勿忘草の女神の章 第22節
前回までのあらすじ
大陸全土を巻き込んだ大戦が終わりを迎えて三年。四方を自然に囲まれたアナハイト領地では、病や傷を自らの血で癒す女神の伝説があった。
行方不明のソフィアを探す旅の傭兵ライファと、彼女を探すのを持ち掛けた少年アルゴンと、ライファの仲間フォクスは、闇夜に紛らて襲撃してきた自警団達を返り討ちにする。
翌日、ライファとアルゴンはアナハイトに残って調査を始める。
その後、二人の目に突如自警団が押し寄せライファ達は捕まってしまう。
そしてアルゴンは自身とソフィアの運命を左右するあの日の出来事を回想する……。
22
あの日。あの雨が降る公園の片隅で、オレ達は運命に抗う事さえできない自分の弱さを呪っていた。
押し付けられた運命に不満を感じながらも、まるで風に吹かれるままにその身を飛ばす枯葉のように運命を受け入れていた。ひとりでは何もできないと決め付けていたから……。
でも彼女と出会い、彼女も運命に絶望した時、オレはあるはずもない勇気を口にした……。
アルゴンが公園に到着したのは、雨が降り始めてしばらく経った夕刻過ぎだった。雨は徐々に勢いを増し、遠くで雷鳴が轟く程の豪雨となって、地面は歩くのに支障が出るほどぬかるんでいた。
視界を遮る雨を手で防ぎながら、焦る気持ちを抑えアルゴンはいつものガゼボに向かった。
しかし、そこにソフィアの姿は無かった。遅れてきたアルゴンが言えた事ではないが、彼女と約束していた時刻は既に過ぎていた。真面目な彼女の事である。これまでアルゴンが遅刻する事はあっても、彼女が遅れてきた事は決して無かった。
まさかソフィアに何かあったのか。焦りを募らせ表情を険しくしながら、アルゴンはガゼボから出て辺りを見渡した。他に雨を凌げる場所などこの公園には無い。もし何らかの事情があって来ていないのであれば屋敷にいるはず。そう考えたアルゴンは再び豪雨の中へ飛び込もうとした。
すると視界の片隅、ガゼボから少し離れた樹木の根元に見覚えのある後ろ姿が目に止まった。
「ソフィア!」
曇り空と豪雨に視力を奪われたとしても、アルゴンが彼女の姿を見間違う事は決してなかった。彼女の名を呼ぶ彼の声は、まるで悠久の時を離れ離れになっていた恋人とようやく再会したかのようであった。
しかし、そんな迫真の呼び声が聞こえなかったのか、ソフィアはアルゴンに背を向けたままだった。その様子に妙な胸騒ぎを感じたアルゴンは、雨に打たれ続ける彼女のもとへと向かった。
自ら近づいているとはいえ、徐々にその後ろ姿が近くになるにつれ、アルゴンの足取りは重々しくなっていった。樹木の根元は曇り空で薄暗くなった周りよりも更に薄暗く、ソフィアの後ろ姿を確認する事はできても、その先は暗闇に包まれていた。自ら身体を濡らすかのように立ち尽くす彼女の後ろ姿が、アルゴンの目にはまるで闇の入り口に立ち、今まさにこの世とあの世の境界を越えようとするかのよう映った。
我ながらなんとも妙な空想のせいで恐怖を駆り立てられる。
アルゴンは自身の空想のせいで更に近付いて見えてきた彼女の足元にある何かの物体がまるで四つん這いになった人型のように見えてしまった。
ここは一旦目を瞑って心を落ち着かせてから声を掛けよう。
アルゴンがそう思った矢先、雨の音に混じって啜り泣く音が聞こえてきた。それを聞いたアルゴンは不意に歩みを止めた。
今まで後ろ姿だけしか見せていなかったソフィアも、背後からの気配にようやく気付き、ハッと半分驚いたようにアルゴンの方へ顔を向けた。その瞳からは雨では決して隠せない程の大粒の涙が流れていた。
「あ、……ごめん」
ソフィアの涙を目の当たりにして、ただ焦る事しかできないアルゴンは、咄嗟に謝罪の言葉を口にした。
一体何の謝罪だろうか。遅れた事か、それとも涙する所に居合わせた気不味さか。ともかく無意味に終わるのは勿論だが、謝罪の言葉を口にする事しかこの状況をやり過ごす手立てが他に思い付かなかった。
「……違うの。もうどうしていいか分からなくて……」
アルゴンが気不味さと焦り倦ねていると、雨の音に掻き消されてしまいそうな小さな声でソフィアはそう呟いた。それは本当に、本当に小さな声だった。
「と、とにかくガゼボで雨宿りしよう」
ずぶ濡れになったソフィアをこれ以上見ているのが忍びなくなり、アルゴンは彼女の手首を掴むとガゼボの方へと連れて行こうとした。
だがソフィアはその場から動こうとはしなかった。雨に濡れた彼女の冷たく細い手首が、アルゴンの腕からするりと滑り落ちる。一瞬ぶらんと力無く垂れ下がる彼女の腕先を見つめたまま、アルゴンは視線の先にある彼女の腕から更に奥に横たわるとある物体を目の当たりにして思わず硬直した。
