勿忘草の女神の章 第12節
前回までのあらすじ
大陸全土を巻き込んだ大戦が終わりを迎えてから三年。四方を自然に囲まれたアナハイト領地では、病や傷を自らの血で癒す女神の伝説があった。
棺のような強固な鉄鞄を肩に掛けた旅の傭兵ライファは、アナハイトに向かう途中、悪漢達に襲われていた少年アルゴンを助ける。
アルゴンは近年アナハイトで多発している少女失踪事件で行方不明になった少女ソフィアを探しており、ライファに協力を頼むが、ライファはそれを断るのであった。
しかしその後、実はライファや彼の仲間のフォクスが、実はソフィアの両親に雇われた賞金稼ぎである事が発覚し、疑心暗鬼になったアルゴンは何処へと走り去ってしまう。
アルゴンの身を心配するライファは、フォクスにアルゴンを任せ、アルゴンを見つけたフォクスは彼と強引な空気を醸しながらも和解し、夕食を共にするのだが……。
12
「はぁー、食った食ったぁ」
ゆらゆらと揺らめきながら燃える焚き火を前に、フォクスは夕食を終えると満足そうな顔をしながら、まるで愛おしそうに自分の腹を摩り、それが済むと傍に置いてある鞄の中から葉巻を一本取り出して咥えると、焚き火の中から先端に火の付いた小枝を一本摘み、それを使って器用に火を付け一服し始めた。燻らした煙は夜風に吹かれ、フォクスの頭上を一瞬舞うと、すぐに消えた。
その様子を、焚き火を向かい合わせにして見ていたアルゴンの視線に気付いたフォクスは、鞄から新しい葉巻をもう一本取り出し、吸うか? と言わんばかりにアルゴンの方に向かって見せた。アルゴンがそれに気付いて首を横に小さく振ると、フォクスは葉巻を片付けた。
「よう、ところでお前さんとソフィアって娘っ子とはどんな関係なんだ?」
手にした葉巻を吸い、燻らした煙が消えるのを見届けた後、フォクスはおもむろにアルゴンにそう尋ねた。
「な、なんだよ突然」
急な質問に反応出来なかったのか、はたまた聞かれたくない質問だったのか、咄嗟に口から出たその一言には、明らかな動揺が見て取れた。それをフォクスが見逃す筈もなく、彼はライファが言っていたようにアルゴンが何かしらを隠し、または何らかの情報を握っていると確信した。
「見ず知らずのあの人に協力を求めるくらい必死になって探してんだろ? それでいて金が目的じゃない。そんな男女の関係を気にならない方が変だろうが」
二人の間には彼等を隔てるように燃えさかる焚き火があるにも関わらず、フォクスはまるで焚き火に覆いかぶさらんとする勢いで身を乗り出しながらそう続けた。
対するアルゴンは、詰め寄るようフォクスに萎縮したのか、それもただ単に言いづらかったのか、ほんの少しの間俯いて何やら考え込んだ様子を見えた。その間もフォクスは焚き火を隔てながら監視するような視線を向け続けていた。
「関係もなにも、偶然話す機会があって、それからお互いの事色々話すようになってさ、気付いたら惚れてた。彼女がオレをどう思ってたかは分からないけど、オレはソフィアが……、好きなんだ……」
そう言い終えるとアルゴンは再び俯き、ぼんやりとした眼差しで焚き火の炎を見つめた。
「まあ、そうだろうなと察しは付いていたけどな。にしてもお前さん、よくもまぁ恥ずかしげも無く好きとか惚れたとか言えるなぁ。青春っていいなぁ」
「なんだよそれ! バカにしたかっただけかよ!」
「悪い、冗談だ」
「どうだか」
またフォクスが自分を小馬鹿にしている。そう感じたアルゴンの声は嘲りを覗かせ、彼から視線を外した。だがそれでもフォクスは問い掛けを止めなかった。
「ところでお前さん。その事ソフィアには伝えたんか?」
「その事って?」
「惚れてる。って事だろうよ」
「言えるわけないよ!」
「なんで?」
「そりゃ……、オレだって……」
「あ? なんだって?」
「……彼女は貴族だ。それに比べてオレは……、貴族でもなければなんの肩書もないただの若造だし……」
「だから?」
「だから伝えたところで意味ないし、きっと彼女も迷惑だよ」
「じゃあなんで探してんだよ?」
「それは……」
「それにな、いいか? オレはソフィアっていう娘っ子に会った事がねぇけどな、彼女はお前さんが貴族でもなければなんの肩書もないただの若造って知ってて仲良くしてくれたんだろ?」
「……うん」
「彼女はお前さん対して見下した態度を取ってたか? 貴族じゃないから、なんの肩書きもない若造だからってお前さんを馬鹿にしたのか?」
「……してない」
「そうだろ? だから惚れたんだろ? だから必死こいて探してんだろ? 違うか?」
「……違わない」
「だったら何がなんでも彼女を見つけてよう、自分の気持ち伝えろよ」
