勿忘草の女神の章 第26節
前回までのあらすじ
大陸全土を巻き込んだ大戦が終わりを迎えて三年。四方を自然に囲まれたアナハイト領地では、病や傷を自らの血で癒す女神の伝説があった。
行方不明のソフィアを探すライファとアルゴンは、自警団殺害の容疑で捕まってしまうのだった。
尋問を受けたアルゴンは瀕死の重傷を負い、彼を助ける為にライファは魔剣士の血を飲ませようとする。
魔剣士の血を女神の鮮血だと言って拒否するアルゴンに、ライファは自分がアナハイトに来た本当の目的を告げるのだった……。
26
完璧な人間などいない……。
どんな正論にも矛盾はある。それは誰が語るかだ。
綺麗事を並べても、語る者が矛盾していれば無意味なのだ。
幸いなのは、聞く側がそれに気付かず、気付いても反論する言葉を知らぬ事。
それに安堵している自分に、誰かを諭す資格は無い……。
「……これで分かっただろ?」
無事に地下の尋問室から脱出したライファ達二人だったが、兵舎を出るとアルゴンが足を止め、不意にそう呟いた。
「突然どうした?」
背後から聞こえたアルゴンの言葉に、ライファは足を止めて彼の方を向いた。するとアルゴンは心残りでもあるかのように、思い詰めた表情で兵舎を見つめていた。
「奴等は領主の名の下に、権力と暴力を振りかざして好き放題やってる。オレやライファにしたような仕打ちを遊び感覚でやっているんだ。それなのに領主は知らん振りを決め込んでる。奴等みんな斃るべきだよ」
唾棄するかのように恨み節を語るアルゴンの瞳は、隠し切れない怨みの念を宿していた。
ザイテス率いる自警団の母体は、アルゴンの言葉の通りの連中だろう。ライファもそれは承知していた。
昼間に川辺で見つかった身元不明の死体達も奴等の仕業で、ライファ達が連行された原因であるロイドの殺害も、彼の日記を読み取るに犯人は奴等だ。
そして奴等を雇っている領主のクラウディアは、聖人のように平和を望む演説を住人達にしていながら、自らが雇っている自警団の悪虐非道を止めようともしていない。
「そうだ。奴等は今頃上で呑んだくれているはずだ。やるなら今じゃないか」
アルゴンはライファの方に向き直ると、名案だとばかりに言い放った。だがそれを耳にしたライファは、途端に険しい表情を彼に向けた。
「それは駄目だ」
「なんでさ!」
ライファの静止に感情的になったアルゴンは、自分達の状況も忘れて声を荒げ、急に冷静を取り戻すと口に手を当てながら小声で続けた。
「奴等は悪党だ。生きている価値の無い糞の集まりだ。奴等を野放しにしていたらまた酷い目に会う人が出るんだよ!? ライファ達はアナハイトの真実を調査しに来たんだろ? だったら奴等をやっつけてくれよ」
「それとこれとは話が違う。それに、ただ痛め付けて殺せば終わりか?」
「その通りだよ。奴等が死ねば解決じゃないか?」
「そうじゃない。奴等が悪党ならば裁かれなければならない。今奴等を殺せば、奴等の犯した罪や、犠牲になった人達の苦しみは誰にも知られず無かった事にされる。だからこそ世の中に此処で起きている真実を知らせなければならないんだ。そうじゃないか?」
「だけどさ……」
ライファの言葉に上手く反論できないアルゴンは、苦虫を噛み潰したような表情をしながら、それでも何かを言いたそうにしていた。
「お前の言いたい事は分かる。こんな酷い世の中だ。しかしだからこそなんだ。国が悪を裁く。そうやって一度崩壊した秩序を取り戻していかないと、この国は戦争の傷から永遠に抜け出せない。その為にも暴力に頼った解決はできないんだ」
言い返したいのに反論が上手く浮かばないアルゴンに、ライファは更に道理を語った。それはまさに正論だったに違いない。
しかし、だからこそアルゴンにはライファの語る正論が綺麗事にしか聞こえなかった。そしてなにより、彼の口から放たれる言葉に散りばめられた一つ一つの単語が、未熟な少年には妙に鼻に付いて仕方がなかった。
「……じゃあ、これからどうするのさ?」
感情を押し殺した静かな声でアルゴンは言った。するとライファは彼の問いに答えるように、月夜に照らされた教会砦に眼差しを向けた。それはまるで、そこで待ち受ける者との対面を示唆するようであった。
「……まさか、領主に会いに行くの? これから?」
「嫌か? 一緒に来いとは言わないが」
「……行くよ。言いたい事が山程ある」
アルゴンの決意を確認すると、ライファは不敵な笑みを浮かべた。それが何を意味しているのかをアルゴンはまだ知らない。しかしそれでも少年には向かわねばならなかったのだ。真実を知る為に……。
教会砦の中は静まり返っていた。窓から射す月光に照らされた砦内の廊下は、埃を煌かせ幻想的でありながらも、影になった暗がりが薄気味悪くもあり、まるで二面性を持つ歪な雰囲気に包まれていた。
しかし無人というわけではない。ザイテス直下の自警団員が数人で見回りをしていた。と言っても物陰から様子を見る限り、奴等は重要なものを警護しているという認識が欠落しているようで、退屈そうに欠伸をしながら彷徨える屍の如く無造作に砦内を徘徊しているようにしか見えなかった。
