り込んだ踵を震源地にして壁に稲妻を想起させる亀裂を走らせ、やがてその亀裂は音を立てて崩れ落ち、壁に巨大な風穴を出現させた。
途端に突風が駆け回り、暖炉の炎は激しく荒ぶり、部屋の中は一瞬にして騒然と化した。
「ガラテア。生きてここから出たいなら協力する事だ。猶予は無いぞ」
風穴を作り出したライファ以外が呆気に取られて思考を停止する最中、彼はガラテアに言い放った。彼女はその言葉が自分に向けられている事に途中で気付き、視線をライファに向けた。だがそこには彼の姿はすでに無かった。
「アルゴン、飛ぶぞ!」
「え? なに?!」
ライファは叫ぶと同時に、有無を言わせずアルゴンを肩に背負い上げ、自身が作り出した風穴へと飛び込んだ。
ライファに背負われたアルゴンにとって、それは瞬きする間も許されぬ一瞬の出来事だった。
ライファが自分の名を叫んだ刹那、まるで巨人に掴まれたかのように身体が宙に浮いた。そして全身が突風に晒された。
「おいおいマジかよ!」
思わず叫ぶザイテスの目に映るのは、翼を持たぬ人間が、人ひとりを背負って月明りに照らされながら夜空を舞う光景だった。
「待って! 私も連れてって!」
塔から飛び去るライファ達を掴むように、ガラテアは懇願に満ちた声を上げながら風穴へ追い縋りその腕を伸ばした。
「邪魔だ馬鹿野郎!」
ザイテスはそんなガラテアの首筋を掴んで無残に横へ放り投げると、真隣にいた部下からボウガンを奪い取り、躍起になって矢を放った。
「何ボケェとしてんだぁ! テメェ等も撃てよぉ!」
追い討ちを掛けようとザイテスの怒号が飛んだ。引き連れた部下達が、ライファの起こした行動に呆然として、誰一人動けないままでいたからである。
その様子に怒ったザイテスは、真横の部下をボウガンで殴り付けて威嚇した。それを見た他の部下達は慌てて一斉にボウガンを撃ち始める。しかし時既に遅く、夜空へ舞い上がったライファは、もはや標的を見失い乱雑に降り注ぐ矢の追撃を華麗に掻い潜り、塔から離れた場所に生えている枯れ木へと放物線を描きながら着地しようとしていた。
と言っても人の脚で跳んで辿り着ける距離にあるわけでもなく、ましてやその枯れ木を闇夜の中で視認できているのはライファのみだった。空中で身体を回転させ、両足を前方へと突き出すと、アルゴンを抱えているとは思えない身軽さで枯れ木に着地し、透かさず蹴り込んで浮上、再び闇夜へと舞い上がる。まるで背に翼を生やしたかのように華麗に舞いながら、ライファ達は闇の彼方へと姿を消した。
「クソがぁ! おいテメェ! あの野郎に余計な事言ってねぇだろうなぁ! お前は黙って領主やってりゃいいんだよ!」
ライファ達を取り逃したザイテスは、治まらぬ怒りをガラテアへと向けた。彼女は髪の毛を掴まれ、唾が罹る程の眼前で怒声を浴びせられると、払い除けられるように突き飛ばされた。
ザイテスの巨体に突き飛ばされたガラテアは無様に床に倒れ込んだ。その姿に領主の威厳は欠片も無く、倒れた拍子に捲り上がり露わになった彼女の脚を、部下達の好色に満ちた眼差しで視姦させるという屈辱を、震えながら必死で耐えるしかできないでいた。
「こんな腐れた年増に勃ってんじゃねぇよ!」
無言で色めき立つ部下達の様子に、既に部屋を出ようしていたザイテスは踵を返すと、背後から腕を回り込ませ、一番近くにいた部下の股間を刈り取るかのように勢いよく撫で上げながらそう言った。
股間を撫で上げられた部下は悶絶しながら倒れ込み、冷や汗と涎を吹き出しながら地べたに這いつくばって苦しみ悶えた。それを他の仲間達が担ぎ上げ、そそくさと部屋から運び出す。その光景は常習的にこのような事が起きるのだ。と容易に想像できる程に手慣れていた。
「イラつき過ぎてやり過ぎたわぁ。おい! アイツに鮮血やってやれ、本物の方だぞぉ。ハハハァ!」
仲間を担い出て行く部下達に、怒っているのか笑っているのか分からぬ声を上げながら、ザイテスも部屋を出て行った。気が済んだのか、自分のした行いの記憶を忘却の彼方に投げ捨てたのか、その足取りは反吐が出る程に軽やかだった。
そして最後の一人が扉に鍵を掛け、その施錠音が部屋の中に小さく響くと、部屋は再びクラウディア、いやガラテア独りだけの時間へと戻った。
少しの間、ガラテアは床にへたり込み続けていた。だがやがてゆっくりと立ち上がり、吸い寄せられるように、ゆっくりとライファによって破壊された壁の穴の方へと近付いて行った。
穴の方へ近付くにつれて強い風がガラテアの身体を押した。彼女はその風がまるで自分の身体を塔の外へと誘うように吹いているように感じていた。
縁に立ち、暴れ靡く髪を抑えながら外を覗き込む。そこには深淵の夜の闇が広がっていた。
あと一歩前に出れば、この傀儡地獄の悪夢から解放される……。
夜の闇を吸い込まれそうな程に眺めながら、ガラテアは縁に立ち尽くしていた。やがて不意に強い風が塔の中を吹き抜け、その拍子にガラテアの身体は大きく揺さぶられ、彼女は足を滑らせた。
「きゃッ」
短い悲鳴の後、ガラテアは咄嗟に壁を掴んで床に倒れ込んだ。
もしかしたら、それは見えない力に命を救われたのかもしれない。だがそれが彼女を傀儡地獄から解放できる最後の機会だった。
ガラテアは壁にしがみ付いて生への執着を醜く晒す事しかできなかった。
その姿は余りにも滑稽で、無様で、涙が出た。
「ああぁ……、クラウディア様……」
その場に蹲り、譫言のようにかつて仕えた主人の名を囁く彼女は悟る。この傀儡地獄の悪夢は、まだ終わらないのだと……。
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