「この人達を埋めてあげなきゃ……」
「え? え?」
それがなんであるか分かるのに数秒必要だった。そして分かった瞬間周りの雨音が耳から遠ざかるように一瞬にして静まり返ったような感覚に襲われた。
ソフィアの足元にあったのは、半分腐敗した親子の骸だった。
先程の空想が現実になってしまった。いやまるで空想から這い出てきたかのように、その骸は一見すると本当に四つん這いにも見える格好で倒れていた。
だが実際はそうではなかった。母親と思しき骸が我が子を守ろうと覆い被さっているかのようだった。その証拠に母親の骸の背中には子供もろとも串刺しにしたような刺し傷が何箇所もあった。母親は必死に盾になろうとしたのだろう。その死に顔は腐敗しても尚眉間に皺を寄せ、歯を食いしばった表情のまま絶命していた。
子供の方は更に壮絶な死に顔をしていた。死に至る激痛に悶え苦しみ、カッと開き切った目は天を見上げたまま硬直していた。だがそれだけではない。死した後に顔を踏み付けられたのだろう。鼻は潰れて折れ曲り、唇は無造作に裂け、後頭部は地面にめり込んでいた。
この子が最期に見た光景は、自分達を殺して満足そうに不気味な笑みを浮かべた悪魔の姿だったに違いない。その悪魔は絶命しても尚自分を睨むように見上げる子供の顔面に平気で踵をねじ込む鬼畜だ。そんな悪魔はアナハイトに一人しかいない……。
その事実を知った瞬間アルゴンは恐怖で固く目を瞑り親子を哀れに思いながら自信も震える事だけだった。
しかし、そんなアルゴンを尻目に、ソフィアは素手で土を掴むと骸に掛け始めた。
「な、なにを!」
「埋め直してあげなきゃ。可哀想だから。……お願い。手伝って」
土を掘りながらソフィアはアルゴンに言った。ゆっくりと、しかし着実に黙々と土を骸に掛け続ける彼女の後ろ姿は、アルゴンの思考を激しく動転させるには十分過ぎる程に衝撃的だった。
激しかった雨が止み始めたのは、二人が親子の骸を埋め終わった頃だった。
遠くの空はまだ曇っていた。そんな空を呆然と眺めるアルゴンの手は乾いた泥に汚れ、そしてまだ少し震えていた。
彼の横ではソフィアが膝を抱えながら座っていた。可愛らしい黄色のドレスは泥まみれになっていた。
「遅れてごめん……」
アルゴンはようやく遅刻を謝罪した。
「ううん。いいよ」
ソフィアは許してくれた。
「それで、……どうだったの?」
少し間を置いて、アルゴンは振り払うようにして手の震えを抑え、ソフィアにとある事の答えを尋ねた。
そう。それこそ今日二人が待ち合わせをした理由だった。
ソフィアと言葉を交わした何度目かのあの日、少しずつ互いの事を知るようになって、互いにやり場の無い孤独を埋めるように寄り添い、一方的かもしれないと想いながら恋心を抱き、そんな彼女から相談されるようになって、その結果を知る為に今日会いに来た。
結果はもう分かっていた。彼女の口から聞かされてそれが真実になるのが堪らなく嫌だった。だがその時の自分には答えを尋ねる事しか出来なかった。
「……結婚、させられちゃう。何を言っても聞いてくれなかった。気持ち悪い。吐きそう……」
膝を抱えていた手がいつの間にか頭を抱えていた。美しいはずの金髪を雨で濡らし、更に痛め付けるようにもみくちゃにしていた。いつものソフィアからは想像出来ない痛々しい姿にアルゴンは顔を背けた。
すると不意に何かが彼女も頭から鈍い輝きを放ちながら落ちる。アルゴンが足元を見るとソフィアの髪飾りが落ちていた。
「……あ」
髪飾りを拾い上げると、金細工の一部が取れてしまっていた。
「お婆様も、誰も見守ってはくれてないみたい……」
いつの間に顔を上げていたソフィアは、アルゴンの手の中で壊れている髪飾りを見下ろしながら哀しげに呟くと、再び顔を俯かせそれ以上口を利かなくなった。
あの時、他にどんな言葉を掛けてあげれば良かったのだろうか。
慰めの言葉を一切持ち合わせなかったから、後先も考えないまま言葉だけが先行した。
俯くソフィアをアルゴンは優しく抱き寄せた。不意の出来事に彼女は顔を上げ、アルゴンの顔を覗き込もうとした。だが抱き寄せられた彼女の顔はアルゴンの顔の横にそっと引き寄せられ、視界に映るのはガゼボから見える曇り空と寂れた町だけだった。
「……一緒に逃げないか」
アルゴンはソフィアの耳元でそう囁いた。その言葉がのちの二人の運命を左右する事などに知らぬままに……。
また随分と間が空いてしまいました。よろしかったらブックマークや感想をお願いします。




