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Gawl of the nightmare ーガウル オブ ザ ナイトメアー  作者: Guren
悪夢の魔剣士編 勿忘草の女神の章
25/31

勿忘草の女神の章 第25節

前回までのあらすじ

大陸全土を巻き込んだ大戦が終わりを迎えて三年。四方を自然に囲まれたアナハイト領地では、病や傷を自らの血で癒す女神の伝説があった。


行方不明のソフィアを探す旅の傭兵ライファは、同じく彼女を探している少年アルゴンと共に、自警団に殺人の容疑を掛けられ捕まってしまうのだった。

ライファはアルゴンを救出する為に彼のいる尋問室に辿り着くが……。


 25


 忘れていたはずの情けにほだされて、忘れてしまっていたんだ……。

 世界は信頼という名の利用と搾取に満ちているという事を……。

 奪われない為に奪い、殺されない為に殺す。

 誰かの目的の為に利用されるのはもう嫌だった……。

 オレも、彼女も……。


 ライファが自ら破った扉の向こう側は、数多の暴力と死の痕跡とが、何層にも折り重なった異形の空間だった。

 普通の人間にはこの真実を感じ取り、知り得る術がない事がどんなに幸せか。そうライファに思わせてしまう程、彼の眼前に広がる薄暗く血生臭いだけの尋問室は、おぞましい負の残留思念ざんりゅうしねんに充ち満ちていた。

 そしてなによりも、ライファに衝撃を与えたのは、そんな尋問室の中心で無惨に吊るされたアルゴンの姿だった。


「……ライ、ファ?」


 アルゴンは扉を破って現れたライファを、虚ろな瞳で見下ろしながら、今にも消えてしまいそうな掠れ声で彼の名を呼んだ。

 そんなアルゴンの呼び声に、最初ライファは振り向く事ができなかった。アルゴンの足元に広がる血溜まりの大きさに、言葉を失っていたのだ。そしてその血溜まりは、受けた暴力を物語りながら、彼の身体を伝って今も尚広がり続けていた。

 ライファは隣の部屋にあったランタンを翳しながら、アルゴンに近付き彼を吊り上げている鎖を見上げた。鎖は正確には天井から伸びているのではなく、天井にある鉄の輪を返して横の壁に固定されている錆び付いた巻き取り機に繋がっていた。御丁寧な事に鎖を下ろす為に必要なクランクは見当たらなかった。

 だがライファには関係無い。彼は手にするランタンを血溜まりに当たらないように地面に置き、アルゴンの身体をゆっくりと左手で持ち上げ横抱きにすると、右腕で鎖をぐっと握り締めた。


「多分痛いぞ。堪えてくれ」


 鎖に力を込める前に、ライファはアルゴンに断わりを入れた。顔のすぐ側で語り掛けても返事は無く、彼は無言のまま首を小さく頷かせて見せた。

 ライファは腕に力を込め、天井を破壊しないよう鎖を握り潰すようにして捻じ切った。暗がりを照らす一瞬の火花を散らせながら、吊るされていたアルゴンの身体は落下し、その衝撃が身体に伸し掛かると、彼は少しだけ眉間に皺を寄せた。


「大丈夫か? 手酷くやられたな」


「……オ、オレ何も話さなかったよ。ざ、ざまぁみろだ」


 心配そうに自分を見るライファに、アルゴンはしてやったとばかりに言いながら、血と傷で汚れた顔を無理やり歪ませ笑顔を作って見せた。だがそれが虚勢である事は明らかだった。恐怖心を悟られまいと気丈に振る舞ってはいるが、その口振りと身体は凍えているかのように震え、ライファを見上げるその瞳は、見る見るうちに大粒の涙で溢れていった。

