勿忘草の女神の章 第11節
なんやかんやで前回の投稿から1ヶ月も空いてしまいました。
良かったら読んでください。
11
机の上に置かれた一冊の日記を読み終えると、ライファは視線を部屋の壁を背に絶命する男の遺体に向けた。
遺体の額には鉄の矢が突き刺さり、その威力を物語るように矢尻は後頭部を粉砕するように飛び出し、遺体の背後にある壁一面に、まるで理解できる者にしかその価値が理解されない絵画のように、血と頭皮の破片を飛び散らしていた。
「貴方が、ロイドかい?」
ライファは遺体を見下ろしながら、まるで彼が生きているかのように語り掛けた。
しかし彼はもうどこにもいない事をライファは気配で知っていた。それでも遺体の前で片膝を突くと、開かれたままの彼の瞼をそっと閉じ、血で汚れた顔を優しく拭った。
「息子を埋葬せずに自殺なんてしないよな?」
ライファはロイドの遺体に向かってそう語り掛けた後、ゆっくりと立ち上がり、背後にある開かれたままの窓へ身を移すと、そこから少し身を乗り出して外の風景を眺めた。
外は目の前の小川と、その向こう一面に広がる小麦畑が夕陽に照らされながら南から吹く風に揺られていた。更にその向こうには、ライファがアナハイトへとやって来た時に通った森が見える。鬱蒼と茂る森の奥は暗闇が顔を覗かしていた。
此方からは良く見えなくても、きっと彼方からは良く見えるのだろう。そうライファは思った。
そして小川のせせらぎと、揺れる小麦畑とが奏でる風景の音色に耳を傾けるように、彼はそっと眼を閉じた。
次の刹那、遠くの方で風が波打つのを感じ取った。その直後、風景の音色の中に小さな不協和音が混ざり始める。
その不協和音は風を切り裂きながら少しずつ存在感を巨大化させていく。
その不協和音には殺意が込められていた。更に不協和は風を切り裂きながらライファの方へと近付いてくる。
やがて風景の音色を掻き消すように、不協和音はライファの額を貫こうと牙を剥いた。
次にライファが右腕を顔の前に突き出した時、その拳には鉄の矢が握られていた。
その鉄の矢は、矢尻に込められた殺意と威力を物語るように、握られた後もしばらく小刻みに振動していた。手から伝わる振動と、込められた殺意を感じ取りながら、ライファはゆっくりと閉じていた眼を開け、矢を握った腕を顔の前から少しずらし遥か彼方の森の中の暗闇を睨み付け、握られた鉄の矢を怪力の名の下に、己に向けられた殺意ごとへし折って見せた。
「小麦畑に六人。家の裏手に八人。素人が……」
誰に言うでもなく、そう呟いたライファの表情は氷のように冷たい眼差しと、それと対照的に口元は笑みを浮かべていた。
そして、死に絶えるロイドの遺体に一瞬だけ眼を向けた後、机に置かれた彼の日記を再び手にして、ライファは勢い良く窓の外へと飛び出して行った。
それはまるで子供が外へ遊びに行くかのように、まるでこれから楽しい事が待っているかのような軽やかな身のこなしであった……。
一方その頃。
夕陽が沈み、アナハイトに夜が訪れ始めようとする時刻。アルゴンは独り東の村外れにひっそりと佇む廃墟と化した屋敷の前に立っていた。
これからどうすればいいのか。全く思い浮かばない……。
このまま倒れて眠ってしまいたい衝動に駆られる。この命諸共全てかなぐり捨ててしまいたい。無力感と虚無感が睡魔のように押し寄せて、絶え間無い現実逃避の衝動がアルゴンの脳裏を駆け巡っていた。
サリーナの店で食べたフェリアンラビリックスのモモ肉ステーキは、せいぜいふたくち程度の筈なのに、それが腹の中で何倍にも膨れ上がって、吐き気となって嗚咽を催しているみたいであった。
アルゴンは眉間に皺を寄せ、覚束ない足取りで廃墟の奥へと歩みを進めた。普段ならこんな薄気味悪い場所に一人で行こうとは思わないはずだ。
だがしかし、今のアルゴンはそんな無意味で安っぽい恐怖など感じている余裕もゆとりも無かった。
ただ今すぐ横になれる場所を求める傷付いた獣のように、人気の無い静かな場所を求めた。ただそれだけだった。
そんな心境のアルゴンが行き着いたのは、廃墟の裏手にある白い大理石の壊れた噴水と、首の無い女神像がある庭園だった。と言っても草花は既に枯れ落ちた物悲しく殺風景な場所だった。
すぐ近くにはアナハイトの森が見える。夜の森は暗黒に満ちていた。暗がりから獣らしき鳴き声が風に乗って聞こえてくるような気がした。
アルゴンは噴水の角を背もたれにして腰を下ろすと、両膝を抱えながら溜息を吐いた。それから意味も無くしばらくの間地面を眺め、それから顔を上げるとまた意味も無く屋敷の方に目を向けた。
屋敷は屋根の一部が落ちていた。そこの外壁を見ると夜の暗がりでも分かる程、他と違って黒ずんでいて、恐らく火事で屋根が焼け落ちたのだと見て取れた。
「薄気味悪い屋敷だなぁ……」
屋敷をぼんやりとしながら眺めているアルゴンの背後から、不意を突くように声がした。その声を聞いたアルゴンはギョッと身体を震わすと、慌てて声のした方へ顔を向けた。
「よう」
そこに立っていたのは、アルゴンの中で最悪と言って良い程に印象の悪い男、フォクスだった。
全く、この野郎は不意を突いて人の背後を取るのが趣味なのか?