「音を起てないよう、静かに付いてくるんだ」
物陰から彷徨える屍の様子を伺いながら、ライファに指示され、アルゴンも静かに頷き、二人は領主の居場所へと向かった。
警戒心を欠落させた彷徨える屍達を掻い潜る事など、気配を感知する能力を持つ魔剣士ライファには造作もなった。そんな奴等を掻い潜り目指すのは、領主の寝室であった。
教会砦には塔が一本聳え立っている。そんなに高くはないが、最上部には外からでも分かる部屋があるような作りになっていた。砦の主ならば最上階に自室を設けるというのは容易に想像ができる。ライファは教会砦に忍び込む直前、魔剣士の能力を駆使して、塔の最上部にいる人の気配を感知していた。間違いない。領主はそこにいた。
特に困難な場面も無く、二人は二階へと差し掛かり、物陰に隠れながら行く手を阻む彷徨える屍の隙を伺っていた。だがその屍は他の彷徨える屍とは違って骨のある屍のようだった。まだ生前の記憶があるのか、なかなか隙を見せずに廊下に突っ伏したまま警備をしていた。
「ねぇ、そういえば最初アナハイトに来た目的は墓参りって言ってたけど、あれは嘘だったの?」
すると敵地に潜入しているというのに緊張感を欠いたのか、アルゴンがライファに小声で質問をした。
「……あれも本当の話だ」
「誰の?」
「大戦で活躍した英雄のさ」
「仲良かったの?」
「どうかな。少なくとも俺はそう思っていたよ」
「……なんか回りくどい言い方だね」
「他人の本音は誰にも分からないからな」
そう語るライファの表情はアルゴンから見える背後からでは分からなかったが、その意味深な口振りから、過去の二人の間に何かがあったのだと想像させた。
だがそれとは別の意味にも聞こえて、アルゴンは口を噤んだ。まさか自分への当てつけで言っているのだろうか、と不意にそう思えてしまったからだ。すると返す言葉が出て来なくなり、ライファの方も何かを語り出す事もせず、会話は唐突に終わりを告げてしまった。
それから間も無くして、ようやく骨のある屍が動きを見せて隙を作り、二人は先へと進んだ。
ただ忍び足で歩く二人の微かな足音がやけに大きく感じ、アルゴンにはまるで耳鳴りのように聞こえた。少年は自分に背を向けて先頭を行く大人の背中をただ追う事しかできなかった。
その後もライファの先導で順調に上階へと進み、そして二人は最上階である塔の真下へと辿り着いた。
塔へと登る螺旋階段の前には、まるで立ち入りを禁止しているかのように厳重な鉄の門が行く手を塞ぎ、更には強固な南京錠で施錠してあるのが見えた。そこにおまけ程度に二人の自警団員が見張っているという状況だった。今までと異なるのは、奴等が彷徨える屍のような素振りを見せぬ真っ当そうな警備をしている事だった。恐らく交代が来るまで持ち場を離れる事は無いのだろう。
「ここで待っていろ」
ライファの言葉にアルゴンは頷き、これから奴等に何かをするであろう魔剣士の様子を彼は物陰から見守った。ライファは物音を立てずに颯爽と奴等に接近し、華麗に不意を突いて二人を気絶させる。とアルゴンはそう思っていた。
しかしライファはある程度まで近付くと、自ら二人の視界に入るよう小さく手を振った。
「やぁ、お疲れさん」
不意に声を掛けられ、ライファを発見した二人の自警団員は、幽霊の類に遭遇した者が陥るような、戦慄に背筋を伸ばして硬直する滑稽な動きをしていた。だがその硬直はやはり一瞬で解けた。だがライファにはその一瞬があれば十分だった。
先に武器を向けた方の腕を掴み、もう片方の方に顔を向ける。するともう人は糸の切れた人形のように突然倒れた。更に透かさずライファは、腕を掴んでいたもう一人の方にも自らの顔を向けた。するとやはりもう一人も同じく倒れてそれ以降動かなくなってしまった。
「今のなに!? なにしたの!?」
目の前で起きた事に理解が追い付かず、アルゴンは仰天して声を上げてしまい、また自分で口に手を当てながら、驚愕の面持ちで地面に倒れている二人の自警団員を見下ろした。残念な事に奴等は死んでいるのではなく、ただ気絶しているようだった。
「魔剣士の能力の一つとだけ言っておこう」
驚愕するアルゴンを前に、ライファは不敵な笑みを浮かべてそう言いながら、倒れている自警団員の一人が腰から下げている塔の入り口の鍵を奪い取った。
「この先に領主がいるのか」
塔へと続く門を前に、只ならぬ思いを募らせながらアルゴンが呟いた。
「それは上ってみなきゃ分からんな」
南京錠を解錠しながら、険しい表情をしていたアルゴンとは対照的に、ライファは軽妙な洒落を語るかのように言った。
「え?」
肩透かし食らったかのようにアルゴンは驚きを見せる。
「冗談だ。領主の気配は昨日の典礼の時に確認している。だから迷わずここまで来たんだ。……怒ったか?」
突然の冗談にアルゴンはライファを睨んだ。こちらは冗談ではなく、本当に睨んでいるようだった。
ライファは笑みを浮かべて宥めていたが、少年が内心で自分への不信を募らせ始めている事を密かに感知するのだった……。
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