 腕の中で震える少年の身体は、ライファが両腕で支えていなければ、そのまま朽ち果ててしまいそうな程に衰弱していた。

 そしてなによりも、その理由は外傷よりも内なる心の傷によるものだと、ライファは悟っていた。


「随分と遅くなった。……本当に、本当にすまない」


 そう声を掛けながらも、ライファもまた苦悶に揺れる心を悟られぬよう、感情をその人形のような整った顔で隠しながらアルゴンの肩に手を添えた。

 自身の腕の中で安堵と恐怖が入り混じった涙を流す少年の肩をそっと摩りながら、ライファは自分の選択が、少年の心身にどれだけの深傷を負わせてしまったのかを知って深く後悔していた。

 あの時、アルゴンが尋問室へ連れて行かれる光景が頭を過ぎる。

 必死に助けを求めて抵抗する脆弱な少年が虐げられている光景を、自分はただ傍観していた。

 ライファの実力ならば、捕まる事も尋問される事も回避できた。だがそれをしない選択をした。

 なぜなら、尋問されれば自分に語っていない真実や情報をアルゴンが漏らすかもしれない。そう思っていたからだ。

 ある程度離れていようが、壁を挟んでいようが、耳を傾けて意識を集中させれば、別室のアルゴンの声を聴く事がライファには可能だった。

 その対価として、自身も自警団の奴等に好き放題痛め付けられたが、彼にとって普通の人間が与えられる暴力など苦痛ではなかった。

 しかしアルゴンは違う。一体どれほどの苦痛を受けたのか。拳が身体を打つ鈍い音。その度に響く悲痛な叫び。そしてそれを嘲笑う醜い声。その一部始終をライファはその耳で聴いていた。

 結果、アルゴンはライファの事や、情報の一切を語らず、心身共に深い傷を負い、恐怖と絶望の末に意識を失った。

 死を覚悟する程の暴力と恐怖。それは実際に体験した者にしか分からない。

 度合いも様々だろう。ある者からしたら、そんなものは暴力でも恐怖でもないと言われるかもしれない。だが本人がそのように感じてしまえば、それは紛れもなく死を覚悟する程の暴力であり、絶対的な恐怖なのだ。

 それは他者が自分の経験で語る事では決してないのである。

 その身に受けた暴力と恐怖の真実など知らずに、ライファの腕の中で安堵し涙を流すアルゴンに対して、ライファはこれ以上の安易な優しい言葉を掛ける事ができなかった。

 だが、そんな悠長にしてもいられない現実が刻一刻と迫っても来ていた。

 アルゴン本人はまだ気が付いていないのだろうが、徐々に彼の気配は弱まりつつあった。それはこのままでは最悪の結末を迎えてしまう事を意味していた。

 心はライファが助けに来た事で安心し平静を取り戻したが、今尚痛みと失血でアルゴンの身体が危機的状態である事は変わらない。それを一瞬で打開する手立てなど、本来は奇跡を起こさぬ限り有り得なかった。

 ライファは自らが招いた結果の責任に対して一人密かに思い悩んだ末に、懐から人の中指程度の細長い小瓶を取り出した。


「……アルゴン。これを飲むんだ。傷が治る」


 そうアルゴンに促しながら、ライファは彼の手に小瓶を手渡した。アルゴンは手渡された怪しげな小瓶の中を訝しげに覗き込んだ。中には薄暗い部屋の中でも薄らと淡い光を放つ神秘的ながらも禍々しい紅い液体が入っていた。

 その光景を見た瞬間、アルゴンの顔から安堵が消え失せた。


「……こ、これってまさか、女神の鮮血!?」


 アルゴンは痛みを忘れて声を荒げ、まるで汚物を跳ね除けるように小瓶を突き返そうとした。だがそれも仕方のない事だ。クラウディアを諸悪の根源と考えている彼にとって、女神の鮮血は忌避すべき代物なのだ。


「違う。これはそんなものじゃない」


「でも傷が治るって言ったじゃないか! あんなモノただのっ!」


「ただの、……ただのなんだ?」


 拒絶するアルゴンの手を掴みながら、必死で小瓶の液体を勧めるライファに、彼は声を荒げて何かを言い放とうして寸前で止めた。明らかに何かを隠している彼に、ライファは静かに問い掛けた。しかし答えは返って来なかった。