嫌な記憶に登場する人物が、その記憶のそのままの姿で目の前に立っている。そんな最悪な事があって良いのだろうか。一つ違う箇所を言うのなら、さっきは持っていなかった汚い布袋を肩からぶら下げているくらいだろう。
「……アンタか」
そんな事を考えながら、フォクスに粗末な返事を返すアルゴンの表情は、第三者から見ても明らかな不機嫌さを覗かせていた。実際アルゴンはそれを隠すつもりも無かった。
だが初対面での出来事もあって、必要以上の虚勢を見せる事はしなかった。本心では無視してやりたかった。しかしそうしなかったのはフォクスが怖かったからである。無視してまた彼が怒り出したら自分では敵わないと分かっているし、止めに入ってくれるライファもいない。だから彼を必要以上に刺激するわけにはいかなかった。
それでも表情に出して見せたのは、弱いながらも男としての意地と、せめてもの反抗の表れだった。
「あのさぁ……」
対するフォクスも先程と異なり、時折アルゴンから目線を反らしたり、頭を掻いたりしてなにやら落ち着かない様子を見せていて、まるでその口振りも別人のように歯切れが悪かった。
「なに?」
フォクスの異変に若干気付いたが、彼を刺激したくないアルゴンは気付かないふりをして返事をした。すると……、
「……さっきは、悪かった。すまん!」
目を逸らしながらも、言葉に詰まらせながらも、フォクスは頭を深々と下げて謝罪してきた。
「え、え?」
突然目の前に突き出された頭の天辺に、アルゴンが驚きの声を発していると、フォクスは座り込んだ。その表情は真剣だった。意を決したように落ち着きを取り戻したその視線は、睨みとはまた別の眼光を放っていた。それを目の当たりにしたアルゴンは目線を逸らせなくなった。
「正直に話す。オレはあの時、ライファと合流する為にあの人を尾行していた。それはあの人も承知だった。だから人気の無い場所に向かっていたんだ。そんな時にお前さんがあの人を尾行しているのを見て敵だと思っちまった。戦場じゃ一瞬の躊躇が仇となるからな。咄嗟の行動に出ちまった。本当に悪かった。すまねぇ」
必死に弁解すると、フォクスはまた深々と頭を下げた。アルゴンはその姿をまじまじと見つめていた。
正直まだ彼を完全に許せてはいない。それがアルゴンの本心だった。
しかしフォクスの謝罪は、本当にすまない事をした。反省している。と言動全てで語り掛けて来るような説得力を感じるのも事実だった。
正直フォクスが怖いし初対面からして嫌いだった。だがこの謝罪を目の当たりにして、アルゴンは彼が本当はそんなに悪い奴ではないのではないか、とも思えた。
弁解は筋が通っていたし、もし自分が彼で、同じ状況なら同い行動を取ったかもしれないと思えた。
アンゴンが許すかどうかを考えている間も、フォクスは頭を下げたまま判決を待ち続け、このままアルゴンが何も言わなければ永遠にそうしているかのように微動だにしなかった。
「……分かった。アンタを許すよ。だから頭上げてくれよ」
軽い深呼吸の後、下げられたままのフォクスの頭に向かってアルゴンは静かにそう語り掛けた。
謝罪は受け入れられたのである。
しかし、これ等は全てアルゴンから見た謝罪の様子なのである。謝罪したフォクスの本心は、真実とはかけ離れたものであった。
長い! 長すぎる! いい加減許しちまえよ、このクソガキが!