そう言い放ったフォクスの表情に、茶化しや冗談といった感情は微塵もなかった。ただ自分が思った正直な気持ちをアルゴンに伝えただけ。その瞳はまっすぐアルゴンを見ていた。
アルゴンは自信無さげに俯いて顔をほんの少しだけ上げ、フォクスの表情とまっすぐに自分を見る彼の瞳と一瞬だけ視線を合わすと、また再び顔を俯かせた。
照れ臭かった訳ではない。ただフォクスの表情と彼の口から語られた少し乱暴な言葉の数々が、アルゴンの脳裏にあるソフィアとの思い出を一瞬にして思い出させたのだ。
思い出の中の彼女は、笑ったり、悲しんだり、そして泣いていた……。
彼女のその表情を目の当たりにした思い出の中の自分がどんな気持ちになったのか、アルゴンはそれを思い出し、噛み締め、再び心に刻み込んだ。
「ちょ、お前さん泣いてんのか?」
俯いているアルゴンの両肩は小刻みに震えていた。燃え盛る焚き火の音に混じって鼻をすする音が聞こえて来た。
「……泣いてない。焚き火で目が乾いただけだ!」
「そうかい。じゃそういう事にしといてやるよ」
フォクスの言葉にアルゴンは俯いたまま答えた。その声も明らかに震えていて、泣いているのは明白だった。だがフォクスはそれ以上彼を茶化したりはしなかった。そして静かに涙する彼からゆっくりと体勢を逸らすと、気にしていないとばかりに腕を組んで夜空を眺めながら葉巻を燻らした。
それからしばらく二人の間に沈黙が訪れる。時間にしてみればほんの三分にも満たない時間だったと思われる。啜り泣いていたアルゴンはやがて泣き止むと、シャツの襟を掴んで涙を拭い、深い深呼吸をした。彼の吐く息の音を聞いていたフォクスは、やっと泣き止んだか。と茶化すことはせず吸い終わった葉巻を指先から弾いて焚き火の中に捨てた。
「……あのさ」
先に沈黙を破ったのはアルゴンだった。
フォクスは再び体勢をアルゴンの方へ戻した。そこには泣き晴らしてスッキリしたのか、先程とは別人のように彼の方をまっすぐに見つめるアルゴンがそこにいた。その瞳には僅かながらに意志を固めた力強さを宿しているように見え、それを確認したフォクスは不意に笑みを浮かべてしまったのを、顎髭をいじるそぶりで隠した。
「なんだ?」
そう返すフォクスの声は、本人も意識せずにほんの少しだけ優しげになっていた。
「今度はそっちがライファとの関係を話してよ」
それは単に純粋な好奇心から聞こうとしたのだろう。アルゴンはフォクスに心を許したのか、その表情からは緊張や警戒は無くなっていた。フォクスにもそれを瞬時に伝わった。
だからこそ、まだ自分やライファに何かを隠しているアルゴンを、フォクスは信用するわけにはいかなかった。
「最初に言わなかったか? 腕の良い相棒だって」
フォクスは出来るだけ素っ気無さを出さないようさっきまでと変わらない口ぶりで答えた。
「それは今の関係でしょ? じゃなくてさ、出会いとか。だって本物の魔剣士だよ?」
フォクスの言葉にアルゴンは楽しそうに返事を返す。大戦時の噂話に出てきた魔剣士が実在し、これからその魔剣士の誰も知らない真実を聞く事が出来る。そう考えれば誰だって期待して楽しそうに振る舞ってしまうものかも知れない。それも理解出来るし、幸いにもアルゴンは自分を信用し始めている。そう思ったフォクスは、彼の質問を突っ撥ねて再び距離を置かれたら、聞き出せる情報も聞き出せなくなると考えた。
「オレとあの人の関係ねぇ……」
ほんの少しの間、フォクスはまるで過去を思い出すように腕を組みながら夜空を見上げた。
「簡単に言えば命の恩人だな。それから色々あって今じゃ一緒に仕事する間柄。そんな感じだ」
そして再び視線をアルゴンに向けるとそう答えた。
「掻い摘み過ぎじゃない? それじゃ全然分かんないよ」
フォクスの答えに、アルゴンは眉を八の字のようにして困り顔を浮かべた。正直答えたフォクス本人も、要約し過ぎていると感じたが、まだ信用できない相手に自分達の過去や情報をおいそれと教えるわけにもいかないし、第一に自分達の関係を聞いても、アルゴンは決して信じないだろう。とフォクスは思った。
「まぁいいや、それにしてもライファって凄いよね。魔剣士が本当にいたなんて、会った後でも信じられないよ」
フォクスに気を使ったのか、それともフォクスから話を聞くのは無理だな。と思ったのか、アルゴンは話題をライファへと変えた。
「まあ、魔剣士に関わった奴は大概死ぬからなぁ」
だがそれに対し焚き火を近くに落ちていた小枝で突っつきながら、呟くように言ったフォクスの返答は思いもしないもので、それを聞いたアルゴンは言葉を詰まらせた。対するフォクスは別にアルゴンを怖がらせようと言ったわけではないようで、それを物語るように焚き火を突っつくのに一生懸命の様子だった。
