勿忘草の女神の章 第14節
前回までのあらすじ
大陸全土を巻き込んだ大戦が終わりを迎えて三年。四方を自然に囲まれたアナハイト領地では、病や傷を自らの血で癒す女神の伝説があった。
旅の傭兵ライファは、アナハイトに向かう途中、悪漢達に襲われていた少年アルゴンを助ける。
アルゴンは近年多発している少女失踪事件で行方不明になったソフィアを探しており、ライファに協力を頼むが断られてしまう。
しかしその後、ライファや、彼の仲間のフォクスが、実はソフィアの両親に雇われた賞金稼ぎである事が分かり、疑心暗鬼になったアルゴンは何処へと走り去ってしまう。
その後、アルゴンとフォクスは和解し夕食を共にするが、突如として自警団に襲撃され、アルゴンが絶体絶命の危機に陥ったその時、魔剣を手にしたライファが駆け付ける。途中で意識を失っていたアルゴンが目を覚ますと、全てが終わっていた……。
14
始まりはいつだったのか……。
いつから彼女を想うようになったのか、それはもう定かじゃない。
はじめて彼女を目にした時、彼女は小さな花束を抱えながら町の公園の片隅に立っていた。
その横顔は可憐で、そして何故かとても哀しげだった……。
あの横顔を見た時から、心の片隅にはいつも彼女がいた。
その後のオレの人生を大きく変えたあの日の彼女の横顔を、オレは生涯忘れる事は出来ないだろう……。
その日、アルゴンはアナハイトの隣の町にいた。
とある用事を済まし、彼は帰路に就こうしていた。寄り道をしなければもっと早く帰る事は出来る。しかしアルゴンは一週間の内、ある曜日だけいつも寄り道をして帰っていた。
その理由は二つあった。その一つが、アルゴンが今歩いている通りの先にあった。この先にはこの町に暮らす貴族の屋敷がある。そう、ソフィアの家であった。
相変わらずこの町は寂れている。規模的にはアナハイトよりも広いし、暮らしている人の数も多いはずなのに、まるでアナハイトに人々の精気を吸われているかのように活気がない。それに町には至る所に行方知らずになった少女達を探す貼り紙貼られていた。風に飛ばされて地面や家の屋根や木の上に散らばっているから、散乱していると言った方が正しいかもしれない。それに、そんな事をしても誰も帰っては来ない。皆薄々気付いているのに、誰も本格的に行動を起こさない。
こいつらも同罪だ……。そしてオレはもっと罪深い。
今日もアナハイトに向かう為に森へ入って行く旅人らしき者達を数人見掛けた。ボロを身に纏い、病や傷に悲鳴を上げる自身の身体を引きずりながら、彼等は救いを求めてやって来る。その後、彼等がこの町に引き返してくる事は無い。そのままアナハイトに居着くのだ。そうやって今のアナハイトが出来た。ここの過去に興味は無いが、アルゴンはそう話に聞いていた。
そうこうしているうちにアルゴンは屋敷の前まで辿り着いた。古ぼけた屋敷は修理も出来ず、奴等は残りの財産を切り崩しながらの生活を送っている。などと町の人達に陰口を言われ罵しられているのを、アルゴンは屋敷を見る度に思い出していた。
田舎の貴族だから豊かな暮らしができないわけでもないし、貧困に喘ぐ者達を無視して自分達だけが優雅に暮らしたら、それをよく思わない連中に屋敷を焼かれるからと、そんな事を危惧しているわけでもない。ただ本当に貧乏なだけなのだ。
しかしそれとは対照的に、屋敷の前にある小さな庭だけはいつも綺麗に手入れがされていた。
さて、今日はソフィアが馬車に乗ってアナハイトへ礼拝に行く日だ。この日はいつも正門の前に馬車が止まっている。少し待っていれば彼女が馬車に乗る為姿を現わす。それはソフィアを一見できる数少ない機会であった。
屋敷の入り口から姿を現すソフィアは貴族としての気品を持ちながら、同時に着飾らない姿勢を合わせ持ち、更に使用人であり馬車の御者でもある老人に対し常に絶やす事の無い笑顔で挨拶をしていた。踏台を用意する御者に遠目からでもはっきりと分かる心からの感謝をして、ドレスのスカートを軽く持ち上げて、馬車に乗り込む仕草がなんとも言えない可愛らしさなのだ。
そして馬車がアナハイトに向かって出発するのを影ながら見送る。その時小さく手を降っていたりもした。それが週に一度だけ訪れるアルゴンのささやかな癒しのひとときだった。