ライファにアルゴンの警護を頼まれていたフォクスにとって、この謝罪は演技以外のなにものでもなかったのだ。内心謝る気など皆無だった。頭を下げて地面に顔を向けている時は意味も無く変顔をしていた。
「……分かった。アンタを許すよ。だから頭上げてくれよ」
そうアルゴンが口にした瞬間、その口降りが妙に格好付けているように聞こえて、フォクスは思わず吹き出してしまいそうになった。
だがそれを必死に堪え忍び、歯を食いしばるかのように真剣な表情を作るとフォクスはゆっくり顔を上げた。そこにはほのかに格好付けたアルゴンの真顔があった。
笑わせに来ているのか。と勘繰ってしまいたくなるその表情に、フォクスはクワッと目を見開いて我慢した。
これはちょっと不自然だったかもかもしれない!
内心ちょっと焦ったフォクスだったが、アルゴンは気付いていないようだった。
「じゃあ握手だな」
「え? なにそれ? どういう事?」
「仲直りの印ってヤツだ」
「あ、そうなんだ。よくわかんないけど」
形的に和解した今、ここからもうフォクスの独壇場だった。
フォクスはアルゴンに、まだ見せた事のない優しげな笑顔を見せると手を差し伸べた。その手をアルゴンは目を細め怪訝な表情を見せながら若干警戒した。
きっとコイツ、今不安しかねーだろうな。この手握ったらまたさっきみたいに首絞められるんじゃないかと思っているんだろうなー。
とアルゴンが不安を感じ警戒しているのを表情から読み取ったフォクスは内心でそう呟き、吹き出してしまいそうなこの状況に堪え忍びながら笑顔を維持しつつ、差し伸べた手を一向に仕舞わなかった。
ほんの少しの間を挟みようやく観念したのか、アルゴンはゆっくりと差し出された手を握ろうと自分の手を伸ばした。
すると次の瞬間、フォクスは誘き出した獲物に素早く喰い付く蛇のようにその手を引き寄せ、離されないように力を込めて握った。それはアルゴンの体が一瞬浮かび上がる程で、彼は軽く地面に尻を打ってしまった。
尻に走る痛みに、内心舌打ちしたい気持ちをグッと堪え、眉間に皺を寄せるだけで我慢したアルゴンを前に、そんな事などお構いなしのフォクスは手を握り締めたまま彼の目を真剣な眼差しで見つめた。
「これでオレ達の間に蟠りは無い。ソフィアを探す為に互いに協力だ。この関係の間に嘘に無しだ。知っている情報は全部共有。いいよな?」
フォクスのこの言葉に対して、さすがにアルゴンも含みのある言い方だなと感じざるを得なかったのか、何か言い返そうとした。
しかしフォクスにとってはもうどうでもいい話だった。アルゴンの返答を妨害する為にわざと力を加えて手を離した。アルゴンは軽く突き飛ばされたように後ろによろけながら手首を摩っていた。それを見破られないように横目で確認したフォクスは、一瞬背を向けて笑みを浮かべると、即座に真顔を作り、まるで今まで何も無かったかのようにスッと立ち上がった。
「なあ」
「なに?」
不意を突くようなフォクスの問い掛けに、明らか不機嫌そうにアルゴンは答えた。
「今から夕飯作るけど、お前さんも食うだろ?」
それは夕食の誘いだった。フォクスはさっきまでとはまるで別人のように気楽な感じでそう言った。
「別にオレは……」
夕食の誘いにアルゴンは顔を反らしながら断る様子を見せた。しかしその瞬間彼の腹が鳴った。
「なんだ。やっぱり腹減ってんじゃねぇか。遠慮なんかすんなよオレ達仲間だろ?」
アルゴンの腹の音が聞こえたフォクスはヘラヘラと笑いながら言った。アルゴンは急に恥ずかしくなって、既に遅いが腹を手で覆った。だが先程まで姿を消していた食欲が、フォクスと話している間にひょっこり顔を出し、腹の中で空腹だと騒いでいた。
「じゃあ、食べる」
「そうそう、それでいいんだよ」
少々恥ずかしさを覗かせながらもアルゴンが答えると、既に夕食の準備を始めていたフォクスは手を動かしながら返事を返した。
「ところでさ、それなに?」
作業の最中、フォクスが先程から手にしていた布袋に手を突っ込んでいるのを見たアルゴンは、気になって中身を尋ねた。
「なにって夕食に決まってんだろ?」
布袋の中身を尋ねられたフォクスは、顔をニヤつかせながら布袋の中身を取り出し、それをアルゴンに見せ付けた。
「あ、フェリアンラビリックス……」
今度はちゃんと食べ切りたい。そうアルゴンは切に願うのであった……。
集中力が欲しい。
ダダ漏れる創作意欲が欲しい。
とにかく時間が欲しい。
今年のクリスマスは精神と時の部屋が欲しい。