「そ、それにしても強いよね。オレも命を救ってもらったんだ。登場の仕方も凄いと言うか、なんか英雄登場! みたいな……」
「どこかで聞いたような感想だなぁ」
アルゴンの言葉にフォクスは焚き火を突っつく手を止めた。
「まぁ、あの人とは長いからな。色々な力を使ったのを見たなぁ。例えばお前さん。幽霊って信じるかい?」
「え? 突然なに? 怪談話? やめてくれよこんな廃墟のど真ん中で」
突然怪談話を始めたフォクス。だが今自分達がいる場所が場所だけに、アルゴンは正直笑えない冗談だと思った。だが彼の目を見ながら話すフォクスのそれは至って真剣だった。
「まぁ聞けよ。ライファはな、魂になっちまった人間が見えるんだ。最初はオレも信じなかったよ。だけどよう、こんな生き方してると人の生き死に関わる事が多くてなぁ。昔とある出来事があってから気が付きゃオレも見えるようになってたんだ。調子が良い時なんて、そいつが生きてる奴なのか、死んでる奴なのか、見分けが付かなくなっちまう時もある……」
そう言い終えると、フォクスは再び焚き火を小枝で突っつき始めた。辺りには焚き火から放たれる音だけが聞こえていた。
感想を言えばいいのだろうか。だがアルゴンはただただ黙ってフォクスと同じく焚き火を突っつこうと目をキョロキョロさせて小枝を探した。そんな様子のアルゴンをよそに、再びフォクスが口を開いた。
「ていうか話は戻すけど、お前さん、あの人を正義の味方か何かだと思ってんのか?」
「いや、なんて言えばいいか分からないけど、かっこいいなって……」
フォクスの言葉にアルゴンは小枝を探しながら少々焦り気味に答えた。
「……あの人は、お前さんが思っているような存在じゃない」
「え?」
その言葉に、小枝を探すアルゴンの手が止まった。
「なんにしても、オレ達とはあんまり深く関わり合いにならない方が良いって事だ。本当はな。今さっき言っただろ? 魔剣士に関わった奴は大概死ぬんだ」
フォクスのその言葉にアルゴンの表情が少し強張った。それを知ってか知らずか、フォクスは無表情のまま、おもむろに周囲を見回しながら話を続けた。
「なんて言うか、まるで呪われてるみたいに次から次へと災難に出くわしちまう。まあ、そういう世界で生きてるから仕方ねぇんだけどな」
「辞めたいとは思わないの?」
「辞めたいから辞める。オレ達がいる世界は、そういうのじゃねぇんだよ……」
そう語るフォクスの表情は少し物悲しそうだった。
「でもまぁ、オレも嫌でしょうがねぇよ。飯食った後は寝かしてくれって感じなのによぉ。場所が悪かったかなぁ。こんな薄気味悪い場所、そりぁ悪い奴等も集まって来ちまうか……」
「え? なに?」
突然フォクスが話題を唐突に変えてしまったようで、混乱したアルゴンは首を傾げながら言った。
「でもまあ、いるかどうか分かんねぇ幽霊なんかより、生きた人間の方がよっぽど恐ろしいけどな!」
しかし、フォクスはそんなアルゴンの言葉を無視して淡々とそう言い放つと、アルゴンが瞬きする間に足元の弓を構えた。
それは一瞬の出来事だった。アルゴンはフォクスの手にする弓が自分の顔面に向けられているのが分かった。だがそれが分かった時には空を切る音を置き去りにし、矢はすでに放たれていた。眼を瞑る間も許されず、放たれた矢はアルゴンの右頰を羽根の部分が撫でるような感触がする程の軌道を通過していった。
そして次の瞬間、形容し難い鈍い音が背後から聞こえた後、何かが倒れる重々しい音が辺りに響いた。アルゴンはすぐさま背後に振り向こうとした。だがその時フォクスがいきなり焚き火を蹴飛ばし、続けざまにアルゴンの頭を掴んで無理やり姿勢を下げさせた。
「うわ!」
何が起きたのか分からぬまま、短い悲鳴を上げたアルゴンだったが、なぜフォクスがこんな事をしたのかすぐに分かった。アルゴンが姿勢を下げられた直後、無数の矢が飛来し、その内の数本が近くの壊れた噴水にぶち当たった。
「なに? なに!?」
「オレが知るか! 奴等に聞けぇ!」
訳も分からず叫ぶアルゴンにフォクスも叫び声で答えた。だがその二人の叫び声をかき消すように、辺りから無数の教養のかけらも無い獣のような、怒号のような唸り声が響き渡った。
「畜生、囲まれちまった。こりゃ奇跡が起こるまで持ち堪えねぇとな!」
今自分達の置かれている状況とは対照的に、フォクスは楽観的な様子を見せた。それを尻目にアルゴンはただただ地面に這いつくばっていた。
「お前さん、そのまま頭下げてろよ!」
そう言うとフォクスは身を乗り出し再び矢を放った。その矢が暗闇に消えた後、悲痛の声が響き渡った……。
前回から何ヶ月も経ってしまいましたが投稿させていただきました。