「あれが何なのか俺は知らない。これは俺の血なんだ。魔剣士の血は言わば万病に効く奇跡の薬だ。そんなシロモノと同じような存在がアナハイトにあると聞いた。だから俺とフォクスはアナハイトに来たんだ」


 気不味そうに俯いて視線を逸らしているアルゴンに、ライファは自分達がアナハイトに来た本当の目的を打ち明けると、手にする己の血が入った小瓶を再びアルゴンに手渡した。ライファの話を聞いたアルゴンの手は、今度は拒む事なく静かに小瓶を受け取った。

 それから少しの間、アルゴンは手の中の小瓶を見詰めていた。きっと彼の中でさまざまな葛藤があったに違いない。だが意を決したアルゴンは、魔剣士の血を一気に飲み干した。

 口溶けの悪いざら付いた舌触りとは裏腹に、本来の血のような鉄臭さは無かった。まるで甘味を凝縮した果汁のように、口の中は甘さで充満していった。


「……思っていたのと、違う」


 冗談のようにアルゴンは目を丸くしながら呟いた。だがライファは一切表情を崩さず、彼の様子を見守り続けていた。次に何が起こるのかをライファは知っていたからである。

 ライファは有無を言わせぬまま、アルゴンの口と身体を押さえ付けて地面に拘束した。するとアルゴンが何事かと反応する暇も無く、それは起こった。

 体内の血液が沸騰したかのように全身が熱くなったかと思えば、喉奥から何かが迫り上がってくるような嘔吐感に襲われ、雷鳴のような悲鳴を上げずにはいられない激痛が全身に走った。

 自警団達の尋問など遠く及ばない、これまでの人生で味わった数多の痛みをも凌駕する激痛が身体を駆け巡る中、アルゴン本人はその痛みに、包まれ抱きしめられている。と表現すれば良いのか、痛みとは真逆で安らぎすら感じる妙な快感に苛まれていた。

 やがては快楽の末に果てたかのような、心地の良い疲労感と開放感の中でアルゴンは目を覚ました。


「大丈夫か?」


 心配そうにアルゴンを見るライファの腕は、既に彼への拘束を解いていた。自分を見るライファに対して、アルゴンはぱっちりと目を見開き、先程とは別人であるかのように跳ね起きて見せた。

「なにこれ、病みつきになりそうだよ」

 自分の身体に起きた超回復に目を丸くして驚きを隠せないアルゴンは、傷だらけだった顔や手首を確認して更に仰天した。傷が全く無いのである。傷があった痕跡も、更には飛び散ったはずの血や汚物の汚れさえ衣服から消え失せていた。


「これが魔剣士の血の力? 凄過ぎるよ」


「最初は皆驚き歓喜する。でも依存すれば人でなくなる。俺はそうやって自分を見失った者達を何人か知っている。お前はそうなるなよ」


 そう語るライファの表情には陰があった。


「な、ならないよ」


「そうか? なら良い。血の力に驚いたお前の目が、そいつらにもの凄く似ていたのでな」


 不敵な笑みを浮べながら語るライファの言葉に、アルゴンは苦笑いしながらも言葉を失ってしまうのだった……。



 

 身体の調子も落ち着き、アルゴンは自らの足で立ち上がった。地に足を着ける事が久しぶりのような不思議な感じを覚えながら、彼は身支度を整えた。

 アルゴンの荷物は尋問室の隅に中身をぶち撒けられた状態だった。ライファはそれを目の当たりして、自警団達はアルゴンが持っているある物を探しているのだと悟った。だがそれが無いと分かると暴力に訴え掛けた。それでもアルゴンはある物の隠し場所を白状しなかった。なぜならそれが彼にとって唯一無二の生命線であり、切り札だったからだ。