今の今までソフィアがアルゴンの存在に気付き、彼の方へ顔を向けた事は無い。無論アルゴンも彼女に淡い想いを胸に抱き、熱い視線を向けている事がバレないように物陰に隠れていたのだから当然だった。
しかし今日は正門の前に馬車が止まっていなかった。どうしたのだろう? とアルゴンがいつもとは違う状況に首を傾げていると、屋敷の中から怒りと失望とが込められた声が聞こえてきた。
「どうして! 私そんな事何も聞いてない!」
それはあまりにも突然だった。
驚きながらもアルゴンが怒鳴り声のした方を見ると、屋敷の入り口がまるで誰かが扉のノブを手に取り、外に出ようとした寸前に呼び止められた。とでも言いたげな程度に扉がほんの少し開いていた事に気が付いた。そして、その少しだけ開かれた隙間から一瞬黄色いドレスを着た人影が見えた。
「ソフィア……」
遠目から一瞬だけ見えた人影。それがソフィアであると分かったアルゴンは、意図せずに彼女の名を囁いていた。
それにしてもこんなに怒った声を上げる彼女は初めてだった。アルゴンは頭の中で彼女は優しいから怒ったりしない。と勝手に思い込んでいただけにかなり衝撃的だった。にしても彼女は一体何に怒っているのだろう。アルゴンは悪いとは思いながらも聞き耳を立てた。
「だから今話しているだろう。なあソフィア、これはお前の幸せを考えての事なんだ」
「そうよソフィア。貴女ももう十七でしょ? こんな御時世だから親として私達は貴女に幸せになってほしいの」
怒りを露わにするソフィアに答えるように聞こえてきた中年の男女の声。恐らく内容からしてソフィアの両親だろう。彼女には悪いが、アルゴンはソフィアの両親にあまり良い印象を持っていなかった。
ソフィアの父は貴族である事に少しばかり偏った誇りを持っているようで、世間の評判に敏感な人物と聞いていた。御者にも偉そうな態度を見せていた姿を、アルゴン自身も何度も見た事があった。
ソフィアの母も同じである。顔はソフィアの母親だけあって、彼女に似て美人と言っても過言ではなかった。でも彼女とは違って変に着飾っていた。まるで中年の田舎女が貴族の仮装でもしているような、指輪や耳飾りや首飾りなど、歩けばジャラジャラと音が鳴りそうな装飾品を見る度に身に付けていた。あと香水の匂いがキツかった。
「そんなの嘘! どうせ上流貴族との関係を築きたいだけでしょ? だってこの前はあの公爵の倅は、いい年して結婚も出来ない愚か者だって罵っていたじゃない!」
「何を言っているんだ! 人聞きの悪い事を言うんじゃない!」
「そうよソフィア。お父様に謝りなさい!」
「もういい!」
「何処に行くんだ! 話はまだ終わっていないぞ!」
「お祖母様が生きていたらこんな事、絶対反対したに決まってるわ!」
ソフィアのその言葉を最後に入り口の扉が勢いよく開き、中から飛び出してくるかのように彼女が出て来た。アルゴンは咄嗟に身を隠そうとしたが、近くに何もない事に気付いて慌てていた。そんなアルゴンの姿を、ソフィアは走り去って行く際に一瞬だけ見た。その時目と目が重なった。その眼差しに怒りは無く、失望と悲しみだけが宿っていて、少し虚ろなその瞳は、悲しみを抱え切れずに涙となって今にも溢れてしまいそうだった。それを具現化するように、涙とは別の何かが彼女の頭から輝きを発しながら地面に落ちた。
ハっとするアルゴンに、ソフィアは地面に落ちた何かに気付かず、顔を背けながらすぐに視線を逸らし、急ぎ早に走り去って行った。
一瞬の出来事の後、アルゴンは足元に落ちている何かを見た。それは美しい金細工の髪飾りだった。それを拾い上げたアルゴンは、もう一瞬ソフィアが出て来た屋敷の入り口に目を向けた。
勢いよく開かれ半開きになった扉が少し揺れている。そこから彼女を心配して追いかけようと出て来る者の姿は誰一人いなかった。
それがとても悲しくて、アルゴンは静かな怒りをふつふつと感じた。
「彼女に渡してあげなきゃ……」
アルゴンは金細工の髪飾りを握り締めながらソフィアの行方を追ったのだった……。
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