 ライファが思考を巡らせている事など露知らず、アルゴンは無言で荷物を掻き集めて鞄の中に仕舞い込んでいた。ちょうど足元に何かが落ちていた為、手伝おうとライファはそれを拾い上げた。それは壊れた金細工の髪飾りだった。

 ライファの手に握られた金細工の髪飾りを、アルゴンは少し強引に取ると、ライファの表情を窺っていた。荷物はこれで全部だったようで、アルゴンは鞄を肩に掛けると、そそくさと尋問室を出た。その様子をライファは横目にしながらも、何かを問う事はしなかった。

 アルゴンが尋問室を出ると、見張りの団員達がいた部屋は、ほんの少し前で下世話な話し声が聞こえていたのが幻聴だったかのように無人と化していた。しかしそれが夢幻ではない事を物語るように、辺りには争った形跡と、物色した痕跡が残されていた。

 掃除用具が地面に投げ捨てられていて、それら諸々が収納されていたと見られる木箱からは、衣服の先端らしき布切れが伸びている。更にその木箱の下側が何やら液体が漏れ出ているのか、表面が赤茶色に滲んでいた。

 アルゴンは木箱の中が気になりつつも、見た事を後悔するような惨状が中に広がっているのではないかと不吉な想像を膨らませた。でもそんなはずはない。どうやったってこの木箱の中に男二人が入る余裕は無いのだ。

 それでもアルゴンは、近付こうとも蓋を開けて中を確認しようとはしなかった。


「どうした?」


 不意に背後からライファに声を掛けられた。立ち止まっているアルゴンを心配しての事だろうが、不吉な想像をしている最中に聞こえた声は、アルゴンを怯ませるだけではなく、見た事もない人ならざる者の声に聞こえたような気がした。





「さぁ、早くこんな所出よう」


 部屋から顔を覗かせたアルゴンは、廊下に誰もいない事を確認すると、未だに尋問室の中にいるライファを急がせた。


「ああ、行こう」


 先に廊下に出たアルゴンに返事をすると、ライファも後を追うように部屋を出た。だが彼は名残惜しそうに、おもむろに開けっ放しになっている尋問室の奥に視線を戻した。

 無人となったその場所には、相変わらず暴力と死の痕跡が染み付いていた。

 ライファの不可解や行動に、アルゴンは首を傾げながら再び急かそうとしたが、ライファの意味深長な横顔に、声を掛けずに待つほかになかった。

 アルゴンは知り得ないのだ。ずっと突き刺すような視線を受け続けている事を。だが彼の目に見えなくとも、ライファの眼には、はっきりと〝それ〟が見えていた。

 アルゴンが兵舎に来た時から視界の片隅に〝それ〟はいた。その輝きの無い瞳には常にアルゴンが囚われていた。アルゴンが暴力の限りを受け続けていた際も、〝それ〟はじっと彼を凝視していた。

 そして今この瞬間も、〝それ〟はアルゴンを食い入るように凝視し続けている。

 ライファは〝それ〟に対して無言の一礼を向けた。すると〝それ〟は一瞬だけライファの方に視線を移したが、またすぐにアルゴンの方へ視線を戻した。

 勘違いはしないでほしい。決して悪意を持っている訳ではないのだ。


 ただ、思い出して欲しいだけなのだ……。

 そして、忘れないでいて欲しいだけなのだ……。


 永久とこしえに深い悲しみだけが、唯一〝それ〟に人間らしい感情を抱かせるとはなんという皮肉だろう。そこに人格と呼べるものは無く、生前に強く抱いた感情だけの存在として、肉体を離れた後もこの世を彷徨いし、想い続けたが故に残留思念となって身寄りの者を探し求めているのだろうか。

 その真実を知り得る術はライファでさえも持ち合わせてはいない。

 姿無き視線に見守られながら、二人はその場を後にするのだった……。

不定期にも程がありますが、宜しかったら感想やブックマークをよろしくお願いします!

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